東 莱 博 議

 (春秋左氏伝)

 魯の僖公の二十一年の夏。魯では大規模な干魃が起こった。
僖公は立腹し、雨乞師を火炙りにしようとしたが、藏文仲が言った。
「それは干害の準備ではありません。まず、隣国の侵略に備えて城壁を修理し、節約を奨励して穀物を備蓄し、農耕に務め、乏しい食物が公平に行き渡るように役人達の綱紀を引き締めることこそ肝腎です。
 この雨乞師を殺して何になりましょうか?天がこの男を殺そうと思うくらいなら、最初から産まなかったはずです。又、彼が日照りを起こしたというのなら、彼を殺せば益々激しい祟りを生むでしょう。」
 僖公はこの諫言に従った。
 この年、魯は凶作だったが、餓死者が出るなどの実害はなかった。

(博議)

 人は天の外に出ることはできない。
天啓を信じる者はもとより天を信じているが、天啓を信じない者も、実は天を信じているのだ。天命に従う者は、もとより天に従っているが、天命に逆らっていると思っている者も、実は天に従っているのだ。
 天を信じない者が、もしも本当に天を信じないで居られるとしたら、その人は天の外にいることになる。外にいられるようなら天ではない。同様に、天に逆らう者がもしも本当に天に逆らっているのなら、その人は天の外にいることになる。外にいられるようなら天ではない。
 嗚呼、世の中の人々は天意を信じるの信じないの、天命に従うの逆らうのと論じているが、彼等の論じている「天」の何とちっぽけなことか。

 そもそも、「天」とは何だろうか?
日月星辰の運行を司るものが「天」である。吉兆や凶兆で人を戒め、或いは導くものが「天」である。豊作凶作や或いは疫病を司るものが「天」である。そして、「天」をその程度にしか理解していない人間は次のように言うのだ。

「天体の運行、未来の正確な予言、天候の順不順や疫病の流行については、人は何もできない。人間は、ただ徳を修め豊かな社会を造るよう努力するだけだ。天意だの天命だの、そんな漠然としたものに惑わされたりしない。
 昔、聖人と言われた湯王が天下を治めていた時代にも、旱は起こった。天は湯王の政治を憎んだのか?この時、『人は治まっていたが、天は乱れていた』と言える。逆に、秦の始皇帝の横暴な政治の時に豊作になったこともある。天は始皇帝の暴虐を嘉したのか?この時、『人は乱れていたが、天は治まっていた。』と言える。
 しかし、その結果はどうか?湯王の時に凶作になっても人々は苦しまなかった。日頃から備えがあり、三年間は働かなくても皆が生きてゆけるだけの作物が常に備蓄されていたからである。逆に、始皇帝の時に豊作になっても人々は楽しめなかった。その作物は全て独裁者に吸い上げられ、人民は工事や外征で苦難の挙げ句死んでいったからだ。
 善政を布いたからと言って『天』が感激して豊作にしてくれるわけではないし、苛政を強いたからと言って『天』が憤慨して凶作を起こすわけではない。『天』はあくまで『天』。豊作凶作は人間の力では如何ともし難い。しかし、人間が努力すればそのような苦難は乗り越えられるし、努力しなければせっかくの幸運を享受することもできない。幸と不幸は『人』にあり。これには『天』も如何ともできないのである。」

 このような俗説が流布してから、「人」と「天」が隔離してしまった。つまり、彼等は「人」を「天」の外に置いてしまったのである。

 魯の僖公の二十一年、旱が起こった。この時、雨乞師を焼き殺そうとした僖公の行いは、もとより頑迷固陋も甚だしい。だが、藏文仲の諫言にたちまち悟り、適宜なる処置をしたおかげで、結局凶作ではあったけれども人々はこれを乗り切ることができたのである。

 この事件を考えると、確かに世俗の通説は正しいように思える。多分、左氏は次のように思ったのだろう。
「旱を起こすは天に在るが、備えをするは人に在り。たとえ泉が枯れ石が燥かれ土が焦げ金が溶けるとも、人はもとより天を如何ともできない。しかし、城壁を整備し費用を節約し農耕に務め公平に分配すれば、天も人を如何ともできないのだ。飢饉は天の為せる技。そして、実害に到らせないのは人の努力の成果である。」と。
 しかし、このような学説は、「天」をただ単に空を覆う物としてしか見ては居ない。私の言う「天」は、もっと大きいのだ。

 そもそも知らずや、「天」は大きく、全ての物を内包している。
 人は「天」に、或いは従い或いは逆らい、或いは向い或いは背き、或いは棄て或いは採り、紛々たるをなしているが、実は彼等は全て「天」の中で右往左往しているに過ぎない。何人たりとも「天」の外に出ては居ないのだ。
従中に「天」あり逆中に「天」あり、向中に「天」あり背中に「天」あり、棄中に「天」あり拾中に「天」あり。たとえ何をしたとしても、それら全ての中に「天」はある。

 なぜそう言えるのか?

 それでは、私の方から、逆に尋ねてみよう。

 藏文仲はどうして先程の諫言をしたのだろうか?そして、僖公はなぜその一言で無明の迷いを解いたのだろうか?又、旱害の備えを修めるとゆう命令が、どうして滞り無く実行されたのだろうか?

 藏文仲の心の中に、ある想いがあったのだ。だから、僖公が雨乞師を殺そうとした時、これを諫めたのである。僖公の心の中にある想いがあったのだ。だから、藏文仲の一言でたちまち迷いを解いたのだ。人々の心の中にある想いがあったのだ。だから、僖公の命令が下った時、皆がこれに従ったのだ。

 それではその想いはどうして彼等の心の中にあったのだろうか?彼等がそのような想いを持って生まれてきた、それこそが真の天意なのだ。

 人が言葉を発するのは、則ち天理が発されたのである。人が悔いるのは、則ち天意が悔いさせたのだ。人事が尽くされるのは、則ち天道が修められるのだ。人の行いは、一つとして「天」でないものはない。それなのに、これを却って「天はあずかり知らぬ」と言う。これこそ大哀の至りである。

 天を善く観る者は、その精を観る。天を善く観れない者は、その形しか観れない。今、その一例を挙げてみよう。

 昔、成王が幼くして周の王に即位した時、叔父の周公は、成王の為に真心を尽くしてこれを補佐した。にもかかわらず、成王は、却って周公が王位を狙っていると猜疑してしまい、周公を追放してしまった。その時、彼の「天」は蔽われてしまっていたのである。

 この伝説は、次のように続く。

゛古今未曾有の大風雷が起こった時に、成王は大いに懼れ、補佐役の召公や太公と共に秘蔵の書物を収めていた書庫を開き、「金騰の書」を見つけた。その書は周公の記したものである。読んでみると、その中には彼の成王へ対する至誠の想いが溢れていた。ここに至って成王は周公を追放したことを大いに後悔し、その書を抱いて号泣した。゛

 この時になって、成王はようやく周公の勤労を信じた。成王が書を抱いて号泣した時に、彼の胸中の天は啓かれたのである。雷霆が鳴り響き、強風が吹き荒んだから天意を知ったのでは、決してない。

 雷霆が鳴り響き、強風が吹き荒んで知る「天意」というのは、「ちっぽけな天」である。召公や太公が知った「天」はそうではない。彼等は、胸中の「天」を開いたのだ。

(訳者曰く)

 中国は多神教の國だ。だから、中国で「神」と言うと「山の神」や「河の神」を指し、西洋人の考える「天地創造の神」とはかけ離れたものとなる。しかし、ここで言う、「天」ならば、「天地創造の唯一絶対神」にかなり近いのではないだろうか。

呂東莱の持つ「天」の感覚で面白いのは、『「天」はこの世界の全てを創った。だから、世界中の全ての物に「天」の真意が溢れている。』とゆう部分だ。つまり、「その物を、そのように創った」とゆうことが、「天」の想いである。とゆうことか。

 その考え方で言うならば、キリスト教徒が物理学を学ぶのはキリストの想いに触れる為なのだろうか?勿論、そうでない人間が多いだろうが、そう思って励んでいる人間も、或いは居るかも知れない。キリスト教徒とは言っても、一概に括ることなどできるわけがないのだから。

ただ、「ファウスト」の主人公のファウスト博士は、神の想いを知る為に、宇宙の心理を研究しているとゆう設定になっている。そして、そのやり方が、「神への奉仕の仕方として一風変わっている」と評されるのだから、(勿論あの時代には)このような考え方は一般化していなかったのだろう。しかし、ゲーテ本人はどう思っていたのだろうか?

 まあ、なんにしても、私はキリスト教徒ではない。ただ、この論文はキリスト教を始めとする一神教の信者達に読んで欲しいものだ。そのような人々はこの論旨をどう感じられるのだろうか。

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