移りゆく日々

J.Kou


太陽がいっぱい

運動会が、10の日曜日に行われたが、雨のためにしばしば中断されたようである。
どうにか終えることはできたが、年に1度の行事なのに、天候に恵まれず気の毒であった。
その翌日も、次の日の今日も、日がさんさんと照っている。皮肉なことだ。
日がさんさんと、から太陽がいっぱいの言葉が連想される。これはもっと夏空の強烈な
日差しである。そしてアラン・ドロンの映画の題名である。
若者の肉体と、太陽と海と船、そして犯罪のシーンが甦ってくる。
窓から見ると、運動場に足を折られたテントの屋根がいくつも並んでいて、心なしか
無念そうに見える。明日にでも片付けられるだろう。
私は机に着いていて、外の光の中に、目前の光景と過去の映画とが交錯する。
現実と虚構が、不思議に交じり合うのである。
私は更に現実に戻るべく、机を離れると1つ背伸びをして、早速、玄関の掃除に
取りかかるのであった。



表紙へ 目次へ