第十七回 陳圓姫、遺言にて呉三桂を諫め、

      呉三桂は服を替えて明陵を祀る。

 京に在住している呉三桂の子息は皇帝の娘と結婚していたが、これは清朝廷が呉三桂を籠絡する手段の一つに過ぎなかったので、彼はいつも恐々として父との連絡を密に取っていたのだ。果たして、全ての藩を潰すとゆう方針が決定すると、彼の監視も厳重になった。だから、彼が父へ宛てた報告書も中途でその妻の手に入った。彼女は、これを朝廷へ提出した。だが、幸運なことに、彼はこの書状の中で朝廷への忠勤を父親へ勧めていたので、朝廷はこれを不問に処したのである。
 片や雲南に居る呉三桂は、朝廷の動向には心を配っていた。
 ある日、夏相国が藩府にて、人払いして呉三桂に言った。
「朝廷は、全ての藩を撤廃するとゆう方針を決めたと言う情報が入りました。ただ、大王が強大な兵力を持っている為に、逡巡しているに過ぎない、と。大王はどうなさるおつもりですか?」
「ほう?」
 呉三桂は、しかし意外にも落ち着いていた。
「その情報はどこから入った?」
「大理府への赴任を命じられた趙良棟とゆう男からです。彼はその途中でこの領地を通る時に大王から抑留させられるのではないかと怖れ、知人に頼んで私へ助力を求めてきました。私は彼と京の近況について語り合い、又、趙良棟がどうしてそんなことを怖れているのか探ったところ、このようなことが推理できたわけです。ですが、私はこの推量に自信があります。どうか大王も心に留めて置いて下さい。」
「成る程。しかし、それならば息子が報告しないのが妙だな?あいつは、卑しくも皇帝の娘婿だ。宮廷への出入りは自由だし、そのように大きな情報なら必ず掴める筈だが。
 もっとも、朝廷が全藩の取り潰しを考えるのは当然か。早いか遅いかの違いだけだ!」
「ご明察の通り。私如きがこれ以上語る必要もありません。」
 呉三桂は大きく溜息をついた。
「俺は始めて後悔したぞ。奴等の援軍を得て以来、清朝廷の為に駆け回った。李闖、張献忠を滅ぼし、各省を平定し、ビルマにまで出征して大功を建てた。にもかかわらず、猜疑されるとは。今となっては、大功を建てたことさえも却って猜疑心を掻き立てる材料と変わってしまった。『狡兔死して走狗煮られ、飛鳥尽きて良弓しまわれる。』とはこの事か。今、天下は泰平。百戦錬磨の将軍でも、養う必要などないのだ。」
「その通りです。そもそも、男伊達を誇るなら頭にならねばなりません。首を垂れて平伏するのが嫌なら、速やかに事を起こすべきです。」
 呉三桂は笑った。
「俺がこの地位にいられるのは、大兵力を持てばこそ!もしも兵隊を奪われたら、飼犬にさえなれないぞ。お前も俺も、処刑されずに済むものかね?俺はいつもそれを考えていた。酒食に溺れて見せたのも、朝廷に猜疑心を解かせるためだったのだ。だが、その甲斐もなく、朝廷は軍閥解体を企てのなら、もはや手を拱いては居られない。まして、腹心のお前まで賛同してくれるのだ。ただ、今日のことは漏らしてはならんぞ。」
「はっ。大王が十年早くそう言って下されば、天下は易々と奪えたでしょうに。今から行うのですから、十分な準備が必要です。」
「それならば、一つ言っておこう。山海関を越えた後の奴等の行動は盟約違反だ。俺はあれ以来疑惧に堪えず、ひそかに耿・尚の両王と密約を交わしたのだ。こき使われた挙げ句に刑死したら、千年先まで愚か者と嘲笑されるからな。これから後は一蓮托生。もしも俺が挙兵したら、奴等は必ず呼応する。
 ただ、その密約があったとしても、軽挙妄動したら必ず失敗する。軍卒達が憤激に燃えた時、それを契機に挙兵しなければならん。それができなければ結局は行き詰まる。お前の見るところ、俺に従ってくれる奴は誰々だ?」
「まず、馬宝。勇気も謀略も備え、我等と同じ志があります。腹心とすべきでしょう。この他の大将達は、まあ、大王の威厳を畏れ徳に懐いておりますので使えます。ただ、惜しむらくは雲南は南の僻地。軍馬は脆弱で使いものになりません!」
「痛いところをつくな。このところ、病に倒れる軍馬が多い。補充をしようにも、地場の馬は力が弱くて使えん。何とかせねばな。そうだ!」
 呉三桂は指を鳴らした。
「我が養子の王屏藩と王輔臣が西鎮の守備をしている。西域の馬は最上だ。選りすぐりの奴を毎年三千頭送らせよう。なに、桟道を通れば西域から真州まで人目に付かずに持ってこれるぞ。」
「五千は要りますね。その後、毎年三千。これを常習させましょう。あくまで密かに。」
「うむ。しかし、腹心が御身と馬宝二人だけとは心許ない。この上は一年でも時間が欲しいな。その分、準備が進む。もう少し韜晦しておけば、少しは時間が稼げるか・・・。異存はないな?」
「はい。」
 夏相国は、承諾して出て行った。

 以来、呉三桂は野園で側室達と遊び耽った。この頃、圓圓は伏せりがちだったが、その変わり愛妾ができた。彼女の名は蓮児。本姓は王、年は十七。容姿艶麗で文章にも精通しており、特に詩文では第一人者と評判の女性である。呉三桂は彼女を特に可愛がり、殆ど圓圓と甲乙付け難い程だった。夏は毎日船遊び。蓮児が薄絹を着て折れ曲がった橋に立った有様は、優雅の極みであり、呉三桂はこれを芙蓉の花に喩えた。
 又、呉三桂は真州中から名士を集め、藩府へ招いた。暇な折りには緩やかな服を着て彼等を集め宴会を開くのだ。酒がたけなわになると、彼は自ら笛を吹いた。すると、宮人達がこれに合わせる。蓮児や名士達は筆を濡らして詩を作り、互いに唱和するのである。秀逸な詩を賦した者へは珠玉金銀が惜しみなく与えられる。この席で賞品を一番分捕ったのは蓮児である。彼女はこれらを全て箱へ貯め込んで、決して浪費しなかった。
 ある時、呉三桂が訳を尋ねると、蓮児は言った。
「あの方々を差し置いて、なんで妾の詩が選ばれますものか。これは恩寵による賜ですわ。でも、そういう賜は、これ以外にも十分いただいております。何に使えば宜しいのでしょう?こうして蓄えておけば、いずれ王様が兵卒の心を掴む為に使えるではありませんか。」
 呉三桂は感嘆し、以後、宮人達への恩賞を慎むようになった。彼女の一言で、軍事費も前に増して充実したのだ。
 宮人達には、贅沢を喜ぶ女性が多かったので、蓮児は余り好きではなかった。彼女は、ただ圓圓だけを姉とも慕ったのである。圓圓の病が重くなってからは、彼女はその床を離れず手ずから薬湯を勧めるようになった。身内をなくした圓圓にとって、その真心は何よりも嬉しかった。
「蓮児ちゃん、いつもありがとう。こんなに尽くしてくれるけど、人の命には限りがあるし、私もいつかは死んじゃうわね。」
「お姉さん、気弱なことを言わないで。」
「いいのよ、判ってるんだから。ただ、気に掛かるのは王様のこと。宴楽に溺れられたら、この先どうなることか・・・。」
「妾も気にはなってます。でも、妾は寵愛され始めたばかりだし、今は厳しいことを言えません。お姉さまは王様と長年連れ添って艱難を共に乗り越えてきた仲でしょう?御忠告なされば宜しいのに。最近王様は、あの夏相国や馬宝とヒソヒソ密談することが多いんです。良い方へ行けばいいけど、でもなかなか聞けなくて。」
「妾だって、折々に忠告してるのよ!ただ王様の気持ちを変えることができないの・・・。でも、ここで諦めてはいけないわね。蓮児ちゃん。墨と筆を取って下さる?」
「あ、はい。」
 圓圓は、病身にむち打って書状をしたためた。既に体が弱っていた為、息は喘ぎ汗は珠となって流れ落ちる。長い時間の後、ようやく書状はできあがった。

゛大王のご成功を振り返ってみれば、代々明のご恩を受け親子が相継いで高官となられたことに端を発しております。先朝の篤き恵みと深き仁、至れり!尽くせり!
 その明朝に、天禍が降って沸いたのです。李闖・張献忠の挙兵にて首都は陥落し、陛下は自害為されました。この国家滅亡の際、大王は外国の助力を得られましたが、これは大きな誤りでした。
 この満州族の進撃で、遂に明朝は滅亡し、国号が変わる大惨事となってしまいました。この時、大王は人々へ働きかけて復明の兵を挙げるどころか、却って敵軍の手足となって、梁、川、楚の各地方から、果てはビルマにまで転戦なさいました。正にこの時、明は血統まで根絶やしとなり、野蛮人の天下となりました。大王は、誤りの上に又誤りを重ねられたのです。
 それでも、大王は千古に残る大勲を樹立されました。開国の元老として国王となり、位は人臣を極めております。ですが、動乱の時代が終演してから、大王の立場は変わりました。いわゆる、『狡兔死して走狗煮られ、飛鳥尽きて良弓しまわれる。』とはこのことです!
 今、大王の望みは何でしょう?功名を保ち富貴を残すことですか?それならば、兵権を無くしてはなりません。たとえ万年に亘って罵倒されようとも、一日の安寧を貪るよりましです。どうか、范蠡と大夫種の故事を前例となさって下さい。
 もしも、『嫌疑を解くために譲歩する』と言われましたら、ますます危うくなります。大王が、もしも平身低頭できないのでしたら、速やかに挙兵なさって下さい。機会を逃してから臍を噛んだとて、及びません。
 今、大王は宴楽に溺れ発憤を知りません。差し出がましいようですが、『人の正に死ぬ時は、その言や善し』と申します。妾の言葉を棄てず、死中に活をお求め下さい。この旨、伏してお願い申し上げます。゛

 最後の言葉に、蓮児はハッとしたけれども、圓圓はこの書状を箱へ収め、言った。
「妾が死んでから、大王へ見せて下さい。」
 蓮児は何かを言おうと口をモゴつかせたが、圓圓から凛として射すくめられるや、遂に押し黙って頷いてしまった。それを見て、圓圓はニッコリと微笑んだ。
「昔から、美人を『傾城』と称しているけど、実は主君が自分で城を傾けているだけ。美人に何ができるの?褒似は殷を滅ぼしたけど、后妃は却って周の文王を助けました。妾は王様の寵愛を蒙ってもう長いから、今死んでゆけるのは幸せね?だってあと十年長生きしたら、王様の末路が全部私のせいになっちゃうから。フフフフフ。」
 笑いながらも、涙が溢れていた。蓮児は再三慰撫したが、遂にこの夜、圓圓は死去したのだ。
 報告を受けた呉三桂は大いに驚き、圓圓の寝所へ駆けつけた。彼の目の前で、圓圓は眠るように死んでいる。その屍に抱きついて、呉三桂は号泣した。
「天が俺の圓圓を奪ってしまった!」
 彼女の屍は、商山寺へ運ばれ、慎重な占いによって選ばれた縁起の良い場所に埋葬された。彼女の墓を造る為に数百人の人夫が動員され、大がかりな土木工事が始まった。それは、まさしく壮麗な堂皇であり、その端々に至るまで調和のとれた美しさがあった。
「陳美人を寺のそばに埋葬しますと、大王と共に安置させられなくなりますが。」
 ある者が言うと、呉三桂は答えた。
「圓圓はいつも、髪を下ろして尼になることを望んでいた。その志を遂げさせたいのだ。」
 この墓は、完成まで数ヶ月掛かった。
 圓圓が死んでから、千人を超える宮女達は競って寵を争ったが、呉三桂は蓮児一人を寵愛した。ただ、蓮児の他には呉三桂を諫める者は一人も居なかったので、呉三桂は日毎酒女に流されていった。政治は、いつしか夏相国と馬宝へ一任されてしまった。だが、これはあくまで表向きである。
 呉三桂には娘が二人居た。そこで、部下の仲から有望な少年を選んで娶せた。長女の夫は郭壮図、侍女の夫は胡国柱。軍事訓練は、この二人と夏相国、馬宝とで行った。王屏藩と王輔臣へは、軍馬を催促した。そして、辺境の警備に事寄せて、夏、馬、郭、胡に新兵募集を命じた。造反の準備は、裏で着々と進んでいったのだ。
 この実体を、宮女の中では蓮児だけが知っていた。ある時、呉三桂は彼女に言った。
「はかりごとは福晋には漏らすな。彼女との間の子供が都にいる。あいつは子供可愛さに必ずこの計画を阻むだろう。そうなれば、我が大事を誤ってしまう。」
 蓮児は承諾し、誰にも秘密を漏らさなかった。だから呉三桂は、腹心以外本心を知らないと思っていた。しかし、この計画は既に不堤防章京玉の知るところとなり、京中へ密かに奏上されていたのだ。

 以前撤藩が決定されてから、京中では真州へ偵察を派遣していた。あの日、呉三桂がその動向を知った時には、使者は既に真州へ潜入していたのだ。単に自分の挙動を見る為に使者が来るのだと思っていた呉三桂は、使者には恭順に接するよう部下に命じていた。だが、朝廷の方が一枚上手だったのだ。
 どんな名目を付けようが、使者が直接雲南へ入ったら、呉三桂から警戒されてしまう。そう考えた朝廷は、まず先発の使者を密かに放った。彼等は貴州から桟道を通って川州経由で真州へ潜入していたのだ。彼等は真州の実状を調査した。その一方で、正式の使者に中国全土を巡回させていたが、これはあくまで囮に過ぎなかったのだ。
 京中の大臣達は言った。
「呉三桂は雲南に自分の国を築いてから、その官吏を独断で任命しております。我々が選任した官吏達は既に罷免されております。このままでは遠からぬうちに造反するでしょう。ここは、呉三桂を移封するべきです。その国替えに彼が素直に従えば、反心はないでしょう。しかし、もし断ったならば既に造反は明らかです。防御しなければなりません。」
 この案は可決された。
 この時、康煕十一年。真州の呉三桂は造反の野望を持って既に久しかった。昔の部隊を見ると、老兵や死人が多く、使える兵卒は正規の半分そこそこだった。そこで、新兵を募集する傍ら、諸将の子弟から四方の賓客まで、目端の利く者には兵法から陣立てまで教え、暇な折りには騎射や戦闘の練習をやらせた。結果、少年兵の能力は見る見る磨かれた。新兵の大半は孫可望や李定国の元の部下達だったので、皆苦難に耐えられる者達ばかりだった。そうゆう訳で、呉三桂の兵は天下の精鋭であった。それでも呉三桂は『易きに在りても危うきを忘れず』と自分を戒め、馬宝、夏相国、郭壮図、胡国柱等に日々調兵を命じた。
 そうなると、次に心配なのは兵糧の確保である。呉三桂は商人達を呼び寄せると藩府の資金を貸し付けて広く貿易を行わせた。『商業を盛んにする』の名目で、藩庫を満たした。又、巴蜀地方には薬材が多く産出する。呉三桂はこれを皆専売として、民間人が勝手に採取することを禁じた。これらの手段によって、軍資金は十分になった。後は、人民の戦意が高揚するのを待つばかりである。
 その日、朝廷の使節達が四川経由で真州へ到着した。呉三桂は諸将へ接待の準備を命じ、自ら城外まで出迎えた。恭順な態度で上辺を装い、彼等を迎賓館へ案内した。するとその時、勅使が到着したとゆう報告が入った。
「何?巡回の使節は既に着いているのに、その他にも勅使が来たのか?」
 そこで、勅使の一行は部下に迎えさせ、自分は腹心を集めて談義した。勅使の一行は迎賓館へ到着すると、詔を読み上げる。

゛李闖・張献忠の軍団が暴れ回っている時、平西王の呉三桂は朝廷の軍を借りてこれを平定した。それ以来、彼は南北に戦闘を重ね、多大なる功績を建てた。そこで、朝廷は彼を特に「平西親王」に封じたのである。今、既に西南地方は平定された。そのような状況で、平西親王程の者を真州へに置いておくのは国家の損失である。よって、国家の藩塀となす為、重要なる関東へ移封しそこにて世襲させる。平西親王は元来忠義な人柄であるから、この勅書が届けば必ずや慷慨して任務を果たし、決して朝廷を裏切らないであろう。即座にこれを遵行すれば、莫大な恩賞を約束しよう。゛

 詔を聞いても、呉三桂は動揺しなかった。
「朝命、謹んでお受けいたします。すぐに手配して日程を報告しましょう。」
 藩府へ帰った呉三桂は、すぐに夏相国、馬宝と談義した。
「畜生、朝廷は『虎を馴らして山から離す』策と出たか。この勅命、遵守したら死ぬ。遵守しなくても死ぬ。俺が死んだら、お前達も巻き添えだぞ。今の選択は、言ってみるなら里へ出て死んだように生きて行くかどうかだな。どう思う?」
 すると馬宝が言った。
「大王には真州の土地があり、百万の軍隊を擁します。それで甘んじて縛り上げられるとゆうのでしたら、どうぞそうなさいませ。しかし、それが我慢できなければ速やかに自立しましょう。我々は非才とはいえ、大王の為に力を尽くして肝臓や脳漿をまき散らすのなら、もとより望むところです。」
 夏相国は言った。
「馬公、そうまで言わなくとも計略は既に決まっている。問題は人心の動向だけだ。どうでしょう、ここは詔を公表し、兵卒の動揺を看てから考えれば?」
「すると、もしも兵卒移封を喜んだらどうなりますかね?」
「いや、真州の官吏や将校は、十に八、九まで大王の心腹だ。誰が喜ぶものか。この詔勅をだしにして、彼を激怒させるのだ。」
「うむ、相国の言うとおりだ。凡そ大事を図る時は、人心を主体とせねばならん。皆の心を一つにできたら、計略は成就したも同然だ。」
 こうして移封の詔は公表された。果たして、全藩が鳴動したのである。殆どの諸将は自分の将来を不安がり、怨憤しない者はいなかった。
「これならば物の役に立つ。」
 そう判断した呉三桂は馬宝と夏相国を呼び出した。すると、夏相国が言った。
「今、真州と蜀が我等の本拠地です。どちらも阻隘な地形ですので出口を抑えられたらそれまでです。まず中原へ奇襲を掛け、そこを占領してから挙兵するべきです。中原さえ占領すれば、都は指呼の間。長躯北征すれば、帝位も夢ではありません。」
 呉三桂は深く頷いた。そこで上辺は勅命を謹受し、使者も恭謙にもてなした。その傍らで、夏相国、馬宝、郭壮図、胡国柱には挙兵の準備を進めさせた。呉三桂の命令を受けた郭壮図が雲南で軍庫を点検したところ、兵糧は山ほどあった。長い間貿易に精を出した結果である。
 勅使達はその本心に気がつかず、呉三桂が詔を謹受したことで胸をなで下ろした。
「朝廷は関東を重視しております。そこで他ならぬ大王へ命じられたわけです。大王も受諾された以上、速やかに動くのが上策。遅延してはなりませんぞ。」
 だが、呉三桂はただ唯々諾々と聞き流した。そんなある日のこと、彼等は呉三桂の将吏を些細なことで罵倒した。罵倒された将吏達は怒りを含んで呉三桂へ訴えたが、呉三桂は却って彼等を怒鳴りつけた。
「彼等は陛下の詔を奉じてやって来たのだ。逆らってはいかん。考えてもみろ、俺は関東へ移封されお前達と別れることとなった。俺はいつ命を落とすか判らんが、お前達の将来もどうなるか知れたものではない。何故だ?朝廷が俺達を猜疑している為だ。その状況で、勅使が朝廷を笠に着てお前達を陵辱したのだ。ここは我慢するしかないぞ。」
 だが、将吏達は却って声を荒らげた。
「俺達は大王と共に死線をかいくぐってようやく今日の地位を掴み取ったのじゃないですか!それなのに朝廷は、その功績を喜ぶどころか、却って猜疑を加えていって?それに加えてこの屈辱!死んでも受けられんわ!」
 一人が口火を開いた途端、彼等は口々に呉三桂を引き留めた。しかし、呉三桂は朝廷の命令には逆らえないと繰り返すばかりだった。
 勅使は、何も知らずに出立を促す。
 呉三桂は言った。
「その言い分は尤もだが、部下が承知しないのだ。彼等を十分に納得させた後に出発しないと、連中が暴走しかねない。やはり、この問題を善処してから移鎮するべきだ。とにかく、もう暫く時間をくれ。」
 勅使達はそれを信じ込み、しばらくの猶予を許可した。
 呉三桂は、もう部下の心を疑わなかった。そこで、ある日藩府にて大宴会を催して大将達を召集した。そして、酒が三巡り程した頃彼は言った。
「諸将とも今日でお別れだ!この呉三桂が朝廷で大功を建てることができたのは全て諸君のおかげ。それを思えば諸君と離れたくはない。それは、私と離れたくないとゆう諸君の想いと同様だ。しかし、これは勅命である。よって今、諸君達と惜別の杯を酌み交わしたいと思う。」
 そして、彼は諸将へ酌して回った。諸将軍達は胸を詰まらせてしまった。呉三桂は酌を終えた後もとの座へ戻り、嘆息した。
「思えば、諸君と共に事を起こして十三年。苦楽を共にして今日に至った。今、四海に事もなく、天下泰平。俺も諸君も、朝廷にとっては既に無用の長物なのだ。この状況で遠方へ追いやられる。朝廷の真意は何だろうか?
 今日の宴は、思い出話に花咲かせよう。これから先は、全く読めない。これが今生の別れかも知れんのだから。」
 さて、この宴に楊健とゆう将軍が参加していた。武勇ならば比類なく、それを見込まれて、呉三桂とは親子の契りを交わした男だ。人呼んで「十三太保」。呉三桂の腹心の一人である。呉三桂は、その楊健へ兵を率いて藩府を守備するよう命じた。
 この時、判る者は判った。と、ゆうのは、呉三桂は腹心達にはかねてから根回しをしていたからだ。今回、全ての将軍が一堂に会している。
 呉三桂は言った。
「期限は迫っている。朝廷の催促は日々厳しさを増し、とても逃れられない。しかし、たかが使者風情にここまで罵倒されるとは思わなかった。諸君らも恥をかかせられぬよう、くれぐれも自重してくれ。」
 罵倒されたと聞いて、途端に将軍達は色めき立った。
「大王は出立すると言われているのだ。恥をかかせることはない筈だ!」
 呼応するようにどよめきが沸き上がった。だが、呉三桂は言った。
「思うに、これは朝廷が期限を迫っているのではあるまいか。俺と諸君の心情は、勅使には判るまい。彼はただ、朝廷の意向に沿って催促するしかなかったのだろう。ただ、考えてくれ。諸君らはここに土地があり家族がおり富貴を享受している。誰のおかげか?そりゃ、戦場で必死の働きをした当然の報酬だぞと、諸君達はそう思っているだろう。しかし、朝廷はそうは思っていない。諸君らの一食一衣、全てについて恩を施しているつもりなのだ。もしも勅命に逆らったら、たちまち命を奪いに来る。諸君はこれをしっかりと考えなさい。」
 諸将は口々に言った。
「我等の今日は、全て殿下の賜です!」
「いいや、そうではない。」
「すると殿下も、全ては朝廷の恩だと言われるか?」
「そう。しかしそれが全てではない。昔日、俺は明朝廷からのご厚恩を賜り国境の守備を任された。するとその間に李闖が造反し、京へ呼び返された。だが、俺が引き返したときには、既に賊徒は京を占領していたのだ。この時俺は、両全の策として本朝へ帰属し、君父の仇を討ったのだ。幸いにも天佑篤く、李賊を滅ぼし続いて張賊をも滅ぼす大功を建て、今日の地位を手にしたのである。してみるならば、今日の地位は皆、明王朝から受けた萌芽が稔ったのだ!我が故君永歴帝の墳墓はここにある。俺はこれから移転するに当たり、最後に故君を祀って行きたい。」
 永楽帝とその皇后が縊死した後、その死体は雲南城外へ埋葬されていた。呉三桂のこの言葉を聞いて、諸将は皆承諾した。それを見て、呉三桂はさっそく日を選んだ。
「故君を祀るのだから、当日は往時の衣冠に身を包むのだぞ。」
 諸将はこれにも承諾し、その日は解散となった。
 さて、当日。呉三桂は諸将と共に永歴陵を詣でた。前日の打ち合わせ通り、呉三桂、夏相国、馬宝を始めとする一同は、皆、明朝時代の正装をしていた。呉三桂は各人の衣や冠を指さして言った。
「ああ、明朝時代は確かにこの冠だった。この衣だった。」
 言いながら、彼の瞳から涙が溢れた。その有様を見て、諸将達は改めてお互いの衣冠を見遣った。すると、その脳裏に明時代の思い出が甦る。彼等は一斉に感傷に浸ってしまった。
 呉三桂は涙を溜ながら言った。
「私はやむをえずして今日に至った。その苦衷は諸君へも伝えがたい。しかし、それを知る日は必ず来る。ただ、私は今日先帝の陵を見るのが辛い。ああ、天か!命か!なんでこうなってしまったのだ!」
 今度は、彼は諸将へ向かって言った。
「私は今日、明時代の衣冠に身を包んで先帝の墳墓を詣った。これは諸君らも見ていることだ。人は故君も故国も忘れられるものではない!諸君らもこれを銘記せよ!」
 諸将は、力強く頷いた。