第二十三回  王輔臣、挙兵して経略を倒し、 

       南懐仁、砲を使って呉軍を破る。

 

 さて、施継は王緒と共に耿精忠の元へ赴き、軍議を細かく打ち合わせた。
 こうして仕事が一段落した王緒は、事の次第を細かく記すと、使者へ託して呉三桂のへ報告した。報告を受けた呉三桂は、同盟成就を喜んだ。ただ、施継の処遇を問われると、フと考えた。
”鄭経の使者をこの成都まで連れてくると、まるで台湾が周と対等な国家のようではないか。とんでも無いことだ。それに、ここまで往復させては時間も掛かりすぎる。戦機を逸しては何にもならん。”
 そこで、鄭経を藩王に封じる旨、聖諭を降し、夏国相に早馬を飛ばして、施継を接待するよう命じたが、その命令には一文が加えられていた。
「施継は、決して蜀へ来させてはならない。」
 命令を受けた夏国相は、軍議にかこつけて施継を引き留めた。もともと、夏国相は湖南へ大軍を集結させることには反対だったので、施継へ酒を勧めながら言った。
「我が軍が決起するや否や、各省がこれに呼応しました。それに加えて岳州と平涼の合戦で、敵の戦意は喪失しています。もしも我等が協力すれば、この大地はすぐにでも中国人の手に取り戻せましょう。」
「そうありたいものです。ところで、具体的にはどうお考えですかな?」
「まず、貴公方へ望んでいるのは淮・揚地方への出兵です。これで、敵の兵力を分散できます。我等は越王耿精忠が呼応して蘇・杭へ出兵します。その傍ら、別の一軍が江西を攻略して各郡を荒らし回りながら西進します。この三路が呼応して北進すれば、敵に百万の軍兵が居ても防ぎきれますまい。」
「いや、素晴らしい戦術です。それでは私は早速台湾へ戻り、我が主へそう伝えましょう。そして必ずや良い返事をお持ちしますぞ。」
「いや、戦況は急を要します。再び此処へ来られるよりも、速やかな出陣こそが肝腎です。後日、悲願達成の暁こそ、再会して喜びを分かち合いましょうぞ。」
「判りました。」
 こうして、施継は台湾へ帰っていった。だが、復命を受けた鄭経は憮然としてしまった。 もともと、鄭経は明への忠誠心を忘れず、呉三桂に従ったのも、この機に乗じて出兵する為だった。それが、呉三桂から藩王扱いされ、心中に怒りが鬱積したのだ。
゛俺は明室へのみ忠誠を誓ってきたのだ。その俺を藩王に任命するとはどうゆう了見だ?奴こそ、自ら王へ降格して尊明の想いを表明するべきではないか。それはともあれ、呉三桂の命令に従って忽ち挙兵したのでは、俺は呉三桂の臣下に成り下がってしまうではないか!゛
 そこで、挙兵の準備は緩慢に行い、決起を意図的に引き延ばした。対して耿精忠は台湾と呼応するつもりだったので、彼等の動向を見ながら、なかなか行動を起こさなかった。ただ一軍、夏国相のみが江西へ向かって先発したのであった。

 さて、ここで陜西へ話を戻そう。
 図海軍が到着してから、王屏藩との間に大小数十の戦争が起こったが、互いに勝ったり負けたりしていた。王屏藩としては固原まで退いた為、李本深軍が到着してから本格的に戦うつもりだった。だが、その李本深が途中で病気になり、李軍はなかなか進軍できなかった。そこで、彼は今度は王輔臣をあてにした。
 対して清では、剛令大学士の莫洛が経略大臣となり、大軍を擁して西安へ向かった。ところが、西安将軍のガジカツは功に逸り、莫洛の到着を待たずに漢中へ進軍したのである。この動きは、すぐに王屏藩に察知された。
「まずいな。ガジカツが漢中へ進軍し保寧を確保したら、王輔臣との連絡が途絶えてしまうぞ。よし、奴等の糧道を絶とう。」
 そこで、一軍を密かに略陽へ回し、ガジカツ軍の水運を遮断した。又、鄭蛟麟に一軍を与え、桟道へ派遣して陸運も絶ったのである。糧道を絶たれたガジカツ軍は、たちまち食糧難に陥った。こうなれば、広元まで退却するしかない。だが、ガジカツは諸将を集めて言った。
「進撃こそが退却の道。まず王屏藩を撃破し、平涼への道を確保しよう。」
「馬鹿な!」
 反対したのは王懐忠。
「軍卒は、既に空腹に耐えられなくなっており、不満と恐怖が渦巻いております。この状況で出撃したら、必ず変事が起こります!」
「だが、莫経略の援軍はまだ来ない。他にどんな術がある?座して死を待つわけにはいかん。進撃して死中に活を求める以外、方法がない。全軍を二軍に分けよ。一軍は桟道へ、もう一軍は略陽へ出撃して王屏藩を挟撃し、固原への道を確保する。」
「張勇、王進宝、趙良棟の豪傑と十万の大軍を擁した図海軍でさえ、王屏藩を撃破できないのです。空きっ腹を抱えた半病人達が、なんで奴等と戦えますか?」
「兵法に言う、『背水の陣』だ。困窮した三軍に奮戦させるには、死地へ追い込むしかないではないか。もうグズグズ言うな。俺の胆は決まっている。」
 ガジカツは強引に進撃を決め、王懐忠は不満を含んで退出した。
 折しも軍中では、毎日の食糧も不足して、兵卒達に不満が渦巻いていた。しかも糧道が絶たれたことまで伝わっており、不安に耐えぬ者もいた。王懐忠はそれを知っていたので、密かに噂を流していた。
「兵糧は広元まで届いている。広元まで退却すればたらふく食えるぞ。」
 この噂によって、兵卒の不満は僅かに抑えられていたのだ。
 だが、ここに出撃の命令が下り、兵卒は怒りを爆発させた。
「広元へ退却するんじゃなかったのか?広元には兵糧があると言うのはでまかせか?この空きっ腹で戦えって言うのか!」
 一犬吠えれば万犬応じ、怨磋の声はたちまち軍中へ広まった。
「腹が減っては戦はできねえ。このまま戦ったら、戦死しなくても餓死しちまうわ!」
 兵卒達は一斉に反抗した。王懐忠は必死でなだめたが、従う者は居なかった。この喧噪を聞いたガジカツは大怒して、たちどころに数人を殺させた。だが、この示威行為が更に不満を爆発させ、遂に兵卒達は暴動を起こした。王懐忠は彼等に同調して配下の兵卒四千人をとりまとめ、ガジカツは衛兵のみを率いて間道から西安へ逃げ出した。
 さて、王輔臣提督は、もともと呉三桂の養子だったこともあり、本心は彼等に帰順して王屏藩と共に東征したかった。だが、経略大臣の莫洛が進軍してきており、西安の兵力はそう多くない。それで挙兵できなかったのだ。そんな時、王懐忠造反の報告が入った。
「天運は周に味方した!」
 彼は即座に部将の李之倫を派遣すると、王懐忠軍へ兵糧を与えて懐柔を試みた。もとより餓えきっていた兵卒達は感激し、王輔臣へ忠誠を誓ったのである。そこで、王輔臣は部将を各地へ派遣し、逃亡している兵卒達へ呼びかけた。
「今回の周帝の決起は、大明国家への忠誠である。だからこそ、天は必ずご加護を賜る。昔、周帝が外国の兵を連れてきたのは、李自成や張献忠を滅ぼす為だった。だが、狡猾な野蛮人共は、その機に乗じて我が国を滅ぼしたのだ。裏切られた周帝は憤慨し、前過を雪ぐべく、明の復興を考えた。そして周帝は、兵を練り、土地を広め、兵糧を備蓄して密かに爪牙を磨き続けたのである。こうして造反した周軍は、兵卒一人が清兵百人と戦える。この敵と、誰がまともに戦えようか?
 それに対して我が軍は、兵糧は不足し、月々の給金さえ滞り、軍卒は貧苦に喘いでいる!そんな兵卒達を、王提督は深く憐れまれ、戦場に駆り立てることができなかった。
 確かに、君達は敵前逃亡をした。しかし王提督は、兵糧不足の実状を良く理解して、君達の逃亡を当然の結果だと思われた。それにしても、敵前逃亡は誅殺の規則である。だからこそ王提督は、君達を召集して軍を立て直したのだ。これは慈悲の現れである。
 だが、愚昧なる莫経略とガジカツは、これを造反と言い立て、王提督を激しく責め立てた。挙げ句の果て、これら兵士を皆殺しとするよう王提督へ命じたのだ!王提督はとても忍びず、この命令を命がけで拒み、君達の命を守っている。だから、君達は憂うことはない。王提督は、例え死刑となろうとも、このような悪辣な命令には絶対従わないのだから。」 この話を聞いて、兵卒達は怒り狂った。
「王提督は我等のことを体を張って守ってくれる。今度は俺達の番だ。例え死んでも望む所よ!」
 兵卒達の反応に、王輔臣は大満悦だった。
 翌日、経略大臣莫洛の大軍が寧姜まで進軍した。そこで、王輔臣は兵卒達に言った。
「経略大臣莫洛の大軍が寧姜まで進軍している。これは私が王懐忠の兵卒を収容したので、その罪を糺すためだ。しかも貝子鄂洞の軍まで後詰めで来ている。どうやって防げようか?もしも諸君が命令に従うのなら、早急に手を打てる。拒むのならば打つ手がない!もしも私が殺されたなら、諸君等を守ることもできなくなるぞ。」
 兵卒達は憤然として叫んだ。
「奴等は、俺達を餓えさせた上、戦えと言った。そんなことはできっこねぇのに、断れば死罪だと?そんな理屈がどこに有る!今、大周は日の出の勢い。こうなったらこれに帰順しようじゃねぇか!自殺しろってぇ命令に従うこたねえぜ!」
 王輔臣は心中大いに喜んだ。
「諸君等がその気ならば、私も諸君等の命を守る為、無法なことでも敢えて行おう。私は、本当は清朝廷への忠誠を守り通したかった。しかし、事ここに至っては、他にどんな手段が有ろうか?ただ、諸君等と生死を共にするだけだ!
 ただ、周へ帰順するにしても、手柄が必要だ。そこで、莫洛の軍隊を待ち伏せして撃破しようではないか。そうしないことには、莫洛と鄂洞から追撃を受け、全滅してしまうぞ。」
 これを聞いて、兵卒は小躍りして喜んだ。
 王輔臣は、まず軍中のあちこちへ清の軍旗を立てさせた。その傍ら、全軍に周の軍旗を密かに配置させた。そして、李之倫と王光邦の両将に、それぞれ三千づつ兵卒を預け、沢地へ伏兵として配置した。そして、最後に莫洛へ文書を送った。
「保寧にて、兵卒の動乱が勃発。漢中は既に賊徒の手に陥ちる。至急、増援を乞う。」
 この報告を受けて、莫洛は嘆じた。
「漢中が陥落。すると隴右も危ない。これは急がねば。しかし、王輔臣は呉三桂の養子と聞いていたが、それでも忠勤に励んでいる。彼こそまことの忠臣だ。それはともあれ、進軍を急げ。」
 又、王輔臣は王屏藩へも書状を送り、鄂洞迎撃を要請したのである。
 さて、莫洛は進軍の最中に斥候を放ったところ、王輔臣の陣中に清の軍旗が多数翻っていることを知り、益々感激した。その日の昼頃、彼等は寧姜を過ぎ、夕暮れ近くになると、山中の隘路へ差し掛かった。両側には樹木が鬱蒼と繁っている。
゛ここは兵を伏せるのに格好の場所だな。゛
 用心している折りも折り、斥候が報告した。
「王輔臣軍が前方におります。ここからそう遠くありません。」
「そうか。それならばすぐに合流しよう。ここは危険だ。」
 莫洛は、更に進軍を急がせた。
と、その時、号砲一声。左から王光邦軍が、右から李之倫軍が出現し、一声に矢を放った。すかさず、前方の王輔臣軍が襲いかかる。莫洛軍は大混乱に陥った。おろおろしながら矢を射返しても、樹木の陰に隠れている王、李軍の兵卒に当たるはずもない。逆に王光邦、李之倫軍の放つ矢は的確に敵兵を射倒しす。
「退け、退け!」
 莫洛は大敗の末、どうにか広場まで撤退した。そして、ここで方陣を立て直すと、鄂洞軍へ伝令を出した。
「王輔臣、造反!速やかに救援を乞う。」
 報告を受けて、鄂洞は震え上がった。
「王輔臣軍は、王懐忠の兵卒を吸収し、一大勢力となっている。それが周へ寝返ったか。」
 彼は進撃に二の足を踏んでしまった。
 一方、王輔臣は側近と協議した。
「莫経略は戦場で不利と見るや、サッサと逃げ出した。これは我が軍の追撃を考慮して、迎撃しようとの腹だろう。これを追撃すれば、敵の術中にはまってしまう。しかし、放置すれば後患となる。鄂洞軍はここからそう遠くない。これと合流されては、打つ手がない。
 そこで、我々はあくまで地の利を活かす。一隊は間道を通って敵の前方へ出で、左右から挟撃、急襲せよ。莫洛軍さえ破れば、鄂洞軍など恐れるに足りん。」
 命令を受け、王光邦と李之倫が間道を通って莫洛軍へ迫った。もう夜分では有ったが、両軍は松明もつけずに行軍し、明け方近く、遠方に篝火を見つけた。両軍は、これを目がけて一斉に矢を射た。ここでも、前回と同様だった。暗い場所に隠れている敵兵は所在が判らず、莫軍の射る矢は無駄矢ばかりだ。
 莫軍が混乱に陥った時、正面から王輔臣軍が現れて、一斉に矢を発射した。蝗のように矢が降ってくる。莫洛は、数本の矢に射抜かれてたちまち絶命した。将を失った軍は大混乱に陥る。ここを攻め立てられ、遂に莫洛軍は壊滅した。降伏する者、逃げる者、その数は数えきれないほどだった。
 この一戦で、莫軍は十余名の将を失った。対して、王輔臣は降伏した者は皆慰撫し、部下に加えた。こうして、王輔臣の威勢は更に挙がったのである。鄂洞は更に恐れ、進軍しようとしなかった。
 鄂洞が動かないと見るや、王輔臣は近隣を占領して回った。これによって、漢中・寧姜・広元・保寧一帯は全て周の支配下となった。呉三桂はこれを知ると、すぐに三十万両の銀を賜下して王輔臣軍を賞した。
 更に、王輔臣は王屏藩と合流する事ができた。彼等は協議の上、王屏藩は再び平涼へ討って出て図海を攻め、王輔臣は西安を攻略して後患を絶つよう決定した。対して清軍は、莫洛の戦死によって大いに動揺したのである。
 この敗戦は、ガジカツの使者によって、すぐに北京へ報告された。朝臣達は驚愕して震え上がった。これを見た康煕帝は、聖旨を下したのである。
「順承郡王、図海、及びガジカツは、保寧を撤廃せよ。そして夷陵救援の一軍も転進し、全軍西安へ集結せよ。」
 又、近隣の州軍も全て西安へ集結させた。鄂洞達も西安へ向かったのである。ここで、話はひとまず西陜から離れる。

 さて、莫洛の戦死によって清朝が狼狽すると、呉三桂は「今こそ勝機」と勇み立ち、各陣営へ出撃を命じた。これに対して清朝は、図海が王屏藩を固原へ追い払ったのを最後に、戦勝の報告がパッタリと途絶えてしまい、人々は焦り始めた。
 ここに、清朝の大学士で明珠とゆう男が居た。彼も軍情を思って憂慮の日が続いていたが、その彼のもとへヒョッコリ珍客が現れた。西洋人の南懐仁である。
 この南懐仁とゆう男は、布教の為には千里の道も遠しとせず、わざわざ欧州からやって来たのだが、もともと天文学に精通していた。その特技のおかげで任用され、欽天監発事まで出世していた。ところで、古来から中国人は「天文で未来が予言できる」との迷信がはびこっており、呉三桂の決起後は特に多くの人々が彼にその成敗の如何を尋ねに来ていた。つまり、この時点でのちょっとした有名人である。
「おお、南懐仁殿。よくお出で下さった。時に、呉三桂軍は莫洛軍を撃破して破竹の勢いだが、これから先どうなるのでしょうか?」
 南懐仁は苦く笑った。
「今回の敗戦は人事によるもので、天意とは無関係ですよ。我が軍は成立以後、あちこちの造反軍掃討で疲弊していたのに、呉軍は精鋭兵を鍛えながら時機を待っていた。又、重賞をチラつかせて言葉巧みに軍閥を誘ったので、皆命も顧みずに戦っている。疲弊した兵卒が、命知らずの軍隊を防げますかね?」
 明珠は恨みがましく南懐仁を睨め上げ、口ごもりながら言った。
「それは、まあ、その通りだが・・・。」
 その有様を後目に、南懐仁は滔々と続けた。
「それに、武器が又古くさくて使いものにならない。もっとも、これは敵方も同様ですな。全く、中国の大砲など、我が国と比べると一時代遅れている。敵も味方もそこに留意しないのが、私には不思議ですよ。我が欧州の新鋭砲さえあれば、呉三桂軍を壊滅させるなど、赤子の手を捻るようなものなのに。」
「西洋大砲!」
 途端、明珠の目が輝いた。
「そうだ、忘れていた!西洋大砲か!それで?もしや貴殿は製作法を知っておられるのか?」
「ええ。」
 南懐仁はゆっくりと頷いた。
「若い頃、充分研究しました。あの頃は血気盛んだったものでね。」
「それでは是非、是非我が国の為に製造して下されぬか!要るものは何でも揃えますぞ!
 で、必要なものは?完成までの期間は?」
「工夫が多少。期間の方は設備次第ですな。」
「成る程成る程。ごもっとも。ま、何にしても、将来にも備えなければなりません。どうか、貴殿は指揮を執って下さらぬか?上には私から話を通します。必要なものは戸部に支給させますので。」
 明珠は、感激の余り南懐仁の手を執っていた。南懐仁は承諾するとその手をほどき、たちどころに設計図を書いて見せた。
 当時、広東、マカオには西洋人居住区があり、特にマカオには、多くの西洋人が滞在していた。明珠の提言を受けた清朝廷は、これら西洋人から、大砲技術者を大々的に募集した。又、北京で制作して各地へ送るのでは運搬が大変になることも考慮して、地方の二カ所に工場を造り、応募した西洋人達を割り振った。一つは揚州。ここで造られた大砲は蘇州や杭州へ送られる。もう一カ所は河南。ここで造られた大砲は陜州や湖北へ送られる。駆り出した工夫は数千人。彼等が昼夜休まず働いた為、僅か数日で多数の大砲が完成した。これらは上海へ運ばれた。丁度その頃、安親王の岳東が九江へ出征しようとしていた為、まず彼等の軍に配給された。
 一方、呉軍では、清朝廷が洋式大砲を制作しているとゆう情報を掴んでいた。長沙を守備している夏国相は、その大砲に大打撃を与えられると直感した。そこで、長沙は別の部将に留守を任せ、自身で大軍を率い、江西へ進軍したのである。
「揚州を襲撃し、奴等の大砲を略奪する。」
 その傍ら、耿王へも挙兵を促した。
 夏国相の軍は破竹の勢いで進撃した。まず、蒲郷を占領。すると吉安知府の文秀が城を棄てて逃げ出したので、夏国相は軍を吉安へ向けた。そして、部将の高大節へ五千の兵を与え、間道から餞州へ向かわせた。これを別働隊として南昌で合流する手筈である。
 安親王岳東は、袁州にて、夏国相軍が二つに分かれたことを知った。そこで、岳東は進軍を止めて城に籠もった。西洋大砲の到着を待ってから進撃する計画だ。
 その間に、夏国相は各郡へ檄文を放った。すると、多くの郡が続々帰順したので、南昌巡撫将軍の希弥根は城を棄てて逃げた。こうして夏国相は南昌をも占領し、勢声は大いに震った。それで、岳東はますます進軍を戒めた。だが、この時ようやく大砲が到着した。
 岳東は馬陣を中軍と成し、別に歩兵二千人を選んで大砲陣とした。又、旧式大砲を染め抜き、あたかも西洋大砲のように偽装して、九江目指して進撃したのである。