東莱博議   怪を論ず。

(春秋左氏伝)

「斉侯が猪を射たら、二本足で立ち上がった。(「斉の公孫無知、襄公を殺す」参照)」「鄭の城内で二匹の蛇が戦った」等、怪奇な話が後の事件の前兆として記されている事が多い。くだくだしいので実例は省略する。

(博議)

 「怪異」というものは、稀にしか起こらないからそう言われているだけなのであって、別に有り難いものでも恐ろしいものでも不思議なものでもない。どんなに不思議なことが起こったとしても、もしもそれと同じ事が普通に起こっていたならば、とてもとても、「怪奇」などとは称されなくなってしまうに違いない。
 分かり易く例を挙げてみよう。
 大空に赫々と輝いている物は、太陽である。夜空にあまねく燦然と輝いている物は、星である。油然と空に横たわっている物は、雲である。雲の中に潜んでいて、突然ガラガラと音を立てる物は雷である。空へ向かって突然とそびえ立っている物は山であるし、渺々と広がって空と接している物は海である。
 これらの物は、もしも何らかの理由でこれを知らずに育った者が居て、突然それを見たとしたら、魂を消し飛ばす程驚くに違いない。しかしながら、現実には、これを見ても誰もが当たり前のことと思って疑問にも思わない。
 それは何故だろうか?
 見慣れてしまっているからである。
 そして、それと逆のことも同様である。
 幽霊や妖怪、あるいは木石虫鳥の変化が怪異として驚きと共に語り伝えられているのは何故だろうか?それは、これらのことが滅多に起こらないからに他ならない。

 この世の中には、もともと不思議なことなどありはしないのだ。吉事に祥瑞があり、悪事に凶兆があり、明に礼楽があり、幽に鬼神があるとゆうのは、東が在れば西があり、夜があれば朝があるのと、何ら変わらないのである。一体何が不思議だと言うのか。
 孔子は怪力乱神を語らなかった。それは、それらが諸人を惑わすことを懼れたからではない。語る程のことではなかったからに過ぎないのだ。
 左丘明は怪奇を好み、ことに、春秋左氏伝には、神怪のことが数多く記述されている。 これに対して范寧氏は、「これらの神怪は、ただのでっち上げに過ぎない。こんなことが起こる筈がない」と言い、多くの人々がこれに同意している。
 しかし、私は言おう。このような神怪談を歴史書に載せるのは過ちであり、否定するのも又過ちである。
 左氏は、このような事件を怪異と思い驚愕したからこそ歴史書に載せたのである。又、これを否定する人間は、これを怪異と思いそんなことが起こる筈がないと決めつけたのである。
 片方はこれが事実と思い、片方はでっち上げと思った。しかしながら、共に怪異を不思議なことと考えていた点では同じなのだ。これが両者に共通の病根である。

 ものの道理を知らない人間は、見たり聞いたりしたこと以外は判らない。そして、前述したように、良く耳目に接するものを「常」と言い、殆ど耳目に接しないものを「怪」と言う。
 この「怪」に対しては、多くの者がケンケンガクガクの論争を立てている。そして、常に見慣れている物に対しては、これを軽視して言う。
「そんな詰まらない物は、聞き飽きたし見飽きた。何でわざわざ論争しなければならんのだ?」と。
 だが、耳で聞いた事は、真実を聞いたのではないし、目で見た物も真実を見たのではないことを、彼等は知らない。

 耳で聞こえるのは音だけである。音を音として聞こえさせている物を聞いているわけではない。同様に、目で見える物は形だけである。形を形として作り上げている物を見ているわけではない。
 日星、雲雷、山海などは、世俗の多くの人々が聞き飽き見飽きているものである。しかし、何故日星が輝いているのか?雲や雷がどうして発生するのか?山がどうして盛り上がっているのか海がどうして広がっているのか?これらについて、釈明できる者など居らぬのだ。
 身近な存在であるのに、その理は玄遠。明々白々な物の中に、神秘が潜んでいる。人々が何気なく見過ごしている物の中に、深く怪しむべきものが存在している。日用飲食の際でさえも明察に判っては居ないのに、却って荒唐無稽な物を知りたがる。何と甚だしく先後を誤っていることか!
 だからこそ言うのだ。天下の人々は皆、ものを見ているが、その見える理由を考えず、物を聞いているが、聞こえる理由を考えない。見飽き、聞き飽きた物の中にも、玄遠の妙味は隠されており、これを味わうことを知ったら、「怪異」とゆう滅多に見聞しない物についても、釈然として答えが出てくるのである。

 昔、子路が孔子に弟子入りして、鬼神への仕え方や死について尋ねた。
 多分、子路はこう思っていたのだろう。
「俺は人間については知り尽くしている。俺が知らないのは鬼神だけだ。そして俺は、生については知り尽くしている。俺が知らないのは死後の世界だけだ。」
 ああ、至理は一つである。だから、もしも知っているのならば両方共に判る筈だし、片方が判らないとしたら、それは両方共に判っていないのである。これは判ったけれど、あれは判らない等とゆうことはあり得ないのだ。
 もしも子路が、本当に人間について判っていたのならば、鬼神について問う筈がないし、生について本当に判っていたのならば、死について問う筈がない。だから、彼の質問を聞けば、彼が人間について、そして生について理解していないことが判るのである。
 そこで、孔子は答えた。
「吾はまだ人に仕えることさえ出来ない。どうして鬼神へ仕えようか。未だ生を知らない。どうして死を知れるだろうか。」と。
 これこそ、孔子が子路へ与えた真実の答であった。にも拘わらず、後世の儒者の中には、「この答えで、見事に子路の口を塞いだ。」と言う者もいる。何と哀しいことだろうか。
 子路は、この一言で我が身の行いを省みた。そして遂には、クーデターが勃発した時にも冠の紐を締め、正装してその操を改めない程の人間に成長した。この時の子路は、確かに生死鬼神について、明らかに悟っていたのだ。

 左丘明は、子路と同じく孔子のもとで学んだ人間である。しかしながら、子路と違って怪を嗜む習癖が治らなかった。それは、孔子とゆう雨が場所を選んで降ったのだろうか?
 いや、そうではない。
 一面に雨が降ったところで、覆われている場所は潤いが少ない。これは雨が場所を選んだのではなく、相手が受け止めようとしなかったのである。こちらがそれを受け止めなければ、雨に遭っても「降らない」と言い、目に聖人を見ても、聖人に遭えなかったも同様である。
 左氏は、聖人の教えを受けたのに、蒙昧なままだった。ああ、その罪はどちらにあるのだろうか。

 

(訳者、曰く)

 星や太陽が輝くのは核融合の結果であり、雲が沸き上がるのは蒸発した水蒸気が凝結するのである。云々。
 これらについてなんの疑問も持ってはいないが、それらの知識のない昔の人間が、太陽や星や山を見て、いつも疑問を持っていたとは思えない。
 思い返せば、私が未だ核融合等を知らなかった頃にも、太陽を見て不思議に思っては居なかった。
 結局、当たり前か不思議かは、理屈が判っているか否かよりも、いつも目にしているか、滅多に起こらないかの違いに過ぎないのだろう。
 だが、中には当たり前のことに疑問を持つ人間が居て、その答えを見いだそうと努力し、その積み重ねとして現在の科学が成立した。たまに気がついてフと疑問に思っても、調べれば回答が手に入る。何とも有り難い話である。

 さて、最近京極夏彦とゆうミステリー作家が、京極堂とゆうキャラクターを創作した。「この世に不思議なことなど何もないのだ。」が、彼の口癖だが、それはこの論旨とかなり近い意味で使われているような気がする。「滅多に起こらないもの」を「怪」と称する感覚にしても、京極夏彦の作品を読む度に、この論文を連想してしまう。

 ところで、この論文には易経の一卦が引用され、解釈されているが、少し煩雑なので割愛した。それは、「けい」(目/癸)の上九の解釈文を引用して、論旨を補強した内容でした。