臼季、郤缺を挙げる。
 
(春秋左氏伝) 

 臼季が晋侯の使者として旅をしていた途中、冀にて、郤缺に遭った。彼は田畑で働いており、妻が食事の世話をしていたが、その夫婦はまるで賓客をもてなすように互いに敬いあっていた。そこで、臼季は、郤缺を連れて帰り、晋侯へ推挙した。
「人を敬うのは百徳の本です。」
 すると、文公は答えた。
「彼の父親の郤ゼイは私を殺そうとした男だぞ。」
「舜は、悪人の鯀を殺しましたが、その息子の禹を抜擢しました。」
 そこで、文公は郤缺を大夫に取り立てた。
 僖公の三十三年、箕の戦役で郤缺は大手柄を建てた。晋侯は、臼季へ先茅県を与えて言った。
「有能な郤缺を、父上へ推挙してくれて有りがとう。」 

  

(東莱博議) 

 人は居る場所によって観るところが違う。
 朝廷へ行けば政治を観る。要塞へ行けば軍備を観る。陣営へ行けば兵卒を見る。市場に行けば財貨を観る。このように、観るものは、居場所に従って変わって行くものである。
 逆に言うならば、居る場所によって観るものが変わる。だから、士を求めようとするものは、庠や序や学校や塾へ行くのである。庠序校塾を棄てて野へ行けば、目に入るのは田圃や稲や農夫ばかり。そんな所で士を探すのは、山の中で魚を探し、海の中で獣を探すようなもの。なんで求めるものが見つかろうか。
 しかしながら、臼季は使者となって旅している最中、田野で郤缺を見つけた。これは、常人の観とは異なっている。 

 臼季は文公の側近である。その屋敷は豪華で、出歩く時は豪奢な車に乗る。主君の命令で使者となろうものなら、長裾の着物を着て玉を帯び、目に入るのは麗しい物ばかり。幟や旗は仰々しく、その貴さは一世を震わせる。他の人間がこのような境遇にあったなら、必ずや満足しきってしまい、心は傲慢になるに違いない。体を濡らし泥にまみれる農夫の労苦を見れば彼等を蔑視して、虫けらから目を逸らすようにそっぽを向いてしまうだろう。
 ましてや、この広い土地の中のあちらこちらに大勢の農夫が働いているのだ。女房や子供が弁当を届ける家族も数え切れないくらい多いだろう。紛々群行して布を織りなす繊維のように往来している。その中で、一体誰が粛、誰が慢、誰が荘、誰が肆、誰が敬、誰が怠なのか、判じ分けることがどうしてできようか。
 しかし、その千鍬万笠の中から、臼季は郤缺を見い出して、これを主君へ推挙して卿大夫へと抜擢した。そして郤缺は臼季の推挙を裏切らず、遂には名臣となったのだ。私は、臼季にどんな技術を使ってこれを観たのか判らない。
 ただ、かつて聞いたことがある。
「昔の公卿達は、立派な人間を推挙することを一番大切な職務と心得ていた。朝に夕に、彼等が思うことは、ただただ立派な人間を見つけたいとゆう事だけだった。」と。
 朝廷へ出仕した時も、退出した時も、国境を出て他郷へ使者となった時も、片時としてその想いを忘れることがなかった。人材を求める想いは強い。だからこそ、田野の間、林野の外、ほんの片時の間でさえも、その心が彼の目を動かしているのだ。
 吾は漫然とこれを見ているのではない。我が心に士を求める想いだけしかなければ、士は自ずから我が心に現れるのだ。
 鑑は、物を照らし出すのが仕事だ。その明るさか徹すれば、物は自然に照らし出される。公卿は士を探し出すのが仕事だ。その誠が既に立てば、士は自然と見つけだせる。もしも士を求める誠意がなければ、右顧左眄して遭う人事に問い質し、体が疲れ目は眩み精神も消耗しきるまで探したところで、いわゆる真賢実能の者を判別できずに目の前で取り逃がすことになるだろう。
 茅容が雨を避けた有様を見て、彼が賢者であると気がつく人間は居なかったが、郭泰一人だけ、これに気がついた。それは、郭泰の観が常人と違っていたからではない。士を求めようとする郭泰の心が常人と違っていたからだ。
 郤缺が耕す傍らを過ぎて、彼の敬虔な性格に気がつく人間はいなかったが、臼季一人だけ、これに気がついた。それは、郭泰の観が常人と違っていたからではない。士を求めようとする郭泰の心が常人と違っていたからだ。
 いやしくも、目だけで物を見て、心を以て見なければ、雨を避けた時に偶々箕踞しなかった人間は全て茅容と思ってしまうし、畑に出ていて偶々妻を敬った人間は全て郤缺と思ってしまう。だが、それが正しいだろうか。 

 私はかつて、臼季と郤缺の事を考え、古今で風俗が大きく変化したと結論づけた。
 昔は、不遇に嘆く公卿はいたが、不遇に嘆く庶民はいなかった。後世は、不遇に嘆く庶民はいるが、不遇に嘆く公卿はいない。
 昔の公卿は、士を求めることを己の責務としていた。だから、賢人と出会えないことを常に憂えていた。だが、庶民には責務がないから、何の憂いもなかった。どんな境遇にいても不足はない。だから、臼季は郤缺と遭えない事を恐れていたが、 郤缺は臼季と遭えないことを恐れなかった。
 後世の公卿は地位を得たことで得意になり、後世の庶民は位がないことを不遇と嘆く。下の人間は、ますます性急に高い地位を求め、上の人間がこれに応じるのは益々緩慢。だから、風俗は日々薄れて行く。
 この汚俗から抜け出せた人間とでなければ、遭不遇の真在を語ることができない。 

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