鄭のレイ公、傅瑕と原繁を殺す。
 
  

 国を滅ぼすのは外寇ではなく、内寇である。そして悪行は、助けがある時ではなく、助けがない時に成就するものである。
 外敵が攻めてきた。この国家の艱難の時、外敵への内応者が居なければ、敵もいずれは力つきて帰って行く。太宰ヒ(「喜/否」)が居なければ、越は呉を滅ぼすことができなかった。(呉越興亡のエピソード。余りにも有名なので省略。)郭開(戦国時代、趙の臣下。悼襄王が、廉頗を再登庸しようと考え、当時魏にいた頗のもとへ使者として派遣したが、その時頗に不利な報告をしてこれを阻んだ。)がいなければ、秦は趙を滅ぼすことができなかった。鄭譯や劉方がいなければ、隋は周を滅ぼせなかった。裴枢や柳燦がいなければ、梁は唐を滅ぼせなかった。
 この数カ国は、国内に裏切り者が居なければ、誰がこれを滅ぼせただろうか。だからこそ言える。国を滅ぼすのは外寇ではなく内患である、と。
 さて、天下には悪人を助けようとゆう人間など居ない。だから、謀反などを考えている悪人達は、天下の助けを得よう等とは思っていない。彼等はただ、人々が中立して手を拱いていてくれることだけを望んでいるのだ。里克の麗(「魚/麗」)姫に於ける、王祥(晋の大尉)の司馬昭に於ける、馮道の五代に於ける、これらの例のように、実力者が黙認してくれれば、下克上は成功する。だからこそ言える。悪行は、助けがある時ではなく、助けがない時に成就するものである。
 総括するならば、禍は内叛より甚だしいものはなく、姦は中立より甚だしいものはないのだ。 

 では、この二つの罪のうち、どちらの害毒の方が甚だしいだろうか?
 それは、中立の罪である。
 何故か?
 内叛の罪は分かり易く、中立の罪は判りにくいからだ。
 人の臣下となって主君に叛き讐に就く者は、五尺の童子でさえもそれを憎む。それに、讐敵も、彼の助けを得て事を成した後は、十分な恩賞を出してその功績を賞するが、その心様に対しては猜疑する。何故ならば、そいつらは主君に叛して自分の味方となったからだ。相手は主君にさえ背いた人間だ。ましてや他の人間を裏切るなど造作ないに決まっている。
 彼等はきっとこう思うだろう。
”今日は、我の誘いに乗って旧主を裏切った。それならば、明日は別の人間の誘いに乗って俺を裏切るかも知れない。我の地位が安泰になるまでは、こいつらを利用したが、既に俺の地位は固まった。この上はこいつらを粛清して、後々の患いを取り除こう。”
 こうして、内叛者は、かつて力を尽くした相手から斬り捨てられる。これこそ、傅瑕が子儀に背いてレイ公を迎え入れながら、当のレイ公から誅殺されてしまった理由なのだ。 

 これに対して、原繁が保身の為に謀った方法は、もっと緻密である。
 荘公の時代から朝廷にのさばり、忽(昭公)・ビ・儀・突(レイ公)の変を経て、鄭の国が四回主君を変えても、依然中立して、誰の助けにもならなかった。主君が即位したらこれに仕え、亡命したらこれを棄て、主君のことをまるで傅舎のように見て、喜憂の思いをそこに置かなかった。そして、おもねりで機嫌を取り結び、優游と年をとる。深く愛されることがない代わりに、深く憎まれもしない。そうやって、この危難の時局にその地位を全うした。
 長い間地位を守り禄を保つ者は、概ねこの術を使っているものだ。そしてこの類の人間は、名君と雖も、なかなかその姦悪を覚れないものである。 

 さて、レイ公は私的な怨みで、原繁を殺した。それは勿論、正統な裁きとは言えない。だが、或いは天がレイ公の手を借りて、この姦悪人を殺し、後世の臣下達を戒めたのかも知れない。
 原繁がレイ公へ対して、次のように言った。
「いやしくも、社稷の主となった人間へ対しては、国内の民は皆、その臣下です。」
 だが、この説が正しければ、誰でも主君となったなら、臣下は皆、これを奉じて選べないことになってしまう。簒奪した人間も、潜称した人間も、盗賊も讐敵も、全てが主君という事か。臣下達が皆そのように考えているのなら、主君は誰を恃めばよいのか!まったく、原繁は姦悪の極みだ。 

 ああ、人臣の悪行は、造反こそがその極みだろう。だが、彼等は成功すれば卿となれるが、失敗したら釜ゆでとなる。これは一種の賭である。しかし、中立の人間に至っては、自ら口にする。
「俺達は、いつでも安泰だ。国には存亡があり、主君にも興廃がある。時節には治乱があり、民には安危がある。しかし俺の爵秩は、どんなときにも変わらない。そんな世間の動向なんぞ、俺とは全く関係ないね。」
 このやり口こそ、姦悪の極みではないか!
 だが、原繁のような中立人間も、レイ公から誅殺された。それならば、世の中で中立している人間も、必ずしも安心とは限らないのだ。それ故に私は、原繁の誅殺を取り上げて、中立の士を諷していると言うのである。