菫宣強項

 

 後漢の菫宣、字は少平。陳留圉の生まれである。光武帝の時に洛陽の令となった。

 光武帝の妹に湖陽公主とゆう女性が居たが、彼女の召使いが、白昼、人を殺した。その罪状は明白だったが、彼が主人である湖陽公主の屋敷へ逃げ込んだので、役人は手が出せなかった。そこで、菫宣は湖陽公主の屋敷を張り込んだ。そうとは知らない公主は、ある時、件の召使いを馬車に添乗させて外出した。菫宣は即座にその行く手を阻み、下手人である召使いを引きずり出すと、殴り殺してしまった。
 公主はこの件で菫宣を光武帝へ訴えた。光武帝も怒って、菫宣を召し出し、鞭で殴り殺させようとした。すると、菫宣は言った。
「死ぬ前に、どうか一言だけ言わせて下さい。『陛下には聖徳があるので、漢を見事に中興なさった』と、人々は言っております。しかし、罪人を許して無罪の人間を殺すのでは、どうやって天下を治めることができましょうか?私を鞭打つと言われるのなら、それよりも自害させて下さいませ。」
 言い終えるや、自ら柱に頭突きをし、顔中血だらけになってしまった。
 光武帝は大いに驚き、死罪は取りやめたが、その代わり、湖陽公主へ対して謝罪だけはするように菫宣へ命じた。しかし、彼は断った。そこで、官吏へ命じて力づくで土下座させようとしたが、菫宣は両手を床に突っ張って、力の限り抵抗し、頑として拒み通した。
 すると、公主が言った。
「文叔(光武帝の字)。貴方は庶民だった時でさえも、亡命客や死罪の者を匿っていたではありませんか。その時、官吏達が手出しをしましたか?今の貴方は皇帝です。それなのに、却って一人の令でさえも屈服させることができないのですか?」
 光武帝は笑った。
「天子は庶民ではないのだよ。無頼な真似はできない。」
 依って、光武帝は詔を下し、菫宣に「強項(強情で、容易に項を下げない)令」の異名と、銭三十万を賜下した。

 赦されてから後、菫宣は拝受した銭を悉く諸吏に分かち、彼等と共に権力者達の横暴をビシビシ取り締まった。洛陽の人々は、菫宣の事を「伏虎」と讃え、詩にまで歌った。
「盗人を戒める鼓の音が、最近ちっとも聞こえりゃせぬ。そりゃそうだ。菫少平様がおらっしゃるから。」と。

 

 擢(実際は、「羽/隹」)黄(同じく「王/黄」)直言

 

 「新序」に次のような話が載っている。
 戦国時代、魏の文候が士・大夫に言った。
「寡人はどのような主君だ?」
 群臣は皆答えた。
「仁君にあらせられます。」
 だが、擢黄の順番になると、彼は答えた。
「仁君ではありません。かつて中山国を討伐・占領しましたが、その領土を弟ではなく、ご子息へ与えてしまわれました。ですから、仁君とは言えないのです。」
 文候は立腹し、擢黄に退席を命じた。擢黄は、席を立って退出した。
 次の席に座っていたのは任座である。彼は答えた。
「君は仁君にあらせられます。と、言いますのは、『その主君が仁君であれば、臣下は必ず実直である。』と聴いているからです。先程の擢黄言葉はまさしく実直。ですから、君は仁君であると言えるのです。」
「善き言葉だ。」
 文候はそう答えると、擢黄を招き入れて上卿の地位へ就けた。
 なお、旧本では「擢黄」を「任座」としてあるが、これは誤りである。