移り行く日々

J.Kou


孫の受験の日は雪だった



孫の私立高校の受験の日は雪だった。娘は孫を、雪のため中学まで送っていった。後部座席には、もう孫が乗り込んでいるはずだ。ほんのこの間まで、高校生であった娘が、いまは我が子の受験生を連れている。高校を出て、20有余年を生きた娘を、ほんのこの間まで、とはどういう感覚であるか。
いかに膨大な年月も、心情においては束の間の時間に過ぎない。かっては家族4人で、遠い道のりを行き来したのも、いまは3人でレストランへ出かけるのも、この青い車である。そして今日はわが子を、雪の道を送るのである。車窓の中の会話は、励ましのうちにも、また自らの将来の夢をさえ、託すものであったかも知れない。
私は孫の話を聞くにつけ、それがきわめて具体的、現実的であることを感じた。就職有利とか独立とか、そんな言葉も出てきた。漠として遠くに目をやるような、ロマンめいたものではなかった。苦労する娘を見て、自らの力でそれをはやく支えようと、そんな意思さえが感じられるのであった。
うん、健気な孫だ、私は彼女と娘の、幸運を願わずにいられなかった。
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