宝満山へ登る

 標高800数10メートル、不規則な石の足場を登ること2時間、下山1時間半、私はこんなに疲れ果てたことはなかっ

た。体の骨格がくず折れてしまうかと思った。石段に足が滑り、よろめき、何度も手をついて尻餅も汚した。私は片隅に

座り込んで、大きく肩で息をした。山頂には木陰もなかった。喘いで登って来た者に、かんかん日照りがあるばかりだ。

 眺望を楽しむゆとりがなかった。ただ水が欲しかった。妻がリュックに入れていた水はとうになくなっていた。何故もっ

と十分な水をくれないのだろう。私は握り飯を開く気にもなれなかった。何人かの人たちが、飯を食い、水を飲み、眺望

を眺め、そして寝転んでいた。水を飲む人の水筒に、カラカラと氷の音が鳴った。私は何よりもこの日照りから逃れたか

った。数枚の写真のシャッターを切ると、早速また石を伝って下り始めた。だが下りても下りても石、この時ほど平坦な

道を願望したことはない。山頭火に入っても入っても青とか、そんな句がなかっただろうか。大した趣の違いだ。

 そもそも私は宝満山を甘く見ていた。その名の宝満から豊満を連想し、たばこ屋のみっちゃんや、4けん先の禁煙喫

茶のななちゃんだの、女性の豊満な肢体を心に浮かべてしまった。いうなれば今日はその罪と罰であった。

 宝満茶屋の販売機で、ペットボトルの茶を飲み、バス停のベンチにぐったりと背をもたれた。暫くすると徐々に元気が

回復するように思われた。参りはしたが、たしかに今日、自分は1つをやってのけた訳だ。これで花立山、天拝山、宝満

山と3つになった。 次は秋月の胡椒山だと思った。ここには1度の借りがある。アタックしながら、半ばですごすごと下

山したことがある。 この借りは返さなければならない。山なる女性の肘鉄を食らった位で、引くのも情けない。押さば

押せ、引かば押せの鉄則は、なにも相撲道に限らないように思える。この山登りを10回なり20回もやってみれば、

自分の趣向に合うか否かも、自ずから分かるだろう。趣味として定着すれば幸せなことであるし、不向きとして放てきす

ることになっても、それは仕方がないことだ。

 宝満山から帰って、私と妻は笑いあった。お握りを食べなかったの、まあ、と妻はおどろいた。私は小郡のあすてらす

温泉へ行き、夕方は久留米行きの電車に乗った。

 

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