晋の懐公、孤突を殺す
 
(春秋左氏伝) 

 晋の公子重耳(後の、晋の文公)が亡命している時、彼には何人かの従者が付き従っていた。
 魯の僖公の二十三年。晋の懐公は、重耳に付き従ってはならないと、おふれを出した。
「期日までに帰らないと、お前達の親を殺す。」と。
 しかし、孤突の息子の狐毛と狐偃は、この命令に従わなかった。そこで懐公は、孤突を殺した。 

  

(東莱博議) 

 他人を見る時には明敏になれても、自分の事を的確に把握するのは、かなり難しい。これは天下の公患である。
 秋豪の毛先でさえも見分けられる人間でも、自分のまつげを見る事が出来ない。千斤の重さを持ち上げる事が出来る人間でも、自分の体は持ち上げられない。ああ、自分を観る事の、なんと難しい事か。 

 だが、大勢の人間が知っているのは、自分を以て自分を見るのが難しいとゆう事である。彼等は、他人を以て自分を見るのが、いと容易いとゆう事を知らない。
 例えば、ある人間に、私と別の男とが、同じ事を言ったとしよう。その時、我へ対しては反論したのに、別の男から言われたら素直に従ったとゆうことがある。それには、必ず何か原因がある。
 同じ事をやったにしても、彼がやったなら誉められ、我がやったら非難されるとゆう事がある。そのような結果になったとすれば、必ずや原因があるものだ。
 他人の善によって我の悪を観、他人の悪によって自分の善を観る。こうやれば、自分自身を切実に観ることができる。
 晋の懐公は、自分が他人を動かせなかった事を知らず、その相手が自分に仕えなかったと言って、これを責めた。このような手合いは、「他人を以って自分を見れない」の典型である。 

 懐公は晋の主君であり、対する重耳は単なる亡命中の公子である。それなのに、狐趙等は、国を捨てて重耳に付き従った。
 彼等は、狄や衛では苦労し、安楽に暮らせる斉や楚を脱出して、苦難の度を続けて行った。常人ならば、その憂いに耐えられなかっただろう。食べ物を乞うた時には土くれを与えられ、沐浴の最中を覗かれた事もあった。常人ならば、その屈辱に耐えられなかっただろう。風にさらされ雨に打たれ、あちらこちらを歩き回る。常人ならば、その労苦に耐えられなかっただろう。
 もしも彼等が重耳を捨てて懐公のもとへ赴いたなら、郷里の人々は歓んで迎え入れ、親戚姻族はことごとく集まり、大宴会を開いて思い出話に花咲かせる事だろう。これこそ、天下の至楽である。貴人用の立派な車に乗り、華やかな衣に身を包み、どこへ行くにも大勢の従者を前後にズラリと付き従える。これこそ、天下の至栄である。朝廷で働き、職務が終われば自宅にてくつろぎ、四顧に憂い無し。これこそ天下の至安である。
 懐公はどうして、その彼等の行動の中に、己の姿を観なかったのだろうか。
 彼に従えば、このように大きな憂いがあり、大きな屈辱があり、大きな労苦がある。我に従えば、このように至楽で、このように至栄で、このように至安なのだ。それなのに、狐趙は耳重から離れなかったのである。その彼等の挙動を見れば、重耳と懐公との人徳の優劣薄厚は歴然と判るではないか。
 この時、どうして懐公は反省しなかったのだろうか。 

 だいたい、楽・栄・安は、全ての人間が同じように求めるものである。それなのに狐安等が重耳へ従ったのは、彼等が他の人間と感覚が違ったからではない。その楽を捨てて憂へ就いたとゆう事は、重耳の徳が、その憂いに勝ったからに他ならない。栄を捨てて辱へ就いたとゆう事は、重耳の徳が、その辱に勝ったからに他ならない。安を捨てて労へ就いたとゆう事は、重耳の徳が、その労に勝ったからに他ならない。
 懐公は、大国晋の主君である。もしも懐公が徳を身につけたならば、自分に従う人間には、既に道徳の楽があり、更に名位の楽も加わる事になる。既に道徳の安があり、更に名位の安も加わる事になる。既に道徳の栄があり、更に名位の栄も加わる事になる。重耳は、我の持っているものを持たず、我は重耳の持っていないものを持っているのだ。この有無を形作れば、人は招かずとも向こうの方からやってくる。
 だが、これらは皆、懐公の為に言った言葉であり、まだ、至りつくした論ではない。 

 徳とゆうものは明らかなもの。徳を持った主君がおれば、海の果て沙漠の果て、四海の隅々から智勇仁礼さまざまの寶を内に秘めた人々が、喜び集まって臣下となる事を望むだろう。どうして一亡命公子と数人の従僕を争う必要があるだろうか。ああ、懐公の心は、なんと偏狭な事だろうか。
 懐公は、その偏狭な心をほしいままにし、己を顧みる事を知らない。いたずらに人を殺して己の悪行を逞しくした。これによって、相手が持っていたかも知れない自分に仕えたいとゆう気持ちを自らの手で塞ぎ、重耳に従っている人間の心を益々頑なにさせて、絶対重耳に従おうとの思いを強固にさせた。これ程拙い計略はない。
 重耳は、斉で安楽に暮らしていた時、ここで一生を終えることを望んでいた。しかし、彼に従っている狐毛と狐偃には、晋の懐公とゆう不倶戴天の怨敵が居たのだ。なんで主人のそんな想いを肯べろうか。
 ああ、重耳を晋の主君にしたのは、秦ではない。孤趙でもない。それは、懐公である。 

元へ戻る