鄭伯、陳を侵して大いに獲たり。

 

(春秋左氏伝)

 隠公の六年、鄭の荘公が陳と和平を結ぼうとしたが、陳の桓公は許さなかった。すると、五父が諫めた。
「仁を親しみ、隣国と友好を結ぶのは国の宝です。我が君、どうか鄭と和平して下さい。」
 すると、陳侯は答えた。
「宋や衛は実に手強いが、鄭など弱国。あんな奴に何が出来るか。」
 鄭の荘公は陳を攻撃して、大いに撃ち破った。

 君子は言った。
「『善は失ってはならないし、悪ははびこらせてはならない。』と言うが、これは陳の桓公のことだ。悪業をはびこらせて改めず、遂に禍を呼び込んだ。その時になって何とかしようとしても、何が出来ようか?
 商書に言う。
『悪のはびこる様は、草原に火が焼えあがるようなものだ。近づくだけでも側杖打たれる。ましてや、うち消すことなど困難だ。』
 また、周任も言った。
『国主となったなら、悪行を見れば、農夫が努めて雑草を抜くように、片っ端から切り取って、その根本まで断たなければならない。それでこそ善も栄えるのである。』」

(博議)

 些細なことで激怒する人間はあまりいないし、小さい過失へは大きな罪を与えない。これは世間の常である。
 鄭の荘公の方から和睦を申し込んだのに、陳の桓公はこれを断り、遂に征伐されてしまった。桓公が、隣国との友好を自ら破棄したのは、確かに義として責めるべきではある。
 だが、春秋時代の諸侯達は、戦ったかと思うと和平を結び、通好しては断絶する。反復常無き有様にも、狎れきってしまって当然のことと考えていた。和平を拒否する程度のことならば、晋・楚・斉・秦の戦いの間に、ざらに起こったことである。
 それなのに、左氏は桓公の事を、力一杯非難した。御丁寧にも、「悪行は、草原を焼き尽くす火と同じだ。」云々の台詞まで持ってきたが、これは大逆無道の暴君を非難すような言葉ではないか。これは如何にもやりすぎである!
 桓公の罪と左丘明の言葉を比べるならば、食い逃げをした罪人を首斬りにし、一升の租税を誤魔化した相手へ倉庫一杯の穀物を追徴するようなものである。そりゃ、左丘明が馬鹿ならば、それくらいの批評は加えるかも知れないが、もしも、少しでも礼節を弁えていたならば、ここまでするとは思えない。
 しかし、左丘明は、孔子の弟子だ。馬鹿でもなければ、礼節も知っている。それで、どうしてここまで厳しい言葉を書き並べ、こんなに峻烈に責め立てたのだろうか?これにはきっと訳があるはずだ。それについて、論じてみよう。

 凡そ天下のことは、恐懼すると成功するし、侮ると失敗する。だから、懼は福の門であり、侮は禍の門である。陳侯は宋や衛の強を懼れ、鄭の弱を侮り、遂に言い切った。
「鄭に何が出来る。」
 そうして、和平を断ったのだ。
 ところが、戦争が起こり、悲惨な結果になってみれば、その原因は恐懼した宋や衛ではなく、侮蔑した鄭だった。ああ、侮蔑こそが禍の門でなくて何だろうか。
 鄭の軍隊の侵略は、廬舎を壊し、老弱を追い回し、牛馬を略奪しただけかもしれない。しかしながら、「鄭に何が出来る。」の一言には、国を滅ぼし家を破る大本が含包されているのだ。

 そう、昔から、この一言によって全ての国が滅んでしまった。
 秦は平民を軽んじて匈奴に備えた。匈奴の強盛に恐懼し、「平民に何が出来る」と考えたのだ。しかし、秦を滅ぼしたのは恐懼した匈奴ではなく、「何が出来る」の平民だった。漢は宗室を抑制し、外戚に権力を委譲した。これは、宗室の勢力が皇帝へ迫ることを懼れ、「外戚に何が出来る」と侮ったのだ。だが、漢を滅ぼしたのは、宗室ではなく、「何が出来る」の外戚だった。晋の武帝は、「戎狄に何が出来る」と為し、国内へ移住するのを看過した。だから、戎狄から滅ぼされたのだ。煬帝は「盗賊に何が出来る」と、戒めず、遂に盗賊に滅ぼされた。項羽の劉邦を見るや、王莽の漢兵を見るや、梁の武帝の侯景を見るや、玄宗皇帝の安碌山を見るや、皆、当初は「何が出来る」とこれを見て、遂にはこれに滅ぼされた。
 陳侯の「何が出来る」の一言は、実に千年に亘る乱亡の依って出る所。左丘明が、どうして力一杯謗らずにいられようか!

 ああ、君子の論は常に大本を掴み、衆人の論は常に枝葉に流れる。凡そ、人臣が主君を深く戒める時に、その原因は、暴虐や奢侈や拒諫、或いは、「武を穢す」である。これらは、確かに人君の大禁ではある。桀王、紂王、幽王、れい王の悪行を述べる時、人は皆前者の数例を数え上げ、それが原因だと述べる。しかし、それは皆、枝葉に過ぎない。大本は果たしてどこにあるのか。
 人君が、「民の怨み?それがどうした。」と口にすれば、暴虐を顧みない。「財政の枯渇?それがどうした。」と口にすれば、奢侈を顧みない。「争臣に何が出来る。」と口にすれば、諫言を拒み、「兵が窮して、それがどうした。」と口にすれば、敢えて武を穢す。すなわち、「何が出来る」の精神が、諸悪の根元なのだ。
 いやしくも大本を探るならば、「何が出来る。」の一言は、「乱を致す」の端緒である。しかし、「乱を致す」の形は未だ顕れていない。そう、「畏るべし」の実はあるが、その痕跡はないのだ。
 真理を体得した君子だからこそ、天を覆う程の浪を、まだ穏やかなうちに止めることが出来きる。左氏の論は、何と深いことだろうか。

 

(作者、曰く)

 私はかつて、薬局のチェーン店に勤めていた。ある時、転勤した先が、かなり忙しい店だったが、そこの店長は細かい所に良く気がつき、あれこれと細かく指示をした。
「そこで手を抜いたらどうなるか!」
「細かい所だからといって馬鹿にしてはならん。」云々。
 正しく、「それがどうした」の言葉が諸悪の根元であると知り尽くし、小さいことに神経を張りつめることを体得した人間だったといえよう。
 そして、そのおかげで、店員達は神経をすり減らし、常に爆発寸前だった。
 結果として、あの店がどうなったか知らないし、あの店長がどうなったかも知らないが、あのまま続いているならば、悲惨な結果になっているに違いない。

 私はあの店で苦労した。しかし、ここが肝腎なのだが、私は決して、この議論が間違っているとは思わないのだ。
 結局の所、彼はこう思っていたのだ。
「店員が疲れる?それがどうした!」
 細かく気を遣うと、禍を未然に防げる。しかし、心身は疲れ切る。そして、人間の気力は、決して無尽蔵にあるものではない。細かい疲れの積み重ねが、大きな災いに繋がるのである。
 そう、「それがどうした」の一言が、諸悪の根元である。それを知っているならば、心身の疲労を無視して、ただ「細かく気を遣えばよい」と口にすることが、できる筈がない。

 それでは、「細かいことなど気にするな。」と言えるのか?
 いや、それもおかしい。それこそ、「それがどうした」の生き方そのままではないか。
 結局の所、どこかでこれを妥協するしかない。自分の心身がどの状況にあり、自分のやっていることがどれくらいの確率で惨事を引き起こすか考える。心身に余裕が在れば、疲れるのを無視して丁寧に気を配ればいいし、疲れが溜まっていれば、多少の危険は覚悟の上で手を抜けばよい。現在の言葉で言うならば、コストパフォーマンスを考えることである。
 それだけの努力に対して、どれだけの成果が現れるのだろうか。成果が大きければ、精根尽くさねばならないし、成果が小さければ、切り捨てて気力を養えばよい。コストパフォーマンスを念頭に置きながら仕事をすれば、杜撰に流れることもなく、心身の疲労に偏ることもない。常にそれらのバランスを考えながら働くのだから。
 仕事を丁寧に行うことには、利があり、害がある。だから、気力を養うことにも、利があり害があるのだ。

「それがどうした」の言葉を懼れるならば、全てへ対して気を配らねばならない。全てへ対して気を配るなら、一つの事へ神経の全てを注ぐことは出来ない。
「まことに、その中を執れ、」とは、「中庸」の一節であり、儒教の真髄はこれに尽くされている。「全てへ対して気を遣い、一つに偏らない。」とゆう生き方は、中庸に近いと言える。
 コストパフォーマンスとゆうのは、現代の打算の顕れである。それも単なる顕れではなく、合理主義の精神を昇華した言葉と言っても過言ではあるまい。それが、生き様に限って言えば「中庸」に似ている。
 儒教と近代合理主義。まるで違った生き方としか思えない。しかし、例え生き方が違っても、その精神を純化させれば、どこか通じるところが出てくるものなのだ。