随、楚に背く
 
(春秋左氏伝) 

 魯の僖公の二十年(BC640年)、随は、漢水東辺の小国を率いて、楚へ叛いた。
 冬、楚は随を攻撃し、和平を盟わせて帰った。
 君子は言った。
「随は、身の程を計らなかった。力を測って動けば、過ちは少ない。成功するか失敗するかは、自分自身に依ることで、他人のせいではないのだ。」 

  

(東莱博議) 

 君子は、我の弱いことを憂え、敵が強いことを憂えず。我の患を憂え、敵の知を憂えず。
 国が敵に凌駕されて勝つことができないとしても、それは敵が強いのではない。罪は、我が弱いことにあるのだ。敵から陥れられて打つ手がなくなったとしても、それは敵が知恵者だったからではない。罪は我の患にある。いやしくも我が弱くなければ、天下に強者などいない。いやしくも我が愚者でなければ、天下に知恵者などいないのだ。
 しかしながら後世の為政者達は、敵の強を年中憂え、我の弱をただの一日として憂えない。敵の知を年中憂え、我の愚をただの一日として憂えない。その、敵を憂える心を自分を憂える心へ変えれたならば、我のことを、一体誰があなどれるだろうか?
 さて、愚かな随は、楚の隣国だった。随の君臣が、楚の成王や子文と対抗しようとしても、その強弱智愚は明白である。随は、ただ単に自分を憂えることを知らなかっただけではなく、比較検討することも知らなかった。彼等は怒りに任せて、戦車へ向かって蟷螂の斧を振り上げ、禍敗を踏んだのである。
 この事件に関して、左丘明は、国力を比較検討しなかったことが原因だと評した。
 彼は言った。
「随が討伐されたのは、力を測らなかったからである。国力を比較して動いたならば、過ちは少ない。成功か失敗するかは自分に依ること。どうして他人のせいだろうか?」と。
 だが、これは次のように言っているのだ。
「楚は強暴ではあるが、理由もなく随へ侵略したりはしない。随の国力は楚にかなわない。だから、随は身の程をわきまえて、情けなく尻尾を振り、楚の属国に甘んじるべきだったのだ。そうすれば、禍を蒙らなかったのに。
 随を討伐したのは楚である。しかし、楚の侵略を招いたのは、随自身なのだ。随の禍は身から出た錆であり、他人のせいではない。討伐したのは他人だがその原因を作ったのは自分自身ではないか?」
 ああ!この論こそ、「人に依って、自分に依らない」の典型である。
 もしも、左丘明の言うような理由で随が楚へ尻尾を振ったとしてみよう。そのような状況では、確かに、「随が動かない」と言える。しかし、それは楚の強大さを畏れてのことである。それならば、随を動かさないのは、強大な楚の国力ではないのか?「動かない」とゆう名前こそ自分にあるが、その実、他人によって動けなくさせられているだけである。
 一国には、宗廟があり、社稷があり、人民がいる。それなのに、その存亡の運命を他国へ預け、惴々としてただただ生き延びることだけ考え、侵略さえされなければ幸いだという。何と見苦しいことか。
 それに、もっと別の方面からも見てみよう。
 楚は、漢陽の諸国をほとんど滅ぼし尽くした。その滅ぼされた諸国は、全て楚へ反旗を翻していたとでも言うのか?随が国力を測って自ら守り、楚の言うままに従っていたとしても、随が国境の守りを怠ったならば、随の為政者が、どうして盟約を考慮して侵略を思い留まったりするものか。
 そう考えるならば、随は自守しても、楚の併呑を防ぐことができない。それは、存亡の要が楚にあって、随にはないからである。
 左丘明は、「成功か失敗するかは自分に依ること。」の言葉だけ知っていたが、その理については、全く理解していなかった。 

 成功するか失敗するかは自分に依る。これは、天下の全ての事が悉くそうである。
 善を行うのは自分だ。その善行を極めれば、堯となり、舜となり禹となり湯王となってしまうのも、自分自身なのだ。悪を行うのも自分だ。その悪行を極めれば、ケツとなり、紂となり幽王レイ王となってしまうのも、自分自身なのだ。
 前に行こうとした時、妨げるものはない。だから、聖人になろうとすれば聖人になれる。後ろへ行こうとした時、前へ引っ張るものもない。だから、狂人になろうとすれば、狂人になってしまう。この理屈を随侯が知っていたならば、則ち、「天地は全てのものを育成する」(中庸)と言うように、全ての物が自分自身の責任だと判るだろう。ましてや、区々たる楚など、何で畏れるに足りようか?
 左氏は、この通りを全く知らなかった。それで、楚を畏れることを、「国力を測る」と称したのである。だが、そのような感覚は、却って人を堕落させるだけではないか。
 昔の、いわゆる「力を測る」者は、それなりの理由があった。国力を養っても、まだ十分ではない。富国強兵を行って、まだ完遂していない。軍備を修めてはいるが、まだ整っていない。そのような状況だからこそ、国力を測って、軽々しくは動かないのだ。
 我がまだ動かないのは、敵の強を憂えているのではない。我の弱を憂えているのだ。敵の智を憂えているのではない。我の愚を憂えているのだ。彼等が憂えているのは、自分自身であり、相手ではないのだ。
 国力を十分に養い、富国強兵を完遂し、軍備が整ったとしても、まだ動かないかもしれない。しかし、彼等が動いたならば、天下に敵がない。今、彼等が伸びるのは、かつての屈があればこそではないか!
 いやしくも、兢々として現状を保つことを「国力を測る」と言うならば、人々は弱に安んじて弱のまま終わり、愚に安んじて愚のまま終わる。ああ、「力を測る」の論こそ、天下の堕落を呼び起こすのだ。 

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