第十四回  箟子坡にて永歴帝は絞殺され、

       北京城にて呉三桂は喪を発する。

 

 さて、復明の軍隊は、全て壊滅していた。晋王李定国は真中にて戦死。そして反復常無き秦王の孫可望や、その他の部将筑昌王白文選も相次いで敗走した。もう、清による中国統一は誰の目にも明らかだった。ただ、僅かに鄭成功が台湾を固守して降伏を潔しとしなかったが、彼の話は、今少し後回しとしておこう。

 呉三桂が永歴帝を捕虜としたので、黔、川、桂、奥、湘、鄂の各州は悉く平定された。彼は事の次第を朝廷に報告し、併せて永歴帝こと朱由榔を処刑する許可を願い出た。すると、部将の呉定が言った。
「歴代の王朝交代では、先朝の皇帝を殺しませんでした。昔の聖なる御代では先代の皇帝を諸侯として遇しましたし、秦、漢以後でも禅譲が行われた時は、先主を王か、少なくとも公にはしたものです。今、朱由榔は皇帝を名乗り我が清朝へ刃向かいましたけれども、れっきとした明帝の末裔。ここは朝廷へ身柄を護送することこそ、彼の身分に相応しい処し方です。あるいは、朝廷が死一等を減じるないとも限りません。」
「それは理屈だ。だが、今の俺の状況を考えろ。例えるならば、虎の背中へ馬乗りになったようなものだ。途中で降りたら喰われるだけよ。諺にも言うではないか。『草を刈って根を止めれば、来春必ずはびこってしまう。』と。明裔が一日生き延びている間、俺もお前達も枕を高くしてねむれんのだぞ。一時の躊躇で後難を残すなど、愚かしい限りだ。」
「それでは閣下は独断で処刑なさるおつもりですか?やはり、朝廷にお伺いを立ててその裁断を仰ぐべきです。」
 呉三桂は仕方なく呉定の献策に従い、朱由榔の処遇も朝廷の裁断を仰ぐことにした。やがて、朝廷からの返事が来た。その趣旨は、「朱由榔の身柄は真に留め、その処置は呉三桂に一任する。」というものだった。
 呉三桂はすぐに群臣を集めて協議した。すると、満州人の愛里阿が真っ先に口を開いた。
「閣下はどうお考えなのですか?」
「極刑にはしたくないな。ただ首を斬るに留めておこう。」
「判らないことを言われる。かつての主君の首を斬ることが極刑ではないと言われるのか?末将には甚だ悲惨に思えますぞ。」
「お前は満州人なのに、なんでそんなことを言うのだ?」
「末将は確かに満州人。しかし、心に忍びない思いはどの国の人間でも変わらぬものでござる。もしも末将が閣下の立場にあったなら、そこまではできませぬ。」
「そりゃ、俺にも人情はある。しかし朝廷の命令だ。逆らうことはできん。」
「朝廷の命令は処置の一任!首を斬れと強制してはおりませんぞ!」
「理屈を言うな。将軍以外、誰もそんなことは言わんぞ。」
 すると、章京卓夢が大声で叫んだ。
「某も愛里阿と同意見だ!閣下は長い間明朝の恩顧を蒙ってこられたのだろうが!やむをえずして今日の仕儀になりはしたが、この機会にこそ万分の一でも恩を返すべきではないか?かつての主君だったのだから、数省でも与えて養えばよい。造反を恐れておられるのなら、監視役ぐらい某が買って出よう程に。」
 呉三桂は赤面し逃げるように退出してしまった。それで、残された諸将もひとまず解散した。
 呉三桂は躊躇していた。もしも永歴帝を殺さなければ、清朝廷からの猜疑は益々増幅し、枕を高くすることができない。だが、自分の手で永歴帝を殺すのでは人聞きが悪すぎる。できれば清朝廷の命令で仕方なく殺したという形を取りたかった。とりあえず永歴帝に謁見して上辺だけ哀悼の言葉を掛け、今日の行いが本意ではないことを告げようと思いはしたが、それも憚る。既に自分は清の藩王なのだ。纏っている正装も、明朝のそれではなく、清朝廷の衣冠である。かつての明皇帝と私的に会見したことが清朝廷に知られたらどう思われるだろうか?とつこおつ思いながら、何をして良いのか判らなかった。
 翌日、彼は腹心の夏相国に相談した。すると、夏相国は言った。
「朱由榔と会見なさりたければ、清朝廷の正装をして堂々とおやりなさい。」
「私は誰にも知られないように、夜、こっそりと、明の正装をして会いたかったのだが。」
「意味がありませんぞ。明の正装で会見したいというのは、世間の評判を気にしているからでしょう?それなのに、誰からも知られないように会見するのでは全く役に立たないではありませんか。それに、閣下は既に清の臣下でございます。清朝廷の正装で会見し、人々にもそれを宣伝するべきです。」
「会見の時の礼法も判らんのだが。」
「閣下は王。相手は捕虜です。遠慮など要りません!」
 夏相国に励まされ、呉三桂は吹っ切れたように頷いた。そして着替えようと隣室へ入ると、図らずもそこに圓圓がいて、鏡を覗き込んでいた。
「お前は何でこんな所にいる?」
 実は、彼女は偶然にも呉三桂と夏相国との会話を聞いてしまったのだ。そこで、呉三桂と話をする為にその部屋に座り込んで動かなかったのだが、彼女は素知らぬ顔をして答えた。
「先程楼閣に登って北の方を見遣っておりましたが、突風が吹いて髪が乱れてしまったのでございますよ。それで今、化粧直しをしております。」
「楼閣に登って北を見遣った?なんでそんな事をしたのだ?」
「だって、妾は北の生まれ。故郷が懐かしくなったのでございます。」
「此処にいれば栄耀栄華は思いのまま。故郷を思い出すことなど要るまいに。」
「昔、廉頗将軍は趙を想い、呉起将軍は西河を想って涙を零しましたのよ。将軍でさえそうなのに、妾のようなか弱い女性が望郷の念に駆られるのは当たり前じゃありませんこと?」
 呉三桂はしばらく黙然としていたが、結局言葉を出さないまま入室してきたので、圓圓も立ち上がった。すると、呉三桂は着替えを始めた。
「王様。どちらかへお出かけでございますか?」
「ああ、故君と対面するのだ。」
「崇禎帝陛下と!生きて居られたのでございますか!これは明にとって最高の吉報でございます!」
 呉三桂は思わず吹き出した。
「馬鹿なことを。崇禎帝陛下ではない。永歴帝だ。」
「ああ・・・。妾の早とちりでした。・・・でも、永歴帝陛下は今捕虜の身の上でございましょ?妾はてっきり、王様はお会いになられないものとばっかり思っておりましたが?」
「どうして?」
「もしも王様が、明の遺裔を大切にして、この大地の全てを捧げようとお考えになって居られたら、そりゃお会いなさるべきでしょうよ。でもそうでなければ、永歴帝陛下は必ず王様をなじりますわよ。その時、どうお答えするおつもりでございます?」
 呉三桂は又も笑った。
「あいつは単なる捕虜じゃないか。命乞いするのが関の山。なじったりなんぞするものか。」
「でも、永歴帝は寛大で仁慈溢れるお方でありながら、臣下達から食い物にされて滅亡してしまった、と聞いております。それに、ビルマ国境で自刎するところを、母親を思って生き延びただけだとも聞いております。死を畏れない人は、軽視できません。」
 呉三桂はムッとして、無言のまま清の正装を身につけると部屋を出ていこうとした。
「永歴帝がその格好を見たら、きっとなじります。昔は彼を捕らえ、今面会しようとなさる。王様、少しお考え下さい。」
「そんなことを言うな。他の人間が言ったら只じゃ済まさん所だぞ。ビルマでのことは、全て朝廷の命令だ。」
「でも、妾がもしも王様だったら、あんなことはできません。」
「お前は俺をなじっているのか!」
「なじったりなんぞするものですか。でも、昔、妾が闖賊に拉致された時、決して諦めませんでした。そして、苦難を重ねたおかげで、王様のもとへ戻れたのです。そうゆうものじゃありません?」
 呉三桂は赤面した。返事もしないで清服を脱ぐと明の正装を着込んだが、その上から再び清の正装を纏って出ていった。圓圓は、もう何も言わなかった。
 呉三桂は府庁を出、輿に乗って箟子坡へと出向いた。この箟子坡というのは永明池畔にあり、呉三桂はそこへ永歴帝を軟禁したのだ。
 呉三桂は清の正装をしていたが、永歴帝の在所へ着いた後、誰も見ていない所でそれを脱ぎ、明の正装で対峙するつもりだった。しかし、在所に着いてみたら、永歴帝へ謁見を求める大勢の人間で溢れ返っていた。しかも、謁見を待つ群衆の中には呉三桂麾下の部将も大勢居たのである。
゛人々はここまで明を慕っていたのか。゛
 今更ながら、呉三桂の胸中に慚愧の想いがこみあがった。しかも衆目の中にあり、清の正装を脱ぐことができない。これでは清の正装のまま謁見するしかない。呉三桂は腹を据え、従者へ持たせた明の冠をそのまま持ち帰らせた。
 さて、待ち人達は呉三桂を見ると順番を譲ったので、彼ははすぐに永歴帝と会見することができた。
 いざ永歴帝の前に出ると、呉三桂は跪くか否かで迷ってしまった。躊躇するその姿を見て、永歴帝は名を尋ねた。呉三桂は思わず跪いてしまった。
「呉三桂でございます。」
「お前か!君はもともと大明の臣下。先祖代々明の禄を喰んだ家柄で、御身自身武挙にて推挙され、爵位まで授かった男ではないか。その恩義を知る男ならば報いることを考える筈なのに、却って野蛮人共を引き入れて国を滅ぼし、今又朕に迫ってここに到った。そうまでして、君は一体何が欲しいのだ?」
 呉三桂は返答するどころか、身動きさえもできなかった。側近達が慌てて助け起こすと、呉三桂は羞恥の余り死人のように蒼白の顔をしていた。観るものは皆、慌てふためいた。
 結局、無様な失態を曝しただけで、呉三桂は府庁へ帰った。以後、彼は永歴帝と会見しようとはしなかった。そして永歴帝の在所の警備を厳重にし、凡そどのような面会人も必ず彼へ報告するよう、警備員達へ厳命した。しかしながら、呉三桂が会見した時の無様に振る舞った為、人々は天命尽きぬと見て取って、永歴帝への謁見を求める人間は後を絶たなかった。

 ここに、襲彝とゆう男が居た。もともと、明で尚書を務めた人間である。永歴帝が呉三桂に追われてビルマまで逃げたと聞き、皇帝のもとへ駆けつけようとしたのだが、雲南まで来た時、永楽帝が既に囚われの身になったことを知った。襲彝は即座に箟子坂へ向かい永歴帝への謁見を求めたが、護衛の者がこれを阻んだ。すると、彼は烈火のように怒鳴り散らした。
「永歴帝陛下は我が旧主!謁見しなければ儂の節義が立たぬ!」
 護衛兵は直ちに呉三桂へ報告した。すると呉三桂が謁見を許可したので、襲彝は酒食を携えて入室した。永歴帝と謁見するに及んで、彼はただ慟哭するばかり。暫く後にようやく心が落ち着き携帯した酒食を献上したが、永歴帝も胸が詰まって飲み下せなかった。
 この時部屋の中にいたのは、永歴帝と、彼の身の回りの世話をしている鄭凱とゆう男、それに襲彝の三人きりだった。
「朕は既に国政を誤った。その結果、母君にまで累を及ぼしたが、これも致し方ない。しかし、朕の幼子だけは、これを見捨てるに死のびん!国統を滅ぼした上、血統まで絶えさせてしまうのか!」
 襲彝も声を殺して忍び泣き、ややあって、鄭凱へ言った。
「今、陛下は囚われ、逃げ出すこともできない。それどころか、呉三桂めは草を刈って根まで枯らそうという奸賊だ。お前は陛下の側に長年仕え、共に流転を重ねてきた男だ。どうして黙って居られる?」
「あれこれ考えましたが妙案が出ないのです。先生のご見識でどうか教えを垂れて下さい。」
「ここに来る途中、人々が未だに明を慕っている有様を目にしてきた。この国中に忠義の士が乏しいはずがない。もしも皇室の血統が絶えなければ、皇太子を擁立して明を再興する者が出るだろう。もしも君が皇子を救出し明の血統を残したならば、某は死を以てそなたへ報いよう。」
「力を尽くします!ですが、どうやって皇子を救出するのですか?方策をお教え下さい。」
「誰か信頼できる仲間はいるか?」
「おります。呉三桂麾下でこの行宮を守衛しております副将の陳良材。彼は常々、陛下が虜囚となったことを嘆いています。彼ならきっと味方になってくれましょう。」
「よし、それでは当たりを付けてくれ。」
 鄭凱が陳良材の部屋へ赴くと、陳良材は、鄭凱の頬に涙の跡が残っていることを目聡く見つけた。
「君は泣いていたのか?」
「我が君の受難を目の当たりにするばかりか、その命さえ風前の灯火。悲しまずに居られましょうか!」
「それを言うなら、私とて元は明の臣下だ。もしもご恩返しができるなら命など要らぬものを。」
「私はただ、陛下の血筋だけでも残したいのです!将軍は力を貸していただけますか?」
 聞いて、陳良材は目を輝かせた。
「私の今の職務ならそれは適任だ。もっと聞かせてくれぬか?忌憚なしに。」
 鄭凱は陳良材の真意を知り、彼を襲彝へ引き合わせ、三人で密議を凝らした。
 まず、陳良材が永歴帝へ謁見させる為に、息子を連れてくる。その後、永歴帝の皇子を陳良材の息子に変装させて連れ出す。連れ出した皇子は陳良材の家に一時匿うが、すぐに鄭凱が引き取りに行き二人で逃げる。一方陳良材の息子は、守衛が交代した後に父と共に退出する。これがその骨子である。
 談合がまとまると、襲彝は二人を拝んだ。
「明の血統が絶えずに済んだら、それは両君のおかげだ。某は死を畏れてはいなかったが、雲南へ向かうのに手間取り、結局皇子救出を貴君達に頼むこととなってしまった。今、既に手はずが整った以上、この老いぼれが生き恥を曝す必要もない。」
 言うやいなや、彼は階段の下へ頭から飛び降りた。二人は慌てて助け起こしたが、重症で助からないことは明白だった。この自殺劇を目の当たりにして、二人とも決意を益々堅くしたのだ。
 後の人は、襲彝の忠義を賛嘆した。

 真城に囚われた旧主を慕い、万里の艱難をものともしないで謁見に赴く。
 熱血は階下に飛び散り、森厳たる行状は哀しみを誘う。

 又、皇子救出を実践した鄭凱を称える詩も残っている。

 杵が臼の側を離れないように、囚われの主君に殉じて孤忠を尽くす。
 後世、襲彝と鄭凱は、芳名を青史に残して忠貞の手本たり。

 襲彝の自殺事件は、すぐに呉三桂へ報告された。その忠節を耳にした呉三桂はさすがにばつが悪く、死体を手厚く葬るよう命じた。だがその反面、明皇室への忠義を残す者が多いことも改めて思い知らされた。
゛復明の暴動は、いつ起こってもおかしくない。その象徴となりうる永歴帝は、早めに処分しなければならん。゛
 だが、前回の会議では、満州人でさえもその処刑に反対していた。
゛会議は開けん。俺の独断でやるか。だが、俺が殺すよりも、あの二人が自殺してくれればそれが一番だ。゛
 呉三桂は小箱に二本の帯を入れると、「永歴帝及び永歴帝の母后へ謹んで献上いたします。」と記し、腹心の者に篦子坡まで届けさせた。
 この時、篦子坡の永歴帝は、自殺した襲彝のことを母親と話して胸を痛めていた。と、その時、呉三桂から食物の差し入れが来たのだ。
「さては毒殺するつもりか!朕が死ぬのは恐くない。ただ、母君にまで累が及び、しかもこの数十年で大勢の人々が命を落とした。それが恨めしい!」
 永歴帝は小箱を受け取ったが、開けてみると食物は入っていない。ただ帯が二本入っているきりだった。
「逆賊め!朕に自殺しろと言うのだな!」
 皇太后も怒り狂って罵った。
「逆賊呉三桂!こんな辛辣な手段で私達母子を殺すつもりかい。あの世に行ったら、お前の死体が粉々に砕かれる有様を笑ってやるからね!」
 この有様はすぐに呉三桂のもとへ報告された。呉三桂は羞が興じて怒りに変わった。
「章京双桂!二百人の手勢を率いて篦子坡を包囲しろ!」
「哈!」
 この篦子坡というのは昆明城内にある。そこには金蟾寺があり、永歴帝はその寺へ軟禁されていた。双桂が金蟾寺を包囲すると、永歴帝は即座にそれて悟った。
「逆賊呉三桂!これは何の真似だ?朕の命ならくれてやる。ただ母君には手がけるな。」
 すると、双桂は答えた。
「陛下は既に帯を受け取ったはず。その結果を見て来いと、平西王から命じられたのだ。」
「朕は今一度故郷を観たい。そして母君が天寿を全うした後になら、笑って死んで見せよう。この二つの望みだけでも叶えてはくれまいか?」
「俺はただ受けた命令を果たすだけ。それ以外のことは知らん!」
 永歴帝は泣き伏した。
「朕の不甲斐なさが、母君の命を奪います。」
「私達へ自殺を迫るとは、あの逆賊も世間の耳目が恐いのだろうね。それなら私は首吊りなどしないで、あいつから斬り殺されてやろうじゃないの。」
「ああ、母君。自棄にならないで下さい。逆賊に斬り殺されるくらいなら、自殺した方がまだ誇り高く死ねます。どのような死に方をしたところで、どうせ奴が我々を殺したという評判は変わりませんから。」
 太后も泣きじゃくりながら帯を手に取った。太后は既に老齢だったので、従者達が抱え上げて首吊りを手伝った。永歴帝は母親を見るに忍びず、首を項垂れて忍び泣くばかり。皇后や数人の妃達は声を限りに泣いた。太后は、吊される直前まで呉三桂を罵り続けた。
 さて、呉三桂の軍中でも心ある兵士達は永歴帝を見て真の英主だと感激していた。そして彼等は、永歴帝救済について密かに語り合っていたのである。又、呉三桂が手勢を動かしたことを知り、満、漢の大臣達は金蟾寺へ駆けつけて状況を見守っていた。その中にあって、当の永歴帝は母の死去を目の当たりにして悲しみに絶えず、后妃達へ言った。
「古今の主君の中で、朕ほどの苦しみを味わった者が居ただろうか。朕も今から死ぬ!だがお前達も不憫だ。『巣が壊れたら卵も割れる。』と言われているが、どうかくれぐれも自愛して生き抜いてくれ。」
 后妃達は皆永歴帝にまとわりついて泣き伏した。
 見守っていた兵士の一人が、ここに至ってついに叫んだ。
「永歴帝陛下は仁愛の主君だと評判だったが、まさしくその通り!我々は陛下を奉じて万世に誇る功績を建てるべきではないか!」
 すると、その言葉も終わらないうちに数人の兵士達が永歴帝のもとへ駆け出した。双桂はすぐに呉三桂のもとへ伝令を走らせた。報告を受けて呉三桂は大いに慌て、たちどころに大軍を集めて駆けつけた。彼等は邪魔する者を蹴散らし、双桂へ任務遂行を叫んだ。
゛このままでは下賤の者から殺されかねない。゛
 状況でそう判断した永歴帝は、即座に首をくくった。后妃との決別の暇さえない程の慌ただしい自縊であった。
 永歴帝の自縊を見届けた呉三桂は、更に皇后と永歴帝の次男とを市場で処刑した。弓の弦を使っての絞殺である。この日、日は陰り、吹き荒ぶ風が砂を飛ばして、対面の人影さえ見えない有様。「天が怒っているのだ。」と人々は噂した。
 事が終わった後、双桂が詳しい報告をすると、呉三桂は激怒した。
「朱由榔とその母の死骸は、首を斬って焼き捨てろ!」
 側近の中にはこれを諫める者もいたが、呉三桂はきかなかった。
「俺の死体が粉々に砕かれる有様をあの世で見物してみせるだと!上等じゃないか!お前の死体こそ焼き払われて灰になっちまったのだ!もし俺の死体が粉々に砕かれようとも、お前達と五十歩百歩だろうさ。」
 更に、その灰は風に任せて四方へ吹き飛ばさせた。この時、その冒涜の過激さに大勢の臣下達が怒りを含んだが、面と向かって呉三桂を非難する者は殆ど居なかった。それ故、彼も此処まで極悪非道な振る舞いができたのだ。
 だが、この処刑の時、永歴帝の長男の姿が見えなかった。呉三桂は誰かが匿ったものと考えて高額の懸賞金を掛けて彼を探した。又、永歴帝の親族や外戚、最後まで従った臣下達に関しては、檻に入れて都へ送り、併せて戦勝の報告も行った。そして最後に、永歴帝自害の際に彼の擁立を叫んだ兵士達はもちろん、永歴帝を誉めるたことのあるものまで一人残らず処刑した。この時殺されたものは二千人を下らない。まさにこれ天愁地惨、屍も哭すとゆうところ。永歴帝の殺害以来、真州の人々は、篦子坡を逼死坡と改めたと言われる。後の人が、永歴帝の受難を詩に詠った。

 大明の太祖が天下を統一し、相伝えること三百年。その晩年に至りて国力は日々衰えた。主君は英明武勇だったが、臣下の心が腐っていったのだ。災いを内に含み、強敵と外に対峙する。敵襲を伝える狼煙は連日絶えることがない。これだけでも国家が滅びて不思議はないのに、それに加えて流賊達まで国中に蔓延してしまった。
 龍も蛇も競って李闖のもとへ駆けつけた時、敵国人は涎を垂らした。彼等は国中から兵をかき集め、この機を逃さず攻め込んだ。松山の一戦で承畴が破れ、呉三桂は兵を借りた。ああ、それこそが大いなる災いの始まりだったのだ。
 李自成は西へ去ったが、敵が東からやって来た。前方の虎を追い払う時、狼が後方からすべり込んだのだ。裏切り者は、秦の朝廷で慟哭した包申胥を気取っていたが、その実全ての土地を贈ってしまった。烈皇が死に国が亡んだ後、裏切り者はかつての敵に頭を下げて一番手柄と自惚れた。
 福王が南京で息をついたが、揚州へ移って滅ぼされた。天は明を見放され給うたか、魯王も唐王も短命に亡ぶ。この中で、ただ鄭成功だけが大軍を興して台湾に割拠した。
 清は百万の兵で黄河を渡り、東南の地に干戈が広まる。明の一族は復興を図ったが、何ができよう?明哲なのは主君だけ。臣下はみんな凡庸だったのだから。
 孫可望は造反し、李成棟は討死。一戦、再戦悉く蹉跌する。端州へ奔り奥左へ馳せ真州天波を経てビルマまで逃げ、ビルマ酋長の惨殺に遭う。
 呉三桂軍はビルマ国境へ直進し、君臣は虜と成り果てた。そして逆臣の辣手は皇帝皇后を葬り、逼死坡に血飛沫が飛び散った。なおかつ、極悪人は凶志を究めて止めず、その屍を焚き灰にして散らした。巣が壊れた時、中の卵が全て割れてしまうように、妃も皇子も皆殺し。その惨状に、天は愁え地は胸を痛め鬼神は哭す。
 嗚呼!乱臣賊子は古来からあるも、その筆頭は呉三桂なり。試みに史書をひもといて明末の惨劇を読めば、二百年の時を経てなお、この胸を哀しまさしむる。

 これ以来、呉三桂は真州に居座った。永歴帝を討伐した呉三桂の功績を、清朝廷は高く評価し、直轄地として雲南を彼へ与えた。それに加えて彼の息子を皇女の婿に取り、呉三桂の寵幸は人臣を極めたのである。
 呉三桂の心は日々驕っていった。年毎に朝廷へ献上する貢物も怠りがちとなり、又、その財力で軍馬を増やし、ならず者達も平気で匿った。清朝廷の臣下達は当然面白くない。しかし、呉三桂は間諜を都中にばらまいており、その雰囲気はいち早く彼の耳へ入った。
゛朝廷の大臣達が嫉忌の想いを持ち始めたのか。するとどう動くかな?もっと確かな情報が欲しいものだ。゛
 しかし、上京するにも理由がなかった。すると、丁度この時、清の順治帝が崩御した。
「絶好の機会だ。陛下の喪に参列するのなら、上京する大義名分として十分ではないか。」
 だが、不用意に上京して軟禁されてはたまらない。そこで、彼は十万を越える大軍を率いることにした。貴州、湖南、湖北、河南と進軍したが、その速度はかなり緩慢だった。朝廷の反応を確かめるためだ。この上洛には、腹心の馬宝、夏相国を連れていった。まず、馬宝が露払いとして先行し、呉三桂の本隊はその後を進んだ。
 数十日の行程を経て、呉三桂の一行は都まで両日のところまで進んだ。その時、先陣は既に北京へ間近に迫っていた。
 この大軍を見て、都の人々は驚いた。
「この大軍はただごとじゃないぞ。呉三桂は復明の心に燃えて造反したのではないか?」
「あの恥知らずにそんな殊勝な心などあるものか。造反するのは自分で皇帝の地位に即く為さ。」
「どちらにしても戦争じゃないか!」
 噂は噂を呼び、尾鰭が付いて流言飛語が氾濫した。都の中はパニックとなり、市民達の九割方が逃げ隠れしたのである。
 この時、既に康煕帝が即位していた。噂を聞いて新帝は、呉三桂の真意が読めずに慌てふためいて会議を開いた。
「ここは軍を動員して、呉三桂の入京を拒むべきでございます。」
 そう進言する者も居たが、康煕帝は二の足を踏んだ。それによって却って呉三桂の造反を決定的にするかもしれないではないか。結局、人心の騒乱を根拠として上京を思いとどまらせ、併せて彼の功績を褒め称えて籠絡するという手段が執られることとなった。