古の民なるもの四つ。
 
  

 韓昌黎の「原道」の中に、次のような一節がある。
「古の民は四種類。儒、農、工、商である。しかし、今の民は六種類。仏、道、儒、農、工、商である。
 古は、四つの家のうち儒者一つだけが民を教化していた。しかし今は、六つの家のうちの三つが民を教化している。
 農家は古も今も一つ。これが育てた粟を、古は四つの家が食べていたのに、今は六つの家が食べる。
 職人は古も今も一つ。これが造った器を、古は四つの家が使っていたのに、今は六つの家が使う。
 商人は古も今も一つ。これが流通させた品物を、古は四つの家が使っていたのに、今は六つの家が使う。
 これでは、民が困窮して盗賊にならないのが不思議である。」 

 韓昌黎は唐代の人間だ。道教や仏教が流行ったのは南北朝時代からで、唐の頃は大勢の人間が帰心していた。南北朝時代辺りから、仏教に寄進する人間が増え、権力者達にも仏教に信心する者が出てきたため、税を逃れるために僧籍を入手する者が後を絶たなくなり、社会問題となった。それらを踏まえると、民を教化する人間ばかりが多くなり社会的な不況になったと憤る気持ちも判る。
 ところで、仏教にしても道教にしても、その経済的な基盤は信者からの寄付金である。それでは、儒学者の場合はどうなのか?
 まだ、仏教や道教が流行しなかった古の時代、民を教化するのは儒学者だけだった頃、農民が粟を作り、職人が器を造り、商人が流通させ、儒学者が彼等を教化していた。そして儒学者は、民へ教えた報酬として金を貰っていたのだろうか?
 確かに、論語には、「豚肉を持ってきた人間が相手なら、誰にでも教えていた」とゆう記述がある。これだと、彼等はいわば、「寺子屋の先生」とゆうことになる。
 始めて、上述の「原道」を読んだとき、うっかりそのようなイメージで捉えていたが、これはよく考えるとおかしい。古の一般庶民が、寺子屋へ通っていた訳がない。
 当時の社会事情を考えてみるなら、答ははっきりしている。彼等は地主階級だった。大勢の小作人を抱えていたから、働く必要のない人種だったのだ。
 それは、以後の時代も延々と続く。明・清へ至るまで、科挙を受験する人間は、地主階級だったではないか。そして、彼等が儒教思想を継承していったのである。
 そう考えるならば、「民を教化する仕事」とゆう位置づけには、かなりの欺瞞が感じられる。一昔前に流行していた言葉を借りるなら、儒学者とゆうのは、民の労働の成果を「搾取」していた人間なのだ。それを誤魔化すための「民を教化する報酬」なのである。
 とはいうものの、地主達が無為徒食するよりも、暇な労力を使って民を教化した方が余程いいに決まっているし、だいたい、大勢の人間が一握りの人間を養うとゆう形態があったからこそ、その一握りの人間の余力が積み重なって社会が進歩してきたのである。もしも僅かな余剰生産物を全ての人間が平等に分けて一人一人が少しずつ楽をする「原始共産社会」がづっと続いていたら、世界は未だに古代社会のまま皆があくせくと働き続ける社会から脱却できなかったに違いない。
 実際、喩え欺瞞であっても、彼等がそれを本気にしてお題目通りの人生を生きて行くのなら、それはそれで立派なことだし、社会にとっても充分すぎるほど有益なことなのだから。むしろ、数少ないその様な人間が社会を進歩させてきたのだから、「一握りの彼等を産むために、大勢の役立たずの地主達が民力を搾取することを是認しなければならなかった」と言っても過言ではない。
 そこで、彼等の言い分を認めましょう。認めるどころか、称賛したい。地主達は、小作人の働きのおかげで遊んで暮らせたが、その充分に余裕のある時間を使って学問をし、我が身の行いを正し、我が身が手本となって民(小作人)を教化してきたのである。そして、その中でも優れて才覚のある人間は、科挙に通って天下国家の為に身を粉にして働いたのである。(まあ、儒教の理想通りに行けば、の話ですけど)
 さて、このような思いで「論語」などの儒教の経典を読み返してみると、少し違って感じられた。
 まず、「君子」とは何だろうか?
 今までは、単純に「立派な人間」と思っていた。一歩突っ込んでも、「儒教を学んだ人間」位の認識しかなかった。だが、これは、地主階級全般を指しているとは取れないだろうか?言葉を変えるなら、「他人の労力で働かずに生きて行ける人間」である。
 これに対して「小人」は、学問する事ができない人間。朝から晩まで働きづくめで生活に追われている人間に、どうして学問に励む時間があるだろうか。
 これらの時代に学問をする余裕のある人間といえば富裕階級しかなく、どの時代でも富裕階級は、大勢の人間の労力の余剰生産物を収奪することにより、時間の余裕が持てるのである。つまり、一人の「君子」は、大勢の「小人」に養われているのである。
 こうして見ると、儒教が「君子」へ厳しく「小人」へ優しい理由が判ってくる。「『君子』は『小人』から養われているから、彼等を幸せにする義務がある、」とゆうのが儒教のスタンスなのだ。
 従来私は、「君子」と「小人」を、「忠臣」と「佞臣」と捕らえていた。そして、そのように論を進めた儒学者も沢山いると確信している。実際、唐・宋以降の儒教系の論文は、明らかに「君子」=「忠臣」、「小人」=「佞臣」とゆうスタンスで書かれている。しかし、この対立を、「地主階級」と「労働者」と捕らえた時、全ての経典の解釈を変えなければいけなくなってしまう。今まで読んできた大学や書経などの四書五経をもう一度読み直さなければいけないほどの転換であるし、それらの注釈書へ対しては、或いは全く否定しなければいけなくなってしまう物も多数出てくるだろう。しかし、それならばなおのこと、もう一度読み返さなければいけないと思う。
 さて、翻って考えてみて、私は「君子」だろうか「小人」だろうか?
 一応、学問する余力はある。だから、「君子」だ。しかし、それは今の日本人全員がそうである。誰かの犠牲の上に一握りの私達だけがその特権を甘受できているわけではない。勿論、目を世界へ向ければ学問できないような貧しい民も大勢居るが、それは「私に搾取された」からではなく、彼等の国の政治事情による物だ。
 私が学問ができるのは、「小人から搾取している」為ではない。社会の生産性が向上したおかげだ。だから、過去の人々の努力へ対して感謝はしているが、「身を捨ててでも尽くさなければいけない人々」が、今の同時代にいるとは思わない。してみると、「君子」の責務など背負わされていない筈だ。
 既に学問ができる以上、「小人」のように「他人の指導に流される代わりに何の責任も負わない。ただ、法に触れた時に罰されるだけ。」とゆう生き方をする気はないが、「君子」のように「社会に尽くす義務がある。少しでも素晴らしい社会を作るためになら、命でさえ喜んで棄てる。天下の憂に先立ちて憂い、天下の楽に後れて楽しむのが当然だ。」とゆう苛烈な生き方も、ちょっと遠慮したい。まあ、社会への寄与を適当に考えながら、私個人の楽しみもソコソコ享受して生きて行きましょう。
 儒教の経典にある「君子」が、私から少し縁遠くなったようです。今度は、もう少し「他人事」とゆう気持ちで読んで行けるかな? 

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