西魏、漢中を侵す
 
剣北 

 侯景が江陵へ迫った時、湘東王は、西魏へ救援を求め、その見返りとして南鄭を割譲すると申し入れた。そして、梁・秦二州刺史宜豊侯循へその旨を伝え、江陵へ戻ってくるよう命じた。
 しかし、宜豊侯は思った。
”理由もなしに城を明け渡すのは、忠臣の節義へ反する。”
 そこで、命令を改めるよう要請した。
 大宝二年(551年)、西魏の宇文泰は、大将軍達奚武へ三万の兵を与え、漢中を奪取するよう命じた。又、大将軍王雄へは、子午谷から出て上津を攻めるよう命じた。
 宜豊侯は、武陵王紀へ救援を求めた。武陵王は、潼州刺史楊乾運を派遣した。 

 武陵王は、宜豊侯の諮議参軍劉番を臣下へ加えたがったが、劉番は、これを固辞した。武陵王は、劉番を臣下にできないことを悟り、宜豊侯のもとへ帰してやった。その詳細は、「武陵王造反」へ記載する。
 承聖元年(552年)四月、武陵王は、宜豊侯を益州刺史・随郡王に封じ、劉番を、宜豊侯の府長史、蜀郡太守とした。 

 同月、楊乾運は剣閣の北へ進軍した。西魏の達奚武はこれを迎撃し、白馬にて大いに破る。挙げた首級は南鄭の城下へ曝した。又、宜豊侯循のもとへ使者を派遣して、彼を辱めた。
 宜豊侯は怒り、兵を出して戦いを挑んだ。ところが、敵方の都督楊紹が伏兵となってこれを襲撃し、宜豊侯軍は壊滅的な打撃を受けた。
 劉番は白馬の西へ帰った時、奚武に捕らえられ、長安へ送られた。宇文泰は、かねてから彼の名前を聞き及んでいたので、旧友のようにもてなした。
 ところで、南鄭がなかなか降伏しないので、達奚武は、彼等を殲滅しようと望み、宇文泰へ請願した。これへ対して、宇文泰が裁可しようとすると、劉番は、そのような真似をしないよう、泣いて頼み込んだ。宇文泰は言った。
「一旦人へ仕えたら、こうでなければならないな。」
 ついに、殲滅の許可を与えなかった。
 五月、達奚武は、尚書左丞の柳帯韋を南鄭へ派遣し、宜豊侯を説得した。
「足下の固めは、この険阻な地形。恃みとしているのは救援。そして、保つものは民です。しかし、我が軍はここまで深く攻め込んでおり、険阻な地形も踏破されてしまいました。白馬での敗戦で、援軍も期待できません。ここで長い間包囲されては、民を保つこともできません。それに、足下の国は、朝廷は騒乱し、社稷には主がいない有様ですのに、誰へ対して忠節を貫いておられるのですか?今こそ、禍を転じて福となし、子孫まで繁栄させるべきですぞ!」
 宜豊侯は、とうとう降伏を申し出た。柳帯韋は、柳慶の子息である。
 ところが、開府儀同三司賀蘭徳願は、城内の兵糧が尽きたと聞いて、攻撃を願い出た。すると、大都督の赫連達が言った。
「戦わずして城を手にするのが、最上です。敵の子女や財産の略奪を貪って、民の命を軽んじるような真似が、どうして許されましょうか!それに、敵は食糧が尽きたとはゆうものの、士馬は精強、城池は堅固です。それを攻撃したなら、たとえ勝てるにせよ、こちらの損傷も小さくはないでしょう。ましてや、追い詰められた獣は、死力を尽くして戦うものです。必ず勝てるとゆう保証はありません。」
 達奚武は、 赫連達の言葉に従い、宜豊侯の降伏を受諾した。男女二万人を捕虜として、西魏へ連れて帰る。
 ここにおいて、剣北は全て西魏の領土となった。 

 宜豊侯が西魏へ降伏した時、宇文泰は彼が梁へ帰国することを許可した。しかし、なかなか解放しなかった。
 そんなある日、のんびりとくつろいだ時に、宇文泰は劉番へ言った。
「我は、古来の誰に匹敵するかな?」
「聖人の湯王や武王へ匹敵すると、私はかねがね思っておりました。しかし、今見るところでは、五覇の垣公や文公にも劣ります!」
「我がどうして、湯王や武王に匹敵するだろうか。それは言い過ぎだ。まあ、伊尹や周公を目指してはいるが。それにしても、垣公や文公にも劣るとはどうゆう意味か!」
「斉の桓公は、滅んだ国を三ヶ国も復興させましたし、晋の文公は、原を討伐する際、信義を失いませんでした。」
 劉番が話し終わらないうちに、宇文泰は掌を撫でながら言った。
「御身の言いたいことは、よく判った。」
 そして、宜豊侯へ言った。
「王は、荊州へ行きたいのか?それとも益州か?」
「江陵へ帰りとうございます。」
 宇文泰は、宜豊侯を手厚く送ってやった。
 宜豊侯は、文武官千人を従えて帰国した。湘東王は、彼を侍中・驃騎将軍・開府儀同三司に任命した。 

  

 東梁州 

 承聖元年(552年)、魏の将軍王雄は、上津と魏興を奪取した。東梁州刺史李遷哲は敗戦し、降伏した。
 八月、西魏の民、黄衆寶が造反して、魏興を攻撃した。太守の柳檜を捕らえ、更に進軍して東梁州を包囲した。ここで、城内を説得するよう、柳檜へ命じたが、柳檜は、これを拒否して死んだ。
 宇文泰は、討伐軍として、王雄と驃騎大将軍宇文蚪を派遣した。
 二年、二月。王雄が東梁州へ到着すると、黄衆寶は部下を率いて降伏してきた。宇文泰は彼等を赦し、彼等をヨウ州へ移住させた。 

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