歴史

「中国四千年」と言いますが、中国人の歴史へ対する執着心には凄しいものがあります。他の文化圏と比較しても、中国こそ歴史の宝庫といえるでしょう。他の諸々の文学・哲学を始めとする全ての文化・文明が、この膨大量蓄積された歴史書の産物と言えるでしょう。歴史書の一冊も読まなければ、中国は語れません。

春秋左氏伝   左丘明 著

もともとは、孔子の書いた「春秋経」の解説書ですが、その背景にある事件を克明に記してある為、古来から春秋時代の歴史書として愛読されてきました。
 非常に面白い本ですが、編年体を採っている為、実に読みにくい。何故読みにくいのか?少し説明してみましょう。

 全部で千以上の話が、年代順に並んでいます。例えば、ある國で皇太子が出奔したとしたら、それについて詳しく書かれますが、その皇太子が五年後に故郷に戻ってきたとしたら、その物語は最初の事件から五年後の項目に記載されることになります。その間、それとは全然関係ない事件が何十も記載されるわけですから、そこを読んでいる時には、最初の事件を忘れてしまうことがあるのです。つまり、いくつもの話が、同時進行で、とぎれとぎれに記載されるために、読んでいてものすごく混乱してしまう。ましてや登場人物は、常に数十人が、全然違う事件で記されるわけですから、よほどインパクトの強い人間以外、キャラクターが覚えられない訳です。名前だけかろうじて覚えていても、前にどんなことをやった人間だったか思い出せない。そんな苛つく思いはしょっちゅう起こります。そうゆう訳で、これを読む人間は、八分の一程度読んだ時点でで投げ出すのが普通です。

 さて、この本は、岩波文庫から出版されていますが、これはお奨め。各事件の終末に、それがどこへ繋がるのか、あるいは、どの事件から繋がってきているのか、一々インデックスがついています。これがあるから、非常に読みやすい。面白い事件が有れば、途中をすっ飛ばしてその続きが読めますし、前の事件を忘れていれば、すぐに読み返せます。読みにくささえ解消できれば、もともと面白い本ですので、愛読者が激増することを期待します。

 この本の著者は左丘明。孔子の直弟子の一人です。これとほぼ同じ頃、西洋では詩人のホメロースが「イーリアス」「オデュッセイア」とゆう本を書きまして、「歴史の父」と呼ばれていますが、詩人と社会学者の違いは明白に出ています。
 ホメロースの作品では神々が登場しますが、左氏伝では一切出てきません。(勿論、迷信を信じた人間達が右往左往することはありますが、神が人を操ったりとゆう直接的なことは起こらないのです)左氏伝では、戦争だけではなく、経済・政治・礼儀全てに亘って記載されています。はっきり言って、レベルが格段に違います。ホメロースの時代から、中国では左氏伝が歴史書として流布していた。それが中国文化圏の特色です。

 ちなみに、春秋経の解説書は他にも沢山あります。有名なのは「春秋公羊伝」ですね。しかし、これは教典の解説が中心で、事件(=歴史)には殆ど言及していません。私は二頁で投げ出しました。(翻訳本が出ていないのも無理はない)まあ、これらは儒教を真剣に研究する人間以外、縁がない本ですね。

 左伝記事本末

 春秋左氏伝を、事件別に編纂したもの。上述した読みにくさを解消した本ですが、残念ながら翻訳本が出ていません。純粋に物語としての面白さを求めた場合、こちらの方が格段に面白いので、本当は翻訳して欲しい作品です。

 資治通鑑 北宋 司馬光 著

 春秋左氏伝の続編と言って良い作品。面白さも読み難さも同じです。ただ、左氏伝が春秋時代のみの歴史書なのに対して、これは戦国時代から五代までフォローしています。弱肉強食の乱世から、名君の治める治世。そして平和に馴れて特権階級の腐敗が顕現化する腐世。社会の変化と、それに伴う人間の変化を見ると、「時代性」とゆうものは、やはりあるものだと実感します。「今」の感性は、「今」だけしか通じない。それを実感させる経時的な社会変化は、やはり千年以上の歴史を追いかけた「資治通鑑」でしか感じ取れません。

 平凡社の「中国古典文学大系」で抜粋は出ています。(同社の「春秋左氏伝」は単なる翻訳なのに、こっちの方は、チャンとインデックスが付いている。岩波の「左氏伝」はその方法を真似たのかも知れませんね。)しかし、翻訳されたのは全体の5%程度でしょうか。これでは本当の味は実感できません。完全翻訳は・・・無理だろうなあ。こちらの方も、「通鑑記事本末」があります。せめてこれの一部分だけでも翻訳されて欲しい。

 宋以降を扱った作品として、「続・資政通鑑」等がありますが、今一面白くない。やはり、司馬光クラスの人間が書かないと・・・。ちなみに、徳川幕府が編纂した日本の歴史書は、「本朝通鑑」と言います。日本でも、昔の知識人達はみんなこれを読んでいたのでしょうね。

 史記 司馬遷 著

 とにかく、読みましょう。どこででも手に入ります。紀伝体のスタイルを確立させた業績は、大したものです。もともと歴史を重んじていた中国人が、この本によって泥沼にのめり込んだのではないかと推測しています。

「列伝」が有名ですが、「世家」もなかなか。頼山陽は「世家」を手本にして「日本外史」を書きました。これは日本文学ですが、後で紹介させていただきます。

 漢書 班固 著

 中国青史では、「史記」に次いで評価されている作品。筑摩書房から完全翻訳が出ていました。かなり高い!(全三巻、各巻一万五千円、昭和六十年現在)
 ボリュームは史記と同等なのに、扱っている時代は前漢のみ。たった二百年です。史記が六百年からの時代を扱っているのと比べると、かなり量が多い。その分、緻密に書いてあります。
 ちなみに、私が紀伝体の本当の面白さを知ったのはこちらの方です。(まあ、「史記」は高校時代、半ば見栄張って読んでいたような物なので、本当の良さが判らなかったのかも知れませんが。)七十の列伝が、複雑に絡み合っています。
例えば、ある列伝で面白い人間が出てきたとします。その人間に興味を持ったら、彼が主役の列伝がチャンとある。あるいは、全く違う人間の列伝を読んでいると、彼がチョロッとチョイ役で出てきたりするわけです。社会とゆう物は、人間が絡み合ってできており、その社会が積み重なって歴史になるのだから、歴史は人間の情熱が三次元的に絡み合った物なのだ、とこれを読んで気がつきました。
又、列伝で主役を張った其の人物が、他人の列伝では脇役として出てくる。漢書を読んだ後で、思いました。全ての人間が、彼自身の人生の中では主役を張っているのだなあ。現実生活では、いろいろな事件が起こります。その中で主役を張ることも大切ですが、しかし、出会った人間一人一人の人生の中で、良い脇役を演じられたなら、それも最高だと思いませんか?私にとっては、かなり思い出深い作品です。

後漢書

 平凡社から部分翻訳が出ています。「漢書・後漢書・三国志列伝選」
 漢と比べて、面白みのない時代だと言われていますが、私は好きな時代です。前漢は能力重点主義。後漢は徳望重点。役人の登庸は、清廉潔白な評判を第一としていた時代ですから、後漢書には立派な役人の列伝がゴロゴロしています。「楊震四知の戒め」「魯恭馴雉」(共に「蒙求」参照)など、憧れるほど高邁なエピソードが沢山あります。クライマックスは「党錮の禁」。「濁流、清流を呑む」とゆう奴です。これは平凡社版に載っていましたので、一読をお奨めします。

その他、青史

三国志は、筑摩書房から完訳本が出ています。「晋書」「新唐書」「五代史」「金史」「遼史」「元史」以上は明徳出版「中国古典新書」から部分翻訳が出ていますが、いずれも翻訳されているのは全体の1%もありませんし、列伝の一部だけをを抽出して翻訳するとゆう形を取ってありますので、あまりお奨めいたしません。

蒙求 

明徳出版から部分翻訳が出ています。三国時代までの著名人のエピソードを各々四行程度に纏めた物。昔は「論語」と共に、子供の手習いとして流布したそうです。

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