第一回  孝宗皇、崩御に臨んで遺命し、
     明武帝、即位して臣下を封ず。

 詩に申します。
 何をあくせく暮らすやら。貧乏人も金持ちも、死んでしまえば骨になる。
 楽しめる時楽しんで、風流を感じりゃ一句捻ろう。

 さて、大明が建国し、洪武帝が即位した。諸々の蛮酋共は服属し、百姓は泰平に安らぎ、皇位は代々継承される。これ即ち、「山河は悠久、国運は連綿」と言うところ。
 そうして泰平のうちに時は移ろい、弘治帝の御代。民は増え、穀物は溢れ、四海はまこと花盛り。そして、在位十八年目、陛下は皇太子を立てた。名は厚照。母親は張氏。御年十五歳だった。

 この年の七月、弘治帝は重病に伏せった。医者の薬も効果がなく、病状は日々悪化する一方。やがて主上は万一を危惧し、重臣を召還したのである。呼ばれた面々は、慎身殿大学士梁儲、武英殿大学士楊延和、文華殿大学士劉健、文淵閣大学士謝遷。皆、第一等の大臣達だった。
 彼等が打ち揃って入宮し、用件を問うと、主上は言った。
「お前達を呼んだのは、他でもない、朕は、もういよいよダメなようだ。病が膏肓へ入ったのが自分でも判る。太医は手を尽くしてくれているが、命数とゆうものは人間の力ではどうしようもないものだな。
 そこで覚悟を決めてはみたが、後の事が気に掛かる。お前達、太子を頼むぞ。太子はまだ十五歳だ。聡明ではあるが、まだ幼少。政治についてもよく知らない。それに、豪快な性分だからな。心を緩めたらどうなることか。お前達が良く補佐して正してやってくれ。そうすれば、朕は安心して死んで行ける。」
 言い終えると、不覚にも涙を零してしまった。
 大臣達は頭を下げた。
「陛下の龍体を拝見しますに、過分な考慮。ご病気は、じきに平癒いたしましょう。ですが、太子の補佐は、臣等の職分。必ずや心を尽くし、力を尽くし、陛下から受けた御恩の万分の一でも報いたいと心得ております。」
 それを聞いて、主上は竜顔をほころばせた。
「その言葉を聞いて安心した。お前達に任せれば、朕も心残りはない!」
 そうして、梁儲へ遺詔の代筆を命じ、後々の大事を彼等に託して、退出させたのである。
 翌日、弘治帝は崩御した。享年三十六。
 訃報を受けた梁儲は、百官を率いて入宮し、張皇后へ謁見した。そして、遺詔を見せ、太子の厚照を帝位へ即けたのである。これが即ち正徳帝。太上皇を「孝宗敬皇帝」と謚し、張皇后は皇太后となり、年号は「正徳元年」と改元された。
 後の手筈も従来通り。天下へ大赦が下され、百官はそれぞれ昇進した。群臣達は新皇帝を祝賀し、皇帝は喪に服したのである。

 やがて、三年の年月が流れ、喪が開けた。
 梁儲等の大臣達は、入宮すると、新帝へ臨朝して政務を執るよう請願した。
 そこから先も、儀礼通り。新帝は、まず事の次第を亡き先帝へ報告してから、朝廷へ臨んだ。すると、文武の百官が、新帝へ次々とお目通りをして行く。こうやって、一通りの拝謁の後は、大宴会。百官は聖恩に感謝して、各々の席に就き、杯が巡り出した。
 数巡り酒が回ったところで、新帝は言った。
「朕は先帝の顧命を受け、卿等の力添えもあって即位することができた。今、政務に就くことになったが、新たなる想いでこれに臨みたい。ただ、朕はまだ若い。そして、社稷の大事は畏るべき。日に万機を処理しても、なお足りまい。疏失を起こした時は、卿等の補弼が頼りである。諸卿等も、どうか力を尽くして輔けて欲しい。そうすれば、卿等も股肱腹心の美名を得、賢良は芳名を千歳に残すであろう。」
 これを聞いて、諸卿は一斉に答えた。
「先帝の言葉は、まだ耳に残っております。どうしてこの卑しい体を骨惜しみすることがございましょうか。必ずや肝胆を凝らし、先帝陛下から蒙りました知遇の隆恩へ報いさせていただきます!どうか、陛下。天の御心に悖らず、力を尽くしてくださいませ。臣等は微誠を尽くしましょう。」
 これを聞いて、新帝は大いに喜んだ。
「卿等が真心を尽くしてくれるなら、上は先帝の御霊も安らごう。下はこの広い朝野がますます富み栄えるだろう。
 ところで、目下危急の問題は、陜西である。ここは国家の喉元とも言える要地。かつて、在りし日の先帝もここに心を砕かれておられた。孤も良臣を選んで鎮守させたい。
 そこで、卿等に問う。協議の上、相応しき人材を推薦してくれ。」
 すると、梁儲が言った。
「相応しき人材ならば、兵部侍郎の楊一清。四川は保寧府元県の人で、探花(科挙、第三位合格)出身でございます。この人ならば、知謀に溢れ、雄才偉略。その職務に耐えられます。彼を登庸なされば、陛下に憂いはなくなりましょう。」
 新帝は上機嫌で頷いた。
「卿の上奏は、孤の腹づもりとピッタリだ。
 楊卿、聞いて居るか。卿を都御史とし、陜西三辺の軍務を総轄させる。さっそく兵糧を整え、明日にでも出発せよ。期日が満ちて帰ってくれば、更に厚い恩賞を賜ろう。」
 楊一清は席を離れて感謝の言葉を述べ、もとの席へと戻った。
 次に、新帝は内宮太監劉謹を呼び出し、神機営中軍二司に封じ、御林軍の統制も兼務させた。劉謹は、頭を下げて謝恩した。この有様に、重臣達は一様に鼻白んでしまった。
 この劉謹とゆう男は、陜西生まれ。本姓を「淡」という、微賎の者。幼い頃、父母が劉太監から金を貰って養子に譲った人間だ。以来、劉姓となったわけである。養父が死ぬと、孝宗陛下がその職を踏襲させたので、太子の近習となったのだ。
 劉謹の為人たるや、阿諛追従の権化。偽りが巧みで、術策に秀でる。そして、人心の機微を穿つことは、ほとんど神業。だから、幼い頃の新帝は、劉謹なしでは夜も日も明けぬ有様だった。劉謹も又、痒いところに手が届くような心配りの毎日で、新帝からは絶大の信頼を受けていた。
 即位してから後、新帝は喪に服していたので、妄りに遊ぶことはできない筈だった。だから、新帝は悶々とした日々を過ごしていたのだが、それを察した劉謹は、党類の馬永成等と共に美麗の才妓四名を新帝へ勧めて淫楽の悦びを唆した。以来、新帝は父上の服喪もそっちのけで羽衣水琴に耽ったのだった。
 そうゆう訳で、喪が開けると、新帝は即座に劉謹へ恩賞を授けたのだ。だから、この行賞を見た朝臣達が、「劉謹めが、又も聖体をたぶらかしおって」と、鼻白むのも道理である。
 しかしながら、誰もが側近の恐さを知っていた。忠義者も大勢いたが、劉謹一人が出世したくらい些細なことにも思えたので、敢えて口出しする者はいなかった。
 こうして、最初の顔見せは終わった。やがて、諸臣はそれぞれに聖恩に拝謝して座を離れて行き、やがて、新帝も退出しようと席を立った。
 ところで、諸臣が各々帰路に就いた中、梁儲は我が行いを悔いることしきり。
”吾もまだまだ甘い。陛下が劉謹を重用なさった時、諫言するべきだったのに。我が身が可愛いいのか?臣下としてあるまじき態度だ。”
 思い巡らせば、事は劉謹一人ではない。
”新帝陛下はまだ若い。もしも劉謹が奸佞の臣下と手を結んだら、手がつけられなくなるぞ………。”
 そう思うと、真っ先に頭に浮かんだのは、宗室の藩王震濠。
 この震濠は、その心様の奸佞なこと、全ての朝臣が知っているばかりか、先帝陛下も「震濠には気を付けろ」と、新帝へ常々口にしていた位の人間。そうゆう男だから、劉謹が先帝の嫡男から寵用されていると知るや、即座に籠絡に掛かった。そうして、いくばくもしないうちにこの二人は刎頸の交わりとなったのである。震濠から見るならば、朝廷に強力な内応者ができたわけだ。
 以来、この二人は蜜の如く膠の如し。それがどうも梁儲には引っかかった。
”この二人が結託したら、朝廷は内側から引っかき回されてしまう。事が起こってしまってから耳を塞いだとて、何の役にも立ちはしない。洪水が起こる前に堤防を築くのが上策ではなかったか。”
 とつこおつ思っているうちに、一つの計略が閃いた。そこで彼は、退出する群臣の波から身を翻すと、退出しようとする新帝の後を追いかけたのだ。そうして、養閑外院にて新帝へ追いつくと、梁儲は小声で呼びかけた。
「陛下。暫くお待ち下さい。」
 聞いて新帝が竜顔を回せば、相手は先帝が最も信頼していた梁儲ではないか。
「これは老卿。何でこんな所まで?」
「陛下、どうか一つ、お聞きいただきたいことがあるのでございます。」
 それを聞いて、新帝は人払いをしてから尋ねた。
「一体何事?」
「ははっ。」
 梁儲は恭しく一礼して、言った。
「『内変は宗室から起こり、外乱は夷狄から起こる』と申します。今、藩王震濠の平日の挙動を見ますと、どうも信頼が置けません。上辺は謙恭なのですが、内心は奸佞。それこそ、曹操や王莽の類でございます。先帝陛下も常々用心を欠かしませんでした。そのような人間をいつまでも朝廷に置いておくのは、爆薬の山を懐いているようなものでございます。」
 聞いて、新帝は竜顔をほころばせて幾度も頷いた。
「まさしく!もしも、卿が言わなければ、朕もうかと忘れるところであった。」

 

 

 

第二回  新君を諫めて、百官職を奏し、
     少主を惑わして、群奸讒を用うる。

 

 詩に申します。
 明君は容易く得られず、聖君は最も求めがたい。
 忠良の臣下を屈殺する想いは、無くそうとしてもなかなかできない。

 さて、心中の憂いを指摘された新帝は、梁儲へ問い返した。
「卿は、どのように対処するつもりなのか?」
「はっ。愚見を申しますに、些かの兵権を与えて塞外を鎮守させるのが上策かと。そこは、重要そうに見えて実はそうでもない土地を選びます。そして、別に良臣を選び、そこの左右の土地を鎮守させて掣肘させるのです。これこそ、『調虎離山』の計略と申します。」
 新帝は手を打って悦んだ。
「素晴らしい素晴らしい。卿の考えは我が意に叶っておるぞ。」
 そこで、即座に詔を下した。”震濠を「湖北将軍」となし、「定国公」に封じる。”とゆう内容であり、出立の期日まできちんと指定してあった。そして、その旨には、
「ここは重要な土地だから、親信や宗室でなければ託せない。だから、王を抜擢しなければならなかったのだ。いずれは別の臣下を選び、王と苦労を分かち合わせよう。参内の必要はないので、早々に出立するよう。その褒美として、美酒と銭を賜下し、百官には出立を見送らせる。欽此欽遵。」
 と記してあった。
 草稿ができると、新帝は内宮司礼監を呼び、詔を持って行くよう命じた。
 誰が気づいただろうか。この梁儲の謀略は、ただ震濠を外へ出すだけではなく、劉謹の羽翼までもぎ取ろうとゆう、一石二鳥の妙案なのだ。だから、新帝もそれに気がつかず、「震濠を外へ追い出す」とゆう一事だけを気に入り、劉謹の羽翼を自分の手でもぎ取ってしまったとゆう訳である。
 梁儲は、新帝の詔を見て大喜びで退出した。

 さて、詔を受け取った内宮司礼監は、すぐに震濠の王府へ急いだ。
 片や震濠は、「詔が来た」と聞いて吃驚仰天。何の知らせかも判らないので、魂を消し飛ばした想いである。オロオロしながら聖旨を開き、最後まで読み終えてから、漸く安心した。
 これこそ、
”胸の一物など、ない方が良い。鳥の羽音にさえ、一々驚くことになるから。”
 と申すもの。
 聖旨を読み終えて、震濠は尋ねた。
「一つ教えて欲しいのだが、この詔は誰の発案かな?」
 内監はただ一言「知りません。」と答え、併せて言った。
「既に聖旨が降りたのです。王爺は期日に間に合うよう、速やかにご準備を。怠慢するのは宜しくありません。」
 そして、宮殿へ帰って行った。
 こうして、震濠は湖北へ向かって旅立った。百官も詔に従って彼を送ったが、お座なりなもので、すぐに散り散りに去って行った。ただ、劉謹だけは、慇懃に袂を取り遠くまで見送った。その間、彼等は腹蔵なく語り合い、今後の協力も心新たに誓い合ってから別れたのである。

 震濠が居なくなってからも、劉謹の毎日は変わらなかった。党類の馬永成、谷大用、張永等八人で、「馬牛鷹の戯れ」とゆう歌舞を造り、新帝を悦ばせた。十分に教え込んだ犬が言葉を喋り、鷹が伝言をする。その出来映えは見事の極み。まだ若い新帝のみならず、宮廷の誰もが賞嘆してやまなかった。
 その上、劉謹は、諸美妓に美酒を献上させ君前で媚びを売らせたのだ。それ故、新帝からの覚えは益々目出度く、寵愛は一人だけ群を抜いたままだった。そして、遊びに現を抜かした新帝は、いつしか政務を疎かにするようになってしまった。
 諸大臣達が参内しても、新帝は数日間朝廷へ顔も出さない。入奏しても返事が来ない有様。大臣達は、朝廷にて紛々たる議論を始めた。
「陛下は未だお若い。もしや、皇太后陛下が失態を慮って、臨朝しないよう命じられているのでは?」
「いやいや、皇太后陛下に限ってそのような。それよりも、臣は玉体が心配だ。もしや、不意の重病で動けないのかも知れない。」
 そうなると、皆、不安になって、入宮しようかと相談を始めた。するとその時、宮門の上に龍牌が高く掲げられた。それには、朱字も鮮やかに、「免見」と書かれていた。
 大臣達は、いよいよ深く怪しんだ。
”陛下は一体、後宮にて何をしておられるのだろうか?”
 首を捻りながら、各々退朝した。
 ところで、梁儲、謝遷等、かつて先帝から遺命を受けた臣下達は、いつでも社稷のことばかり考えていた。劉謹が、新帝を遊びに耽らせているのも嘆かわしいこと。この四人は、いつも肝胆を砕いていたのだ。
 この日も、「免見」が出たのであれば、退出するより仕方ないが、彼等はとつこおつ考え、どうもしっくりと行かなかった。そこで、宮外へ人を残し、「何か新帝の消息を掴んだら連絡するように」と命じて退出いたのである。
 その日のうちに、彼等は戻って来て報告した。
「劉謹等八人が、獣を戯れた歌舞を造り、酒食と共に、陛下を惑わし、遊びに耽らせているのでございます。」
 それを聞いて、梁儲は激怒した。そして、即座に百官を呼び集めると、全員の連署で入奏した。

”『主君が政を行い、民はそれに倣う』と申します。主君が明察で臣下が忠良ですと国が興りますが、主君が荒廃して臣下が奸佞ですと社稷は危ないのです。ですから、これはよくよく考えなければなりません。
 それ、酒は志を乱し戯れは心を掻き乱します。ですから、酒は歓に合わせて節義正しく飲まなければなりません。
 今、密かにうかがいますに、陛下は戯酒音弦の歓娯に耽溺し、日中のみでは飽き足りず、夜を徹しておられますとか。そして、龍顔はやつれ聖体まで損なわれている、と。臣等は、国の重職にありながら、陛下を扶け参らせることができず、慚愧の至りでございます。それに近頃の陛下は、旨もすべて後宮から出され入奏にも目を通されておりません。
 これらをもとに、臣等が宮廷を推察しますに、定めし佞臣が戯れの遊びで陛下を繋ぎ止めているのでございましょう。そして、遂には宮前に『免見』の牌が掛かり、朝廷では龍座が久しく空虚のままとなったのでございます。
 臣等は伊尹・周公ほどの才覚はございませんが、陛下には禹・湯・文・武の素質がございます。このような佞臣共は正法で処断し、将来の禍根を断たれて下さい。そうすれば、景星慶雲の祥瑞が現れ、我が国は礪山帯河のように悠久となりましょう。
 もしも臣等の言葉が正しければ、即座に勅を賜ってください。臣等の言葉が誤っておりましても、どうか賞罰の公平を明らかとし、陛下英明の御勇断をお示し下さい。なにとぞ、差し留めたままで放置なさいませぬよう、お願い申し上げます。
 それに、先帝陛下の御遺命は、陛下も良くご存知の筈。かたじけなくも愚臣等は、先帝陛下から後事を託されました。どうして今上の陛下へ背けましょうか。ですから、愚忠を尽くして上奏せずにはおられないのです。、
         誠惶誠恐之至、謹疏。”

 そうして、これを宮門の人へ渡して、皇帝陛下へ届けさせた。
 新帝陛下はこれを読んで大いに慌てた。
 この時、劉謹は傍らに控えていたが、主上の慌てぶりを見て、心中憮然となった。それに、書いてあることは想像が付く。それを思えば、彼とて慄然とせざるを得ないのだが、強いて平静を装って尋ねた。
「一体、何事でございましょう。陛下にあらせられましては、大層愁えておられますが。」
 新帝は上奏文を彼等へ見せた。すると、一読するなり、劉謹等は一斉に跪いて言った。
「これはとんでもない言いがかり。奴等は、陛下を煩悶させる為だけに、このようなことを書いたのでございます。彼等は、『聖駕が数日来臨朝しないので、政務が滞っている』と申しておりますが、今まで皇帝が病気になった前例がなかったとでも申すのでしょうか?そのような折には、臣下達が代行して政務を執っておりました。この言葉は、忠臣を装って国を憂えるようにもっともらしく書いてはおりますが、その本心は私事で我々を陥れようとの想いに相違ございません。」
 それを聞いて、新帝も救われたように安堵した。
「朕もそう思う。朕には遊ぶことさえ許されないのか。堯、舜、禹、湯、文、武といった上古の聖君でさえも、政務は百官へ分掌させたではないか。万機を悉く主上へ押しつけるとゆう理屈がどこにあろうか。主上は万機を裁量して休むことさえできず、臣下は安逸に耽っているなど、とんでもないことだ。このようなことを言い出す臣下達こそ、無駄飯食いの禄盗人だ。何とか思い知らせてやりたいものだが、何か良い智恵はないか?」
 すると、劉謹は言った。
「人臣となって君の禄を食めば主君の憂いを分担するのが、古の道です。それこそが、『臣下としての分』というものでしょう。にもかかわらず、今の諸臣達は己を責めることを知らずに主君ばかりを責めております。それに、陛下は天下万乗の主でございます。どうして妄りに非難して良いものでしょうか?これこそ、不忠不敬の極みでございます。このような臣下が、どうして股肱の重任をこなせましょうか?しかし、力任せに排斥するのも宜しくありません。そこで、この奴婢に妙計がございます。上は君主の慮を払い、下は諸臣を慚愧させるとゆうもの。申し上げてもよろしいでしょうか?」
「卿に妙計があるのなら、遠慮せずに申すがよい。」
「はは。奴等八人は、もとより忠君報恩の思いを胸に抱き、久しい間、陛下の労苦を肩代わりしたいものと願っておりました。ですが、未だ裁可を戴きませんでしたので、実践できなかった次第。もしも陛下が、奴等の庸才を厭われなければ、奴等を司礼監へ任命し天下の政へ参画させて下さいませ。そうすれば、奴等八人が陛下に代わって働けばよいわけです。こうなれば陛下は思う存分遊べますし、臣下達が不平を口にする言い分もなくなります。陛下は、明日、朝廷に臨んだ席でこう公表なさいませ。『朕に代わってこの奴等へ、天下の万機を処理させる。これから卿等は裁可の遅滞に心を煩わせることはない。また、国政の荒廃についても心配無用だ。』と。」
 聞いて、新帝は大喜び。
「それは、我が意にピッタリと符合する。卿等を司礼監へ任命し、後日別に能臣が見つかれば、追って登庸することとしよう。」
 劉謹等は聖恩を拝謝しながら、心中、”してやったり”とほくそ笑んだ。そして、彼等は即座に草稿をしたためて公表したのだ。
「朕は、諸卿の奏上に従い、明朝から朝議へ臨もう。また、上表された国事については、国政が滞らないよう、劉謹にも分掌させる。」
 
 この告知を読み、文武の百官は顔色を失い、地団駄を踏んで悔しがった。
「我等は、あの奸賊共を排斥する為に上疏したのに、あの愚昧な幼君は、かえって奴等の権力を増大させてしまった。ここまで昏迷だったか?これでは社稷も危ないぞ!もしも主上が臨朝されたら、我等は苦奏しようではないか!」
 百官は憤慨しながら解散した。
 翌朝、百官が待機していると、主上が登朝した。百官が文武に別れて伏し拝むと、皇帝は言った。
「朕は用事があって、ここ数日政務を執っていなかった。今、臨朝したが、諸卿等には何か表奏することがあるか?」
 すると、劉健、謝遷等が笏を執って上奏した。
「陛下は宮廷にて劉謹等を寵用し、歌舞音曲や山禽野獣の戯に興じられていると聞きます。陛下の心を惑わし荒廃させたのは、全て劉謹等の罪。彼等へは厳罰を下さなければ、国法が保たれません。にも関わらず、却って彼等へ大権を与えられるのですか?どうかお考え直し下さい。」
 聞いて、新帝は顔色を変えた。すると、劉謹等が即座に弾劾した。
「謝遷等は、些細なことで陛下をおとしめし、国の威信を大きく傷つけた。不臣の極みである!」
 新帝は、不機嫌なまま、袖を払って退出してしまった。
 この有様を見て、満朝の官人達は、新帝が讒臣を重用し、諫言が容易でないことを思い知った。悶々たる不満を胸に抱えたまま、彼等は退出したのだった。

 

 

第三回  村愚を誘って刺客に仮装し
     口を封じて、これ、真の悪巧みなり。

 新帝が憤怒の余り口も聞かずに退出した後、宦官達も退出した。
 この時、予想していたとは言え自分たちへの露骨な反感を目の当たりに見て、劉謹等は改めて恐怖を感じてしまった。そこで、党類の七人を静院に集めて言った。
「陛下は我々の思惑通りに動いてくれたが、朝臣達がああも苦言を呈するとは。これでは、この地位にいつまで居座れるか知れたものではないぞ。それに、陛下も言われた。『後日、有能な人間を見つければ、追って登庸する』と。もしも陛下に心変わりが起これば、我々を守ってくれる人間が居なくなるのだ。失脚どころか、命さえも危ないぞ。何か妙案はないか?些かの手柄でもよいのだ。今、些とでも手柄を建てれば、それを口実に陛下からお口添えを戴き、朝臣共の口を塞ぐことができるものを。そして職務を遂行して行けば、媚びる者も現れる。いずれは我等の地位も盤石になるだろう。そうでなければ、今日の地位など、草上の霜のようなものだぞ。ひとたび陽に照らされれば、全てが消えて無くなってしまう。」
 その言葉に、皆々不安に駆られ、衆人等しく首を捻って思いを巡らせた。
 小一時間ほども経っただろうか。やがて、谷大用が口を開いた。
「一計が浮かんだぞ。聞いてくれるか?」
「なんだなんだ?」
「もったい付けずに早く話せ。」
 皆から促されて、谷大用は続けた。
「某は明日、密かに宮中を抜け出し、寂れた村里から、愚図な小悪党を拾って来る。そいつに金を渡し、なおかつ『一生涯、左うちわで暮らさせてやる』とでも甘言で釣り、刺客に装わせて、陛下を襲わせるのだ。勿論、『後のことは巧く匿ってやる』とでも口先で言って置くが、なあに、その時になったら、匿ってくれると油断したところをバッサリと斬り殺せばよい。死人に口はないのでこの悪巧みは洩れないし、我々は陛下の命を救った大忠臣だ。権力を握っても誰も文句が言えまいて。」
「それは凄い!」
「いや、奇妙絶妙!諸葛孔明とてここまでの機略は編み出せまい!」
 皆、一斉に手を叩いて悦んだ。
 劉謹は、はやばやと三百両の白銀を取り出すと、谷大用に手渡し、
「事は急を要する。一日遅れれば、我等の立場は一日分悪くなるのだ。それに、時を移して、どこから洩れるかも判らない。明日と言わずに、今日すぐにでも行ってくれ。」
 谷大用は承知すると白銀を受け取り、密かに宮中を抜け出した。行く当ては、ハッキリとは決まっていないが、山間の寂れた村。
 谷大用は数日間、村々を尋ね歩いた。そしてある日、一つの山里にて一人の老婆を見つけた。老婆は門前に立って哀しげに涙を零している。谷大用は馬を下りると子細を尋ねた。老婆が涙を拭って目を凝らすと、相手は立派な出で立ちの、さも高官らしき人物だ。そこで、哀れみを乞うように言った。
「この婆の姓は張。夫は程王田と申しますが、不幸にも、先年、病死いたしました。息子が二人おります。長男は程英と申しまして、歳は二十八。徴発にあって連れ去られてしまいました。残る次男は、程保と申しまして、二十才。これが性悪な質で、悪党共と終日遊び回っているのでございます。堅気の仕事を覚えようともせず、博打に狂って遊興三昧。親の意見を聞く耳持たず、遂に御法度まで犯してしまいおった。伝え聞けば、今日、お役人にとっ捕まってしまったと。この老いぼれは、もう、七十になります。息子が死刑になるところなんぞ、見とうない。そう思って泣いておりました。それでも、お役人様のお情けに縋り付いてお頼み申す。どうか、この婆を哀れと思うて、婆の息子を連れてきて下され。そうすれば、この老いぼれは冥土へ行っても悔いはありません。」
 それを聞いて大用は、心中雀躍して喜んだが、その思いはおくびにも出さず、さも憐れみを込めて銀子を取り出した。
「何とも哀れで、とても見て居られない。このまま見捨てていっては私としても寝覚めが悪すぎる。幸い、ここに持ち合わせがあるが、『地獄の沙汰も金次第』と言うではないか。これだけの金を役人へ渡せば、何かと理由を付けて息子御を釈放してくれるに違いない。どうだ?おばあさん。この金で息子御を身請けに行ってはどうだ?」
 老婆は仰天して土下座した。
「ああ、神様仏様。見ず知らずのこの婆へこんなことをしていただけるとは。この御恩は一生忘れませんぞぇ。あなた様は、この婆と息子の命の親じゃ。ああ、有り難い有り難い。」
 そして、涙を零し、両手を合わせて谷大用を拝んだ。大用は、これを慌てて助け起こした。
「ああ、些細なことだ。それよりも、早く息子さんを助けてきなさい。」
 老婆は喜び勇んで街まで飛んでいった。そうして銀子を差し出すと、幸い、息子の犯した罪は大逆とまでは行かなかったので、今回は保釈と言うことで大目に見て貰えた。この息子も悪少年ではあったが、今回はブタ箱にまでぶち込まれていたこと、母親を見て大泣きに泣き、心を入れ替えると誓って、家まで戻って来たのである。
 戻ってくると、家の側には大用が佇んでいた。張氏は大喜びで、息子と共に土下座して、恩を謝した。
「ああ、そうかしこまらないで。何にしても、まあ、良かった良かった。」
 大用は、二人を助け起こした。そして、息子の程保をマジマジと見遣り、
「このご子息は、体はガッチリとしているし、見るからに力もありそうだ。まだ若いし、なかなか立派な若者ではないか。武芸の一つでも仕込めば、きっとひとかどの男になるぞ。こんな片田舎に置いておくなんぞ、勿体ない話ではないか。都に出て出世させれば、お婆さんも、余生心丈夫だろうに。」
 すると、婆さんは、溜息一つ。
「ほんとに、そうなってくれればどんなに良いか。ですが、何でそんなことができましょうか。このデクの坊を使ってくれる奴なんか、狂人以外、いやしません。」
「いや、憐れみや気まぐれで言うのではない。このご子息には見所があるのだ。磨けば必ず光るだろう。ただ、お婆さんの心が知れない。ご子息を預からせてはくれまいか?」
「お役人様。夢のような話でございます。この愚息を助け出して下さっただけでも信じられませんのに。お役人様は、我等親子の命の親。ましてや愚息のめんどうを見て頂けるのでしたら、どうして断ったりするものですか?ああ、ただ、この慌ただしさに、お役人様のことをちっとも存じ上げませんでした。一体、どちらの方で、ご尊名は何と言われるのでしょうか?」
「おお、これは申し遅れた。私は趙、名は昆。京都の人間で、王府に務める一官人だ。今、主命を果たして帰る途中、図らずも老婆の鳴き声を聞いて思わず憐れみ、こう、立ち入ったことになった次第。だが、この子息に惚れ込んだのは憐れみではない。人生、縁はどこに転がっているか判らないものだな。
 さて、老婆が許諾してくれるなら、ここに白銀百両がある。これを当座の生活費として渡しておこう。」
 谷大用はシャアシャアと偽名を名乗ると、懐から金を取り出して老婆へ渡し、又、別に三十両の白銀を支度金として程保へも渡した。
 張氏と程保は過分な福運に大喜び。だが、張氏は、金を受け取ろうとせずに慌てて押しやった。
「いいえ、いいえ。息子の命を救って下さった上に、今後の面倒まで見て下さいますのに、その上、このお金までは頂けません。」
「いいや、これなど取るに足らぬもの。ご子息が出世したら微々たるものだぞ。笑って受け取ってくれ。」
 重ねて言われ、張氏はかしこまって受け取った。
 程保も降って湧いた幸いに大喜びで、香を焚いて先祖の御霊へ報告すると、母親へ別れを告げた。
「兄貴が帰ってきても、わざわざ様子を見に来させることはないよ。その代わり、便りは必ず寄越すから。出世したら、必ずおっかぁを迎えに来るから、それまで待っていてくれ。」
 張氏は心配していた息子の行く末が定まった上、過分の銀子を手にしたので、えびす顔で別れを告げた。
「道中は謹んで、体だけは気を付けるんだよ。それだけが望みなんだから。」
 又、谷大用にも頭を下げて言った。
「どうか、愚息をこき使ってやって下さい。ものの役に立てばよろしいのですが。」
 こうして、程保は大喜びで谷大用と共に京城へ向かって旅立った。
 道中、大用は程保へ衣冠を買い与えると、「馬子にも衣装」と言うように、無頼漢の程保が、まるで宮監のようだった。そして、黄昏時を選んで後宮へ入り、以来、程保を宮殿の奥深くに匿った。
 一連の手順が済んで、谷大用は劉謹へ首尾を伝えた。劉謹も大いに喜び、後日の褒賞を約束した。この日から、彼等八人は、新帝の遊幸の日を、首を長くして待ち望んだのだ。
 そんなある日、一報が入った。
「外国から、多くの珍禽異獣が献上されました。これらは皆、御苑内で放し飼いとするよう、陛下のご命令でございます。」
 それから数日して、新帝は御苑へ見物に出かけることとなった。
「決行の時は来た。」
 劉謹が言うと、谷大用はかしこまって命令を受けた。そして、宮殿の奥へ行き、喜びに満ちた顔を作って程保に会った。
「恩人、何か良いことでもありましたか?」
「おお。それよ。他ならぬ御身のことだ。無理を言って御身をここまで連れて来たのは良いが、御身を売り込むきっかけがなく、顔向けできぬ有様だった。だが、妙案が浮かんだのだ。だが、御身が承諾してくれるかな?もしも断るだけではなく、機密を漏らすようなことがあれば、却って大きな災いが降りかかってしまうのだが。」
「恩人の仕事です。例え火の中水の中、なんで断ったりしましょうか。ましてや、機密を漏らすなど、天に誓って致しません。」
 言葉と共に程保は庭へ降りると、天を指さして言った。
「某、恩人から大恩を受けながら、未だ針の先程も返してはおりません。今、ようやく御報恩の機会。必ずやり遂げて見せましょう。又、もしも機密を漏らすことがあれば、天誅によってこの身を裂かれても、決して怨みはいたしません。」
 そうして、大用を見返ると、
「これでお信じになられましたか?」
「いやいや。これで安心だ。御身は実に、義勇兼備の豪傑だわい。」
 そうして程保を手招きで呼び寄せると、耳打ちした。
「御身も知るように、某の主人の劉謹殿は、重い権力を握っている。だから、妬まれることも多く、諸臣は挙って弾劾文を奏上している。とうとう、劉公は主上の心変わりを懼れ、辞職まで考えるようになってしまった。だが、ここに一計を思いついたのだ。
 一人の勇者を刺客に装わせて、陛下を襲撃する。それを、劉公が身を挺してお救い申し上げるという筋書きだ。そして、御身のことを劉公へ申し上げたら、劉公は大乗気だった。」
 そして、御苑内での具体的な行動を、逐一述べてから続けた。
「我等は追いかけて、逃がしてしまったふりをする。それから先は、我等の仲間が、御身を安全なところへ逃がそう。なあに、御苑内の地理なら、我等ほど知り尽くしている者はおらんよ。こうして、劉公が陛下を守る大殊勲を建てればその地位は安泰だし、今回の手柄にかけて、御身も劉公のもとで出世できることは疑いない。」
 聞いて、程保は大いに喜んだ。
「その程度の狂言、造作もないことでございます。恩人の御恩に報いる為にも、私の今後の出世の為にも、必ずやり遂げて見せましょう!」
 その返事を聞いて、谷大用も大いに喜び、仲間のもとへ報告に行った。
 谷大用から首尾を聞いて、劉謹達も大喜び。そして、彼等も翌日の手筈を再確認してから、解散した。
 翌朝五更の頃、谷大用は覆面をした程保を連れてこっそりと御苑へ忍び込んだ。主上の予定のコースは判っているし、御苑内の勝手も知り尽くしている。そして、適当な場所に程保の身を潜めさせ、大用一人、戻った。
 その日、新帝の遊覧は予定通り決行された。この時の一行は、新帝と劉謹等八人の他、数人の羽林軍士が護衛としてついて来た。
 新帝が御苑へ入ると、鮮やかな名花が満開。龍顔をほころばせながら聖駕が進むと、珍禽奇獣が寄ってきて、まるで挨拶でもしているようだ。首を回せば怪石奇峰が数知れず。観る度に興が尽きない。新帝は、大いに喜んだ。
 やがて、新帝は、連れてきた新しい禽獣を放つように命じた。と、その時、竹林の間から、突然暴漢が飛び出してきたのだ。
 覆面で顔を隠した暴漢は、その手に鋭い刀を持ち、聖駕へ向かって突進して来る。新帝は魂まで消し飛ばしてしまった。
「誰か、朕を救え!」
 この咄嗟の時、響きに応じるように、劉謹等八人が飛び出した。彼等は一斉に刀を抜くと、身を挺して新帝を守った。不埒な暴漢を相手に、刃を交わすこと数回。劉謹は、我に返った羽林軍士達が駆けつけてくるのを虞れ、暴漢へ目で合図を送った。それと察した暴漢こと程保は、負けたふりをして逃げ出した。
 かねての打ち合わせ通り、程保は東へ向かって走った。すると、劉謹は振り返って羽林軍士達へ叫んだ。
「御身らは陛下をお守りするのだ。」
 そうしておいて、劉謹等は程保を追いかけた。だから、そこそこ走ってから程保が振り返ってみると、追いかけてくるのは劉謹等八人の宦官だけだった。もう、他には誰もいない。
”上首尾上首尾”
 程保は心で笑って立ち止まり、宦官達が追いつくのを待って尋ねた。
「どこへ隠れれば良いんですかい?」
 すると、劉謹は程保の後ろを指さした。
「そこに古井戸がある。その中が格好だ。」
 そう聞いて程保が後ろを向いた途端、劉謹は程保へ斬りかかった。
「うわっ。」
 油断しきっていた時に、後ろから斬りつけられて、なんで程保がたまろうか。しかも、ここを先途と他の七人も斬りかかった。やがて数人の羽林軍士達が後を追って来た時には、既に程保の首は切り落とされていた。そして、宦官達は新帝のもとへ凱旋すると、自らの功績を奏上したのである。
 新帝は大いに喜んだ。
「卿等の功績で、朕は一命を取り留めた。後日、必ず重賞を取らせよう。しかし、曲者を生け捕りにできなかったのでは、背後が洗えんな。」
「この男は驍勇で、とても生け捕りになどできませんでした。逃がしてしまってはと懼れる余り、奴婢等は斬り殺したのでございます。」
「うむ。それも仕方ない。とにかく、曲者が死んだ以上、後のことは用心するしかあるまい。いや、卿等の働き、大儀だった。」
 この事件を聞いた皇太后は、軽々しく出歩いたことで新帝を諫め、以後は必ず厳重な警備で外出するよう命じた。新帝はこれを恭順に受け止めたことはそれまでとする。又、皇太后は劉謹を呼び出し、今回の功績に対して多くの金珠財宝を賜下した。劉謹は聖恩に感謝して退出すると、その半分を谷大用へ、残る半分を六人の部下達へ渡した。

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