第五回  県令に憤って李岩乱党に従い、
     都を破って、闖賊圓圓を捕らえる。

 李岩というのは、もともと延安府米脂県の人。幼い時から聡明の評判が高く、すこぶる利口だった。そこで、若輩のうちに正規の学問を修得したが、進学はしなかった。思いやりに溢れた為人で、家が裕福だったため、お年寄りや孤児達へ屡々施しをしていた。秀才(下級官吏)の資格があり、なかなかの紳士で、郷里の問題では暴力的な解決を嫌ったので、多くの人々から慕われていた。

 さて、この歳は飢饉だった。
李岩の郷里一帯でも日照りがあり作物が稔らなかったので、多くの民が土地を棄てて逃げ出すところまで追い込まれてしまった。李岩はこの惨状を見るに忍びず、県令のもとへ赴いた。そこで現状を切々と訴え、窮民を救済するよう願い出たのだ。
県令の名は周鑒殷。彼は李岩の訴状を読んだが、放っておいた。
暫く経って、何の返答もなかったので、李岩は思った。
「県令といえば、民の父母。この民の窮状を放置するなど、あってはならぬことだ。これはきっと、途中で中継している役人が握りつぶしたのだろう。」
 そこで、県令へ直々に訴えようと、もう一度県庁へ出向き、今度は面会を求めた。
 さて、周鑒殷は、李岩の訴状を読み、これは自分への批判だと腹を立てていた。すると本人が面会を求めたので、やりこめてやろうと考え、これを許可した。
 李岩は、周鑒殷へ一礼すると、言った。
「私は先日、この地方の惨状を訴え、官庫を開いて窮民を救済するようお願い申しましたが、お目に止まりましたでしょうか?」
「ああ、それは読んだ。しかし、お前は読書人で、現実を知らんのだ。このところ飢饉続きで、西北各省では浮浪者が続出している。この県で救済せよとゆうのなら、それら他県でも救済が必要となる。そんな穀物を一体どこから持ってくるつもりかね?」
「他の省には、その省の役人が居られるでしょう。ですから、この県のことについて、県令閣下へお願いに参ったのです。今年の凶作は大変なもの。なにとぞ慈悲のお心を以てお救いください。」
「この県というが、儂の管轄は広い。お前の郷里で凶作だからと言って、簡単に救済できるものではない。他の里の者まで次から次へと救済を求めてきたら、この県の官庫はたちまちパンクしてしまうではないか。」
 てんで話にならないので、李岩は心中怒りを含んだ。
「民の窮状を見るに忍びず、閣下の憐憫の情にお縋りにきたのです。まこと官庫が空っぽだというのなら、このようなお願いはいたしません。」
「それではまるで、私が冷血漢のように聞こえるではないか。救済できないものは仕方がない、と言っているのだ。君は顔役だろう。それなら、窮乏した民を慰めるのが筋ではないか。『豊作不作は時の運。来年の豊作を信じて今は耐えよう。』と、そう説得するべきではないか。君達は、何かというと救済救済とお題目を唱えるが、無い袖は振れんのだ。」
 とうとう李岩は怒りを爆発させた。
「閣下は、今まで救済をなさったことがあったのですか。ここ連年の干害に対して、一粒の米もよこさない。来年を待てと言われるが、それまでにどれだけの民が飢え死にすると思われるのか!それに来年の稔りが楽観できますか?閣下は救済もしないで、私が民を慰めないと責めなさるが、そんな道理があるものか!」
 李岩の態度が硬化したので、周鑒殷もむかっ腹を立てた。
「前回お前は訴状を書いて儂を非難したが、その時に罰されなかっただけでも莫大の恩と感謝しろ!それが何だ?性懲りもなくノコノコと現れ、今度は儂を面罵しおる。お前一人捕まえるなど、わけないのだぞ!」
「面罵などしておりません。まあ、閣下から無体を言われて口は過ぎたかも知れませんが。しかし、捕らえるというのなら、罪状をはっきりとさせてください。」
「ええい、儂を侮辱するか!お前の顔はもう見飽きた。さっさと立ち去れ!グズグズすると、牢獄へ叩き込むぞ!」
 李岩は周りを見回したが、皆口を閉ざしていた。このままでは本当に牢獄へ入れられかねないし、第一、県令と議論する為にここへ来たのではなかったのだ。これ以上いくら話しても救済などしてくれないことがハッキリと判ったのだから、余計なことは言わぬが花である。そう思案して、李岩は頭を下げて踵を返した。と、その後ろ姿へ向かって、周鑒殷は言った。
「そんなに救済が好きだったら、自分の金でやってみろ!」
 それには答えず、李岩は県庁を後にした。

 家へ帰って、李岩は思った。
「県令は民を塵芥のように見ていた。この飢饉で多くの民が餓死しても、屁とも思いはしないのだ。」
 又、考えた。
「救済するのなら、自分の金でやってみろ、だと?フン。あんな男と無駄話をするより、その方がよっぽど話が早いな。」
 家の中を見回すと、不要不急の品が結構ある。男の意地も、少しはあった。彼は不用の品を売りさばくと、その金で穀物を買い、炊き出しをして窮民へ施した。だが、窮民は多い。これは、車に積んだ薪の火事を、杯一杯の水で消すようなもの。李岩の家の前には大勢の人間が残っているのに、もう炊き出しは底をついてしまった。
「ええい、毒を食らわば皿までだ。」
 遂に李岩は家財の一切を売り払い、飢えた人々に施したのだ。集まった人々の前で、李岩は県令との問答を語り、更に自分が全ての家財を売り果たしたことまで告げた。
「だから、もう、救済は二度とできないのだ。」
 話を聞いて、県令を怨まない者は居なかった。又、李岩が全財産を振る舞ってくれた事への感謝の思いも、県令への怒りを更に煽り立てた。一人が鬱憤を声に出すと、百人を越える群衆は、口々に救済を叫びながら、大呼して県庁へ押し掛けて行った。

 暴徒が押し寄せてきても、周鑒殷は意にも介さず、飢民を追い出して門をがっちりと閉じさせただけだった。人々は門を叩きながら、口々に喚いた。
「李岩さんは個人の財産を全部振る舞ってくれたんだぞ!あんた県令だったら、俺達の親も同然だろうが!俺達がみんな飢え死にしたら、あんただって生きちゃいれないんだぞ!」
 それを聞いて、周鑒殷はハタと手を打った。
「さてはこの群衆は、李岩の奴が煽動したか!ええい、なんて奴だ!」
暴徒達は、やがて騒ぎ疲れて自然に解散してしまったが、周鑒殷の怒りは納まらない。彼はすぐに上司へ向かって告発文を書いた。

゛戦国時代、斉の陳氏は住民の心を掴むために私財をはたいて貧民を救済し、下克上を起こしましたが、李岩の行動も同じです。奴は反乱を起こす為に大衆を味方に付けようと、私財を擲ったのです。放置すると、造反が起こりかねません。゛

 報告を受けた上司は、李岩を捕らえて真相を究明するよう命じた。だが、李岩は顔が広く、大勢の友人が居たため、この命令が周鑒殷のもとへ届くより早く、李岩のもとへリークした。
 知らせを受けて李岩は吃驚仰天。命の危険が迫ってきたが、どこへ逃げればよいのやら。すぐに親しい者へ相談して回った。そういう訳で、この噂はパッと広まってしまった。
 これは明らかな冤罪だ。常日頃からお世話になっている人々が、どうして黙っているだろうか。彼等は急いで李岩のもとへ駆けつけた。李岩はその時留守だったが、彼等は李岩を守ろうと、そのまま家の外で彼の帰りを待ち受けた。と、丁度その時、捕り手の役人が李岩の家にやって来た。窮民達は、役人を見ると積年の怨みが勃然とこみあがり、思わず討ち掛かっていった。役人達は傷だらけになりながら、這々の体で逃げ帰った。

 帰って来た李岩は話を聞いて愕然となったが、過去はもとへは戻らない。
 殴りかかられた役人達は怒りに耐えず、県庁へ戻ると報告した。
「李岩の家には、千人を越える群衆が集まっており、これ、この通りです。あれは明らかな造反。李岩は群衆をたきつけております。」
「おお、それこそは明白な証拠だ。もはや逃れられんぞ!」
 周鑒殷はたちまち上司へ渡す報告書を書き上げた。

゛李岩は既に民衆を集め、役人に討ち掛かりました。もはや造反は疑いありません。既に大勢の民衆を集めている以上、もうグズグズはできません。大軍を以てこれを撃滅し、萌芽のうちに摘み取ってください。゛

 上司は報告書を読んで大いに驚き、五つの城から人馬を集結して李岩を攻めようと評議した。
 この動きも、すぐに李岩のもとへリークされた。聞いて李岩は全てを諦めた。
「大勢の人々にご迷惑はかけられない。どうせ死刑になるのだし、それなら今死んだ方が、余程ましというものだ。」
 かくして彼は門を閉じ、自殺しようとしたが、そこへ牛金星が訪ねてきたのである。
 李岩はもともと牛金星と面識があったが、この一大事で歓待する段ではない。だが、追い返す訳にも行かず、家へ引き入れた。
「なんだい、ずいぶんと窶れた顔をしているが、何かあったのか?」
「ああ、本当に災難です。今日、はからずも貴公にお会いできましたが、これが今生最後となりましょう。」
「なんでそんな事を言うのだね?」
 李岩は一部始終を話し、自殺の覚悟を決めたことを語った。
「馬鹿なことを言うな!役人なんてな屑ばっかりだ!そんな奴等の為に命を捨ててどうするんだ!」
「しかし大軍が押し寄せてきて、どうやって助かるでしょう。逃げ出したって、人相書きがあちらこちらに掲示され、結局は捕まります。そうなれば、酷い拷問の後に死刑だ。どうせ逃げられないのなら、自殺した方がよほど楽というものですよ。」
「しかしな、お前さんは皆からどれだけ慕われているか判っているのか?お前が自殺したら、みんなこう言うぜ。『李秀才は県令に殺された。』ってね。そうすれば、県令と民衆の関係は益々悪くなり、それこそ一触即発だ。災いはますます大きくなる一方じゃないか。とにかく、ここは逃げ延びて、機会を待とう。どうせ県令があることないこと報告しているのだから、申し開きの機会もあるさ。」
「それも考えましたが、お尋ね者になってしまえば、誰が匿ってくれますか?だから死ぬしかないのです。」
「しっかりしろ。俺に心当たりが居る。気っぷが良くて義に篤い。きっと助けてくれるさ。今から一緒に逃げ込もうじゃないか。」
「そりゃ有り難いが、私には家族もいること。一人では逃げられません。」
「そんなら、家族も一緒に逃げるさ。」
「それで、誰ですか?その奇特な御仁は?」
> それには答えず、牛金星は李岩を促した。李岩は断りきれず、家族を引きつれ、金星と共に逃げ出したのだ。当時李自成は、李岩の家から十数里離れたところに住んでいたので、彼等は程なく李自成のもとへ逃げ込めた。

 役人達が李岩の家へ来てみると、もう誰もいない。家財道具も殆どないので、これはてっきり夜逃げしたと見当をつけた。そこで、窮民達に手当たり次第問いただしたが、知っている者は誰も居なかった。ただ、李岩に捕まって欲しくないとゆう思いは皆同じだったので、窮民達は図らずも李岩の家に集結した。そうして見ると、官兵がいるだけだったので、皆は心中喜んだのだ。
 ところで、大勢の窮民の中には、李岩の逃げ出すのを見た者もいるし、見当をつけた者も居た。そこで、互いに話をしているうちに、だんだんみんなに知れ渡っていった。すると、官兵もそれを聞きつけた。
゛李岩は李自成の鍛冶屋にいる。゛
 そう見当をつけると、官兵達は鍛冶屋を目指して移動した。先頭に立つのは周鑒殷。窮民達は、見捨てることもできず、大勢揃ってその後に付いていった。

 さて、李岩の家族は李自成の家へ着いて、こまごまと慰められ、ホッと一息ついていた。そのころ、二百人程の官兵達が、彼の家に向かっていた。後を付いて行く窮民達は数百人。中には先回りして李自成の家へ行く者も居た。
 知らせを聞いて、李岩は驚いた。
「全ては私のせいです。貴公にご迷惑はかけられません。私は自首します。」
「馬鹿言うな!そんなことしても意味無いぞ。あの県令が俺を助けるわけがないだろう。お前も一味だ何だと言って一緒に捕まえるに決まってらあ。ここまで来た以上、一人で背負うことはない。一蓮托生よ!」
この時、大勢の男だてが家に集まっていた。彼等は大喜びして李自成に従った。
「しかし、敵は二百。こちらは数十人ですよ。」
「命がけの一人は、万人に匹敵するんだ。」
 李自成はそう言うと、門をしっかりと閉めさせ、籠城の構えを取った。そして、一人だけ弓を携えると屋根の上へ登っていった。
 屋根の上から見下ろすと、官兵がうじゃうじゃとやって来ていたが、その後ろからゾロゾロとやって来るのは窮民達だ。日頃受けた李岩の恩義を感じて集まったことは疑いない。「おーい、そこの男達。お前達が飢えたとき、李岩さんから助けて貰ったのを覚えているな!今こそ恩を返す時だぞ!それに、狼のような役人達にも、目に物見せる良い機会だ!」
 叫ぶや否や、李自成は弓を引き、ヒョウと放った。県令は、まさか反撃されるとは思わず悠然としていたが、李自成の放った矢は彼の肩を見事に射抜き、県令はドウと落馬した。この時、官兵達は李自成の屋敷を取り囲もうとしていたが、県令が落馬したので少なからず慌ててしまった。その場には数百人の窮民達が集まっている。彼等は、一つには李自成の言葉に感激し、二つには目の前で県令が落馬したので、思わずどよめいた。官兵が振り返れば、窮民達の数の多さに今更ながら浮き足だった。窮民達は、この場の勢いに流されて、遂に官兵達へ殴りかかっていった。これは不意の出来事だった。官兵達は武器を奪われ、窮民は奪った武器で官兵達を攻撃したのだ。
 この混乱を見て取って、李自成は攻撃命令を出した。屋敷の中の男伊達は、歓声と共に討って出た。官兵は反撃を考えもしないで、命辛々逃げ出した。窮民達は、県令への怨みが骨髄まで滲みていた為、落馬した県令へ殺到した。さすがにこれは放ってもおけず、幾人かの官兵が割って入り、彼等の働きで県令はどうにか救出されたが半死半生の有様だった。どうにか県令を救出すると、官兵達は逃げ出していった。
「ざまあみろ、一昨日来やがれ!」
官兵達が逃げ出して、男伊達の面々は得意の絶頂。だが、李岩が言った。
「喜ぶのはまだ早い。県令は確かに逃げ出しけれど、奴は必ず上司に報告し今度は数倍の官兵を率いて責めて来るに決まってます。その時、どうやって防ぎますか?」
 すると、李自成が答えた。
「奴等が俺達を許す筈がない。それなら、機に乗じて造反し、天下を乗取ればいい。簡単な事じゃないか。」
「兵糧もなく、人も集めずに?人を集めれば食い扶持が要ります。だから、兵糧無しに大事は図れません。何か方策は?」
「少なくとも、今はこれだけの人間が集まった。とにかく決起して、それから考えるさ。」 すると、牛金星が口を挟んだ。
「とにかく、ここにいちゃまずい。まず、逃げ出そうぜ。」
「どこか心当たりはありますか?まずきちんと成算を立てなければ。」
「窮民達へ宣伝するのだ。これはお前が言った方がいいな。『横暴な官兵に対して、共に決起し、理想郷を築くのだ!同志は来たれ。嫌な奴は勝手に逃げろ。』そうして大勢がついてきたら、城を攻め、土地を奪ってやる。兵糧なんぞいくらでも手に入るさ。」
「武器は?」
「ああ、それならば揃っている。」
 李自成はそう言って、経緯を話した。すると、李岩は跪いて頭を下げた。
「私は命を救っていただきました。事此処に至っては何を申しましょうか!謹んで、皆様方に従わせていただきます。」
 李自成は大いに喜んだ。窮民達は、既に餓死するほどに困窮していたのだ。李岩から煽動されると、一人残らず決起に賛同した。こうして千人からの造反軍ができあがった。李自成は、すぐに彼等へ武器を配った。

 さて、それではどう行動しようか?李自成は李岩と相談し、とりあえず山西へ向かって進軍した。すると、すぐに山にぶつかった。
「兄貴、ここにゃ山賊が居るって噂だぜ。まずは軍使を送って、同盟を結ばねえか打診したらどうだ?」
「それはいい。」
「ですが、奴等は残酷な連中だと聞きます。ぐずぐずしていて包囲されたら大変ですよ。」
 すると、李岩の言葉が終わらぬうちに、林の中から十数人の男達が躍り出た。
「てめえら!大勢で何しに来た!」
 しかし、李自成は泰然自若。
「つべこべぬかすな。俺達は大勢居るし、武器も揃っている。十数人で何をするつもりかね?さっさと親分を呼んで来な。」
 男達は顔を見合わせたが、やがて男の一人が山へ報告へ行った。程なく、首魁とおぼしき男がやってきた。面貌魁偉、立派な体格で長槍を持ち、駿馬にまたがった堂々たる態度だ。李自成は一目で首領と認めた。
「この山の大王か?俺達は官兵の横暴に反抗し、又、今の乱れきった世の中を見て、遂に決起を謀った者だ。君達は山賊をしているそうだが、こんな山奥に一生くすぶっているつもりかね?どうだ?俺達と力を合わせ、天下を奪い取ってみないか?」
 言われて、男は馬から下りた。
「天下を乗っ取る、か。へへへ。でかい事を言うじゃねえか。
 俺達はこの山をねぐらにし、金や銀を秤で分けて皆で気楽に暮らしていた。今の生活には何の不満もない。が、お前の言うことにも一理あるな。一緒に山へあがって相談しようじゃないか。十分納得できたら、お前達に従ってやるよ。」
 李自成は大喜びで下馬し、同志達と一緒に大挙して山へ登った。

 この山賊というのは、誰あろう、張献忠その人である。人呼んで゛八大王゛。これは、大勢の兄弟の中の八男坊で、凶暴な性格だったところからついた渾名である。
 彼はもともと無頼漢で、かつて喧嘩の最中相手を殴り殺してしまった。そこで故郷から逃げ出したが、荒くれ者達が一人二人と彼のもとへ集まって行き、いつの間にか四、五百人を数えてしまった。こうして彼は山賊となり近隣の村々を襲うようになった。当時は造反が相次いでいた為官兵達にはこの山に兵を裂く余裕が無く、それ故彼の勢力は日に日に増大していったのだ。又、彼の手下は命知らずが多かったので、周囲の村々はただ畏れて縮こまるばかりだった。

 張献忠と李自成は砦へ入り、主人と客に別れて席に就いた。その途中、李岩は山塞の雰囲気から、かなりのお宝を荒稼ぎしていると察しを付けた。
゛既に大勢の民衆が決起したが、食い物がないと自滅してしまう。゛
 最初からそう考えていただけに、座が定まると、真っ先に身を乗り出した。
「貴公はここに一大勢力を既に築き、向かうところ敵が無く、まこと、当地の英雄といえましょう。しかし、ここで満足してしまっては、そりゃ毎日酒盛りに明け暮れて楽しく暮らせましょうけれども、結局はただの盗賊に過ぎません。貴公は英雄ですぞ!それが盗賊で身を終えるなど、もったいない限りではありませんか。今、気骨ある男ならば、天下を縦横に駆けめぐるべき時です。それが山の中にくすぶるなど、『志を損なう』とはこの事です。
今は天下大乱。明の天下も、もう長くはありません。奮起するべき時です。今のこの情勢に貴公がその武勇で暴れ回れば、下手しても地方に割拠する一国一城の主にはなれますし、皇帝となって中国全土を支配することだって決して夢ではありません。
 今こそ、その好機なのです!機会を逃して後悔なさいますな!」
 張献忠は豪快に笑った。
「一国一城の主?中国全土を支配する?ハハハハハ。いや、先生。その言葉、胸にズンと応えましたぞ。ガッハッハッハッハ。いや、そうゆう一生こそ、儂の性に合っている!」
 張献忠は大きく頷くと、即座に砦の小頭達を召集し李自成に引き合わせた。たちまちに宴会が始まったが、この席で、彼等は血を啜り盟約を交わしたのだ。共に心を合わせ、天下を強奪しよう、と。主立った者は十六人。席次はすぐに決まった。

 第一 闖王  李自成   第二 八大王 張献忠   第三 隠身豹 牛金星
 第四 軍師  李岩    第五 老回回 孫昴    第六 一条棍 張立>br> 第七 格子眼 盛水正   第八 冲天鵬 方也仙   第九 梅鉄魂 梅邁春
 第十 水抱龍 劉伯清   第十一双球  豹史定   第十二掃地王 聞人訓
 第十三撥皮地 陸網    第十四一枝花 王千子   第十五可飛天 砂風来
 第十六混天龍 馬元龍

 盟約が終わり、彼等は痛飲した。

 元来、この近隣には峻峰が多く、山賊達があちらこちらで店開きをしていた。張献忠が旗揚げしたことが広まると、彼等はドッと駆けつけてきた。数日後、十分な大軍となって、山西へ向かって進撃した。

 この時、天下は乱れ、飢民はあちこちにゴロゴロしていた。そこへ造反軍が進撃して来たので、捨て鉢になっていた民衆は、蟻のように群がり寄って来た。ここに及んで、十数万を下らない大軍となったのだ。しかし、その大軍の中でもしっかりとした教養を身につけていたのは李岩一人だけだった。それ以外の連中は粗暴な輩ばかりで、得々として殺戮を行った。李岩はこれを止めようとしたが、従う人間は居ない。又、人数が増えると食糧もいる。そこで、州県を過ぎる度に略奪を行った。これも、李岩一人では如何ともできなかった。
張献忠は言った。
「先生はそう言うが、殺しまくるからこそ、大勢の人間が恐ろしがって服従するのだ。それに、略奪をしなければ人馬を養うことができんじゃないか。」
 李自成も、その説に頷いた。それ故、この軍団の凄絶さは、史上類を見ないものとなってしまった。
 やがて、既に山西を制覇すると、軍は二隊に別れた。張献忠が一隊を率いて河南へ進撃したのだ。そして、李自成は都へ向かって進軍した。

 当時、山西にあった要塞は、大同鎮だけだった。しかも、大同総兵の姜譲は、大軍を見た途端に降伏してしまった。そうゆう訳で、李自成軍は抵抗一つ受けずに進軍できた。この事態で、途上の督撫達は緊急文書を矢継ぎ早に都へ送った。だが、遼との紛争で、精鋭兵は全軍が国境へ出払っており、内地には動員できる軍隊がなかった。結果、李自成は破竹の勢いで都へ迫ったのである。そうなってしまってから、明ではようやく軍隊が整って迎撃に出た。しかし、右翼が勝っても左翼で敗北する有様。しかも、李自成の兵卒には、百万を越える餓民がいた。彼等は、戦って勝たなければ餓死してしまうのだ。その意気込みが、官軍とは大きく違う。官軍がどうして対抗できるだろうか?もう一つ、李自成は略奪を許可していた。官軍には兵糧が続かない。李自成がたちどころに山西を制圧し、都を直撃できたのは、こうした理由があった。
 当時、江南は豊かな土地で、美人も絹も宝石も他とは比べものにならない位豊富にあった。それで、実は李自成は江南へ南下したかったのだ。しかし、これは李岩が頑として拒んだ。
「今、我が軍がここまで巨大に膨れ上がったのは、皆が皇帝を憎んでいるからです。それに、都を落とせば中国全土が我等のものではありませんか。それに加えて、我が軍の兵卒には節義がありません。進軍の度に略奪と殺戮。この噂が広まったら、大衆は皇帝以上に我々を憎むでしょう。あまりゆっくりとやっていては、必ず我が軍は敗れます。このまま都を直撃するのです。」
 李自成は、これに従った。

 以上が、彼等が都を攻撃するまでの経緯である。李自成の軍団が都を攻撃すると、その圧倒的な兵力差によって、官軍は脆くも崩れ去ってしまった。

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