移りゆく日々

J.Kou


どうしたのやら

曲を作ることも、なかなか大変である。今日は♯の付いたものをと思い、ああ、これはホ短調というのかと、
感心しながら、3時間ばかりもかけて、曲作りに取り組んだものだ。出来たものを何度も聞いたが、
わるくなかった。久々の佳作だとばかり、意気込んでアレンジしたところ、およそ聞くに忍びない
ものに、変貌していた。何故なのかさっぱり分からない。あの哀調を含んだ調べは、何処へ
消えたのだろう。私は大いに落胆し、疲れ果ててしまった。シャープやフラットは実に面倒である。
こんな時は、久留米の百年公園などより、文化街にでも出かけるに限る。
しかしあの辺の街を、なぜ文化というのか知らないが、昔々は、香り高い文化の都であったのだろう。
私は俳句会もやめてしまった。花鳥風月を愛し、風流に遊ぶこともむづかしい。
心が清く豊かに澄んでいなければならない。私には、もっとも遠いところではあった。
さて、古い曲を持ち出して、ここに一編を加えることにする。
私はシャープの曲を削除して、しまったと思った。どのように聞き苦しかろうと、これが自分の力だと
ここに留めるべきであった。
如何なる駄作といえども、自分の手に成るものには愛着がある。

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