第二十七回  固原から逃げて王輔臣は投降し、

       荊州を奪って、蔡敏栄勝利を献じる。

 

 王輔臣、王屏藩の上奏文を読み、呉三桂は言った。
「長安(西安)は古の首都。地形も険阻で、自立するにも格好の地。帝王自らが争奪するに相応しい場所だ。だいたい、図海なぞ小僧子 。昔、朕が戦場を駆け回っていた頃は、奴目は朕の副将として、指図通りに動いたものだ。それが今、我が障害を為そうとは。小癪な奴だ。わしがこの手で叩きのめしてやらねば気が済まん!」
 すると、それを聞いて臣下達が言った。
「陛下は戦えば必ず勝ち、敵城を攻めれば必ず陥されました。二十余年に亘って天下を縦横に駆け巡られましたが、壊滅しなかった敵が居たでしょうか?今、親征なされましたら、直ぐにでも天下は平定しましょう。これこそ国家の幸いでございます。」
 呉三桂は大いに笑うと、後宮へ戻って行った。
 この経緯を蓮児へ語ると、彼女は言った。
「陛下は四川へ入られてから戦ったことがありません。人生とは白駒が駆け去るほどに短いもの。どうか早く天下を平定なさって下さい。陛下は既に御高齢。もしもまごついて万一の事が起これば、この国はどうなりましょうか。後継者が陛下ほどの英雄でなければ、この国は滅んでしまいます!陛下の御名声は天下に名高く、親征となれば兵卒達の志気も変わります。そうなれば、天下平定など容易いこと。妾の愚見ではございますが、この一挙こそ、御国の幸いでございます。」
「お前は婦人ながら、天下の数勢が見えている。その言葉も筋道が通って居るぞ。しかし、朕がそれに気がつかなかったとでも思っていたのか?
 朕が決起した当初、六省が帰順し、この成都を首都にできた。だが、朕が親征しなかったばかりに、戦線はどこも膠着状態だ。もはや、朕が親征するしかない。」
「陛下なら、きっとやり遂げられます。そして、その後はもはや戦う必要もありません。妾は、凱旋の日を待ちわびております。」
「後日のことは後日言えばよい。だが、今、どうしてお前と離れられようか?」
「えっ?」
 この時になって、呉三桂が同行させたがっていることに、蓮児はようやく気がついた。もしも拒んだら、親征自体延期になりかねない。だが、同行したら軍事の妨げになるだろう。そこで、蓮児は言った。
「妾は幼い頃、戦火の煙や槍砲の音を聞き、死ぬほど恐い想いをしました。今も其の恐ろしさは忘れられません。それに、妾は今まで戦場を見たこともありませんし、何で陛下の御乗馬について行けましょうか?きっと足手まといになると思います。」
「大丈夫だ。馬に乗れなくとも、やり方はいくらでもある。お前の心を煩わせないさ。」
「でも、陣中に婦人が居ては、兵卒の志気が揚がりませんでしょ?陛下、どうかそんなことを考えられず、この御国を重んじられて下さい。」
 呉三桂は笑った。
「考えが浅い。古来から手柄を建てた女将も多い。婦人が居たところで、志気に影響はない。」
「それは違います。古の女将など、妾はそんな豪傑ではありません。」
「いや、宋の韓世忠が戦う時、その傍らには必ず梁紅玉が居たと言う。お前もこれに倣えば良いさ。」
「でも、妾にはなんの霊験もありませんし、陛下の軍事を誤らせそうで、恐ろしゅうございます。」
 呉三桂はムッとした。
「お前が同行しないなら、親征は中止だ。お前を他の人間に委ねるなどできぬ。」
「陛下の馬鹿!陛下は皇帝となって欲しいものは何でも手に入るご身分ではありませんか。妾もそのおこぼれを頂戴しているのです。陛下が妾を愛して居られるのなら、誰が妾に手出しが出来ます?どうして妾のことを気に懸けられるのですか?」
「いや、何と言われようが、お前と離れて暮らすなど考えられない。もう、これ以上クダクダ言うな。朕が決めたことだ。お前は親征の間、朕の食膳に侍ってくれさえすればよいのだ。」
 蓮児は、もはや何を言っても無駄だと悟った。これ以上嫌がれば、呉三桂は本当に親征を中止しかねないのだから。遂に、彼女は肯った。
 呉三桂は大いに喜び、即座に出陣の準備を命じた。
 この頃は、李本深の病状も癒えていたので、彼を先鋒とした。大小の将公は数百名。兵卒は十万!彼等は意気揚々と成都を出発した。
 百官が城外まで見送ると、彼等へ向かって呉三桂は言った。
「朕の留守中、治世については諸卿等の手を煩わさせる。朕が天下を平定して戻ってくれば、盛大に宴会を開こうではないか!」
 百官はみんなして万歳を唱えた。
 さて、呉三桂の方策としては、まず松磁へ出る。そして虎渡口で渡河し、椅角の形を作る。最後に荊州を制圧して清の喉元を断つ、とゆうものだった。そこで、まず敵の牽制の為、王会、洪福の二名の大将に谷城と員陽を襲撃させた。その後、自身が大軍を率いて東北目指して進軍する予定だった。

 この消息が図海軍へ伝わると、彼は言った。
「呉三桂は、我の背後を遮断するつもりだ。その前に先制攻撃をするべきだな。王輔臣等相手に一勝すれば、陜西で我等を妨げるものはなく、長躯蜀を衝ける。しかし、呉三桂軍の到着を手を拱いて待っていれば、奴等の声勢が増大し、手が出せなくなってしまう。」
 そこで、張勇、王進宝を二路に分けて派遣し、西安を攻撃させた。自らは大軍を率いて後詰めとなり、趙良棟、朱芬は別働隊として王屏藩を攻撃させた。方針が決まるやいなや、迅速に行動したのである。
 図海の襲来を知り、王輔臣は屏藩と共に迎撃しようとした。だが、側近達が、皆、諫めた。
「図海は今まで持久戦で我等の志気を挫こうとしていましたが、今、突然出撃しました。これは必ず理由があります。あるいは、皇帝陛下が親征に出てきたので、奴目は焦って戦いを挑んでいるのかも知れません。ここは守りを固めて時を稼ぐべきです。奴をここに釘付けにしている間に、陛下が奴目の背後を絶てば、敵は必ず敗れます。図海さえ破れば平涼への通路も確保できますし、長躯晋陽を攻撃できます。これこそ上策です。」
 だが、王輔臣は言った。
「我々は屡々戦いを挑んだのに、図海が守りを固めて戦わなかったのだ。今、奴の方から攻めてきたのに、何で守るのかね?一戦で敗れる。持久戦など良策ではない。」
 更に、屏藩のもとへも使者を派遣し、出兵を頼んだ。
 王屏藩は、呉三桂からの連絡を受け、親征が行われていることを知っていた。だから、即戦ではなく時間稼ぎがしたかった。しかし、図海の行動が迅速すぎたのである。
 図海にしてみれば、時間稼ぎに出られるのが恐かった。そこで、趙良棟と朱芬を先発させ、王屏藩のもとへ急行させたのだ。
 出陣の時、図海は部下へ言った。
「王輔臣は、呉三桂へ寝返ってからは勝ち続けだ。傲慢になって、この一戦を軽く見る。だから、本当に恐いのは屏藩だ。王輔臣ではない。王輔臣は、この一挙で撃破できる!」
 その読み通り、王輔臣は臣下の諫めを聞き流し、城を遠く離れて東進した。孤軍で迎撃するつもりなのだ。部将の呉雄ひとりを城へ留め、全軍を投入した。図海を侮っている王輔臣は、ただただ戦いに逸っていた。
 行軍の途中、図海は王進宝へ言った。
「王屏藩は、王輔臣よりも慎重だし、律儀だ。こちらで戦闘が起こったと知れば、必ず援軍を出す。お前は待ち伏せて、中途で迎撃しろ。そこで兵力を失えば、屏藩軍は必ず気落ちする!
 それに、王輔臣は、敗北すれば必ず固原へ逃げ、屏藩へ助けを求める。お前は固原へ向かってゆっくり進み、屏藩の援軍を撃破せよ。そしてその後、軍を返して王輔臣を討つのだ。」
 又、張勇へ言った。
「王輔臣は大軍で来る。だから、西安城に守備兵は少ない。お前は軽騎を率いて道を急ぎ、王輔臣が出陣した後、西安城を襲撃しろ。西安城が落ちれば、王輔臣軍は動揺する。もしも抵抗が厳しく、なかなか落ちないようなら、噂を流して兵卒達を動揺させてやるさ。」
 二将が命令を受けて去った後、図海は貝子顎洞へ使者を派遣し、疾風の如く進軍した。そして、虎山にて、王輔臣軍と遭遇した。
 図海が遠路進撃したばかりなので、王輔臣は、そうそうに戦おうとした。すると、王屏藩の使者が、書状を持ってやって来た。その書状は、速戦の不利を力説した。そして、自分の派遣した援軍が来るまで待てと言う。しかし、王輔臣はこれを非として、側近達へ言った。
屏藩は臆病風に吹かれている。なるほど、一年余り戦ったのに平涼への通路が確保できぬ訳だ。」
 言い終わり、将に戦おうとした時、斥候が言った。
「図海は、山を利用して陣を布いております。」
「布陣が完了したら攻め難い。速戦だ。」
 そして、軍鼓を鳴り響かせながら進撃するよう、諸軍に命じた。王輔臣軍は見る見る図海軍の前営まで迫ったが、図海軍は動かない。王輔臣は、遂に攻撃を開始した。すると、図海は言った。
「布陣も完了せぬ内に攻め込まれたか。これでは守れん。応戦だ!」
 こうして戦闘は始まった。明け方から昼に至るまで激戦が続いたが、勝敗がつかなかった。
 戦いはまさにたけなわ。すると、一軍が左から躍り込んで来た。貝子顎洞軍である!貝子顎洞は、前の経略莫洛の一件で厳しく譴責を受けていた。その雪辱を晴らす為、ここで奮戦したのである。
 王輔臣は、既に疲れ切っていた。図海軍にさえ勝てないうちに、更に新手の貝子顎洞軍が突撃して来て、心中後悔した。だが、この一戦こそ正念場。生死を懸けて戦え、と部下を励ましながら、王屏藩の援軍を心待ちにした。
 すると、図らずもここに一波乱起こった。
「西安が陥落したぞ!」
 突然起こった風聞が、忽ち戦場を駆け巡り、兵卒達が恐慌を起こしたのだ。
 王輔臣はたちどころに数人を斬り殺すと、伝令を命じた。
「我は西安を離れる時、大軍を留めて来た。それに、西安城は壕を巡らせた要塞だ。容易くは陥ちん。流言に惑わされるな!」
 しかしながら、彼の軍中には西安出身の兵卒が多かった。西安城が陥落したら、父母兄弟はどうなるだろう?妻や子供はどうなるだろう?その生死まで考え出したら、どうして戦いに身が入ろうか?王輔臣軍の兵卒達は、戦意を喪失してしまった。
 その上、西安陥落の急報は、益々頻繁に駆けつけてくる。とうとう、兵卒達は号泣し始めた。もう、戦争どころではない。
 図海と顎洞は、この機に乗じて攻め立てた。王輔臣が奮戦しようと、兵卒達は崩れ去った。
 こうなってしまって、王輔臣は西安まで撤退を考えた。だが、ここに正式な使者が来て、西安陥落を告げたのである。
 詳しく述べよう。
 一千騎を率いて西安へ急行した張勇は、西安付近で隠密行動に出た。それに対し、城を守る呉雄は、王輔臣が敵を阻むと思いこみ、又、敵を侮っていたこともあり、警備を怠っていた。そこで張勇は、軍士を平民に変装させ、密かに城内へ送り込んだ。そして城攻めの時、城内で騒動を起こさせたのである。
 城内は大混乱に陥った。いつの間に敵が来たのか気がつかず、しかも城内で騒動が起こっている。敵の衆寡も判らない。その混乱につけ込んで、張勇は西安城を一気に攻め落としたのである。
 呉雄は、王輔臣から罰されることを恐れ、自刎した。
 この時、脱出した兵卒から消息を受けて西安陥落を知った王輔臣は、心胆が張り裂けんばかりだった。前を見れば敵を防げず、振り返れば城も失った。そこで、援軍を出したとゆう屏藩の報告を頼りに、敗残兵をとりまとめると、固原へ向かって落ち延びて行った。
 図海軍は既に虎山を占領し、部隊を二手に分けていた。一隊は貝子顎洞が率いて西安へ向かい、もう一隊は図海が率いて王輔臣を追撃した。
 図海は、諸将へ言った。
「王輔臣は、勇略万人に秀でた男。それを見込んで呉三桂は義子にし、重任を与えたのだ。これを撃破すれば、王屏藩は落胆する。今、奴を追い詰めた。ここで逃がすな!諸君が手柄を建てるのならば、この一挙こそそれだぞ!」
 その言葉に、兵卒達は更に奮い立ち、勇躍追撃を開始した。
 王輔臣は、自ら殿を守り、戦いつつ進んだ。一縷の望みは屏藩の援軍。
 数十里をかけ続け、日も暮れ始める頃、前途に大軍が見えた。もしや屏藩の援軍か?いいや、さにあらず。
 もともと、図海の命令を受けた王進宝は、屏藩軍の行く手を遮ろうと進軍していた。屏藩は、趙良棟・朱芬に牽制されて、なかなか動けなかった。そこで、呉之茂に五千の兵を与えて別働隊として派遣した。だが、彼等が王輔臣救援へ駆けつけているところを、張勇の斥候が発見した。そこで張勇は伏兵でこれを撃破したのである。そして軍を返したところ、図らずも王輔臣軍と遭遇したのだった。
 だが、夜は既に更けており、王輔臣はこれを援軍と見誤ってしまった。
 王輔臣は心中喜んだが、突然、前面の軍は弓を飛ばし、王輔臣軍へ攻撃を仕掛けて来た。王輔臣が大いに慌てたところ、斥候兵が言った。
「これは王屏藩の援軍ではありません。敵将張勇の軍です。援軍は張勇に撃破されました!」
 王輔臣は愕然としてしまった。前後に敵を受け、援軍もない。絶望の余り自刎しかかった王輔臣だったが、ふと考え直した。
”三軍の兵卒の生命は、この俺にかかっている。もし一路でも逃げ道があるのなら、諦めてはならぬ。”
 そこで、横合いに逃げ、山の斜面に陣を布いた。
 張勇は図海軍と合流し、山の麓を包囲した。 これに対して王輔臣は、草を結んで陣営とし、矢や石を落として敵の来襲を防いだ。図海軍は、なかなか進めない。
「王輔臣めが。敗れたとはいえ、なお、死ぬまで戦うか。奴こそ真の勇者だ!もし、西安と援軍を先に破っていなかったなら、この勝敗は判らなかった。」
 舌を巻きながらも図海は再三攻撃を命じた。しかし、死に物狂いの敵は、これをなかなか寄せ付けない。遂に、図海は四面を囲み、王輔臣の水道を断った。
 王輔臣は部下へ言った。
「我が軍中には王懐清の部下が多い。以前、兵卒が造反しようとした折に俺が慰撫して我が部隊に吸収した為、図海は深く恨んでおる!もし、お前達が降伏しても、図海は黒白を分かたず、必ず皆殺しとするだろう。ここは全力を挙げて死守するだけだ。遠からず援軍も来る。そうすれば好機も生まれる。もしそうならなければ、俺も又諸君等と共にここで玉砕しよう。一人逃げ帰るなど、戦死した兵卒達に顔向けできぬわ!」
 兵卒達は感激の余り号泣した。だから、彼等は死力を絞って戦ったのだ。
 しかし、二日もすると、水が尽きた。兵糧も殆どない。援軍も望めない。王輔臣は、遂に全軍を指揮して強行突破を試みた。しかし、包囲陣は厚く、遂にかなわずに山上へ退散せざるを得なかった。
 兵卒達は、目の前で飢えや乾きに苦しみ、殆ど死にかけている。しかし、何ら打つ手がない。王輔臣が焦燥しきった時、伝令兵が叫んだ。
「図海が使者を派遣してきました!」
 王輔臣にはその来意が予測され、思わず嘆息した後、書状を受け取った。

”輔臣将軍へ申す。
 将軍は、もともと本朝の恩沢を蒙られたお方だ。それが、呉三桂の一時の威勢に目が眩み、又、親子の情も絡んで、遂に君臣の分を棄てられた。だが、それまでの富貴を捨て、海千山千の功名を冀うなど、知者のなす事ではない!将軍はこれを悟られず、頑迷固陋に力を尽くし、遂に今日の仕儀に至ったが、何とも惜しむべき事である。だが、考えてくれ。確かに、過去を変えることは出来ないが、これから力を尽くすことは出来るのだ。
 将軍の勇は三郡に傑出している。孤軍を以て数路の敵と渡り合い、連日の血戦で何度も危機に陥ったのに、未だに呉三桂へ忠誠を尽くしている。将軍は、呉三桂への親情を捨てがたいのだろうが、ここに至って何が出来ようか。援軍は来たらず、ただに犬死にするばかりではないか!
 将軍の勇略を、私は愛するのだ。もしも降伏してこられたら、必ず朝廷へ上奏して、将軍を前職へ復帰させよう。瑕を捨て長所を生かすのは、我が朝廷の得意とすることだ。それに、これは将軍一人のことではない。降伏すれば兵卒達の命も救えるのだから、仁の至りではないか。将軍の為に謀るに、これこそ最上の手段である。もしも将軍が死を恐れないとしても、兵卒達はどうなるのか?将軍よ、どうかよく考えてくれ。”

 読み終わって、王輔臣は躊躇した。
 図海の書いたことは嘘ではない。もともと図海は、戦っている最中に、王輔臣の勇略に舌を巻いていたのだ。しかも、死地に陥っても変節を知らず、死力を絞って戦う。これで一層敬服し、甚だ愛したのである。それに、王輔臣が投降した後に彼を優遇すれば、叛徒達へ降伏を誘う宣伝にもなるではないか。
 当初、王輔臣は王屏藩の救援を心待ちにしていたが、屏藩は敵に牽制されて動けなかった。この時、朱芬は既に屏藩の槍にかかって戦死していたが、趙良棟は良く軍を指揮し、屏藩は勝つことが出来なかった。自分の戦いで手一杯なのに、どうして援軍を出せようか。
 こうして日々が虚しく過ぎて行き、絶望しかかっていた時に、この書簡が届いたのだ。その内容に感動したこともあり、王輔臣は側近達へこれを見せ、評議した。しかし、皆、一言も喋らず、ただうなだれるだけだった。
 王輔臣は言った。
「諸君等の心情は、よく判った。我が采配の過ちで、ここに至ったのだ。我が罪は、もとより重い。どうして諸将等へ禍を及ぼせようか。」
 こうして、彼は図海へ返書を送った。
”皆の命を助けるのならば、降伏しよう。”
 勿論、図海はこれを呑み、王輔臣は部下を率いて投降した。
 王輔臣がやってくると、図海は自ら出迎えて言った。
「私は、将軍の今度の戦いぶりに、実に感服した。」
 王輔臣は遜謝した。
 さて、図海が王輔臣の陣へ乗り込んでみると、水も兵糧も底を尽き、兵卒達は半死半生だった。そこで、図海は彼等へ見ずと食糧を与えるよう命じ、諸将へ言った。
「水も食糧も尽きたのに、その兵卒達は心を一つに合わせていた。王輔臣こそ、まさしく兵法の達人だ。古の良将と雖も、彼には及ぶまい。いや、感服した。」
 その後、図海は、王屏藩を破る手だてについて王輔臣へ尋ねたが、王輔臣はこれには答えず、言った。
「士は己を知る者の為に死す。呉三桂は私を子供のように慈しみ、屏藩は私を兄とも慕ってくれた。どうして親や兄弟を攻められようか?ただ、呉三桂の部下達は、戦慣れしているし、艱難に強い。公はせいぜい気を引き締められることだな。」
 図海は黙り込んだ。ともあれ、彼は朝廷へ戦勝を報告し、王輔臣を重用して敵方へ投降を誘うよう進言した。更に、進撃して固原を攻略しようと、趙良棟・朱芬へ王屏藩攻撃を命じた。だが、屏藩の備えは固く、なかなか陥ちない。朱芬に至っては、既に戦死しているのだ。そこで、趙良棟は援軍を要請した。
 図海は言った。
「確かに、屏藩は容易に陥とせない。しかも、我が兵は疲労しきっている。ここは、占領地を慰撫しながら兵卒を休めるべきだ。そうして、我が軍に活力が甦った時こそ、再度屏藩を攻略してやる。」
 そして、趙良棟にも兵を退くよう命じた。

 

 ここで話は呉三桂へ戻る。
 呉三桂の軍が松磁へ到着した時、先鋒の李本深の病気が又もぶり返した。そこで、呉三桂は彼を成都へ送り返した。傍ら、呉三桂は別働隊を南略、均州、南章へ派遣した。ここを攻略すれば、挙安、漢中へ通じる。
 そのようなある日、呉三桂の食事中に伝令兵が駆け込んできた。
「王輔臣敗北。水を断たれて困窮し、屏藩は別働隊に遮られて救援できず。遂に、王輔臣は投降いたしました。」
 呉三桂は顔色を変え、持っていた箸を取り落とした。
 そのまましばらく物も言えなかったが、ややあって、
「王輔臣は、朕と親子の情誼を交わしておった。それが敵に寝返ったのか。天は我を助けないのか?」
 又、嘆いて言った。
「王輔臣は虎将。それが敵の尖兵となるのか?」
 言葉が終わらぬ内に鮮血を吐き出して昏倒してしまった。
 それがもとで病気になったので、側近達は退却を請うたが、呉三桂は言った。
「朕はここまでやって来たのだ。病気など、かかるときにはかかる。そんなことで退却できるか。」
 側近達は言い返せなかった。
 しかし、呉三桂の病気は治らない。側近達は皆、不安がった。
”このままでは、敵襲を受けてもまともには戦えないぞ。”
 そして再び退却を請うた。とうとう、呉三桂は言った。
「胡国柱、馬宝、夏国相、李本深。もしも彼等の一人でもここにいれば撤退などせぬ物を!今は、他に手がないではないか!」
 言い終えるや、呉三桂は長嘆した。そして、成都への転進を命じたのである。ただ、既に派遣していた別働隊には撤退させず、気勢を挙げさせた。
 この消息を聞き、蔡敏栄は諸将を集めて協議した。
「馬宝は有能な男だが、長い間岳州に出張りながら一歩も進めない。呉三桂は天運に見放されたのだ。更に、呉三桂は親征しながら、発病して中途に引き返した。軍卒達も志気が萎えたことだろう。
 我はこの任務を受けて以来、まだ大功を建てていない。だが、これは郡王達が進軍しないので、後続が至らず孤立することを恐れていただけなのだ。この機会に至っては、どうして進撃せずにいられようか!
 それに、呉三桂は別働隊を残して帰った。彼等は略奪をして回っているが、それを放置して置いて勝ちに乗じさせれば、必ず後患となってしまう。ここは急進しなければならない。
 荊州は、川・湖の喉元とも言うべき四達の土地だ。呉三桂がここを占領したから、西は成都から東は長沙まで連係を保てるのだ。今は荊州を確保して彼の領土を分断するべきである。そうすれば、奴の兵力は連携を執ることが出来なくなってしまうぞ。」
 そこで、ハジフ、碩岱、珍満等に各々五千を与え、三道から荊州へ赴かせた。また、楊捷には水軍を率いて進撃させた。水陸両道から攻撃したのである。
 作戦が決定した後、蔡敏栄は諸将へ言った。
「荊州城内の敵兵は、万人に足らぬ。しかも、備えは薄い。今、疾風のように駆けつけて、防御する暇を与えなければ、手に唾して荊州を奪還できるぞ!」
 諸将は頷き、一斉に出発した。
 片や周軍は、蔡敏栄が長い間討って出なかった為、いつしか多寡を括っていた。胡国柱は長沙にて飲酒詩賦に浸っている有様。だから、荊州の警備は手薄。完全に油断しきっていたのだ。