第五回   聖君大いに怒りを発し、中国は一統に帰す。
 

 さて、突然撤兵を命じました秦王でございますが、なにも単なる気まぐれだったわけではございません。実は秦王は、遠征に先立って、中国中のあちこちの地方へ密偵を放っていたのでございます。それによって、この出兵の善悪を判断する一助となそう、とゆう訳。
 その上で、もしも「罪悪である」と判断しましたら、もう、「試みに統治する」などとゆう悠長なことなどする必要もない。例え戦争で勝っていても、すぐに撤退しよう、占領した土地も、全て返還してしまおう、とゆうお考え。つまり、”過ちを正すには早い方がよい。”とゆうことでございます。
 ところで、その結果、撤退とゆうことになってしまいました。それでは、今回の出兵は、非難されたのでございましょうか?
”どんな理由があろうとも、武力で片を付けるなど、人間としてあるまじき行為だ。戦争など、野蛮で残酷な人非人のすることだ。”と、全ての人々が傲然たる非難を浴びせ、秦王政のことを蛇蠍の様に忌み嫌ったのでございましょうか?
 いえいえ、そうではありません。事実はまるで逆だったのでございます。
 真っ先に報告が返ってきましたのは、北方趙へ忍んでいた密偵達。その報告を読んだ時、秦王は愕然としてしまいました。なんと、腸の人々は、「秦王が楚を討った」と聞き、一人残らず嘆き悲しんだのでございます。
「ああ、ああ。秦王様は、なんで楚の国なんぞに出兵なさったのだろうか。どうして『楚の民だけを自分の民にしよう』などと思われたのだろうか?私達は皆、かねてから秦の民を羨み、『自分たちも秦の国民になれたらどんなに素晴らしいことだろう』と、日夜かなわぬ臨みに身を焦がしていたとゆうのに。ああ、それが全くかなわないのなら、まだ諦めもついたのだ。
 ところが、秦王様は、楚の民だけを自分の民にしようとなさっておられる。秦王様は我々のどこがそんなに気に入らないのだろうか?楚の民のどこがそんなに気に入っているのだろうか?私達が秦王を慕うこと、あたかも幼子が慈母を慕うようなものだというのに、どうしてそれがお解りになられないのだろうか?」
 と、朝には涙を零し、夕べには泣き伏しております。人々が悔しがって地団駄を踏みならすものですから、趙の国全体が揺れ動いて山は崩れ、哭声は天をもどよめかす、といった有様。趙の密偵の報告は、その民の嘆きを切々と訴えたのでございます。
 密偵の報告を読み終えた秦王は、怒髪天をも衝かんばかり。
「なんとゆうことだ!国民が、自らの国が滅ぶことを望んでいたとは!趙の国王は、ここまで民から見放されておったのか!これだけで、その悪行を知って余りある。
 だいたい、国民から見放された王は、もはや王ではない。その身は王でもないくせに税をとるとしたら、これは強盗が金を脅し取っているのだ!その身は王でもないくせに死刑を行うとしたら、これは非道なる男が殺人を楽しんでいるのだ!その悪辣なる所業、天は怒りて地も嘆く。まさしく、天地に容れられざる極悪人である。よその国の人間だからと言って、何で放って置いて良いものか!」
  激憤した秦王は、即座に重臣を召し出し、件の報告書を提示した上、趙征伐を起こすことを宣言したのでございます。
 これは、希有のことでございます。
 そもそも秦王政とゆうお方は、常々、どんなに理に叶った言葉を聞きましても、なお用心して多くの臣下の言葉に耳を傾けるようなお方でございました。これは、先の韓非子の裁断の時にも、皆様よくお解りに成られたと思います。
 ところが、今回は激憤に駆られた余り、独断で出兵を決断してしまったのでございます。
 しかし、これはいたしかたのないことかも知れません。
 そもそも、人は何かを求めます時、それと反対のものを必ず憎んでしまうものでございます。秦王政は、民の幸せを求めて止まぬかわり、他人を虐げる者を憎んでしまったのでございます。
 さて、否を許さぬほどの、秦王のお怒り。文武の百官は、皆、震え上がってしまいました。しかも、その怒りは誠にもっとも。誰一人諫言する者はおりませんでした。と、申し上げたいのですが・・・・、この時、一人の将軍が一歩踏み出したのでございます。
 そも、彼は何者?と申すなら、「秦の国にその人有り」と知られた名将、王前(前/羽)将軍。
 この王前将軍は、三代前の文王の御代から、赫々たる戦功を建て続けた秦国随一の将軍。ですから、既に年老いてはおりますが、さすが戦場で鳴らしただけあって、いまだ耄碌はしておりません。そして、その経験豊かな見識には、諸人等しく敬服しております。
 将軍が申すには、
「陛下、我が国は今、楚の国と交戦中であることを忘れてはいけません。今、また趙国と交戦するなら、両面に敵を受けることになり、極めて危険であります。それに、いきなり二ヶ国へ大軍を投入すれば、他の国が恐れましょう。悪くすれば、残る四ヶ国までが楚や趙と手を組み、我が国だけが孤立してしまうことも、充分考えられます。我が秦の国は、全国民を合わせても、中国の民の六分の一しかおらず、領土も四分の一しかございません。もしも六ヶ国が手を組んで我が国だけと戦ったならば、我が国は存亡の危機に陥りましょう。」
 言われてみれば、これも又、道理。しかし、秦王はおさまりません。王前の諫言を聞くや否や、あっさりと、
「それならば、楚と和睦すればよかろう。」
 仰天する臣下を尻目に、
「今回の出兵は、何も楚の国王に罪があったわけではない。今まで占領した領土を全て返還し、併せて謝罪の文も書こう。それにね他の四ヶ国の国王達へ対しても、文書を渡して十分に事情を説明すればよい。あくまで、趙の国王が、許されざる大悪人であるから、これを討伐するのだ。悪事を働かぬ他の王まで恐れることはない。そうすれば、孤立は避けられるではないか。かくの如き大悪人を放っておくのは、私の道義心がこれを許さぬ!」
 快刀乱麻を断つが如き、明確なる返答。その鶴の一声にて、評議は決定いたしました。
 かくの如き次第で、秦への出征軍は撤兵となったわけでございます。
 しかし、蒙括将軍はそこまでわかりません。ただ、いきなりの命令にとまどうばかり。
 とはいえ、主命をなみするわけにはまいりません。遂に、撤退を命じたのでございます。
 で、命じはしたものの、どうしても悔しい。と、申しますのは、占領した住民の支援も受け、ようやく楚と一大決戦を行うメドがついたばかりでございます。それが、戦いもせぬうちにいきなりの撤兵。どうして悔しがらずにおれましょうか!
 撤退の準備をする兵卒達も、いかにも無念そうでございます。
 陣を見回って、楚の空気を肌で感じますと、蒙括将軍の胸の中から、新たなる悔しさがこみあがって参りました。ですが、国王の命令には逆らえません。逆らうことはできないが、如何にも悔しい。遂に、将軍は心中の鬱屈を書状に託し、秦王へ上奏することを決意いたしました。そうゆう訳で、撤退の準備は、すっかり兵卒達へ任せ、自身は幕舎にて上申書をしたため始めたのでございます。
 そうこうするうち、準備は整い、はや、撤退。軍は迅速を尊びます。その時までには、現時点での戦況や、兵卒達の志気、そして住民達の心情までも克明に記した上申書は既に書き上がり、後ろ髪牽かれる想いながら、将軍は撤退を開始しました。
 ところが、「いざ退却」とゆう時、近隣の住民達がこぞって押し寄せてきたのでございます。中で、真っ先に口を開いたのは、件の長老。
「閣下。これは一体どうゆう訳でございましょうか?私共は、『これで秦の民になれる。思いやりの溢れる秦王の許で、楽しい日々を送ることができる。』とばかり、喜ばないものとていなかったのですが、何で突然に見捨てられてしまったのでございましょうか?
 もしも、私共の誰かが、あなた様方へ何か不都合なことでもしでかしたのでしたらば、それは幾重にもお詫びいたします。『お前達は、自分のことだとゆうのに、ただ見ているだけで、何ともけしからんではないか。』と叱られましたら、返す言葉もございません。ですが、必ず心を入れ替えます。もう一度楚の王の国民となることなど、なんで耐えられましょうか。
 いままで生きて行く喜びさえも知らずに暮らしてきた私共が、ようやく明日に希望を持ったというのに、いきなり見捨てられるとはあんまりではございませんか。」
 感極まった長老は、ヨヨと泣き伏してしまいました。各自が思い思いに兵卒達の衣を挽き、足に縋り付いていた村人達も、一人として泣き出さぬ者はおりませぬ。いえいえ、それどころか、兵卒達さえ貰い泣きしない者はいない、といった有様。
 蒙括将軍は、しめつけるように胸を痛めてさせております自らの想いに急かされるように、長老の腕を執りますと、
「陛下の突然のご命令で、私としても、訳が分からないのだ。しかし、私とてただ帰るわけではない。帰ったら、すぐに、再びの遠征を上申する所存。その為の上申書も、既に書き上がっておる。お前達の、今の言葉も必ず伝えよう。陛下は仁慈溢れるお方ゆえ、どうゆう心境の変化かは知らないが、必ず感悟なされよう。それでだめなら、私が命に替えてでも、必ずお諫めしよう。今回は、主命で帰らざるを得ないが、私は必ず戻ってくる!」
 蒙括将軍からキッパリと言い放たれ、長老はようよう落ち着きまして、新の軍人のために道を開けるよう、村人達へ言い含めました。
 かくして、秦の軍隊は、ようよう退却することができたのでございます。
 ところが、その間に秦の朝廷では大変なことが起こっておりました。何と、西方韓から帰ってきた密偵も、趙へ忍び込んだ密偵と同じ結果を報告したのでございます。
 秦王政は愕然といたしました。
「これは一体どうしたわけだ!極悪非道なのは、趙の国王だけではなかったのか!」
 前にも申しました通り、秦は天険の地で、他の六ヶ国とはほとんど隔離されております。しかも、秦王は今まで、内政を充実させることだけを天命と心得て、努力して参ったのでございます。そうゆうわけで、他の国の事などはほとんど知りませんでした。ほかの臣下達とて同様でございます。王の補佐をすることに懸命で、脇目をふる余裕などございませんでした。一番物知りの李斯でさえ、
「私もまさかこれ程までとは・・・・・。」
 と、呆然とする始末。
「これでは他の国もどうなのか判らぬわ。趙王だけを成敗しようと決めたのは、チと総計だったようじゃ・・・。」
 かくて、出兵の準備だけは着々と整えられておりましたが、実際の出兵は、しばらく延期となりました。他の魏や燕や斉の様子も知らないことには、処置のしようもございません。
 そして、案の定でございました。
 他の三人の国王達も、同じ穴の狢。国民の反応は似たり寄ったり。
 しかも、一番離れた斉の国へ行った密偵が戻ってきた時には、蒙括将軍も帰国しており、将軍の口から楚の実情まで聞かされたのでございます。秦王は激怒する事この上もなく、
「もはや、六人の国王達は同罪じゃ!全ての国を滅ぼしてしまえ!」
 言われて廷臣達、大いに驚きました。そして、今度も王前将軍が、
「陛下。それは余りに無茶と申すもの。やはり、どこかの国と同盟を結び、一つづつ滅ぼして行かねば・・・・・。」
 しかし皆まで言わせもあえず
「ならぬ!」
 秦王はキッパリとはね除けました。
「同盟とて、どこの国と結ぶつもりじゃ!極悪非道の無頼漢と手を結ぶとゆうのは、こちらもそいつ等と同等の人間に成り下がるとゆうことじゃぞ!どこの国とも、同盟を結ぶことなど、あいならぬ!」
 雷鳴の響くが如き大音響に、廷臣達は思わず首をすくめてしまいました。しかし、怯んでしまうわけには参りません。
 王前将軍が、言いました。
「とは申されましても、我が国の兵力は百万とおりません。遠征に動員できるのは、せいぜい五十万が限界かと。」
 するとその時、若輩ながらも将軍として廷臣の末席を汚しておりました蒙括将軍が、
「陛下。十万の兵さえあれば、楚を滅ぼして見せまする!」
 と、まこと頼もしげな発言。
 しかし、
「へつらうでない!」
 秦王は即座に一喝いたしました。
「王前でさえ危ぶんでおるというのに、若輩のお前になんで断言できるか!今は、大いなる艱難を十分に認識しつつ、それでもやり抜く強い覚悟をしっかりと決め、最前の手だてを十分に吟味するべき時じゃ!軽薄に阿る時ではない!それとも何か?十分な成算あっての断言か?」
 と、秦王は、激情に駆られましても、やはり最後の一線は冷静でございます。
 しかし、蒙括将軍とても、なんで軽々におもねるような人柄でございましょうか。おびえもせずに、まず、楚の軍隊と戦った経緯を語り始めました。
”始めの方はしかじかで、終わりの方はかようかよう。”と、遠征の詳細を克明に述べた上で、十万の兵でも勝算があることを断言したのでございます。
 すると、王前将軍が真っ先に同意いたしました。
「兵糧の心配がいらぬのなら、拠点に兵を分散して糧道を確保する必要がありませぬから、常に全軍一丸となって戦えます。のみならず、輜重隊がいりませんので、八十万は戦闘にまわせます。兵卒の志気と作戦如何では、六ヶ国を向こうに回しても戦えます。少なくとも、絶対に勝てぬ、と投げやりになることはございません。」FONT FACE="MS Pゴシック"> と、こうなると他の将軍達、何で、「努力さえしない」と言えましょうか。まして、秦王政のもとで長年働き、仁慈の想いに溢れた方ばかり。将軍達は、一人残らず遠征を許諾いたしました。
「餅は餅屋」と申します。戦争の本職が揃ってこういう以上、文官が何を申しましょうか。こうして、秦王は、遠征の大号令をかけたのでございます。
 さて、この後はクドクド述べる必要もございますまい。
 一人一人が正義の熱い想いに突き動かされた、戦意旺盛な秦の軍隊と、いい加減に戦って、負ければサッサと逃げ出すような他の国の軍隊とが戦うのですから、結果はおのずから明白でございます。のみならず、よその国の国民でさえも、秦の国民になりたがり、兵糧の援助はもとより、甚だしきは、自ら刀を執って自分の国の兵隊達と戦ったのでございます。
 かくして、僅か数年のうちに楚・趙・韓・魏・燕・斉の六ヶ国は次々と滅ぼされてしまい、中国は秦によって統一されてしまったのでございます。
 ああ、とうとう、民の辛苦は終わりを告げました。
 上は諸侯から、下は士・大夫に至るまで、およそ人の手本にならなければならない人々が、利を追うことを専らと為し心様の正しさを失ってしまった為に引き起こされた動乱は、孔子や孟子の予言した通り、慈愛に満ちた名君の登場と共にあっけなく終わりを告げ、中国の民は一人残らず秦王政、いえいえ、まだ少し早くはございますが、ここいら辺りで「秦の始皇帝」と呼ばせていただきましょう。その、秦の始皇帝の民となったのでございます。
 この後、英明にして仁慈溢れる秦の始皇帝のもとで、人々が幸せな日々を送ったことは言うまでもありません。 

 さて、この後も面白い話は続いております。
 秦王政が、民から皇帝の称号を受け取った話。上辺ばかり繕い、人を混乱させては利益を貪ろうとしていた心曲がった偽学者共を一人残らず誅殺した胸のすく勧懲談。そして、いつまでも民を守ろうとするあまり、秦の始皇帝が不老不死の仙薬を求めます神仙談、等々。
 ですが、それらの話は、いずれの機会を待つことと致しましょう。
 もう、日も陰って参りました。本日は、ここいらあたりでお開きとさせていただきます。
 本日は、皆様。ご静聴、どうも有り難うございました。