第十五回  陳姫は、筑野園にて髪を切り、

       楊娥は、依海市にて謀略を使い賊を討つ

 

 さて、前帝の服喪を口実に上京した呉三桂だったが、彼が率いた軍勢が多すぎて都は大騒動となってしまった。そこで、「喪に服するのなら北京郊外にて祭壇を設けて行い、入京せずに帰京せよ。」という勅命が下った。呉三桂は朝廷から疑われるのが恐く、おとなしく軍を引き返した。するとその帰路の途中、彼の功績をねぎらう勅書がくだされた。これによって、彼は平西晋王から平西親王へ昇格し、しかも彼の与えられた藩国は世襲が認められたのである。
 この勅書を得て、呉三桂は夏相国に言った。
「俺は服喪の為に上京したかったのだが、入京を拒まれた。これは俺が造反すると疑われた為だ。その上、今、俺を平西親王として世襲まで認めた。これは俺を畏れて籠絡にかかったと思える。
 さて、この状況で身を守る為にはどうすれば良かろうか?」
「清の重臣として一生を終えることが大王の望みでしたら、藩国の世襲を辞退し、さらに兵権をも返上すれば宜しゅうございます。しかし、それがおできにならなければ別の謀を採りましょう。それも速やかに。時間が経てば経つ程不利になり、結局は失敗します。」
「こうなることが判っておれば、俺はビルマへは行かなかったものを。
 しかし、俺の今の地位は、二十年間戦場を駆け回ってようやく勝ち得たのだ。朝廷から疑われたが、俺には兵権以外に身を守る術がない。曹孟徳も言ったではないか。『もし兵権を棄てれば、必ず陥れられる。』とな。つまり、『虎の背中に乗ったら途中では降りれない。』というものだ。」
「大王、封建制度というものは、廃止されてからずいぶん経ちます。今回は極めて異例の処置。大王は、それだけ深く疑われているのです。大王が恭順になれるのでしたら、そうなさいませ。しかし、それができないと言われるのなら、死地へ赴くのみでございます。 死中に活を求めるのなら、必要なのは果断な行動。
 項羽を滅ぼすほどの才能があった韓信でさえも、未央宮の災いを防げませんでしたが、永楽帝陛下は建文帝を滅ぼしました。これは永楽帝の才能が韓信を凌いだからではありません。機を見るに敏であったか否かの違いなのです。」
 呉三桂は手を打って喜んだ。
「俺の心を判っているじゃないか。」
「宜しいですか?好機が来たら遅疑してはなりませんぞ。」
「好機というなら、今はその時じゃないな。とりあえず、機会を待っている間に、部下の心を確認し加担する者を増やしておこう。」
「上分別です。恩を与えて籠絡し、威厳で動かす。これが上策です。いわゆる、『飴と鞭』です。準備はすぐにでも掛かるべきですが、くれぐれも漏洩しないように。」
「うむ。心得ている。」
 これ以来、呉三桂は人々へ恩恵を与え始めた。
 そもそも、雲南地方は呉三桂の領土とは言っても、彼が使っている官僚の多くは清朝廷から任命された連中だった。しかしこれでは呉三桂の動向が清朝廷に筒抜けとなってしまう。それに、彼等は呉三桂に恩を感じてはいない。そこで、呉三桂は人材を一新し、要所要所は自分で選んだ官僚を任命した。彼等は「西選の官」と呼ばれたが、この「西選の官」は、殆どが雲南出身の人間だった。地方の長官は大半が「西選の官」で占められ、彼等の賞罰は厳格に行われたので、呉三桂は彼等から畏れられた。
 こうして呉三桂の威名は日毎に挙がった。だが、その反面次第に堕落もして行き、酒色に溺れ始めた。

 圓圓は、その美貌が国中に鳴り響いていた。ただ、真州へ入ってから後の呉三桂の行動は、彼女を幻滅させてばかりだったので、今ではその容貌に暗い陰りが差してしまった。しかし、呉三桂の寵愛は少しも衰えていない。呉三桂は愁いに沈んだ彼女を見る度に機嫌を取ろうと兢々となった。そこで豪壮な邸宅を造り華麗な庭園を造り、圓圓を喜ばせようと腐心したのだ。
 ある時、圓圓は言った。
「妾は王様からこんなにも愛されております。その上、王様は天下の英雄。妾は幸せでございます。でも王様、昔のおねだりをお忘れではありませんよね?」
「回りくどいな。ズバッと言ってくれ。今までの多くの言葉を全て覚えては居られないよ。」
「妾は今、栄華を極めました。これ以上を求めても、罪業を増やすだけです。どうか浄室を一つ下さい。妾は念仏を唱え、余生を清らかに過ごしたいのでございます。」
「なぜ?昔、馬や槍に追い立てられながらもお前は俺を慕ってついてきたではないか。それが今、ようやく幸せに成れるというこの時に、却って俺から離れて行くのか?」
「でも、王様は昔許して下さいましたのよ。今は駄目ですの?」
「そうだ。お前が俺から離れて行くなど絶対に許さん。まあ、この雲南城内で修養室が欲しいとゆうのなら、好きにしても良いが。」
「まあっ。嬉しゅうございます。今、王様はこの国を統治する一番偉いお方。この城に溢れ返るほど美人を集められましたから、てっきり妾など要らないものと思っていましたわ。それはさておき、妾だってこの城から出ていきたいなどとは言いません。だって、あの動乱で家族が離散してしまって、どこへ帰ればいいのでしょう?ただ山林の清趣な所で心静かに暮らしてみたいだけです。」
「なんだ、それならお安いご用だ。要するに別荘みたいなものだな。よし、すぐにでも造ろう。」
 呉三桂はさっそく土地を探させた。すると、城の北の方に清雅な土地が見つかったので、ここに庭と離宮を造り「野園」と名付けた。さて、そこへ行ってみると、近くに商山とゆう山があり、樹木が茂ってたいそう風雅だ。そこで、呉三桂はそこにも庭園を造り、「安阜園」となづけた。更に商山寺まで通じる桟橋まで作った。それやこれやでこの一帯に楼閣亭台を百余りも造ってしまった。又、貧民どもの家々が風雅を台無しにしてしまうことを嫌い、建築の時、彼等を移住させるよう告知した。
 住民達こそいい面の皮である。彼等はもともと呉三桂を仇敵と思っていたが、それでなくとも住み慣れた家を離れたくはない。そこで大勢の民が役所へ陳情に行った。役人達は呉三桂の怒りを畏れ、彼等に引っ越し料を払ってこの件を握りつぶしていたが、いかんせんその数が多すぎて、膨大な費用が掛かり始めた。そこでとうとう全てを呉三桂に報告したが、案の定、呉三桂は怒り狂った。
「天子でさえこの俺の機嫌を取るというのに、貧民どもが逆らうつもりか?」
 即座に強制移住を命令した。五日の期限を区切って全ての家屋を壊す、と。
 だが、彼等の大半は困窮の民である。後のたたりが恐くても、引っ越し先の工面がつかない人間ばかりだった。期限が満ちた時、大勢の人間が哀れみを乞うた。
「ふん。俺にあくまで逆らうのか。それなら目に物見せてくれるわ。」
 呉三桂は捕り手に命じて十数人を捕らえさせ、たちどころに首を刎ね、すべての家屋を取り壊させた。これ以来、大勢の貧民達が山の中で夜露に濡れ、怨嗟の声が巷に溢れたが、呉三桂は気にもとめなかった。
 更に、もう一つ。商山付近には墳墓が多かった。貧民達に対してさえ引っ越しを強制した呉三桂が、どうしてこれを許そうか?この墳墓が工事の邪魔になると聞くと、それらを暴いた。屍は十数里離れたところへ運んで一カ所にぶち込み、塚の一つを造っただけだった。工事が険しい地形へさしかかると、万人を越える役夫を徴発して容赦なくこき使った。
 一年ほど経って、野園はようやく落成した。呉三桂はその記念として国中から奇花異草、珍禽奇獣を献上させ、野園へ放った。これらを隠し持って献上しない者は罰した。それで、富裕な者はそれらの花草禽獣を巨額をはたいて買わなければならなかった。そうなると、密偵も活躍する。誰かの家に珍品が秘蔵されていると知れると、たちまち役人が略奪した。これらによって、野園は国中に騒動を巻き起こしたのだ。

 さて、こうして野園が落成すると、呉三桂では洒落た文章が作れない。もちろん、彼とてそこそこの教養はあったが、やはり武人上がりだけに、この庭園を称える文章は、本職に任せようと考えた。そこで文人達に野園の風景を詠ませたが、その中で、夏厳という酔狂者が「月台」とゆう詩を詠んだが、その中に次のような句があった。

 月明故国難回首。台近荒墳易絶魂。

 呉三桂は最初、うかと見落として、その詩を佳い詩だと誉めたが、後、追従者達が、この二句を論った。呉三桂は大怒すると「月台」の詩を削り落とさせ、夏厳を捕らえて首斬った。
 さて、野園が完成すると、その中に湖を造らせ運河を海まで通じさせた。そして呉三桂は夏が来る度にこの湖に舟を浮かべ、側室達と遊んだ。元来、圓圓の為に始まったこの工事は、しかし、彼女のためにはただ庵一つしか使われず、呉三桂やその側室達の豪壮な別荘となってしまったのである。
 してみると、楼閣亭台の豪華さも想像がつくというものだが、これについて王思訓とゆう詩人が「野園歌」を作って後世に残した。これは大半が散逸したが、残っている部分を一部紹介しよう。

 古の真城の北数里。後方に高山を擁し、前方に水を帯びる。孤松は高く天にそびえ、緑楊は沈む夕日がぼんやりと照らされる。この佳勝古来稀。野園の壮麗並ぶ者無し。層楼麗閣には雲がかかり、連なる軒は地形に随って起伏する。名花異草は四時に溢れ、千紅万紫尽きる時無し。闊歩する珍禽奇獣は、園を縦横に彩る。長橋は波に伏し、龍舟浮かぶ。十歩毎の閣と五歩毎の楼、古の阿房宮もかくやと思うばかりなり。中でも粧台は最も傑出す。天日と離れること僅か寸尺に過ぎない。
 この壮観を創ったのは、そも誰ぞ?
 呉王なり。
 彼が暴挙をふるって贅を尽くす。
 彼は清の軍隊を手引きして明を滅ぼし、ビルマへ遠征してその血統まで根絶やしにした。その功績を以て南真池に藩国を築くも、泰平に溺れて安逸に流れ、佳人は傾城の美を恣にする。土木の業は豪奢を極めたが、それでも歌伎を楽しませるには足らない。君王は民の辛苦など眼中にもなく、ただただ美人の喜ばぬことのみを懼れる。万家庵舎は全て廃屋と化し、千年の墳墓は転じて荒塁となる。工事を続けること累月どころか年を重ね、民の膏髄を絞り尽くす。その野園はただ佳人を住ませる為だけに。そして野園ができて後、佳人は死す。佳人が死んで後野園も見捨てられ、いつしか荒れ果ててしまった。
 その藩国は今いずこ?ああ、十年の長きもあらず!
 栄華は古来より久しからず。況や国賊には民の武力が集中する。
 私はかつて野園の後を尋ねたが、もはや蔓草の繁るに任せた荒地だった。興亡についてこれ以上筆を加える必要が有ろうか?

 野園が落成してから、呉三桂は連日圓圓を伴って庭園を遊覧した。だから圓圓は修養をしていると言っても、その実豪奢は往日よりも甚だしかった。又、野園の中には翠軒を連ね、池の堤には柳楊が並び、池の面は蓮華で埋まっていた。毎年夏になる度に、呉三桂は諸々の姫を連れて池に臨んだ。その一行が楽しむ場所は、数十丈に亘って見事な芝生が植えられていた。呉三桂は、もともと文才に疎く、ただ佳人を引きつれて池に臨んだだけだった。春や秋の佳き日には、彼等は軒の中で宴会を設け朝夜無しに遊び耽った。
 呉三桂が真州へ入城した頃は、明時代の宮をそのまま藩府としていたが、この頃、珍館崇台を改めて造った。そして藩府から野園までの道路も造成し、園内に演武庁を増築した。秋の涼しい頃になると、呉三桂は宮中の美人達を集めて戦ごっこに明け暮れた。これは孫武の故事に倣ったものである。

 さて、野園が完成してからと言うもの、呉三桂の奢侈と横暴は往時に数倍した。毎日、王府から野園へ直行し、それ以外には一歩も出ない。緊急報告の時は、役人達は野園で彼に謁見した。更に、宮女達は礼儀を無視して豪奢な出で立ちに装わせたので、経費は鰻登りに増大した。それはそのまま重税へつながる。人々の怒りは鬱積したが、藩府の威勢に押され、泣き寝入りするしかなかった。そんな中で、一人の烈婦が飛び出した。
 それでは、その烈婦とは誰だろうか?雲南は広西州の生まれで名前は楊娥。父親は雲南では有名な武術家であり、代々黔国公沐府で武芸指南役をしていた。名前は楊世英と言う。
 楊娥は幼い頃から読書に耽っていたが、長じて父から武芸を習った。
 当初、楊世英はこれをあまり喜ばなかった。
「おまえは女なのだから、裁縫や化粧が大切だ。武芸などできなくてもよい。」
「いいえ、お父様。今は乱世です。将来、世間も、そして私自身もどのようになるか判りません。しなを作って媚びを売ることだけしかできないなど、まっぴら御免です。」
 この返答に、楊世英は娘の資質を見いだした。それに加えて楊娥は一粒種だったので、楊世英が彼女を愛すること限りなく、結局彼女の我が儘を叶えずに入られなかった。そうゆう訳で、彼は娘へ武芸を伝授したのである。
 やがて、楊娥は免許皆伝の腕前となった。そして彼女が十七の時、つまり、永歴十一年のことだが、沐府で沙定洲が造反した。楊世英は黔国公沐天波を護って奮戦し、重傷を負ってしまった。楊娥が駆けつけた時、彼は虫の息の下で言った。
「お前の父は、主を救う為にたった一人で奮戦したが、衆寡敵せずこの様だ。もう、助からん。今は、お前が女なのが恨めしい。男だったら父の仇を討ってくれるものを!」
「私は女です。でも、どうして仇を討てないと決めつけるのですか?父の無念はこの胸に!きっと仇を討って見せます!」
 涙に濡れた娘の誓いを聞いて、その父親は瞑目した。
 楊娥は、父の喪もそこそこに、敵討ちを謀った。この時、沐天波は孫可望の軍を率いて雲南へ戻って来た頃だった。彼女は名を変えて、この軍へ駆けつけ先鋒を願い出た。そして、彼女の手引きで軍隊は沙定洲を撃破できたのだ。この戦いで、彼女はその手で沙定洲の首を斬り、これを亡父の霊前に供えた。この時には、彼女が楊世英の娘だとゆうことが陣中に知れ渡っていたので、全軍を挙げて感嘆しない者は居なかった。
 この噂が孫可望の耳にはいると、彼は非常に興味を抱いた。元来彼は盗賊上がりなので、膂力強い人間が好きなのである。ましてやそれが女性となれば、好奇心もそそられる。そこで彼は楊娥を召し出して直々に誉めることにした。
「楊娥とやら、今度の活躍、まことに見事である。聞けば、沙天洲は御身の仇とか。してみれば、人倫に於いても誉めるべきこと。女だてら、まことに天晴れな豪傑である。」
「これは過分なるお言葉。痛み入ります。」
 言って面を上げた彼女を一目見た途端、孫可望はハッと息を呑んだ。
 整った目鼻立ちに、きりっと引き締まった眉と唇。化粧っ気が全くない顔は艶やかとは言えないが、「凛々しい」とゆう台詞は彼女のためにある言葉だろうか。触れなば折れんたおやかさの杏姫とは、又違った魅力があった。
「いや、このような女性、野に置くには余りに惜しい。どうじゃ、我が側室にならぬか?」
「えっ?」
 意外な言葉に面食らって孫可望を見直すと、その顔には既に好色な微笑が湛えられていた。楊娥は思わず目を伏せたが、相手は大王。無碍に断ることはできない。とっさのことに、彼女は答えた。
「人柄も知らず、ただ武勇のみでそこまで愛でられる大王のお心には、感涙の他ございません。ただ、妾は、まだ我が父の埋葬さえしてはおらぬのでございます。」
「埋葬をして居らぬ?」
「はい。戦乱の最中のこととて、簡易に行ったのみ。今、乱が治まったどころか、この手で敵を討つことさえできました。この機会に父を改葬しようと考えていた折りでございます。」
「おお、それは孝子として当たり前のこと。それでは改葬が終わるまで待って欲しいとゆうのだな。」
「はい、身に余る光栄を受けながら誠に身勝手な言いぐさではございますが。」
「なんの。その孝心こそが、大王の側室たるに相応しいのじゃ。よし、改葬が終われば儂のもとへ来るのだぞ。」
「はっ。大王こそ、このふつつか者を厭わずにいて下さいませ。」
 孫可望は楊娥の言葉を真に受けて上機嫌だった。こうして、彼女は無事退出する事ができたのだ。
 彼女は、孫可望の側室になる気などなかった。と、言うのは、実は彼女には婚約者が居たのだ。その男は張英とゆう名で、やはり黔府の護衛兵だった。彼の為にも操を汚したくなかった。又、彼女は、孫可望が必ず敗北すると見ていた。そこで、埋葬が終わった後、行方を眩ませたのだ。孫可望も、彼女を捜し出すことができなかった。
 やがて、孫可望は死に、真州には呉三桂が入城した。楊娥が二十を少し越えた頃、呉三桂は永歴帝を捕らえてビルマから凱旋したのである。この時、永歴帝を守護する兵士達が大勢虐殺されたが、張英もその犠牲者の一人だった。しかも、呉三桂はその後奢侈に耽り、大勢の民の膏血を絞って悦楽三昧の毎日を送ったのである。民の怨声は巷に溢れ、楊娥も彼を激しく憎んだ。
「永歴帝は私の故君。沐府は私の世主。そして張氏は我が夫。今、全てが逆賊に殺された!私は女性で真っ向からぶつかれば賊臣を討つことも国家を復興することもできない。では、どうすればいいだろうか?」
 考えた挙げ句、彼女は呉三桂の暗殺を企んだ。その方法を考えた時、彼女には美貌とゆう武器があった。スッピンの時でさえ孫可望を一目惚れさせた、天性の美貌である。対して、呉三桂の好色はつとに名高い。
「呉三桂は、少しでも器量のよい女性が居ると、手段を選ばず略奪すると聞く。これに乗じて刺し殺そう。」
 そう心に決めると、彼女は城の西で酒屋を始めた。天性の美貌に薄く化粧を施して酒を売ると、見る人は心を奪われずにはいられなかった。
 さて、呉三桂の部下には、ごろつきが大勢居たが、戦争が終わってからも呉三桂は彼等を麾下に置いていた。このごろつき達は棒給を貰っていたが、日長一日する事が無く、漫然と遊び回るのが日課だった。その一群がある時楊娥の店に入り、その美貌に驚いた。
 この手の連中のやることは、たいてい決まっている。彼等は浴びるほど酒を飲みながら、次々と下卑た言葉で楊娥のことをからかったのだ。楊娥は心中怒りを含んだ。
゛そうだ。ここでこいつらをこっぴどい目に遭わせれば、噂が呉三桂の耳へ入る。どうせなら、そのついでにこの軽薄な連中を二・三人ぶち殺してやろうかしら。゛
 そう思っている時、男の一人が彼女の尻へ手を伸ばしてきた。
「無礼者!度が過ぎるよ!」
 楊娥は身をよじってその手を掴むと、男を投げ飛ばしてその頭から熱湯をぶっかけた。
「ああ、このアマ!何しやがる!」
「悪ふざけが過ぎるんだよ!文句があるんなら表へ出な!」
 言い捨てると、彼女はサッサと店から出ていった。男達も、そこで置き去りにされるような連中ではない。後を追って店から駆け出し、たちまちのうちに楊娥を取り囲んだ。しかし、楊娥はちっとも恐れず、サッと身を翻してその包囲から脱出した。
「大勢お出でなさったねえ?」
「ええい、やっちまえ!」
 ごろつき達は闇雲に飛びかかったが、楊娥はヒラリヒラリと身をかわしながら右に左に殴る、蹴る。たった一人だが、八面六臂の活躍でごろつきどもを次々と気絶させていった。
「この、どぶ鼠!命が惜しくないのかい?」
 威勢の良い啖呵が出る頃は、ごろつき達は皆へたばっていた。
 この一件で彼女の名前は一気に挙がり、楊娥をからかう客は居なくなった。そして、その噂は呉三桂の耳にも届いた。大の男を数人まとめてぶちのめすほどの武芸を持った、絶世の美女。呉三桂は楊娥を妾にしようと、使者を派遣した。そして、楊娥は大喜びで許諾したのである。
゛逆賊呉三桂、見ておいで。この手で刺し殺してやるからね。゛
 だが、なんとゆう事だろうか。その翌日、楊娥は発熱して床に就いてしまい、幾ばくもしないうちに死んでしまったのだ。享年僅かに二十四。なんとも惜しい話である。
 死ぬ時楊娥は嘆いて言った。
「悲願が達成できなかった。こんな寂しい死に方なんて。これは妾の不幸。そして逆賊呉三桂の幸運だ!」
 呉三桂のもとへも、楊娥が死んだとゆうことは伝わった。彼は楊娥の志を知らなかった為に、大いに嘆いたのである。
 さて、烈婦は成すことなく世を去った。しかし、その魂は世に残り、一つの事件を巻き起こすのである。