鄭の太子忽、婚を辞す
 
 国を治める者は、常に主導権を握ることを心がけ、他人の都合であれこれと動かされる立場になってはいけない。自立することができなくて、他人の威勢を借りて自分の地位を守るようになったら、結局は行き詰まってしまうものなのである。
 恃みとしていた相手も、いつまでも強大な筈がない。いずれは衰えるし、やがては滅んでしまう。そうなった時、こちらも寄る辺を失い、どう対処しようもないではないか。 

 いや、これでは「誰を恃んでも、将来的には頼み甲斐がなくなる」と言っているだけだ。現実的にはもっと酷い。恃んだ相手が常に強大だとすれば、頼もしい後ろ盾だといえよう。だが、それでもなお、恃むに足りないものなのだ。
 昔、晋が中国の覇者となった時、宋はこれと深く結託し、謹んでこれに仕えて自分の国を守ろうとした。この時、宋の主君は思ったことだろう。
「ああ、我ながら、良い相手を選んで仕えたものだ。」と。
 だが、そこへ楚軍が攻撃してきた。宋の都は包囲され、人々は骸骨を燃料にし、子供を交換して食べる程困窮した。だが、この時晋は狄の侵入に手を焼いており、宋の危難へ対して援軍も出さずに座視したのである。
 この頃、諸侯の中で最も強大だったのは晋である。頼もしい相手も、晋が一番だった。その晋にしてこの有様。ましてや他に誰を恃めようか。 

 嗚呼、だが、これらの論は、ただ単に、「強大な相手も恃むに足りない」と言っているに過ぎない。現実は、もっと酷い。
 南北朝時代、西魏の孝武帝は高歓に脅かされ、日々簒奪の憂いに悶々としていた。こうなったら、恃める相手は宇文泰のみ。そこで、虎口から脱出し、はるばる西へ向かって関を越え、宇文泰のもとへ逃げ込んだ。その時、孝文帝は思ったことだろう。
”畏れる相手から、ようやく逃げ出せた。恃める相手のもとへ駆け込めたのだ。”
 それまでの憂悶の日々と比べ、極楽のような喜びだったに違いない。
 だが、孝文帝へ禍を与えたのは、畏れていた高歓ではなく、頼みとした宇文泰だったのだ。 

 だからこそ言える。他人は、ただ当てにならないだけではない。恃んだ相手が牙を剥いてくることもあるのだ。
 おおよそ、状況の変化というものは極みがないものである。そんな中で他人の力を当てにして「これで安泰だ」と思っている者は、どうして禍を蒙らずにいられるものだろうか。 

 鄭の忽は、斉の女性との結婚を辞退した。この行いに対し、「彼は大国の後ろ盾を自ら拒絶し、その基盤を強固としなかったので、結局、下克上を起こされてしまったのだ」と、人々は非難している。だが、それは間違っている。もしも忽が斉の女性と結婚していたら、彭生の禍は、魯ではなく、鄭に起こっていたに違いない。「同じ状況が、魯だったら禍だが、鄭だったら幸いだった」等と言うことが、どうしてあり得ようか。
 昔から、小国の公子が大国の女性と婚姻した時、強固な後ろ盾を得て国が安泰になった試しなど、殆どない。逆に、属国となってこき使われたり、安心しきっているところを暗殺されて国を奪われてしまったりと言った禍の方が、枚挙に暇がないのである。
 それならば、忽が縁談を断ったことは、非難するべき事ではない。
 後世の人間は、忽の立場が脆弱だったから殺されてしまったことを見て、結婚を辞退したことまで併せて非難した。だが、本当はそうではない。忽は、斉との結婚を断ったことで立場を安泰にしたが、その君主としての立場を、脆弱なことで失ったのだ。
 一は是、一は非。これは別個のものである。後に過ちを犯したことで、どうして最初の正しい判断まで非難して良いものだろうか。 

 忽は言った。
「自ら多福を求める。それは自分自身の努力にあるものだ。大国が何をしてくれるだろうか。」
 この言葉は、まさしく先哲の法言であり、古今の篤論である。
 自分が福を持っていても、他の人間には与えられない。堯が持っていた福は、息子の丹朱へ与えることができなかったし、周公の持っていた福は、弟の管・蔡へ与えることができなかった。親子兄弟でさえもそうである。だから、大国が福を持っていても、自分に分け与えられる筈がないではないか。 

 もしも忽がこの言葉通り実践できたら、洪範の五福、周雅の百禄、全てが彼のものだ。どうして地位が脆弱なままで滅んだりするものか。忽が自分の言葉を実践する事ができなかった事を謗らずに、却って、その言葉を謗る。これは不明だ。
 詰まらない人間が言ったことだから、その言葉には何の価値もない、と、短絡的に見るのは良くない。後の学者が忽の言葉を深く吟味し、「天下の福は、ただ自分自身の努力にこそあるものだ。」と悟ったならば、権力者へすり寄ったりしないで、ただ自分の自らが自分の人生の主人になれる。
 忽が千年前に行ったことを、千年後の私達が実践する。忽自身は、自分の言葉を実践できなかった。しかし、後々の人々へ大きな嘉言を遺してくれたのだ。なんとも大きな功績ではないか。