晋の献公、荀息をケイ斉の傅とする。
 
 始まりを正すのが、万事の大本である。
 始まりが正しかったのに完成できなかった人間はいるが、始まりが誤っていて完成させた人間など、理屈から言ってもいる筈がない。稗を播いて穀を得たとゆう話や、李を植えて桃を得たとゆう話など聞いたことがない。酢を造って酒を得たとゆう話や、海へ網を打って鳥を捕らえたとゆう話など聞いたことがない。墨教を学んで儒学へ精通したとゆう話を聞いたことがないし、覇者になろうと努力して王者になったとゆう話も聞いたことがない。
 その最初で誤ったのに、事を成就させようとする。理屈から言って、絶対に無理なのだ。そして、始まりを誤ったせいで禍を踏んだ人間は、昔から今に至るまで一人や二人ではすまないのだ。 

 荀息は、献公の不正な遺託を受けたので、国は危うくなり自身は命を落とし、命を捨ててまで努めたのに、何の意義もない犬死にすぎなかった。その始まりで誤ったのだ。
 秦の穆公は徳義ある人間をさておいて自分に服従する人間を即位させたので、晋の恵公から反噬の辱しめを受けた。その始まりで誤ったのだ。
 晋の恵公は一国の利に目眩まされ、軽々しく受諾する弊害を見なかった。そして内外の賄賂を反古にし、遂には虜囚となってしまった。その始まりで誤ったのだ。
 その始まりを誤まれば、張良や陳平でさえも彼等の為に計略を練ることができない。蘇秦や張儀でさえも彼等の為に弁護することができない。孫子や呉子でさえも彼等の為に戦うことができない。墨テキや田単でさえも彼等の為に守ることができない。百補千営の苦労を継いでも、結局は敗れ去ってしまうのだ。 

 だが、この論はまだ始めていない人間の為に造ったのである。不幸にして、既に始まりを誤ってしまった者がこの説を聞いたところで、何の役にも立たない。ただ、胸を叩き腿を打ち、無益の悔いに心破られるに過ぎない。彼等を何とかして救うことができないのだろうか?
 お答えましましょう。
 始まりを誤ったのを見て、そのような人間との交遊を断つのは君子の正しさである。しかし、始まりで誤ったを見ても、なお彼等を救おうと思うのが、君子の恕である。
 子供へ対する父母を見てみよう。不孝者が教えに従わず、ならず者となって法網に触れたとしても、どうでも手が尽くせないとゆう所まで陥らなければ、とてものこと、父母は諦められるものではない。必死になって東西奔走し、その罪をほんの少しでも軽くしようと喘ぎまくるのが、親としての真情である。
 君子の天下へ対する想いは、父母の子供へ対する思いと同じだ。既に始まりを誤ってしまった者がいたとしても、彼がどうでも手が尽くせないとゆう所まで陥っていなければ、やはり一挙手の力を惜しんではいられないのだ。
 とはいえ、前述の例で言うならば、荀息は国中の人間を敵に回して、恨み辛みの的となることを自ら買って出たのだ。この禍は大きすぎて、トテモトテモ救うことはできない。 逆に、秦の穆公は、屈辱を受けたとはいえ、遂にはこれを雪ぐことができた。この禍は小さくて、救う必要もあるまい。
 残った晋の恵公に関しては、禍もこの中間程度。これこそ、君子が論じるべきものである。 

 恵公は、初め甘い言葉と.重い賄賂で秦を誘ったのに、国を得てしまったら途端に掌を返して、公約を悉く反古にした。秦の穆公は、この怨みを忘れるはずがない。心の中で晋を思わない日は、一日としてなかった事だろう。
 晋に飢饉が起こった時、穆公は穀物を与えた。これは、晋の災害を憂えたのではない。自分の恩徳を厚くする事で恵公の薄情を際だたせ、晋の民衆を怒らせて彼等を自分の為に動かそうと考えたのだ。このような怨みが、どうして口先だけの謝辞でなくなるだろうか。
 だが、幸いにも秦に飢饉が起こり、晋へ穀物の輸出を頼んだ。これこそ、天の配剤。秦の怨みを解くチャンスを、晋へ与え賜たのだ。だから、君子が恵公の為に謀ったなら、この時必ずこう言っただろう。
「我々は、長い間秦を裏切り続けていました。いつも、このことを心に恥じていたのです。今回、その秦から穀物の輸出を頼まれたのは、よい幸いです。速やかに彼の望みを叶えれば、秦は今回の恩で今までの怨みを忘れてくれるでしょう。よしんば水に流す所まで行きませんでも、怒りを削いで毒を緩くすることはできます。そうすれば、いざ合戦となった時、とことんまで力を尽くしたりはしないでしょう。」
 だが、カク射は言った。
「そんなことをしても、怨みを減らすことはできず、敵の兵力を増強させるだけです。」と。
 ああ、これは何とゆう言葉か。カク射は、穀物を与えても怨みを減らすことができないと考えた。だが、穀物を与えなかったら、ますます怨みを掻き立てることを考えなかったのか。
 どちらも同じ禍なら軽い方を選ぶにしくはなく、怨みも軽い方を選ぶにしくはない。もしもカク射の言葉が正しかったとしても、怨みを増すよりもましではないか。ましてや、穀物を与えたら、敵の怨みを削ぐことができるのだ。
 慶鄭がこれを救おうとした。しかし、その態度には怒りが籠もり言葉はきつい。結果として、ただ恵公の怒りを掻き立てただけだった。
 なんとも惜しい事ではないか。慶鄭には、これを救おうとゆう想いがあったが、その方策を知らなかったとは。もしも君子が晋の為に謀ったならば、始まりを誤ったとしても終わりに収拾がついたものを。 

 私は、かつて秦晋交争の経緯を閲してみて、天下の理は毫毛の過ちもあってはならないことを、益々深く確信した。
 晋が秦に背いた。秦が怨むのは理として当然である。だから、秦が晋を攻撃した。これも理として、報復するのが当然だった。韓原の戦役では、秦の人間だけが晋の恵公へ対して憤っていた訳ではない。他ならぬ晋の民でさえ、憤然として我が主君を非とする想いを持っていた。
 だが、秦の穆公が恵公を捕らえて霊台に幽閉するに及んでは、まるで「田圃を踏み荒らした牛を奪い取った」ようなものではないか。報復も度が過ぎている。
 そう、報復のあり方が断りを越えてやり過ぎたのだ。
 此処に於いて主君の窮状を見かねた晋の民は秦の酷薄を怨んだ。自分達の主君を非とする心は、穆公を非とする心に変わり、奮怒勇躍、幼子を輔けて軍を整備し、秦と共に生きざるの決意となった。
 ああ、天下の理は毫毛の過ちもあってはならない。千鈞の重さに見えても、わずか銖金で秤が動く。そうゆうものだ。