先軫、狄師に死す。
 
(春秋左氏伝) 

 僖公の三十三年。晋が秦と戦った。この時、晋では文公が崩御したばかりで、世子(後の襄公)は、まだ襲爵もしておらず、喪服を着ていたが、喪服を黒く塗って出陣し、大勝利を収めた。以来、晋では黒い喪服が慣例となった。 

 この戦争で、晋は三人の秦将を捕らえた。
 ところで、晋の襄公の母親は秦の公女だった。彼女は祖国を思って秦将を庇う。彼女の口利きで、襄公は捕虜にした三人の秦将を秦へ帰してやった。
 晋将の先軫が朝廷にて捕虜の様子を尋ねたので、襄公は言った。
「母君のお望みで、釈放してやった。」
 すると、先軫は怒って言った。
「軍人が命がけで捕らえた者を、婦人が口先一つで釈放するとは何事ですか!捕虜を放して敵を強くする。これでは晋は滅びますぞ。」
 そして、襄公から顔も背けずに、唾を吐いた。襄公は後悔し、秦将の後を追わせたが、間に合わなかった。
 同年、文公の死去につけ込んで、狄が晋を攻撃した。襄公はこれと箕で戦い、撃破した。
 この戦いに先だって、先軫は言った。
「先日、臣下たる身で無礼を働いたが、お咎めがなかった。この上は、自ら罰するしかない。」
 そして、戦争の時、甲冑を脱いで狄の軍へ討ち入り、戦死した。狄の人は、先軫の首を返しに来たが、その首はまるで生きているようだった。 

  

(東莱博議) 

 最も発し難いものは悔心である。又、維持することが最も難しいのも、悔心である。
 おおよそ、人は過ちを犯した時、悖る者は過ちと判っていながらも強硬にやり遂げようとし、愚かな者は覆い隠し、吝嗇なものはこれを執り、誇る者はこれを忌み、怠る者はこれに安んじる。この数累の外に出て、過失を過失と認識して悔心を発する事ができる人間が、いったいどれ程いるだろうか。
 この悔心とゆうものは、まだ発する前には発し難い事を憂うる。だが、発してしまった後は、これを維持し続けるのが難しい事を憂うるのである。
 これを維持するのが、どうして難しいのだろうか?それには、理由がある。
 悔心が発した時には、そんな過ちを犯した自分自身を厭い、自分自身を恥じ、自分自身を怨み、自分自身を咎め、或いは落ち込み或いはイラつき、一日として心が安まる時もない。
 だから、これを維持することができなければ、自分自身を厭う者は苟且弛縦して、必ず自肆(ほしいまま)になってしまい、自分自身を恥じる者は心が怖じけづき恥じ赤らんで必ず自棄(やけ)になってしまい、自分自身を怨む者は鬱積が続いて必ず自分の過失を怨んでしまい、自分自身を咎める者は憂憤感激して必ず自分を傷つける。
 これからも判るように、悔心とゆうものは善を生じさせるだけではなく、用い方を誤れば悪を生じさせることにも繋がるのだ。
 喩えてみよう。
 万斗の舟が滄海へ出たならば、大風に遭わなければ帰ることはできない。しかし、たとえ大風に遭っても、舟を操る人間がそれを巧く活かせなければ、その強い風力によって却って船は転覆してしまう。
 舟を廻させるのは風である。そして、舟を覆すのも又、風なのだ。
 一念の悔とゆうものは、風よりも勁烈だ。これを巧く活用する術を、どうして知らずに済ますことができようか。 

 吾は春秋左氏伝を読んで、先軫が死ぬ件まで来ると、彼が悔心を活用できなかったことを惜しまずにはいられないのだ。
 晋が秦と戦ってこれを破った後、晋の襄公は秦の囚人達を釈放した。この時、それを聞いた先軫は、唾を吐き捨てた。主君へ対して、何と礼を逸した事か。だが、彼はこれを深く後悔し、箕の戦役に於いて兜を取り、狄相手に奮戦して戦死した。彼の一念はこのように激しかったのだ。もしも彼がその悔心を保持し続けることができたならば、私心を克服して礼を修得することができただろう。
 しかし、先軫はこれを保持することができなかった。彼はこの悔の一念を礼儀に使わずに血気に用いた。
 彼の位は元帥である。三軍を指揮する重責にありながら、軽々しく身を棄てた。彼は何の成果も上げないまま犬死にし、敵を驕らせ祖国を辱めた。戦死したけれども、なお余責がある。彼の死に様は、道の脇で首吊り自殺した人間と何ら変わらないではないか。
 先軫が犯したのは、晋の主君である。彼が死んだのは、狄相手の戦争である。先月は主君を犯すとゆう悖った行為を執り、今月は狄相手に戦死するとゆう狂騒な行為を執った。
 義を以て利を贖うとゆうことは、聞いたことがある。善を以て悪を贖うとゆうことも聞いたことがある。だが、悖も狂もそれが過失である事は似たり寄ったり。狂を以て悖を贖うとゆうことが、どうしてあり得ようか。
 先軫は先日の過失を改めることができなかった。それが、今日の禍を招いた原因である。 先軫は、過ちを改めようと思いながら、却って過を重ねてしまった。その失敗は、悔心にあるのではない。悔心を正しく使えなかったことにあるのだ。 

 力のない風では、舟の方向を変えることはできない。だが、烈風は、舟を巧く操れる人間だけが、これを使いこなすことができるのだ。同じように、弱い悔心しか発せない者は、善へ移ることができない。そして、余りに強い悔の念を発する者の中では、ただ我が心を巧く治められる人間だけが、これを使いこなすことができるのだ。
 過ちを犯した人間が、もしも自分自身を厭いも愧じも怨みも咎めもしなければ、結局それだけの人間で終わってしまう。厭愧怨咎は、吾が徳へ入る時の門のようなものだ。だが、ほんの些細な行き違いで、却って新たな過ちへ陥ってしまう。ああ、どうやって正しく使えばよいのだろうか。
 答えましょう。
 重い荷物を背負って家へ帰る者は、その労苦が辛い。しかし、家へ帰り着いて荷物を降ろすと、なんとも極楽ではないか。これは、言ってみるならば、荷物を背負う重労働が、荷物を降ろした時の極楽を生んだのである。
 過失を悔いるとゆうのも同じ事だ。
 過ちを悔いたその時は、厭愧怨咎が生まれる。しかし、既に過ちを改めてしまったなら、その時の心地は舒泰括愉、この上なく爽快ではないか。
 先軫は、過失を悔いて、結局我が身を殺してしまった。思うに、彼は後悔することを知っていながら、改めることを知らなかったのだろう。もしもその悔心を持ち続け、それまでの態度を改めて主君を敬う想いを持ち続けるなら、その心は舒泰括愉、それこそ真の楽しみである。どうして軽々しく我が身を殺したりするものか。
 既に家へ帰ったならば、その労苦を忘れる。同様に、既に過ちを改めたならば、その悔心も忘れればよい。家に帰ってもなお荷物を背負ったまま苦労し続ける人間が居ないように、過ちを改めなのになお悔い続ける必要などないのだ。
 だから、過ちは改めるべきである。そして悔心もまた改めるべきである。 

  

(訳者、曰く) 

 私は、我が身を振り返ってみた。
 失敗を認めるのは嫌なことだ。だから、あれこれと理屈を付けて、それで良かったのだと思いこもうとする。自分の失敗は、なかなか容易には認められないものだ。これが、「悔心が発しにくい。」というものだろう。
 それを考えるならば、自分の失敗を自分で認める人間は、それだけでも立派なものだ。
 さて、失敗したとハッキリ認識したとしよう。そうすると、次に、自己嫌悪に陥ってしまう。その過失を振り返ってみると、実に恥ずかしい。心苦しい。
 そのような後悔の念を思い返して、更にその強さを強烈に増強させてみれば、自殺したくなる人間もいるだろうと、推測できる。
 実際、後悔の念が強すぎる余り発狂する者、自殺する者は、大勢いただろう。そして、呂東莱は、先軫の戦死も、自殺行為に等しいと見なして、非難しているのである。 

 ところで、私は実にいい加減な人間である。前述のように、失敗した時には、適当な理由をこじつけてほっかむりをするのが通例だ。ただし、たまには素直に認めて後悔するときもある。そのような時は、実につらい。
 しかしながら、(ここからが私のいい加減さの本領発揮なのだが、)そのような折には、私はたいてい、謝って済ませてしまう。
”まあ、済んだことだ。これから気をつけよう。”と。
 あるいは、さらし者になるのも良いだろう。自ら失敗を公表し、笑われる。そうすると、ここでも言い訳が立つ。
「これが前例になれば、同じ失敗をする人間が、少しは減るかもしれない。」と。
 だいたい、自分が失敗して、他人へ迷惑をかけたならば、非難されるのが当然だし、それは自分で受け止めるのが筋である。私は確かにいい加減な人間ではあるが、それくらいの気骨は持っているつもりだし、それこそが誇りだと思っているので、たまにはプライドにかけて進んで笑い者にされることもある。
 ところで、そうやると、それで済んでしまうのだ。いつまでも気に病み続けるような面倒なことは、所詮、私のようにいい加減な人間には性に合わないのだろう。
 そして、済ませてしまうから、再び同じような失敗を繰り返す。・・・・ううん。これは少し問題があるな(^^;)
 まあ、とにかく、反省して、行動を改めたら、それで終わりなのだ。実に心が軽くなるし、スッキリしたものだ。
 この論文では、後悔の念は、そのように使うべきだと訴えているのだと思う。
 してみると、私は、行動を改めることを持続させるよう努力するべきなのだろう。
 失敗したら、まず、それを自分で認める。そして、気に病む想いを大切にして、自分の行動を改める。そうやって、改まってしまったら、もう、全ては過去のことである。気に病む想いも捨て去って良い。と、言うよりも、捨て去らなければ、そのつらさから、何をしてしまうか判らない。それこそ、甚だしきは、自殺や発狂へ至ってしまうのだ。 

 一時期、「自己開発セミナー」が流行ったことがある。私は、転職歴があるが、最初の会社でも次の会社でも行かされた。(この頃は、「幹部養成訓練」等と呼ばれていた。)
 これらは、結局、自分をさらけ出すことを強制していた。
 それまで、恥ずかしくて誰にも言えなかったことを、隔離された世界で数日間異常な体験をさせることで、最後には、全て公にさらけ出させるのだ。
 そうすると、実にスッキリとして、気分は爽快になる。そうやって、大勢の人間が、この世界にはまってしまうのである。
 このようなセミナーの経験がある人間ならば、「悔心を発する」「悔心に従って自分を変える。」「生まれ変わってしまったら、過去のこととして、全てをすっぱり忘れる」の手順が、どれ程心を軽くするものか、実感できると思う。
 セミナーへ入って、全てを棄ててしまう人間は大勢居る。そして、彼等は主催者の走狗となって一生こき使われたとしても、それで幸せなのだ。が、その心のからくりさえ判っているならば、そんな事をしなくても、のびのびと暮らせるのである。