呉三桂演議
 第二回  満州王は五将軍を返して玉布を修め
   呉三桂は藩府にて贅を尽くして笙歌を楽しむ
 
  

 さて、毛文龍誅殺決意した袁崇煥は、部下の中から勇力秀でた将校を選りすぐった。彼自身は軽快な戦闘服の上から文官の正装を羽織り、腰に陛下から拝受した宝刀を帯びると、閲兵のふれこみで皮島へ出向いた。 
 この時、折しも強風が吹きすさび、荒れ狂った怒濤は海岸を翻弄する有様。そこで、袁崇煥の一行は、ひとまず入り江に留まった。
 袁崇煥は言った。 
「この一挙は国家の御為。私を知らぬ者は、私が国家の一大将を独断で惨殺したと非難するだろうが、私を知る者は、よくぞ罪臣を取り除いたと賛嘆してくれるに違いない。非難する者は、文龍がいなくなれば敵襲の被害が増大すると言っておる。しかし、私が優柔不断に接すれば奴の野望はますます増大してゆく。それは断じて防がねばならん。文龍を殺した後は、私はまさに命がけで御国に尽くすつもりだ。今はただ、諸君らの助力こそが必要なのだ!」 
 一行は皆、押し黙ってしまった。すると、徐途が言った。 
「私は、閣下の指揮に逆らうつもりはありません。しかし、もしも文龍を殺すというのなら、十分にご用心ください。奴は十万の精鋭兵を擁し、皮島の要塞さえ築いております。閣下の本心を知れば、甘んじて殺されたりはしますまい。逆襲を受けるに決まっています。なにとぞご用心を。」 
「その通り。しかし、計略は既に我が胸にある。諸君らは安心して私に従えばよい。」 
 そう言って、彼はまず部下の一人を毛文龍のもとへ派遣し、今後の軍事行動に関する評議を行うことを告げた。毛文龍はその本心を知らず、快く承諾する旨、返答した。 

 翌日、風は凪ぎ、波一つない上天気。袁崇煥の一行は帆を張って河へ乗り出し、まずは皮島の周囲の地形や布陣を視察した。 
゛何と、良く地形を利し、法に叶っているではないか!` 
 彼は思わず感嘆した。 
゛もしも彼が不逞の野心を持たず、国家に忠節を尽くしてくれるなら、実に得難い人材である。惜しむらくは向っ気が強すぎ、綱紀を蹂躙している。 しかし、今日、殺さねばならぬとは、なんと惜しむべき事か!゛ 
 毛文龍は袁崇煥の本心を知らなかったが、軍人の心得として、要所要所に間諜を置いていた。ところが、袁崇煥もそれを予測していたので、彼ら主従は島巡りの間余計なことは一言も喋らなかった。結局、毛文龍は袁崇煥の本心に土壇場まで気がつかなかったが、これは彼の怠慢ではない。袁崇煥が一枚上手だったのだ。 
袁崇煥彼一行の視察の間、毛軍の将卒は恭しく彼らに接した。 

 袁崇煥彼一行が大王山岸まで来ると、登州海防左営遊撃の尹継可の船がやってきた。 
「天候が怪しくなりましたので、毛元帥の命を受け、お出迎えに参りました。」 
 見ると、四十八艘の船が、整然と並んでいる。毛文龍の恭順の意を知り、袁崇煥は思わず胸が痛んだが、すぐに心を憤わせた。 
゛これは国家の為に、跋扈した罪を糺すのだ。私個人への敬意で寛恕してはいけない。゛
 袁崇煥は尹継可と会見すると、彼の船軍に守られるようにして更に進んだ。十余海里程も行くと、既に旅順も近い。すると今度は旅順遊撃の毛永義が出迎えに来た。 
 袁崇煥は登岸し、毛永義の一行と共に竜王廟を詣った。袁崇煥は毛永義へ言った。 
「我が国建国の当初、中山王と開平王の両王が番陽湖・北平と転戦し、遂に元の一族を国外へ追い払ったが、これらは水陸両戦で万全だった。今、毛将軍の水軍は小舟で守備を固めているだけ。この程度の水軍では堂々の編隊を組んで敵軍へ攻め込むことはできな。」 
「敵は騎射に長じております。それ故、毛閣下は陸路を重点的に固めなさったのです。国防費は既に増大の一途をたどっておりますので、水軍までは手が回りかねます。それに、ここ数年、海上からの敵襲は聞きませんしね。」 
「君も名字が毛だったな。同姓のよしみでそう言うのか。」 
「え?」 
 毛永義はその一言に引っかかったが、袁崇煥は聞き返す暇も与えずに船に乗り込み、皮島へ向かって出帆した。すると、程なく伝令舟がやって来た。 
「毛閣下が到着しました。」 
「そうか。それならば、明日会見するよう伝えてくれ。」 
「かしこまりました。」 
 伝令舟が去ると、袁崇煥の幕僚達が、密かにささやいた。 
「毛閣下は実に礼儀を尽くしてくれます。どうか考え直してくださいませんか。」 
 だが、袁崇煥は答えなかった。 

 翌日、約束通り二人は会見した。毛文龍は本営にて袁崇煥を迎え、二人は交々挨拶した後、主客各々の席に着いた。 
「さて、毛将軍。遼東の要を守るのは貴殿と某のみ。協力して行動をとってこそ、守備も堅固になるという物です。某がここまでやって来ましたのも、貴殿と軍議を定めるためです。ここで軍議が一致したなら、貴殿は従ってくださいますな?」 
「勿論ですとも。」 
 毛文龍は喜んで頷いた。 
 いくら高位高官でも、無能で、しかも後ろ盾を笠に着て威張り散らすような人間が相手だったなら、彼は絶対に頭を下げなかった。しかしそれだけに、相手の能力を評価したならば、彼は腰を低くして接したのである。今回上役として赴任した袁崇煥は、かつて武功も建て、しかも権力者におもねらない硬骨漢だったので、彼は最初から一目置き、恭順の意を表していたのだ。 
 毛文龍は機嫌良く続けた。 
「某はここの守備を固めてより、既に数年。幸いに敵襲こそありませんでしたが、いや、苦労を重ねましたぞ。小人の讒言のせいで行動は制約され、乏しい軍事費では兵糧にも事欠く有様。大願成就とは、なかなかいきませんわ。それでも日常の小競り合いでは敵に遅れはとらず、国家の威信に傷は付けておりません。現状某の器量では、まあ、これでも善とするべきですな。ですから、閣下に何か良策があれば、是非ともご教授をお願いいたします。」 
 聞いて、袁崇煥は喜色を浮かべた。この会談は、穏やかに終始した。立ち去る時、袁崇煥は毛文龍へ握手を求めた。 
「舟の上では何かと不便。貴殿の幕舎にて、できれば酒でも欲しいものですな。」 
「それは何より。そのように手配いたしましょう。」 

 翌日、袁崇煥は数人の侍従と共に毛文龍の幕舎へ訪れた。毛文龍は、まず皮島の布陣を案内した。実に堅固な布陣である。各箇所の守備隊長は、彼らを見るとすぐに挨拶にやって来る。軍令は行き届き、如何にも精鋭である。ただ、袁崇煥が姓名を尋ねると、守備隊長の大半は「毛」姓だった。 
 もともと、毛文龍は部下の士気を挙げることに腐心していた。そこで、見所のある男には、「毛」姓を与えたのである。俗に言う、「義子」である。そこまで評価されて感激しない人間はいない。こうして、毛軍の士気は高揚したのだ。だが、袁崇煥は心中憮然としてしまった。 
 かつて、安碌山は、二百人の勇者を養子とした。その軍隊で、唐へ対して造反したのである。だいたい、自分の姓を名乗らせるのは、国恩を与えるのではなく、私的な恩を売る事に他ならない。彼ら大勢の守備隊長は、国の為に働くのか、それとも毛文龍へ対して私的に臣従するのか? 
`造反の兆候が、ここにもあった。゛ 

 さて、皮島の視察が終わって幕舎に帰っても、袁崇煥は佩刀を外さなかった。フとそれに気がついて、毛文龍は笑った。 
「我ら両名は、これから国家防衛の為の密議をこらそうというもの。項羽が劉邦暗殺を企てた『鴻門の会』でもあるまいに、何で佩刀がいります?」 
「成る程、道理です。」 
 袁崇煥は佩刀を部下の渡して退出させた。 
 こうして軍議は始まり、それは夜更けまで続いて解散となった。 

 袁崇煥は準備された幕舎へ入ると、副将の汪翡を呼びよせた。 
「判っているだろうが、例の件だ。いよいよ、明日決行する。」 
「しかし閣下。毛文龍の挙動を見ると、彼の悪評は全て嫉妬深い小人の讒言のように思えます。それに、この軍容を見るにつけ、将才には感嘆するのみ。ここは暴走の罪を不問に処したらいかがですか?」 
「いや、奴が恭順なのは、私を畏れているのだ。陛下直々の宝剣は、生殺与奪の権利を与えられた証だからな。ここで私が誤魔化されたならば、奴はますます増長し、もう手の打ちようはなくなる。我が心は既に決まっているのだ。」 
 夜明けまでの密談の後、汪翡は唇を噛みしめて退出し、護衛兵の李鈞元に言った。 
「督師は、毛将軍を殺さねばならぬと頑なに思いこんでおられる。ただ、私が思うに毛将軍に造反の心はあるまい。しかし、督師がこのように接する以上、この暗殺が失敗すれば、将軍は必ず造反する。何とも悔しいじゃないか。」 
 彼は暫く口を閉ざした後、続けた。 
「袁督師も生きてはおれん!」 
「なぜですか?」 
「毛将軍が死んだら、必ず敵が攻めて来る。そうなれば、袁督師が糾明されるではないか。」 
 聞いて、李鈞元も汪翡とうち揃い、交々嘆息してしまった。 

 翌朝早く、袁崇煥は毛文龍と再び軍議した。 
「遼海を境界とし、東を卿が、西を某が守備しよう。」 
 毛文龍が必ず抗弁するだろうと挑発したのだ。しかし、毛文龍は唯々諾々と従った。仕方なく、袁崇煥は毛文龍を狩猟に誘った。毛文龍は大喜びで承諾した。この時、袁崇煥は参将の謝允光に密かに号令を伝えた。 

 さて、狩猟前の儀式の為、兵営の四方へ幕が張られた。その中には毛文龍の親衛隊百余人が集まり、少し離れた上座に袁崇煥と毛文龍が対峙して座った。そして二人の近くには、袁崇煥の側近達が控えている。 
 袁崇煥は言った。 
「貴殿の要塞には、毛姓の人間が多い。貴殿の一族がこんなに英雄揃いとは想わなかった。」
 そして、毛文龍の返答も待たず、彼は毛文龍の親衛隊の面々へ向き直った。 
「私はここから離れた所に赴任しているが、官族も給料も多い。君達は何と迫害されていることか。君達は最前線で苦労しているのに、その家族はたった一斗の米に生活をかけている。哀れなことではないか!君達が私の配下に入れば、これから生活の心配はなくなるぞ。」 
 毛文龍は仰天した。 
「督師。そんなことを言われては、私が部下から怨まれるではないですか!この数年、兵糧は少なくとも、私は私腹を肥やしたりしておりません。何でそんなことを言われるのですか!」 
「私は四つの鎮を統括している。登莱と天津は重要な基地であるから、東江に供給本部を置き、銭糧を寧遠から運ばせるつもりだ。昨晩御身にも話したが、この案を却下したのは御身ではなかったか。一体どういう了見だ?」 
「東江は私の管轄地ですが、それでも糧銭の運搬に滞ります。ましてや寧遠から運んでくるとなると、尚更あてにはなりません。もしも閣下が国家への忠義を尽くし、なんとか実現できたとしても、蘇遼総督は数年で交代するかも知れません。閣下の後任が閣下のように好意的でなければ、我々は経済的な面から蘇遼総督職に隷属することになります。これは大局的に不都合が多く、私としては断らざるを得ませんでした。閣下はそんなことで私へ含まれたのですか?」 
「おまえのそのような考え方が、既に法令をなみしているのだ。ただ私を無視するだけならばまだ許せるが、今上の天子は英明であらせられるぞ。おまえの暴走に立腹しておいでだ。もしも信じられないと言うのなら、思い知らせてやる。」 
 言葉と共に袁崇煥は刀が振りかざしたので、両軍の軍卒達は一斉に息をのんだ。そして、一瞬の間を置いて彼らは悟った。袁崇煥は、皇帝の命を受け、毛文龍を殺しに来たのだ。毛文龍にとっても、これは青天の霹靂である。袁崇煥の厳重なる箝口令が功を奏したこともあり、備えもして全くしていなかった。毛文龍も泡を食らったが、それでも言い返した。 
「某は積年の労苦の末、この重責を与えられたのです。そして、今まで陛下からは叱責の言葉の一欠片もありませんでした。小人が讒言し、兵糧が不足し、軍卒から怨まれようとも、某は辺境の守備に専念し、できうる限り部下を慰撫してきたのです。某は武人ですので、あるいは休廷の礼儀に欠けて上官へ対して罪を犯したかも知れませんが、しかし某の職務である辺境守備においては無罪であると自負しております。 
もしも某が跋扈して詔を無視しているのなら、兵糧が不足して兵卒に不穏な心が生じた時、十万以上の大軍で蜂起し、都へ向かって西進したでしょう。しかし、某に反心などありません。 
今、東江の供給本部に異を唱えたとて、たかがそれだけで某を死罪になさるというのですか?」 
「毛文龍!お前は君を欺き、我が属国の遼や高麗を攻撃してその民を屠殺し、更に自分の姓を部下に与えている。何の言い訳ができるのだ?」 
「その件で陛下を欺いたなど、言いがかりです。遼の民が敵と内通して我が辺域を犯しましたので、確かに連中を殺しました。高麗にしても、敵を助けて攻め込んできたので撃退したのです。我が姓を与えたことに至っては、将士が尽力するよう励ましたに過ぎません。これらのことが罪だというのなら、確かに某は有罪でしょう。」 
「ええい、口のへらん奴だ!この数年、お前を弾劾する文書は朝廷に山積みされているのだぞ。それら全てがでっちあげと言い張るか!」 
「それならば、都にて弁明させてください。」 
「この上朝廷を愚弄し、我と対決しようと言うのか!」 
 袁崇煥が指揮すると、たちまち彼の部下が毛文龍を押さえつけた。それでも毛文龍は必死になって抗弁した。 
「昔、楚が晋に敗れた時、楚の国王が将軍の責任を追及してこれを殺しましたが、それを聞いて晋の国王は喜びました。逆に同様の状況で秦王が将軍を許した時、晋王は恐れたのです。敗軍の将でさえ、敵国にとっては脅威なのですぞ!今某を殺せば、敵は必ず喜びます。某の後任に誰を抜擢するおつもりですか?どうか大局に立ってのご判断を。」 
「お前は、我をただの学者と思ってか。我とて武将よ。今日、お前を斬って、もしも遼東を奪われたなら、この首切り落として詫びるまで。」 
「横暴な臣下が朝廷にて跳梁している現状では、地方官が功績を建てることはできません。某が数年努力しても、後方の支援が得られませんでした。閣下がいくら有能でも、遼東を守り通すなどおぼつきますまい!」 
 袁崇煥は激怒した。 
「毛文龍は天下の悪人!もしもこの死罪が誤りならば、我が命を以て贖い給え!」 
 一言叫ぶと西へ向かって王命を拝受し、毛文龍の首を落とすよう命じた。此処に至って、毛文龍は言葉の無益を知り、首を伸ばした。 
サッと刀が振り下ろされると、毛文龍の首が落ち、袁崇煥はこの首を晒した。 

 毛軍の兵卒がどよめいた。しかし、袁崇煥はそれを予測して、周囲を厳重に包囲していたので、暴動にまでは至らなかった。だが、その人心の動揺には造反の萌芽が潜んでいる。それを明敏に察知するや、袁崇煥は即座に籠絡を試みた。毛文龍を丁重に埋葬するよう部下に命じたばかりか、彼自ら喪主となって葬礼を行ったのだ。 
「毛文龍を暗殺したのは国家の命令。避けることはできなかった。だが、僅かの間に彼が示してくれた厚情を想えば、なんで悲しまずにおれようか!」 
 言葉と共に涙が零れ、とうとう彼は慟哭した。集まった軍卒達も感泣し、軍内の不穏な空気も些かは収まった。 

 この事件に対して、毛文龍の冤罪を主張する者もいるが、袁崇煥の果断な処置が造反を瀬戸際で防いだと評する者もおり、今に至るも定説がない。ただ、毛文龍が有罪だとしても、当時彼を殺したことは惜しむべきであった。これで辺域に有能な武人がいなくなったのだ。嘆かずにおれようか。 

 さて、袁崇煥は毛文龍の誅殺を公表したが、その罪は毛文龍一人のみであり、部下には一切咎めがないことも併せて宣伝した。又、毛文龍の子息の毛承禄には一隊を預けて旅順を守らせた。父親を殺しながらその子を用いたのは、軍卒の心を落ち着かせる為である。ただ、呉三桂、耿仲明、尚之信、曹変蛤、白遇道の五人は、毛文龍のもとにその人ありと言われた腹心だっただけに、恐怖も又ひとしおだった。毛文龍殺害を知るや、期せずして一堂に会したのである。 

 呉三桂は言った。 
「毛将軍は数多くの軍功を建てたのに殺されてしまった。ましてや我々はどうなる?『他の人間は罪に問わぬ』と言っているが、これは人心を安堵させようと言いう一時の方便に過ぎんぞ。頃合いを見て言いがかりをつけられては、手も足も出せん。」 
 すると、耿仲明が言った。 
「その通り。督師は何をするか知れたもんじゃない。もしも、今、逃げなければ、後に悔いても及ばんぞ。」 
「まあ、いずれは逃げ出すことになろう。だが、督師も今はこれ以上の騒動は起こせまい。人心を掌握しようと必死だからな。とりあえず、皮島をどう処理するか様子を見ようじゃないか。」 
 こうして、彼らの方針は定まった。 

 図らずも、その翌日、袁崇煥の布告があった。 
「皮島は、我の居城から遠く監視が行き届かないので、徐敷を大将に、劉挙祚と陳継盛を副将にした三隊のみを残して、撤退する。この撤退に当たって、銀十万を下賜して兵卒達の今までの労苦と功績をねぎらうものとする。又、『毛』姓を賜った者については、旧姓へ戻すものとする。」 
 この布告を見て、呉三桂は部下の諸将達へ言った。 
「督師は、毛閣下の派閥を解体させる為にこんな布告をしたのだ。毛閣下は、勇猛な将卒に自分の姓を与え、養子扱いしていた。彼らが毛閣下の仇討ちをすることを、督師は恐れている。まあ、考えても見ろ。毛閣下の養子は多い。彼らを皆殺しにすることなどできるか?だから元の姓へ戻すに止めたに過ぎんのだ。我らのように毛閣下のご厚恩を受けた者は多い。皆が死んだ気になって造反することを恐れればこそ、督師はまだまだ手出しを控えている。その代わり、このような小細工をする。我らが手をこまねいていたら、いずれ死地へ追いつめられてしまうぞ!」 
 それを聞いて、諸将は皆悲嘆にくれてしまった。 
この時、耿仲明のみが傍らにいたが、彼は言った。 
「お前の言うとおりだ!毛閣下は、我ら五人にそれぞれの要所を固めさせ、自身は皮島を要塞となさった。今、その皮島さえ破棄しようと言うのだ。それなら、我らの砦など尚更ではないか。しかし、我らに撤退の命令は出ていない。これは、我らが造反することを恐れているのだ。奴は我らを疑っている。いずれは兵権を奪われるどころか、命さえも危ないぞ!」 
 その言葉に、みんなが口々に喚いた。 
「例え毛閣下に罪があったにしても、今までの功績に免じて一等を減じるのが当然じゃないか。それを、督師は、私情に走って斬り殺した。国家の大将を、だぞ!それなら、今度は我々が怒りに任せて督師を殺そうとも、やることは同じではないか!なあ?」 
「いや、早まるな。」 
 呉三桂は慌てて止めた。 
「そりゃ、督師は学者に過ぎんから、殺そうと思えばできるだろうさ。しかしな、奴は陛下から宝剣を賜っているのだ。この一挙にしても、あるいは鼠輩の讒言に迷った朝廷が、奴に密命を下したのかもしれん。今、我々は陛下の命令を受けたわけではない。それなのに国家の重臣を勝手に殺してしまっては、これは反逆だぞ!とんでもないことだ。」 
 と、その時、一兵卒がやって来た。 
「呉将軍!お手紙です。都の菫其昌大伯から!」 
「菫大伯から!」 
 呉三桂は慌ただしく受け取った。 

゛拝啓、将軍閣下。一別以来数年が経ちました。その間、将軍は大小数十の戦いで、敵の肝を冷やさせたとか。いや、これにて辺境も一安心といったところです。 
 しかし、この度、袁督師に宝剣が賜下されたとか。嗚呼!毛閣下は殺される!袁督師が都を出立する時、私も壮行会に臨席しました。その席で、十人に九人までが毛閣下の讒言に明け暮れておったのです。毛閣下は、確かに剽悍ではありますが、造反するようなお方では、決してありません。ただ、将軍が戦場へ出た以上、受けられない君命もございます。それが、結局は嫌疑を受ける結果となったのでしょう。 
 私は、今でも覚えています。かつて、毛閣下からいただいた書状の中に、このような台詞がありました。「辺境は今疲弊している。某がここへ来た以上、蜀を治めた諸葛孔明よろしく、厳格に対処する所存であります。」と。この言葉は、まさしく時宜に適っております。しかし、惜しむらくは毛閣下には学も術もなく、将軍職となってからは、他人からの無用な束縛を受け付けません。こうしていくつもの経略を歴任しましたが、皆、上役からの評判が悪く、その行状は反心ありと思われる程です。大吏など眼中になく、状況如何では朝命でさえも履行しない。これによって私は確信するのです。彼は殺される。 
 昔、魏讐に罪があった時、趙衰は、「国家の人材である」と言って減刑を請いました。あれだけ国力のあった晋の文王の御代でさえもこうでしたのに、今、国家危急の際にこのような事では国防はどうなるでしょう?それ故、私は姻戚の立場にありながら、嫌疑を避けずに寛大な処置を袁閣下へお願いしたのです。しかし、力及びませんでした。 
 嗚呼、毛閣下は治世では罪臣ではありませんし、乱世では怯将ではありません。もしも毛閣下が誅殺されたら、このご時世、収拾が着きません! 
 敵は意気盛ん。人材は得がたい。辺境の士気は衰え、国家の危機まさに来る!この年寄りは、その一つでも思う度に、涙を止めることができません。なのに私は耄碌し、謀略一つ巡らせない!将軍はまだ若く、威風堂々。ただ、一時の怒りに我を忘れなさるな。部下を良く励まして、優秀な人間を掴んでください。敵を討って国を安んじるのは、今はもう将軍一人が頼みの綱です。将軍の成功は、老いぼれ一人の喜びではなく国を挙げての幸せなのです。将軍、どうか励んでください!゛ 

 この書状を読み終えて、皆は感嘆した。と、一人の大将が憤然として立ち上がった。 
「そうれ見ろ、毛閣下の誅殺は朝廷の意向ではなかったのだ。あいつが独断で、閣下を殺したのだ!」 
 途端、諸将は口々にざわめいた。しかし、 
「やめないか!今はそれを言うな!」 
 制したのは呉三桂である。 
「袁閣下とて、又、ひとかどの将軍だ。もしも暗殺なんぞしてみろ。反逆罪に問われるだけではないぞ。僅かの間に二人もの将軍を失えば、我が国の将来が危ない!」 
「しかし!」 
 耿仲明が言い返そうとした時、 
「呉将軍、白遇道様がお出でです。」 
 返事も待たずに、白遇道がズカズカと入り込んできた。 
「おい、聞いたか?督師が、ここいらの砦を巡回するそうだ。」 
「なに?!」 
「毛閣下同様、我らも粛正しようとの腹かもしれん。我らは毛閣下の腹心だ。何か手を打たなければ。」 
 呉三桂は、心に迷って躊躇してしまった。すると、耿仲明が 
「座して死を待つつもりか?とりあえず、他の将軍も呼び集めよう。督師の軍団が到着する前に!」 
 衆議は一致し、他の砦へ伝令が走り、やがて、尚之信と孔有徳がやって来た。 

 孔有徳は言った。 
「督師から罰されることを恐れた錦州鎮総兵の祖大寿が、満州へ亡命したぞ。大寿は無罪だ。ただ、今まで毛閣下の指図に従っていたに過ぎない。それだけでも命を危ぶみ亡命したのだ。ましてや俺達は、毛将軍直参の部将だぞ。だから、私もこれに倣うつもりだ。もしも諸君が同意しなければ、私一人でも亡命するぞ。」 
「しかし、満州は敵国だぞ。我々が命惜しさに敵に降れば、人々は何というか。」 
 そう言ったのは白遇道だ。すると即座に尚之信が答えた。 
「満州の国王は、人心を掴むことに必死だ。我等を殺したりはするまい。それに敵国で暮らすとは言っても、心まで祖国を忘れるわけではない。ただ、暫くの間災いを避けようとゆうのだ。いずれ祖国へ帰れる機会だってある筈だ。」 
 この言葉には説得力があったので、呉三桂が言った。 
「祖大寿は私の母の一族だ。諸君が同意するのなら、暫く満州へ避難しよう。その上で、我等の思いを書状に記して朝廷へ訴えようではないか。各々、都には力になってくれる知り合いもいるだろう。復職の機会がないとも限らん。」 
 皆がこの意見に同意したので、彼らはさっそく血を啜って盟友の契りを交わした。 
 呉三桂は、菫其昌と父親宛に書状を書くと、同志とつるんで満州へ亡命した。これによって、国境の守りは破綻を来したのである。 

 袁崇煥は大いに恐れたが、しかし国の将来を思えば、この事件を隠すことができなかった。 
「諸将が亡命し、国境の警備が破綻した。」 
 後難の覚悟をしっかり定めて、朝廷へそう報告したのである。 

 知らせが届くと、朝廷の大臣達は魂を消し飛ばし、口々に袁崇煥を非難した。彼の過激な行動が、今日の大事を招いたのだ。だが、この時兵部尚書の洪承寿と礼部尚書の菫其昌が進み出た。 
「今回の事件は、全く袁崇煥の過でございます。しかし、彼とてまた良将でございます。今彼を誅殺どころか、左遷させてもなりません。どうか叱責のみに止めてください。そして、満州王へは国書を渡し、祖大寿始め六将軍の返還を頼むのです。思いますに、満州国は、我等との国交断絶までは望みますまい。必ず返還させてくれます。その上で再び国防を固めましょう。」 
 崇禎帝は受諾した。 

 この国書が届くと、満州王は臣下を集めて協議させた。彼らは協議の結果、王へ言った。 
「今、明の六将軍が亡命してきました。これは確かに頼もしい戦力ではありますが、現状国境を守るのは袁崇煥。かつての楊稿とは能力が違います。 
我等がこの要請を拒否すれば、大挙して押し寄せてきましょうか?手強い相手でございます。その時もしも手間取ったなら、六将軍はどうするでしょう?まだ亡命したばかりで、我が君からの何の恩もありませんし、郷愁は断ちがたいもの。却って敵へ内応するかも知れません。 
今の時点では、とりあえず祖大寿を除く五将軍を返還し、明に対しては、その五将軍の助命を嘆願いたしましょう。もしも五将軍が明で殺されましたら、祖大寿は絶対に返さない。そうなりますれば、明は六将軍を失っているわけですし、その部下は志気を喪失する。それに加えて祖大寿は命がけで我等の味方をしてくれます。それならば、互角に戦えましょう。」 
「しかし、奴らが呉三桂達を殺さなかったらどうなるのだ?」 
「明は五将軍を絶対に殺さない、と私達は読んでおります。ただ、我等は手段を尽くして彼らの助命を嘆願するのです。呉三桂始め五将軍は必ずや感激するに違いありません。布石としては、後々活きてくるでしょう。」 
「成る程、先まで十分に読んだ妙案だ。」 
 かくして、この計略は採用された。呉三桂を始めとする五将軍は明へ帰ることとなり、その安全については、満州王が細々と気を配った。 
呉三桂は、満州王が自分達の為に助命嘆願までしてくれ、また、故郷に帰れることも相余り大感激だった。いよいよ故郷へ帰れる段になると、彼等は満州王へ拝謁してその厚恩に拝謝したのである。 

 満州王は、彼等が決して誅殺されないどころか、いずれは従来通り国境警備に派遣されると予期していたので、彼等へ国書を託した。 

「呉三桂、耿仲明、尚之信、孔有徳、白遇道の五将軍は、皆、万人に匹敵する将軍達です。どうか重用して国家を安泰になさってください。殺戮して国家の柱石を自ら砕くような真似だけは、決して行ってくださいますな。」 

 呉三桂達はいっそう感激した。のみならず、明の大臣達も満州国王へ一片の好意を抱いたのである。明の朝廷は、満州国王へ謝礼の書状を送った。又、呉三桂等諸将に関しては、不問に処された。そもそもの原因は袁崇煥の専横にあり、身の危険から亡命したことも、やむを得ない処置と認められた為である。更に、呉三桂には重鎮を任せるよう菫其昌と呉襄が運動し、結局、彼は総戒に任命されて寧遠へ赴くことになった。 

 寧遠は重鎮である。辞令を受けた呉三桂は感激し、即座に菫其昌へ書状を送り、謝礼すると共に、一度の帰京を願った。一つには、朝廷へ恩を謝す為。もう一つには、皇帝陛下へ拝謁し、辺境の戦況・実状等を事細かに説明する為に、と。しかし、彼の本心は、別にあった。皇帝の面前で袁崇煥を弾劾し、毛文龍の無実を晴らす事である。
 片や、時の皇帝崇禎帝は、東北の戦乱を非常に重視していた。それ故、呉三桂から拝謁の請願が出たことを知ると、喜んでこれを許諾した。この時、寧遠を守る呉三桂には百戦錬磨の猛将勇卒が綺羅星のように控えていた。旗竿は野に満ち鉄壁は雲まで連なり、国中が仰がんばかりの名声である。勅書を得て、彼はさっそく信頼の置ける部下へ留守を預け、親衛隊を引き連れて都へ向かった。
 この時、国中が疲弊し弱卒が満ちる中、ただ呉三桂一人だけが堂々たる威風を保っていた。そして、毛文龍麾下でも軍功第一の実績と相余り、呉三桂の人気は爆発した。その名を聞けば泣く子も黙り、男達は彼と言葉を交わしただけでも誇りとするといった案配である。 

  

 さて、ここに田宛という男がいた。崇禎帝の皇后の父親である。彼は何の取り柄も功績もなかったが、崇禎帝が即位してからと言うもの、皇后の実父と言うだけで権勢を恣にしていた。末世と言うべきか、朝廷には気骨のある男の一人もいなかったので、彼の権勢は非難されるどころか、皆から争うように媚び諂われた。彼の屋敷には珍宝が溢れ美女が連なり、高楼は雲を貫き陽をも遮った。彼は又、南北朝時代の石崇に憧れ楊素を羨む性格だったので、豪奢なことは限りなかった。土木工事はやむことがなく、都中の名伎が常に琴を奏でて舞を舞う。その中でも、一際美しい女性がいた。名を陳元と言う。 

 彼女は、もともと名家の娘で詩画を善くし琴曲に巧みな深窓の令嬢だったが、戦乱の中で零落し、彼女自身はさらわれて伎女にまで身を落とした。しかしながら天性の美貌はまさしく傾国。たちまちのうちに艶名は都に轟き、買笑制歌の客は、「元姫」と呼んで持てはやした。既にその名が評判になると一度の舞にも高値がついたが、一度見たなら終生忘れられぬ程の艶姿。幾多の公子や王孫が、彼女を想って馬を走らせた。詞人や墨客が彼女を称えた作品は、その数も知れない。 
 この頃、呉三桂はまだ武挙に合格する前だった。世間の評判に一度だけ彼女を訪ねたが、まさしく、仙女と見紛う麗しさ。元姫も彼を一目見て、当世第一の英雄と心を奪われてしまった。しかしながら呉三桂は未だ部屋住の身分で、そうそう自由も利かない。元姫のもとを訪れることができず、彼は遺憾のうちに毎日を送るようになった。やがて、彼は毛文龍に抜擢されて、皮島へ出征した。以来、二度と元姫には会っていない。しかし、尽きせぬ思いは醒めやらぬ。彼は、陣中にて彼女を想って詩を書き、人づてに元姫のもとへ届けてもらった。その詩を読んで元姫は、呉三桂が文武を兼ねた風流の士だと判り、古来得難い人物と、慕心がますます募ってしまった。 
 そうこうするうち、元姫の艶名が田宛の耳に入り、彼は千金を以て彼女を贖った。 
 元姫は心に慕う人がいたが、どうすることもできなかった。伎館の女将は、一つには田宛の権勢を恐れ、二つには大金に目がくらみ、彼女の思いなどどこ吹く風と、田宛へ売り飛ばしたのだ。田宛は、元姫を一目見るなりその美貌の虜となってしまった。名を「圓圓」と改名させ、以来、どこへ行くにも、彼女のことを片時とて離しはしなかった。これだけ寵愛されてはいたが、しかし、田宛はもう老齢だった。圓圓にとっては不本意なことだっただろう。田宛はくさぐさに彼女を慰めたが、こればっかりはいかんともできなかった。 

 その頃、天下は大乱。毛文龍のおかげで東北の守りこそ波風断たなかったが、あちこちで造反が頻発していてた。崇禎帝は、終日終夜肝胆を砕き、話が国事に及ぶ度に嘆息する有様だった。そのような皇帝に田后は胸を痛め、何とか憂いを晴らしてもらいたいと思いを巡らすうち、フと陳圓圓のことを思い出した。 
「そう、噂に高いあの佳人ならば、もしや陛下の心を慰められるかも知れない。」 
 思いあまって父親へ相談したが、田宛にとっては青天の霹靂である。何で愛しい女と別れられようか!しかし、いくら田宛といえども、皇帝が相手ならば、打つ手はない。断腸の思いを堪えながら、遂に圓圓を連れ皇帝へ拝謁した。
 崇禎帝は、陳圓圓を一目見るなり息を呑んでしまった。花の如く月の如く、この世の女とは思えない。 
「この娘は歌笙に優れ詩画に巧み。凡俗を凌いで仙境に入ってございます。とてものこと、私が私有するべきではないと心得、陛下へ献上に詣った次第でございます。」 
「確かに、一世の佳人ではある。だがな、」 
 崇禎帝は、ため息混じりに首を振った。 
「今、国家は多難だ。朕が色に耽って遊べるときではない。国舅はもう年老いている。せめて余生の慰みに、それを傍らに置いて愛でるが良い。」 
 田宛は強いて勧めもせずに、圓圓を連れて退出した。圓圓はますます愁いを深めた。 
 ちょうどその日、呉三桂が入京したという噂が、彼女の耳へ入ったのである。彼女の思いは俄に燃え上がった。しかし、今は深門に囲われている身の上である。彼に会うことさえも叶いはしない。圓圓のその想いも知らずに、家人達の間では呉三桂の噂で持ちきりだった。数年のうちに数十の戦闘にて功績を建て、まさしく国家の柱石だ、と。圓圓はその噂を聞きながら、胸が熱くなっていった。
 その夜、田宛は酒を飲みながら嘆息した。 
「どうなさったのですか?」 
「ああ、圓圓よ、聞いておくれ。今になって私はようやく思い至ったのだ。今まで私は六朝の天子達を気取って贅沢三昧に明け暮れていたが、その天子達でさえ、悲惨な末路を免れなかった。ましてや私如きは人臣の身の上に過ぎない。石崇の金谷園を鏡とし、我が身の行いを正すべきだったのだ。況や内訌外患並び起こり、烽火の絶える時とてない。これから、私はどうなるのだろうか。」 
「もっともなことでございますわ。今、朝廷は微弱で奸臣が蔓延し、賄賂は横行。賢人と称えられている人々はただ詞文が巧みなだけで、救国の才能など持ち合わせません。旦那様は国家随一の富貴を誇っておられますだけに、一旦変事が起こったら、盗賊達から真っ先に狙われてしまいます。今のままで、どうして身を守ることができましょうか?でも、嘆かないでください。」 
 圓圓は声を励ました。 
「頼りがいのある人を探しましょう!今のうちに交わりを結び、後の助けとなるように。まだ間に合いますわ。旦那様、気を落とさないでくださいましな。」 
「成る程な・・・。確かにそれは一理ある。しかし、誰によしみを通じればよいのかね?今の朝廷にいる者は、どいつもこいつも腑抜け揃いだ。その上信義など欠片もない。今、厚く恩を施したとて、いざとなっても助けてはくれんよ。」 
「そんなことはございません。頼もしい方がおられるではないですか。まだ旦那様の耳に入っていないだけでございます。呉三桂は、武人として世に出、前線に駐屯すること数年。数多の武功を建て、今や衆望の的でございます。現在雄兵数万を擁し、敵からは畏れられ、まさしく国家の柱石。旦那様はどうしてお忘れになられたのですか?彼は幼い時から武芸に励み、長じては前線での指揮に明け暮れております。きっと、贅沢な酒宴などとは縁がなかった筈ですわ。旦那様が彼とよしみを通じようとお考えならば、美酒佳肴を山積みし、麗人を侍らせてもてなせばよろしゅうございます。彼とて木石ではございますまい。いいえ、免疫がないだけに、効果は絶大かと。そうやってお近づきになってから、奇貨珍宝を贈り、その心を掴むのです。彼が味方になってくれれば、動乱の時にもきっと愁いはありません。彼は今、この都へ来ているとか。よい機会です。これを逃してはなりません。」 
 田宛の顔がパッと輝いた。 
「その通りだ!あの男がいた!圓圓、お前は美しいだけだと思っていたが、なんと立派な策士ではないか。それなら我が一生も安泰だ。」 
 さっそく、彼は呉三桂を宴会へ招待することとした。