随会、賤しくして恥あり。 

  

(東莱博議) 

 人の病気の中で、仰向けにはなれるがうつ伏せにはなれないとゆう症状があり、これをキョチョと言う。俯せにはなれるが仰向けにはなれないとゆう症状は、戚施と言う。これは、どちらも病気である。正常ではなく日常に支障を来すとゆう観点から見るならば、仰向けになれない人間は、うつ伏せになれない人間と、似たり寄ったり。その病気には深浅の区別はない。
 体に病があるように、心にも又、病がある。
 貴くはなれるが賤しくなれない人間が居る。彼等は、言ってみるならばキョチョであるその症状として、彼等は節義や廉恥は十分すぎるほど持っているが、労苦を知らない。逆に、賤しくはなれるが貴くはなれない人間が居る。彼等は、戚施の部類か。その症状として、労苦は十分だが、節義や廉恥は不足している。
 その症状に違いはあるが、どちらも病気であることに変わりない。しかし、世俗の人間は、その一つを喜んで、もう一つを憎んでいる。
 貴くはなれるが賤しくなれない人間へ対しては、これを「高し」と表現し、賤しくはなれるが貴くはなれない人間へ対しては、これを「卑し」と表現する。
 このような評価が一般化すると、狷介な人間は競って高ぶる。彼等は、金穀米塩とゆう単語を聞くだけで、そっぽを向いて話を聞こうともしない。刑罰の道具や、それを身に受けた罪人を見れば、不快気に顔を背ける。広大な敷地の豪壮な宮殿の中に寝起きして、神仙のように深遠な議論に心を遊ばせる。
 このような生活は、無事の時には喜ぶことができる。しかし、一大事が勃発して危急の淵へ投げ入れられたら、彼等は驚き恐れてオロオロとするばかり。奴隷や賤民は、平素は逼塞し、貴族と道で会っただけでもコソコソと脇へ避け、土下座して貴族を仰ぎ見る。しかし、その奴隷達でさえ、この時の貴族達のオロオロとした態度を見れば、彼等を鼻先でせせら笑うに違いない。
 貴族達の、前日の高さが今日の卑しさを招いたのである。世俗の評価が、彼等の生き方を誤らせたのだ。
 身体にうつ伏せや仰向けがあり、疾に深浅はない。疾に貴賤があるが、名に高卑はない。キョチョの有り余るものを減らし、戚施の不足しているものを増やす。このようにしてこそ、疾のない人間といえるのだ。貴者の有り余るものを抑えて、賤のなきものを増やす。そのような人間を”偏するなきの士”と言うのだ。どうして、その一つを喜んでもう一つを憎んだりして良いものだろうか。 

 さて、晋では多くの人間が前後して随会を賞賛した。その中で、郤成子が評した台詞、”賤しい地位へ落ちても、恥を無くさずにいられる人間です。”は、ただ単に随会の全徳を顕わしただけではなく、後世一偏の疾をも治療する名台詞だ。だから、私はこの台詞を三度復唱してもまだ厭きないでいられるのだ。
 重い荷物を背負って道を行き、街角に座り込んで物を売り、野原に出てこれを耕す。日頃の生活に追われて喘ぎまくっている、いわゆる賤民は、天下に多い。だが、彼等は皆、賤しく生きている人間であり、賤しくなれる人間ではない。
 随会は、雅量広識であるにも関わらず、それだけでは厭きたらずに、下々の労苦をも自ら進んで行った。朝廟にも居れるけれども、村里の生活にも安んじる。このような人間を”賤しくなれる人間”と言うのである。
 立派な着物を着れるけれども、布衣を着ても不満がない。鐘鼎のご馳走を食べることもできるのに、ひさごの飯を食べ瓢箪に入れた水を飲むような生活でも楽しむことができる。のような人間を”賤しくなれる人間”と言うのである。
 賤者の労苦に甘んじることができるのに、賤者のような卑怯さや汚さがない。衆人が両立できないものを両立させた。これこそ、彼の徳が全徳である所以だ。 

 私は考えたのだが、随会が賤事を自ら行った時、どのような態度だったのだろうか?きっと、忙しいときには走り回り、力仕事ならヘトヘトになるまで働く。その点では日雇い労務者と何ら変わるところはない。
 だが、利益をちらつかされたり暴力で迫られたりした時、彼の強い節義が凛然と現れるのだ。彼の清徽の風は、腐りきった埃土の表に蕭然と吹き行くのである。彼の節義は、高くそびえ満ち溢れて、覆い隠すことができないのである。
 随会には賤者の短所がない。そう、賤者には随会の長所がないのだ。だから、彼一人、全人として晋で称賛された。もっともなことだ。 

 さて、郤成子の言葉を深く味わってみた。彼はこう言っているのだ。
「賤しくなっても、恥をなくさずにいるのは難しい。」
 それはその通り。しかしながら、君子が恥をなくす原因は、実に賤しくなれないことにあるのだ。
 公卿大臣が禁門へ出入りし、皇帝のもとへ謁見する。ここでひとたび節義を失えば、天下の人々が四方八方からよってたかって責め立てる。その彼等が、恥を知らない筈がない。しかしながら、彼等はその恥を忍び辱しめを含んでウロウロし、潔く進退を決めようとはしない。それは、彼等が貴くなれるけれども賤しくなれないせいなのだ。
 彼らはこう思うのだ。
”一旦、陛下の御意に逆らったなら、譴責され、罷免のうえ官位は剥奪、そうなれば落ちぶれてしまい、召使いは逃げ出し友人も訪ねてこなくなるぞ。”と。
 そのような言葉は、聞くだけでも心が震えふるえおののいてしまうのに、ましてやこれを実践するのか?こうして結局、恥を受けても顧みないのである。
 こうして、彼は鬱々として愚図つき、挙げ句の果ては天下から譴責をかってしまうのである。もしも彼らが、当初、貴い時に賤しくなれたならば、どうしてこうゆう事になっただろうか。
 だから、郤成子の台詞は、(※)馬援の論を以てこれに続けなければならない。 

 (※)
 馬援が、梁松や竇固へ言った。
「およそ諸人は、富貴になった時には、賤しくなれるように心がけなければならない。卿等は、賤しくなることを厭がっている。これから、卿等も出世するだろうが、高い地位に昇ったなら、堅く自分を戒め、勉め、その時にこの言葉も思い出すが良い。」

 

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