晋の里克
 
  

 相助け合う物は、共に揃えなければならず、互いに損ない合う物は、並立してはいけない。
 共に揃えなければならないものは自然に合わさって行き、並立してはいけない物は自然に争い合う。
「合わせる」とゆうのは「両方共に全うしよう」と望んでいるのであり、「争う」とゆうのは、「どちらか一つを選ぼう」としているのだ。だから、二つながら全うしようと思ったら、一つに偏ってはいけない。一つを選ぼうと思ったら、二つに分かってはいけない。
 心は偏ってはいけない。だから、二つの物をバランス良く保てる人間を、「智者」と言うのだ。そして、心を分けてはいけない。だから、二つの間に付かず離れずを保つ者を、「姦者」と言うのだ。
 ところで、「二つの間に」と表現したが、両者が並び立つからこそ、「間」があるのだ。両者が最後まで戦って、どちらかが倒れなければ止まないとゆうので在れば、どこに「間」があろうか。
 この両者には、「間」などないのだ。それにも関わらず、両者の間に処しようとする。私は先程、付かず離れずを保つ者を「姦者」と言ったが、厳密には彼は「姦者」ではない。「愚者」である。 

 父親にとって、子供はなくてはならないものだ。子供にとって、父親はなくてはならないものだ。この両者こそ、いわゆる「共に揃えなければならぬもの」である。
 子供を陥れるような父親を、「険」と言う。父親を陥れるような子供を「逆」と言う。だから、君子が親子の間に入ったら、必ず両全を基本とするのだ。
 だが、邪と正とは、互いに害しあい、両立することができない。正があれば邪はなく、邪があれば正はないのだ。どうして邪正の間に立つことができようか。君子となったなら、正を主とすればよい。小人ならば、邪を主とすればよい。
 そもそも君子というものは、一つを保つことだけを考えるものだ。両全の時に片方に加担すれば、最後には加担した方も滅んでしまう。一つを選ぶべき時に両全を求めたら、両方共に滅んでしまうものである。
 以下、これをもう少し突っ込んで説明しよう。 

 医者が病気を治療する時、体の一つの気だけをひいきして強くしたりはしない。恐々として導養均調し、全ての気を損なわないようにして、ようやく治療が終わるものだ。だが、腫れ物へ対する時には正反対だ。肌を潰し血を流して、腫瘍への愛情などみじんもない。これは、患者の体と腫瘍とは両全することができないからではないか。
 五臓を見る時は、我が儘な子供へ対するように、ただただ毫髪程も逆らうことを恐れ、腫瘍を見る時には仇敵へ対するように、毫髪も残ることを恐れる。これは、前回は臆病だったのに今回は勇敢になったわけではない。病気の種類が変わったから、治療法が変わっただけなのだ。
 ましてや国家危疑の時に当たって、一つの術策だけで全てへ対応できる筈がない。親子の間に立って両者を相和させて両全させるのは、柔なる者こそやり遂げることができる。逆に邪正の間に立って、白黒をつけて一つを勝たせる。これは剛なる者こそやり遂げることができるのだ。
 もしも、その柔を邪正の間に用いれば、惰にして姦を招き、その剛を父子の間に用いれば、激して禍を生じる。両全するべき時にどちらか一つを選ぼうとし、どちらかを選ばなければいけない時に両全しようとしたら、乱は踵を返さずに巻き起こる。銖両の間に心を翻し、伏仰笑の間に機微を掴めるような人間でなければ、毫毛の違いが千里の先で大きく隔たることになってしまう。なるほど、最初はああも巧みに処理した里克が、後にはあのように稚拙になってしまったのも、無理はないことである。 

 晋の献公が、太子の申生を廃嫡しようと考え、それに先だって東山を討伐させた。この時里克は、進んでは献公へ対して、「主君の嗣儲は軍を率いてはならない。」と諫め、退いて太子と会った時には、「ただ不孝だけを懼れなさい。立てない事を懼れてはなりません。」と戒めた。
 父親へ対しては慈愛を告げ、子息へ対して孝を告げる。彼の親子の間での対処の仕方は「至れり」と言うべきだ。
 その後、驪姫は太子を殺す謀略を練り上げたが、里克を憚って実行しなかった。そこで、道化師を使って彼の心を動かそうとしたのだ。この時里克は、馬鹿の一つ覚えのように前回の術策を再び使った。
 彼は言った。
「太子を殺すには、忍びない。と言って、太子を殺すとゆう陰謀を既に聞きながら、殊更に太子へ走るようなこともしない。中立したら禍を免れるだろうか?」と。
 そして驪姫は、彼の口から「中立」の言葉が出たことを聞き、始めて忌憚が無くなり、遂に新城の難が起こったのである。
 これを見て、判った。里克は親子の仲が両全するべきである事は知っていたが、邪正が両立できないことを知らなかったのだ。刀を抜いて争い合っている者がいれば人はそこを迂回するし、二匹の虎が争い合っているところへわざわざ足を踏み入れる獣はいない。驪姫と申生の間に中立できる余地など無いのに。
 形勢は新しくなったのに、古いやり方をそのまま踏襲する。形勢は既に変わったのに、対処の仕方は変わらない。前回のやり方で、そのまま別の危難へ立ち向かう。これが、里克が敗亡した理由である。 

 私はかつて、里克の為人を論じたことがある。
 彼は、柔に長じて剛に短い。だから、泰平の時に従容彌縫する事はできたが、有事の際に奮励感慨することができなかった。
 今回、最初に巧く行ったのは、たまたま得意なことに出会ったのであり、後に失敗したのは、苦手なことに出会ったのである。もしも、里克が幸いにも早逝して驪姫の乱に出会わなければ、彼の短所は暴露されず、後世から謗られるべき所はなかっただろう。
 すると、ある人間が言った。
”でも先生、心を二つ持っている人間はいません。どんな人間もたった一つの心で、献公と申生の間に処する時にはどちらにも加担してはならないと自分を戒め、驪姫の乱に出会ったら去就を明確にできないことを恐れなければならないのです。献公と申生へ対する時には どちらかへ厚薄があることを恐れ、驪姫を拒む時には厚薄をはっきりとさせなければならないのです。ああ、何と難しいことなのでしょうか。”
 いやいや、これはそんなに難しいことではないのだよ。
 誰でも親しい者は褒めるし、憎い者を罵る。たった一枚の舌しか持っていないのに、褒めたり罵ったりしているではないか。客をもてなすのも、賊を撃つのも、一本の肱だ。それぞれに専用の舌や肱を持っている人間など居るはずがない。
「上役から命じられたくないことを、部下へ対して命じるな。部下から接されたくない態度で上役に仕えるな。右に憎む所で左に交わるな。左に憎む所で右に交わるな。」と、大学に書いてある。それは、上下左右を皆両全して傷つけまいと望んでいるのだ。ああ、なんと思いやり溢れていることだろうか。
 だが、その大学が小人を論じる時には言っている。
「仁人は彼等を追放し、四夷をしりぞけて、中国と同一にしなかった。」と。
 何と徹底したことか。
 ああ、昔の達人は、皆、これを体得していたのだ。 

  

(訳者、曰) 

 仕事と家庭とどちらが大切か?と聞かれることがある。
 仕事に励んで安定した収入がなければ、家族を守ることができない。だが、守るべき家族が居なければ、どうして仕事に励む気力が生まれるだろうか?
 家庭を大切にするばかりで残業や休日出勤を絶対にしない社員が居たら、会社は真っ先にリストラの対象にする。首になってしまって定職が無くなれば、家族を守れない。しかし、仕事ばかりで家族を顧みない男が妻から見放され、離婚されるとゆう話は良く聞く。そのような破局へ至ってしまえば、大抵の男は落ち込んで、仕事をするどころではなくなってしまう。
 してみると、仕事と家庭は、二つながら揃えなければならないものだ。どちらか一つに偏ってしまったら、両方共に失ってしまうものなのだ。