史跡野

雪風の寒い日に、私たちは史跡野へ吟行(作句)に出かけた。ここが如何なる歴史を持つかを私はよく知らないが、私たちが、しばしばやって来る所である。春の芽吹き、夏の炎天、秋の枯葉、冬の雪と、自然の移り行きを鮮やかに見せてくれる。先生をはじめ7,8名が、ここで手帖を取り出し、風景を眺め、頭をひねり、句作に励むわけである。そしてそれぞれの経験や器量によって、分相応のものが出来上がる。作品において、多少の巧拙、感銘度の差異は致し方がない。それはともかくも、この1年をこの人たちと、ともに過ごせたことを嬉しく思う。草花と雑草の相違さえ、しばしば判然としない私であるが、この俳句する人たちについて行けば、おのずと自らの歩幅に達することが出来るだろう。私のもう1つの弱みとして、俳句用語の漢字が難しく、一種、文盲にも似た思いをすることがある。文字が読めなければ、当然人の選句をすることが出来ない。そこのところを克服すれば、私も彼たちと、いつか肩を並べられる日が来るだろう。ここ史跡野の暖かい季節には、日課のリハビリとしてか、不自由な杖を曳いて歩く老人がいた。仔犬を走らせる女の子もいた。日傘をくるくる回して歩く婦人たちもいた。歴史の重みをたたえた四辺の緑に、人々はしばしを憩い、遊び興じるのである。しかし今日の寒さはどうだろう。それら一切の戯れを封印するかのように、心底風の冷たい雪の1日であった。手帳の鉛筆を止め、さあ、帰りましょうよと、誰かの促す声が聞こえた。








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