第二十一回  陜西にて王屏藩が事を起こし、

       洞庭へ迫りて夏国相が兵を皆殺しにする。

 

 何度占っても亀は湖南、雲南、貴州をうろうろするばかり。呉三桂は大いに失望した。
「朕が義旗を挙げた時、四方は次々と帰順したのだが、こればかりの土地しか手に入らないのか?」
 すると、胡国柱が言った。
「たかが亀、信じるに足りません。陛下は至尊の地位にあり、北朝と天下を争うお方ですぞ!なんでこんな物に心を惑わされるのですか!さあ、すぐに帰って北伐の号令をおかけ下さい。」
 すると、夏国相も言った。
「不吉と出れば志気が阻喪すると申したではありませんか。しかしながら、占トとゆうものは愚か者の迷信に過ぎません。陛下のように英明なお方がどうしてこれを信じなさいますのか?ここは国柱の言うように、速やかに北伐を行うべきでございます。今、蔡敏栄は岳州に陣を布き後続は次々到着しておりますが、ちっとも動こうと致しません。奴は臆病風に吹かれているのです。この機会を見逃しなさいますな!」
 呉三桂は、亀の霊験を常々聞いていただけに、心中大いに動揺した。しかし、部下達を不安に陥らせない為、ここは強気に出なければいけないことだけは判断がついた。
「御身達の言う通りだ。それに、朕は挙兵してから瞬く間に福建、両広を手に入れた。にもかかわらず、この亀は湖南から先へは進まない。既に誤りが明白なのに、なんで朕が迷うものかね?それにしても、今回の占トは朕の不明であった。以後は行うまい。」
 言って、呉三桂は宮殿へ帰ると明言し、諸大臣もこれに従った。

 北伐を決意した呉三桂は、蔡敏栄の情報収集に勤しんだ。当時、蔡敏栄は岳州に駐屯しており、呉三桂軍と対峙していた。すると、その馬宝から報告が来た。
「敵の志気は盛ん。隊伍も整然としております。」
 これを聞いた諸将は、速戦あるのみだと思った。時間を与えれば、それだけ敵の陣営が堅固に完成してしまう。
 呉三桂は言った。
「朕はもともと北伐するつもりはなかった。蔡敏栄とても、南下するつもりはなかっただろう。ただ、敵軍が鋭気を養うのは恐ろしい。してみると連中もこちらの鋭気を養わせたくはあるまい。よって、敵が出陣する機先を制する為、朕自らが親征を行う!」
 そして、翌日軍卒の訓練を行うと命じた。
 翌日、兵の訓練が終わって宮殿へ帰ってみると、突然体が熱気を持った。これでは戦陣には耐えられない。悩んでいると李本深からの報告が届いていた。
「進撃してから、既に変州を抜き、重慶を落としました。成都攻略も間近です。」
 呉三桂は大いに喜び、諸臣と協議した。
「李本深の西征は破竹の勢い。既に成都まで進撃している。四川一帯は肥沃な土地である。昔から、多くの帝王がここに首都を置いた。翻って考えると、湖南は四方から攻め込まれ、守るべき堅固な地形はない。そこで、朕はまず四川へ進軍し、成都を攻略してここを本拠地にしようと思う。その後秦川へ西征して義子の王屏藩達と合流し長安を落とす。まず負けない為の万全の基盤を造ってから北朝と天下を争うのだ。諸君はどう考えるか?」
 すると、夏国相が言った。
「その計画は誰の発案ですか?」
「誰でもない。朕の本意だ。」
「確かに、昔劉邦も劉備も四川一帯を本拠地としました。しかし、当時の首都は長安だったのです。今は当時と局面が違います。今の四川は西南の片田舎。守るには格好ですが、進撃するには障害が多すぎます。それに、劉邦以後、ここから起こって全国を平定した者が居たでしょうか?この件は、どうかご再考ください。」
「いや、『良く守ってこそ勝つことができる。』と言うではないか。大本を固めずに戦争に逸れば、符堅(南北朝時代、前秦の皇帝。北朝を統一した余勢を駆って南朝へ攻め込んだがここで大敗し、前秦は一挙に滅んでしまった。)の二の舞を踏んでしまうぞ。」
「いいえ、それとこれは状況が違います。そもそも、開創の帝王は皆、自ら奮戦して諸軍閥を滅ぼしたものでございます。もし、険阻な地形に基盤を築き外征もせずに安閑と時を過ごしましたら、必ず滅亡してしまいます。陛下のように英明な君主が軍民の心を掴んでいる今こそ、進撃して敵を滅ぼすべきでございます。もし、退却して守備に徹すれば、人々の志気緩み、志気が緩めば団結も崩れます。そうなってしまえば、それから何ができましょうか?」
 胡国柱も口を挟んだ。
「夏丞相の言われるとおりです。四川は確かに重要な土地ではありますが、李本深がおります。ですから彼の後詰めとして援軍を派遣するのなら、私の如き者でも充分です。それで成都を陥とせます。ですから陛下は大軍を率いて江を下り淮水まで占領なさって下さい。ここを抑えれば、浙江と北京を遮断することができます。そうすれば、敵は兵糧に苦しみますし、越、奥を併合して江南を平定することも容易です。そうやってから大挙して江を渡り北伐すれば、蔡敏栄、楊勝など蹴散らせます。
 臣は成都を陥した後は長安へ進撃して王屏藩、王輔臣の二軍と合流し、そこから東進いたします。さすれば、北京も図海も腹背から挟撃されるのです。なんで我等に勝てましょうか?
 どうか陛下、一時の安寧を貪って下さいますな。」
 これに力を得て、夏国相が再び言った。
「国柱の策は、三方から進撃しますので、その過程で国中の有志を一人残らず吸収できます。しかも威勢は全土を震わせ、清の臣民は震え上がって戦意を無くしてしまうでしょう。その上、どれか一路が頑強な抵抗にあった時には他の軍が救援に迎えます。これでどうして敗れましょうか?
 それに、我が軍の兵卒の大半は斉、魯、幽、燕出身、北方の産です。人は誰しも望郷の想いをなくせないもの。北上と聞けば躍り上がって喜び我先に先陣を願い出るでしょう。これが『自然の勢い』とゆうものです。
 私は不才ですが、国柱は謀略も勇気も兼ね備え、しかも陛下の義理の息子にあたります。その彼が自ら進んでこの策を献上いたしました。必ずややり遂げて下さいましょう。
「成敗の機はこの一挙です。どうか陛下、これに従って下さいませ。」
 呉三桂は暫く黙考したが、ややあって口を開いた。
「卿達の言葉にも一理ある。しかし、四川の地は、南は雲南に近く北は甘州に接し三楚を牽制するにも十分だ。朕はやはりこの地を棄てられない。そこで、両策を並行しようではないか。
 まず、馬宝には進撃を命じ、この軍に耿王も合流させる。その傍ら猛将を九江方面へ向かわせ、長江にて合流させる。その後、再び三道に別れ、連絡を密に取り合いながら北征させるのだ。」
「馬宝は名将ですが、陛下の親征とは重みが違います。陛下が親征なさるからこそ、軍民の士気は鼓舞され、同志は競って駆けつけるのです。それに、成都など李本深で充分です。どうして陛下の手を煩わせる必要がありましょうか?」
「もうとやかく言うな。朕も十分に考えた末だ。」
 呉三桂は二人の口を封じると、命令を下した。呉三桂自身が兵を率いて四川へ進軍する。夏国相と胡国柱は湖南に留まり、諸事を裁量し、更に諸将を九江へ派遣すること。又、馬宝へ対しては使者を派遣し、進戦を命じた。

 安插が既に平定されたので、呉三桂は安心して四川へ進軍したのだ。彼が重慶へ着いた頃、李本深は成都を陥した。その報告を道中で受けて、呉三桂は大いに喜んだが、側近達は言った。
「陛下が四川へ行かれますのは我が軍の基盤を固める為です。ですが、李本深は戦争はできても、治政には難があります。今、既に成都を占領したのですから、この勢いに乗じて、李本深を秦隴へ進撃させましょう。さこから更に陜甘方面へ転進させて王屏藩、王輔臣、呉之茂等と合流させれば最上です。成都には、有能な官吏を選んで任せれば宜しゅうございます。
 ともあれ、既に成都は我等のもの。これ以上陛下の手を煩わせる必要はありません。さあ、ここから速やかに引き返し、蔡敏栄を撃退しましょう。蔡敏栄さえ撃破すれば、天下は一挙に我等のものです!陛下が湘を出発なさってから、将兵が離反せぬか心配です。もしも湖南を失いましたら、大局が瓦解します。だうかこの点をお考え下さい。」
 呉三桂は押し黙って答えず、そのまま幕舎へ入っていった。
 幕舎の中には蓮児がいた。彼女がフと顔をあげると、入舎した呉三桂は不機嫌な顔。
「どうかなさったのですか?」
 問われて、呉三桂は先程の諫言を事細かに伝えた。それを聞き終えて、蓮児は言った。
「将軍達の意見が皆同じなのですから、きっとそれが良策なのですわ。陛下、どうかその策に従って下さい。」
「しかし湖南には馬宝、夏国相、胡国柱等が揃っている。不祥事など起こるものか。それとも、朕の三将がたかが蔡敏栄如きに劣るとでも言うのか?だから湖南に心配はない。それよりも、今は成都へ向かわねば。あそこは、整備すれば首都にできる。だから、朕が自ら赴いて指揮しなければならんのだ。」
「そうですか。妾は女ですから、国家の大計は判りません。ただ、陛下について行くだけです。」
 翌日、呉三桂は進軍を続けた。
 成都へ入ると、李本深が自ら出迎えた。その姿を認め、呉三桂も急いで駆け寄った。
「卿が四川へ入ってから、まさに破竹の勢い。今、我が首都が定まったが、それは全て卿の殊勲である。」
 呉三桂は李本深を平凉王に封じると、更に秦隴への進撃を命じた。勝ちに乗って得意絶頂の李本深はこれを遠慮無しに受け取った。ちなみに、ここに来るまでに、王屏藩挙兵の報告が呉三桂の耳に入っていた。そこで、李本深へ進撃させたのである。
 成都へ腰を落ち着けた呉三桂は、宮殿を豪奢に修飾させた。そして、ここを大周帝国の首都と定め、百僚を選任したのである。

 さて、ここで話は王屏藩へと移る。
 王屏藩は、毎年三千匹の名馬を呉三桂へ送っていた為、彼の本心については察しがついていた。又、清朝廷が撤藩を実行したため、呉三桂が片づけられたら、次は自分の番だと恐れていた。そうゆう訳で、呉三桂が挙兵したら呼応する腹づもりだったし、彼が実際に決起した時には大いに喜んだ。だが、王屏藩自身の兵力はそう大きくなかった。それで、心は逸りながらも近隣を憚って呼応できないでいたのだ。だから、成都が陥落した時こそ小躍りして喜んだ。
「これで後顧の憂いは無くなった。今こそ挙兵するべきだ。それに、俺が大周皇帝の息子だと、誰もが知っている。にも関わらず、清朝は俺に兵を与えて西辺を守らせた。その上周への内応防止の為に何の手も打たないのだから、失策もここに極まった。これは、天が周へ天下を与えてくれるのだ。してみると、俺が呼応しなければ、天に背くことになる。」 そんな折りもおり、大周の金吾衛呉之茂が郡を率いて到着したとの報告があった。王屏藩は即座に面会した。
 座が定まると、王屏藩は言った。
「周皇帝は、既に貴殿を大将軍に任命なさったそうですな。もうそろそろ全軍到達いたします。何か訓諭を垂れて下さい。」
「そんなことよりも、陛下は義兄上(同世代の一族で目上の者を「兄」と言う。呉之茂は呉三桂の一族で、王屏藩は呉三桂の義子に当たる。)を征西王に任命なさいました。そして、鳳翔へ攻め入って図海を背後から襲え、と。義兄上はどう思われますか?」
「それも一案。それでは、まず弟の輔臣を陽平関へ差し向け、図海の糧道を断ち切りましょう。その上で私は東進いたします。将軍には先陣の将となっていただければ有り難いのですが、厚かましいですか?」
「何、御国の為。願ったりですよ。しかし、私としては李本深到着後合流して東進したいのです。」
「いや、ごもっとも。しかし、将軍が大軍を率いてやって来たことで、城内は喧しくなっており、私が周皇帝へ内応することは既に知れ渡ってしまいました。ここで志気を抑えるのはどうでしょうか?すでに矢はつがえられた。こうなれば放つだけです。ここは進撃あるのみと心得ます。李本深が追いついたら、その時こそ三道に分かれて進撃すれば宜しい。 今、輔臣と共に挙兵してまず鳳翔を押さえ、河北を揺るがせる。これが上策です。」
 呉之茂は得心し、手筈を整えた。王屏藩は既にこの地を統治して数年経っており、その部下はこぞって彼に従ったのだ。
 起義の後、王屏藩は諸将の前で演説した。
「清朝の天子は我にも諸君等にも厚い恩顧を賜った。しかし、惜しむらくは長続きしなかったのである。天下が泰平になると、たちまち全藩を撤廃しようと企んだのだ。我も諸君等もこの藩あってこそ富貴な身分で居られる。撤藩が断行されたら、我々はどうなるだろうか?それを思えば、我々は早急に自衛せねばならないのだ。
 今、大周の皇帝は、四川に首都を構えた。決起から数ヶ月に過ぎないのに、四川から南六省に至るまで、全てが周の領土である。図海、蔡敏栄等は名将と呼ばれているが、それでも守備を固めるだけで進撃しない。これを以ても天下の大勢が知れよう!故に、東南の各省は風を望んで帰順し、天心人事、全てが大周へ靡いたのだ。
 この状況に於いて、我等の打つ手はただ一つ。天に応じ人心に順い周の麾下へ馳せ参じ、大功を建てることである。そうすれば、目前の禍を払うべく、又、開国の功臣として賞せられる。今こそ、この機会を逃さずに断行しなければならない。」
 すると、諸将は一斉に答えた。
「我等は将軍に従います。ただ、将軍の命じられるままに!」
 王屏藩は大いに喜んだ。
「諸君らが我が決起に従ってくれるのならば、これからは生きるも死ぬももろともである。途中で心変わりしてはならない。我等と大周皇帝は艱難の中で決起した。後日、天下を平定すれば、陛下は必ずや我々に背くまい。志成った後我々を見捨てられるお方ではないのだ。」
 すると、諸将の一人が進み出た。
「我等はもともと大周皇帝の許で働き大功を建てた者。今の地位は全て大周皇帝陛下からの賜であります。今、将軍は陛下を見捨てたまわず、陛下のために勉励せよと命じられる。誰が力を尽くさずにいられましょうか?もし将軍がお疑いなら、ここで血を啜って誓いを建てましょうぞ。」
 この一言に諸将は沸き上がったので、王屏藩は感極まった。即座に鶏を持ってこさせると、全員で誓いを建てたのである。
 当時、陜西全域が鳴動していた。王屏藩はいずれ必ず造反すると見られていたので、王進宝提督は早くも北京へ飛報を出した。又、それとは別に順承郡王と図海へも飛報を出し、救援軍を要請した。
 この時、王屏藩の兵力は五・六千人。これに呉之茂の兵力を加えて、その勢力は更に増大した。彼等は挙兵の後、「周鎮西王」の旗を翻した。そして、まず固原を占領したので、付近の各府県が次々と彼等へ帰順した。ここで、呉之茂が先陣となって鳳翔へ進撃し、王屏藩は固原を守りながら王輔臣と連絡を取った。そして、準備が整ったところで遂に彼自身も動いた。行く先は河北。順承郡王と図海を背後から襲撃する為である。

 陜西造反!このニュースに西北の全省が震動した。飛語流言は並び起こり、あたかも中国全土が既に呉三桂に略奪されたかのように人心が恐慌を来したのである。この有様に、図海は唇を噛みしめた。
「民が此処まで浮き足立った以上、進撃して敵を蹴散らさなければ収まりがつかん。」
 そこで、蔡敏栄へ進撃を促した。
 同じ頃、成都陥落と陜西陥落を知った馬宝将軍は、開戦の好機と見て取っていた。そこで彼は、後詰めを派遣するよう胡国柱を促していたのだ。更に夏国相と相談の上、水軍を準備して洞庭湖に浮かべた。水軍大将は王勝忠。陸軍は馬宝自身が率い、呉凱祺を先鋒として一路岳州を目指した。胡国柱は別に一軍を率いて西進して荊州へ入り、蔡敏栄軍を分散させようと企てた。
 この胡国柱は、元々清朝の科挙出身である。平静詩賦をたしなみ、詩題となりそうな風物を見つければ軍中にあっても紙筆を執った。かつて馬宝が出撃する時、彼は馬宝に言った。
「我軍が荊州へ進撃すれば、蔡敏栄の将兵は動揺します。その時、将軍が勢いに乗じて攻撃すれば、必ず敵を撃破できます。」
 馬宝も賛成した。こうして胡国柱は兵卒を預かったのだが、それ以後も彼は毎日詩を吟じていた。そこで、側近達が諫めた。
「荊州は目と鼻の先。戦闘も間近です。国柱殿、どうか戦争に専念なさって下さい。」
 すると、胡国柱は答えた。
「私はここへ来るまでに、荊州撃破の策を十分に練り上げたのだ。ここに至って、更にどんな謀略を働かせよと言うのかね?今、我々の荊州攻略を知る者は、馬将軍以外ほとんど居ない。諸君等もこれを口外してはならん。ただ直進あるのみだ。荊州の守備は空虚。一挙に占領できる。そうすれば、四川と湖南が直結できる。ここに守備の重点を置かなかったのは、蔡敏栄の失策ではないか。
 そこで、諸君等に命じる。今夜、枚(戦争の時、声を出さないように口にくわえる木の札)をくわえて疾走し、直ちに荊州を急襲する。
 私が毎日詩を吟じていたのは、荊州攻略を気取られない為の偽装だったのだ。敵が防備を完全にしたなら、荊州攻略が簡単にできると思うのか?」
 諸将は感服した。
「国柱の深謀遠慮は、とても我々の及ぶところではございません。」
 こうして、胡国柱軍は怒濤のように疾走した。そして馬宝も、胡国柱が荊州へ到着する約束の期日を測って出撃したのである。
 一方、図海から催促の命令を受けた蔡敏栄は部下と協議した。すると諸将は言った。
「馬宝軍は隠密に移動を開始したようです。」
「そうか。成都が陥落したのだ。馬宝軍も動き出すに決まっている。よし、諸君等は各々の持ち場に分かれて防備せよ。」
 と、その手配も終わらないうちに伝令が入った。
「周の馬宝将軍の水軍が、洞庭湖に沿って進撃しております。」
 この時、清軍では楊勝が水軍を派遣して岳州を守らせていた。統領は楊坤。そして、彼の水軍へ、王勝忠の軍が迫ってくる。
 八月、遂に両軍は激突した。この戦いでは、南風が吹き荒れた。
「しめた、追い風だぞ。これに乗じろ!」
 天の時を得た王勝忠軍は勢いに乗って攻めまくった。石も弓も、風に乗って遠くまで飛び、敵を痛め付ける。更に、彼等は火矢をも多用した。楊坤軍の舟は、次々と燃え上がった。
 敵は目前に迫り、自船には火がつく。この状況で、多くの兵が水に飛び込んで逃げた。後方からこの戦闘を観望していた後詰めの船は、次々と退却する。楊坤はこれを止めることができず、遂に大敗を喫してしまった。王勝忠は、勝ちに乗って更に追撃した。
 報告を受けた蔡敏栄は、急いで下流へ向かって退却するよう楊坤へ命じた。又、陸軍の厳守を岸上へ移動し、周軍の上陸を阻ませた。手配が済む頃、更に伝令が来た。
「周将馬宝、大軍を率いて岳州へ来攻いたしました。」
 これを聞いて諸将は我先に出撃を請うたが、蔡敏栄は言った。
「水軍が敗北し、我兵は浮き足立っている。奴等は勝ちに乗じて来襲するのだから、勢いが鋭い。今は戦うべきではない。出撃を言う者は斬る。」
「しかし、図海公からは催戦の命令が下っております。今、大敵が目の前にいますのに、敢えて守りを固めるのですか?」
「図海公は後方に陣取っており、現場の事情を知らない。その命令にも拘泥する訳にはいかない。敵軍が迫ったら、城を固く閉じ、弓と投石で防げ。討って出てはならぬ。」
 と、その時更に流星馬が駆け込んだ。
「周の胡国柱によって、荊州陥落!」
「何!」
「今度は荊州か!」
「将軍、荊州へ援軍を!」
 諸将は口々にざわめいたが、蔡敏栄は又してもこれを抑えた。
「呉三桂が造反した時、六省が一斉に陥落した。なんで荊州一州にとどまろうか。この一州は惜しむに足らん。もし、ここで派兵したら、敵は我が軍の移動に乗じて急追猛撃する。そうすれば、岳州の守備そのものが壊滅するぞ。岳州が陥落すれば、敵が長躯北京へ進撃した時にどうやって防ぐつもりか?これ以上つべこべ語るな。ただ、守備を固めておれ。 もう一度念を押す。我が命令に逆らう者は斬る!」
 諸将達は、恨みを含んで退出した。
「将軍は聞き怖じしているのか!」
「守るだけで戦わぬなど、武門の恥辱だぞ!」
 皆、口々に蔡敏栄を臆病者と罵ったのである。