前口上

 

 さても、暴虐無頼なる殷の紂王は周の武王に討たれ、中国の民は上は諸侯から下は平民に至るまで、周の国民となったのでございます。聡明にして仁慈溢れる名君の許、諸侯達は相い和し、上下は互いに譲り合うことを以て喜びとなし、民は日々の生業を楽しみ、まことそれぞれの人々が各々の立場にて、心ゆくまで太平を謳歌したのでございます。
 ところが、時が移り代が変わりますれば、風俗は次第に廃れ行き、遂には再び大乱の世の中となってしまいました。
 全国に割拠しました諸侯達は、ほんの少しでも領土を拡大しようと、互いに飽きることなく兵を動かし、干の音は耐える間もなく、大国が小国を侵略・併呑するなど日常茶飯事。これこそ、俗に言う、春秋・戦国の時代であります。
 このような世の中にあって、一般の庶民達が苦しみに喘ぐ羽目に陥ったこと、言うまでもございません。夕べには北の方が乱暴な兵士達に蹂躙されたと思ったら、今朝には南で火が放たれた、と言った案配。数え切れぬほどの人々が、今日生き延びられるか、明日死ぬかとばかり、日々恐々として、息をひそめながら暮らして行くようになったのでございます。
 一体、どうしてかかる仕儀に相成ったのでございましょうか?
 それは他でもございません。上は諸侯から、下は士・大夫に至るまで、凡そ人の手本とならねばならぬ人々が、すっかり全部こころざまの正しさを失ってしまい、己自身の利益のみを求めるようになってしまったからでございます。
 このような世の中にありまして、もしも数多くの諸侯達の中に、思いやりに溢れた正しい心様のお方がただの一人でも現れましたならば、必ずやそのお方が、中国全土を支配する王者となられたでございましょう。

”おい、講釈師!”
 えっ?何でございますか?
”こらっ、講釈師!お前は何で勝手なことを断言するのだ!戦争が起こったのは他に原因があったかも知れないじゃないか!道義心の欠落がその原因だ、などと、なんでお前にそんなことが言いきれるのだ!”
 成る程成る程。お客様のお怒りも、至極尤もなことでございますな。
 しかし、これは私が言ったのではございません。孔子、孟子といった、昔の偉い先生方。その方々が口を揃えておっしゃっておられたのでございますぞ。
 その証拠には、「孟子」とゆう書物。これをちょっと紐解いてご覧致しましょう。

 そもそも孟子と言えば、後世に「阿聖」の呼び声高い碩学道義の先生でございます。その孟子が、全国を遊説して魏の恵王陛下へ謁見いたしました折の事。恵王陛下はのっけからこう尋ねられました。
「先生はどうゆう手段で、私に利益を与えてくださいますのか?」
 すると、孟子は答えられました。
「陛下はどうして利益ばかりを追いかけられるのでございますか?その陛下の態度を臣下達が真似するようになったなら、どうなるでしょうか?彼等は必ずこう思うでしょう。
『今よりも善い暮らしをする為に、王を蹴落として、自分こそこの国の王になってやる』と。
 ですから、陛下。これからは利益を口に出さず、ただ仁愛のみを求められるようになさって下さい。そうすれば、この国は必ずや安泰でございましょう。」
 ところが恵王は、孟子のこの言葉を正しいとは想いながらも、結局目先の利益を追い求めることが止められなかったのでございます。とうとう、孟子は嘆息してこの国を去ってしまいました。
「ああ、今の世の中で、仁義を求めて止まない主君が居れば、天下は必ずやその人のものになるのに。」と。

”うんうん。成程。時の国王に節義がないことは判った。それで戦争が起こるのも、まあ、考えてみれば判らないでもない。しかし、おかしいじゃないか?どうして心様の正しい主君が一人でも居れば、そいつが天下を取れるのだ?いくら孟子がそう言ったとは言われても、理由をよおく説明して貰わなければ、俺には判らんぞ。”

 まあまあ、お客様。それはこれからゆっくりと話して参りますから。
 私の講釈が終わりましたら、疑問はたちまちに氷解し、「ああ、成程。確かに心様の正しい君主が一人でも出たら、天下はそのお方のものになるのだな。無理ない、無理ない。」と、幾度も頷かれるようになること、請け合いでございます。
 他のお客様も宜しゅうございますね?もう変なやいの手は入れないで下さいましよ?
 それでは、「善政来、始皇之治世」。始まり始まりぃー。