鄭伯、刺客を放って子蔵を殺す。
 
(春秋左氏伝) 

  

 鄭の子華は、国を売ろうとしてその陰謀が暴露し、鄭伯に誅殺された。(その詳細は、「鄭の申侯」に記載。)弟の子蔵は宋へ出奔した。だが、亡命中の身でありながら、子藏は鴫の冠(かなりの贅沢品)などをかぶって得意がっていた。
 魯の僖公の二十四年、この噂が鄭伯の耳に入った。鄭伯は子藏を憎み、賊を放って暗殺した。
 君子は言った。
「奇矯な格好をするとゆうのは身の禍である。
 詩にも言う、
『あの人は、相応しからぬ身なりして。』
 子藏の服も、相応しくなかった。」 

  

(博議) 

 根のある物は、条件さえ整えば必ずはびこるものだ。
 例えば、一粒の種を倉庫へ放り込み、そのまま数年が経ったとしよう。そして、その種は埃にまみれて、腐れきったように見え、もう殆どゴミと代わらなくなってしまった。しかし、これが偶々土の上に落ちたなら、忽ち芽生え、青々とした旌旗を充満させてしまう。これは、その種に根が残っていたからである。
 およそ、根が残っているならば、藏にしまっても腐らせることができず、歳月も枯らすことができず、塵や埃も滞らせることができない。例えどのようなことをしても、根が残っている限り、土にあったら芽生え、どんどん成長して行くのだ。
 一粒の中に命があるならば、例えどれ程時が経ち、どのような環境を経過したとしても、物に遭えば必ず栄える。そして、心の中に悪念が一つ芽生えたら、例えどれ程時が経ち、どのような環境を経過したとしても、物に遭った時、必ず表に出てしまうのだ。 

 鄭の世子の華は、国を売った為、誅殺された。その弟の子藏は、宋に出奔したが、鴫の冠をかぶったことで鄭伯から殺されてしまった。
 だが、子藏が殺されたのは、子華が殺されてから十年程経った後の話である。そして、鄭と宋は数百里もかけ離れていた。風の便りもソヨとしか聞こえず、利害も相及ばない。これでは、鄭伯にとって子藏など、行きずりの人間に過ぎないではないか。
 鴫の冠は、確かに贅沢品だが、彼がそれをかぶったからと言って、鄭伯に何の関係があるだろうか。常情で考えるなら、一笑に付して済ませられるようなことだ。怒るほどのことではないし、ましてや殺すまでのことでは尚更ない。
 ところが、鄭伯は贅沢な鴫の冠の話を聞いた途端、密かに陰険な企みを巡らせて、彼を殺すまで止まなかった。その喜怒の、なんと人情から離れていることか。
 だが、これには理由がある。
 鄭伯は、鴫の冠に怒ったのではない。鴫の冠の話を聞いて、胸の中に根付いていた怒りが甦ったのに過ぎない。子華を誅殺した時に鄭伯の胸の中には、子藏を殺そうとゆう想いが芽生えていたのである。
 だが、一つ疑問がある。国君の身分でありながら、亡命した一公子を殺すなど、造作ないこと。それにしては、子藏を殺すのが遅すぎたではないか。
 時期を待っていたのだろうか?
 いやいや、そうではない。これは鄭伯が、子藏への怒りを忘れていた為である。
 そう、時が経ち、相手の居場所は遠く、鄭伯は子藏への怒りを忘れてしまったのだ。しかし、怒りを忘れてしまっても、怒りの根は、胸の中にチャンと残っていた。
 怒りを忘れてしまっていたから、子藏の噂を聞かないうちは、怒りの根は根のままだった。しかし、鴫の冠の噂が、その根をたちまち動かして、前日の怒りが胸の中に甦った。そして、それはまるで新たな怒りのように思えたのである。
「奴を殺さなければ、俺の気が晴れんわ!」と。
 こうして、そのちっぽけな所業に対して、怒りは信じられないほど大きくなった。これは、鄭伯自身でさえ、なぜそんなに怒らなければならないのか言葉にできなかっただろう。ましてや、他人なら尚更である。 

 端からこれを見れば、どうしてこの程度で怒りを発したのか、訳が分からず、異常に見えることだろう。
 しかし、考えてみよう。
 昔、向秀は、隣人が吹く笛の音を聞いて稽康を思い出した。玄宗皇帝は、鈴の音に楊貴妃を思って涙した。懐旧の想いは、向秀の胸の中にあったのだ。笛の音にあったのではない。悲しみは玄宗皇帝の胸の中にあったのだ。鈴の音にあったのではない。そして怒りも鄭伯の胸の中にあったのだ。決して冠にあったのではない。自分が怒らないからといって、激怒した人間を笑うのは、過ちである。
 嗚呼、鄭伯が子藏に腹を立てたのは一念に基づき、子藏が子華の党類になった邪心も、一念に根ざすのみ。一念が根ざせば、事件に遭って発する。そして、十年の歳月が流れようが、数百里も離れたところにいようが、それからは逃れられないのだ。なんと畏るべき事か。
 十年の歳月も、数百里の距離も、怒りの根を忘れさせない。だから、私は思うのだ。怒りの根を胸に秘めてはいけない。十年の歳月も、数百里の距離も、邪匿の根を忘れさせない。だから、私は思うのだ。邪な想いは胸に芽生えさせてはいけない。ああ、悪心を無くそうと思う者は、努めてその根を除け。 

 さて、今度は子藏の身になって考えてみよう。
 たとえ、子蔵が邪匿の根を去ろうと志して、過ちを改め善へ遷ろうと努力しても、鄭伯の怒りは、既にその胸の中に根ざしている。何かのきっかけで、それが爆発しないとゆう保証はない。これでは子蔵はいつ殺されるかも判らないではないか。
 いや、そうではない。もっとよく考えてみよう。
 鄭伯はどうして怒ったのか?子藏が国を売ろうとしたからだ。過ちは子藏にあり、その結果、鄭伯の心に怒りが生まれた。ここを以て、私は確信した。人の心は瞬時にして通じ合うものなのだ、と。
 子蔵の過ちが、鄭伯の怒りを動かしたのなら、子蔵の悔悟が、鄭伯の喜びを動かせない筈がない。子藏が宋にて悔悟したなら、きっと鄭伯は鄭で笑うに決まっている。心が相通じあったなら、胡と越も遠くない。ましてや、親子ではないか。