主君を説得しようとする者は、主君の性格をよく知って、それにあわせて説得すればよい。そうすれば、少ない労力で最大の効果を上げることができる。
人は誰でも善いことが好きだし、立派な人間だと他人から誉められたがっている。だから、「仁」だの「義」だのの言葉で勧めることができるし、「不義」の言葉で思いとどまらせることができる。
さて、漢の高帝は下賤の生まれで、乱世の中で成り上がった人間である。彼は利害や勝敗は知っていたが、「仁」だの「義」だのはお呼びでなかった。しかし、彼の天性の素質を見ると、結構「仁義」に符合しているのだ。
それでいて、「仁」だの「義」だのと言われると腹を立てた。これは、しょっちゅう不義を働いている詰まらない人間が、「悪いことやったって構わないじゃねぇか。」とあからさまに言われると憤然として怒り出すのに似ている。
だから、当時の口達者な人間は、「仁」だの「義」だの「三代の礼楽の教え」だのの言葉は敢えて使わず、「これこれこうするとこのような利益があります。」「これはこのように害があります。」「これはした方が良いですよ。」「これはしない方が宜しゅうございます。」等と言ったわけで、高帝も、それを聞いて利益があると判断したら、躊躇無く従った。
天下が既に平定した後、彼は側室の戚姫を寵愛し、遂にはその息子の如意を皇太子にしようと思った。
この時、叔孫通や周昌が必死で諫めたが高帝は聞き入れず、張良が謀略を巡らせて、ようやく思いとどまらせることができた。
歴史書を読んでこのくだりに来る度に、私は大きくため息をつかずにはいられない。
高帝は悟り易い人だから、納得したならば従ったに違いないのだ。
「呂后の息子は、陛下が庶民の時から天下を取るまで、いつでも陛下に従ってきたお方ではないですか。ですから臣下達は全員、彼が次の皇帝となることを望んでおります。例え不肖でも、大臣達がみんな望んでいるのですから、陛下がご崩御なさった後に、戚姫の息子の臣下となって不平不満が起こらずに済むでしょうか?愛する心が、時には相手を傷つけるものです。嗚呼!奚斉や卓子がどうして殺されてしまったのか、陛下はご存知ではないのですか。」と、どうしてこのように言う者がいなかったのだろうか。
叔孫通などは天下の大計を知らず、「嫡子を廃嫡して庶子を立てるのは儒教の教義に反します。」等と言って説得したが、そんなことは高帝は、端っから軽蔑しきっていたのだ。
全ての人には感情がある。もしも如意が皇帝となったら、恵帝はその臣下となってしまう。そうなれば、絳 や灌 といった武将達が黙っているだろうか。造反が立て続けに起こったら、如意の皇帝の地位も不安なものである。王として安楽な一生を送るのと比べて、どちらがましだろうか。
なるほど、如意は趙王となっても、呂后に殺されてしまった。しかし、これは高帝の咎である。
戚姫を遠ざけて呂后の鬱憤を晴らし、その後に息子を厚く封じれば、そこまでは行なわなかったのではないだろうか。
このように言うと、ある人が反論した。
「呂后は強悍な性格だ。実際、呂氏で天下を乗っ取ろうとまでしたではないか。高帝はそれを予見したからこそ、趙王を皇太子にしたかったのだ。」
いや、それは違う。
高帝が死ぬ時、息子の恵帝が母親の呂后よりも早く死ぬと考えるだろうか。呂后がいくら強悍な性格でも、自分の姪を女帝にする為に、実の息子を帝位から引きずり降ろしたりするはずがない。恵帝が死んでから、呂后は始めて造反を考えたのだ。
してみるならば、これは単なる手慰みに過ぎない。高帝が死に臨んで予見できた筈がないのだ。
おおよそ、主君に仕える時には、十分に納得させて、こちらの提案に喜んで従って貰うようにしなければならない。力尽くで無理矢理従わせたところで、良い結果には決してならないのだ。
張良の謀略にしても、廃嫡は防げた。しかし、悲しげに歌う戚姫を顧みて、高帝は切なさに耐えきれなかったではないか。彼は納得したのではなく、臣下達の団結の前に、やむを得ずして従ったに過ぎないのだ。だから、尚も趙王の為に心を砕き、趙王の宰相として周昌を抜擢した。高帝の心はまだ悟らず、たった一人の周昌の力で呂后に対抗させようと考えたのだ。しかしながら、その周昌の強悍な性格が呂后の怒りを買い、却って趙王の命を縮める結果となってしまった。
嗚呼、古今の人間の中で、人情を解し、天下の勢いを深く知っていたことに関して、高帝の右に出る者はざらには居ない。その高帝にしてこの惑いがあった。そして、説得できる者がいなかった。悲しいかな!