経済
 
 貞観元年、山東で凄い日照りとなった。穀物を振る舞って民を救済し、今年の租賦を免除するよう詔が降りた。
 関中の米価が高騰したので、洛州へ人を選んで移住させるよう詔が降りた。 

  

 貞観二年、関内が旱害で飢饉となり、大勢の民が衣食の為に子を売った。
 己巳、府の金帛にて売られた子達を買い取り、その父母の元へ帰すよう詔が降りた。
 庚午、去年の長雨と今年の旱害、虫害の為、天下へ恩赦を出すと詔された。その詔書は、次のような内容である。
「もしも、稔りを豊作にして天下を安泰にする代わりに、朕の身に禍を降りかけてやる、と言われたならば、万国の安泰こそ朕の願いである、迷いもしないで甘んじて受けようものを。」
 この詔が降りると、随所で雨が降り、民は大いに悦んだ。 

  

 畿内で蝗が出た。辛卯、上は苑中へ入って蝗を見、数匹摘んで祈った。
「穀物は民の命だ。それなのに汝等はこれを食う。それならばいっそ、我が肺腑を食べてくれ。」
 そして、これを呑み込もうとしたので、左右の臣が諫めて言った。
「悪食は体を壊しますぞ。」
 上は言った。
「民のために災を受けるのなら、朕は何物をも避けないぞ!」
 遂にこれを呑んだ。
 この年、蝗害は起こらなかった。 

  

 三年、戸部が奏した。
「塞外から帰ってきた中国人と四夷で来降してきた者を全部あわせると、男女百二十万人になります。」
 七年、九月、山東、河南の四十余州が大水に遭ったので、使者を派遣して救済させた。
 八年秋、七月。山東、河南、淮、海の地域が大水に見舞われた。 

  

 九年三月。庚寅、民貨が三等にしか分かれていないのは大雑把過ぎて不便なので、九等に分けよと詔が降りた。(「貝の上に此」とゆう文字が、辞書に載っていませんでした。「貨」の異字体かと思って訳しましたが、実際はどうなのか?判っている方、教えてください。) 

  

 十年、治書侍御史権萬紀が上言した。
「宣、饒二州で、大きな銀山が見つかりました。毎年数百萬緡は採掘できます。」
 上は言った。
「朕が天子となって、乏しいのは財ではない。ただ、民へ利を与えられる嘉言がないことを恨むのだ。その数百萬緡など、一賢才を得ることに比べれば、どれ程のことがあろうか!卿はいまだに一人の賢人も進めず、一人の不肖も斥けず、ただ、銀の利益のみ口にする。昔、堯・舜は璧を山に棄て、珠を谷へ投じた。漢の桓帝・霊帝は、銭をかき集めて私藏した。卿は、我を桓・霊のようにさせたいのか!」
 この日、萬紀を罷免して家へ帰らせた。 

  

 十三年、天下の州府は、凡そ三百五十八、縣は千五百十一あった。 

  

 十四年、司農が、民間よりも高い値段で材木を買い付けていた。尚書左丞の韋宗(「心/宗」)がこれを上奏とたので、上は大理卿の孫伏伽を召して、司農の罪を記載させた。すると、伏伽は言った。
「司農は無罪です。」
 上が怪しんで理由を問うと、伏伽は答えた。
「御上相手に材木を高く売るから、その分だけ民間では安く売ることが出来るのです。御上が安く買いたたいたら、民間ではどうして安く売れましょうか。司農は大礼をわきまえていただけです。過などありません。」
 上は悟り、何度も善しとと言い、顧みて韋宗へ言った。
「卿の見識は、伏伽には遠く及ばないな。」
(最近、福岡県の第三セクターが、楡の木を超高価で買い取った。第三セクターの長が一族の会社を経由して私腹を肥やしたわけだ。新聞はこれを叩いたし、私もむかついた。この記述のように、単に「高い値段で買った」とゆう簡単な記述では、どう判断して良いか判らない。一、二割くらい高かったのか、十倍二十倍で買ったのか。売った相手は司農とどんな関係にあったのか、などで、処遇は当然変わってくるだろう。) 

  

 二十二年の冬は旱だったが、二十三年、三月に至って始めて雨が降った。
 辛酉、上は病をおして顕道門外まで出て、天下へ赦を下した。 

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