第三十四回  胡国柱、貴陽城へ敗走し、

       傅宏烈、桂林城に起兵する。

 

 呉之茂は敵に囲まれた。放置したら殺される。しかし、王屏藩が救援に向かえば、漢中が守れない。他の人間を差し向けようにも、談洪は傷かもとで伏せって居る。思いあぐねた屏藩は、遂に窮余の一策を採った。
「王国挙!談洪の旗印を掲げて、呉之茂の救援に向かえ!」
「哈っ!」
 王国挙の軍が出陣すると、残りの軍卒で要道を守り、王進宝へ備えた。
 ここで話は遡る。
 追撃する図海軍へ対して殿を買って出た呉之茂は、両日に亘って華亭を守った後、城を棄てた。そして、戦いつつゆっくりと退却して行った。
 これを見た図海は、諸将へ言った。
「時間稼ぎだ。併陽の陥落を聞いた屏藩は、王進宝軍がそのまま余勢を駆って艱難へ進撃すると読み、一刻も早くと漢中へ逃げ戻ったのだろう。そして、呉之茂には、我等の軍の足止めをさせる。時間を稼いで防備を固める腹づもりだ。だが、奴の勢力を回復させてはならん。屏藩は虎だ。傷が癒えたら人を噬む!ここでグスつくわけにはいかん!我等は今から、数路に分かれる。間道を通って先回りせよ。呉之茂軍を包囲して、一気に殲滅する!」
 そして、趙良棟、張勇、孫思克へ一軍を与え、図海は本隊を率いてそのまま進撃した。
 迫り来る図海の本隊を相手に、呉之茂は自軍の被害を最少に押さえつつ、戦いながらゆっくりと退却していった。と、あろうことか、その行く手に敵軍が現れると、軍鼓を鳴らしながら襲いかかってきた。間道を通って先回りした趙良棟、張勇、孫思克軍である。
「いかん!囲まれたか!」
 こうなっては、真っ向から戦うしかない。しかし、いかんせん敵の数が多すぎた。又、敵軍は勝ちに乗って士気旺盛。常に倍する勇を奮って責めかかる。とても太刀打ちできなかった。
 呉之茂は何とか包囲を突破したかったが、幾重にも包囲され、右へ突こうが左を討とうが、とても突破できなかった。
 この時、図海は、兵卒達に叫ばせた。
「漢中は既に陥落したぞ!お前達周人は、故郷へ帰る道をなくした。降伏しなければ皆殺しだぞ。」
 ここにおいて、呉之茂の兵卒達は続々と投降した。呉之茂が制しても何で止まろう。投降して行く部下の姿を見て、呉之茂は万策尽きたことを知った。
 包囲は厚く、援軍もない。しかも、清軍はヒタヒタと迫り来る。
「もはやこれまで!」
 遂に呉之茂は剣を抜いて自刎した。
 呉之茂が死ぬと、残った部下は全員投降した。こうして、呉之茂軍は全滅した。
 図海は降伏した兵卒を後方へ送らせると、残りの部下へ言った。
「鎧を解くな!我等はこのまま漢中へ進軍する!敵に一息つかせるな!」
 この頃、王国挙は呉之茂の救援に向かっていたが、途上で彼の戦没を聞いた。そして、その一軍も全滅と聞き、これ以上の進軍は無益とばかり、軍を返した。やがて、図海がそのまま南下を続けていると知り、漢中へ向かって全軍を急がせた。
 夜を日に継いで漢中へ帰り着くと、王国挙は、全てを復命した。
 聞き終えて、王屏藩は絶句した。
 ややあって、
「我が作戦の誤りだ!呉之茂を殺したのは俺だ!俺は国家に背き、呉之茂にも背いた!何という重罪だ!」
 言い終わりもしないうちに喀血し、止まらなかった。
 王国挙が慌てて抱きかかえた。
「しっかりして下さい!誰のせいでもない、これは国家の不幸です。勝敗は兵家の常ではありませんか!将軍は知勇兼備。積年に亘って図海を畏れさせたのは、他ならぬ将軍ではありませんか!敗れたとはいえ、まだ再起を図れます。漢中で守れなければ四川へ逃げて再起を図りましょう。将軍、気落ちなされるな!」
 だが、王屏藩は言った。
「化平で敗北した時、我は落馬したがまだ息はあった。大局を考えて踏みとどまって戦うべきだった。今回数年の戦いを思うに、周帝は十数万の兵卒と、大権を我に付与してくれた。だが、数年経っても寸土も得ることができなかったばかりか、却って兵卒を大勢亡くした。このままでは、我に何の面目在って四川の父老にまみえられようか?」
 そう言うや、再び血を吐いた。
 左右から抱きかかえられて帳へ入り、横になって王屏藩は思った。
”呉之茂は死んだ。談洪は傷を負い、我も又、病が甚だしい。川中からの援軍もなく、敵の追撃は厳しい。このままでは漢中は守れない。その時、敵の捕虜となって千載にまで笑いを遺すのか?それに、大局を見るに、再起は難しい。もし、不幸にして我が国が滅べば、我はどこへ逃げればよいのだ?昔、武侯は言った。「事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり、」と。何と強い人だ!我はそこまでできぬ。”
 もはや、辱めを受けぬ為には自刎するしかないと、思いこんだ。そこで、病をおして筆を執ると、川中へ宛てて戦守の計略をしたためた。又、談洪を四川へ送って療養させ、勇将は守備に就くように命じた。それらの事をやり終えて、自刎しようと心に決めた。
 と、その時、伝令兵が駆け込んできた。
「図海の大軍が来襲しました!程遠くない所まで来ております!」
 屏藩は左右の臣へ守備へ就くよう命じ、一人残って呟いた。
「もはや、一刻も猶予はない。」
 嘆息すると剣を抜き、自刎したのである。
 ああ、憐れむべし屏藩。彼は一員の勇将。戦陣に臨むこと数十年。戦功は世に卓抜し、秦隴一帯の土人は、号して「虎将」と称す。呉三桂に帰属した後は、多くの清将が彼の手に掛かった。 その功績を述べるなら、丞相莫洛を殺し、貝子顎洞を敗り、図海を破って平涼への通路を確保した。王進宝、趙良棟、孫思克は皆、一時の勇将。清国では戦上手と呼ばれたが、皆、彼に苦しめられた。
 惜しむべし、僅かの差にて遂に図海に乗じられ、自刎して身を終えた。
 当時、これを論じる者は、天意と言ったが、中には、「王屏藩が遷延して進まなかった為に後れをとったのだ」と評する者も居た。
 後、彼を詩に詠った者が出た。  

 屏藩は健将と称し、妙策を以て清軍を苦しめた。
 その戦功は三秦にて著しく、百戦して名を成した。
 しかし、大敵との戦いに、たちまちにして長城を失う。
 そして、月が落ちて星が沈んだ日、 呉周の棟梁が傾いたのだ。

 

 王屏藩が自害した時、諸健将はまだそれと知らなかった。
 翌日、図海の大軍が到着したと聞き、李本純は諸将と共に入帳し、俯せになった屏藩の姿を見つけた。そして、一面が血潮に濡れているのを見て、アッと驚愕の声を挙げた。
 近づいて触れてみると、既に冷たくなっていた。人々は悲しみにうち沈む中で、四川への書状や談洪を後方へ回したこと等が、死を決した屏藩の最後の仕事だったのだと理解した。
 小机の上へ目を移すと、遺書らしきものがあった。李本純がこれを開けば、兵符を交付してあっただけ。李本純は、これを陳旺等へ見せると、言った。
「王将軍は、一つの計略さえ残さずに自害された。残された我等が、どうしてこの重任に耐えられようか!我には、王将軍の思いが判る。将軍は、『漢中を放棄せよ』と命じるに忍びなかったのだ。そして、図海と戦いにならないことを知り、『これと戦え』と言うに忍びなかったのだ。
 だが、どちらかの道を取るしかない。漢中を死守して救援を待つか、四川へ逃げるか!」
 陳旺と王国挙は顔を見合わせた。
 やがて、陳旺が言った。
「そりゃ、漢中を守り通せれば、それが一番だ。しかし、援軍が来る前に漢中が陥落すれば、我等は最早全滅だぞ。」
 王国挙は言った。
「軍威盛んだった昔日でさえ、ようやく互角だったのだ。ましてや今、兵は少なく、志気も萎えている。武器も少なく軍馬も傷ついているのでは、十日と持ちこたえられまい。援軍が来るまで、どうして防げようか?ここは、速やかに逃げて後に期待するしかない。まず、三軍を保つことが先決だ。」
 これを聞いて、李純本も撤退を決意した。そこで、陳旺に屏藩の棺を護らせ、先行させた。
そして、王国挙の軍を第二陣と為し、自身が殿となった。彼等は王屏藩の旗印を掲げて、漢中を棄てた。
 この時、時刻は黄昏時。城内では篝火を赤々と焚き、それを擬兵として、闇に乗じて逃げ去った。
 一方、図海軍。彼等は既に城へ迫っていたが、談洪の負傷や、まして屏藩の自害など思いも及ばず、敵を用心して敢えて攻撃を掛けなかった。
 彼等は、漢中を攻略する為に、諸将が集まって十分に協議を凝らしていたが、二・三日してみると、王屏藩の軍中が静まり返っており、人の気配が全くなかった。そこで、斥候を放って調べさせ、始めて周軍が退却したことを知ったのである。
 こうして漢中を占領した図海軍は、しばらく兵卒を休養させ、その後に四川攻略に向かうこととした。

 ここで話は呉世蕃へ移る。
 彼は即位した後雲南へ帰り、五華宮を正殿とした。 この五華宮とは、かつての永歴帝の行宮である。呉三桂が真州に居た頃、これを壮麗に飾り付けた。
 呉世蕃は聡明な人間だったが、まだ戦闘に立ったことがなかった。そこで、この大事に当たって、全てを諸臣に任せた。夏相国を上柱国左丞相に任命し、宮府の事を決裁させた。そして、馬宝と胡国柱を天下大元帥に任命し、兵事を全て任せたのである。

 馬宝は撤退する時、本当は貴州へ退いてここを守りたかった。それに対して胡国柱は、才知走った人間だったので、国の将来に見切りをつけ、酒宴や詩賦に終日興じるようになった。とうとう、彼の妻が諫めた。
「ふ馬は国の至戚ですよ。先帝陛下から大任を託されたのではありませんか。今、嗣君が立ったばかり。国の将来は暗澹として、人心は恐々としております。今こそ、御国の為に力を奮うべき時です。もしも座して日を暮らしているのなら、お伺いいたしますが、巣が壊れた時、無事な卵があるものでしょうか?」
 胡国柱は感悟し、馬宝と協議した。
「貴州は険阻な土地。雲南の藩塀とすることができます。ですが、我々が撤退しすぎると、その分、敵は進撃します。もし、敵が貴州攻撃まで始めますと、雲南の民は動揺しますぞ!さて、湘から貴州へ入るには、二つの通路があります。一つは辰州の展龍関、もう一つは武岡の楓木嶺。どちらも一夫で守れば万夫が足止めを喰らう程の難所です。ですから、某がここへ向かい、兵を二分してこの両所を守りましょう。将軍は貴州へ駐屯し、湖南、真州、広西各路への声援となっると同時に、兵糧を準備してください。もしも吾が敵兵を撃退しましたならば、将軍は貴州から北へ進まれて下さい。そして敵の背後へ回ったならば、川、湘の声援ともなれますぞ。」
「ふ馬の計略は、妙策ですな。もしもふ馬が力を尽くされるなら、吾も貴州までは撤退しないで踏みとどまり、ふ馬と共に敵を撃退しましょう。」
「いや、その必要はありません。将軍の軍は、戦い続きで疲れております。それに、撤退したばかりで兵卒の志気も低下しておりましょう。それに対して我が軍は、長沙にて長い間鋭気を養って参りました。そして、敵を畏れてもおりませんから、使えます。我が軍が清軍を撃破すれば、将軍の兵卒も志気が揚がりましょう。それまでお待ち下さい。」
 馬宝は、胡国柱がとうとうやる気になったので、その計略に従うことにした。そこで、まず貴州へ入り、雲南の門戸となったのである。
 この時、胡国柱の陣中には、なお、三万の兵卒がいた。その上、夏国相の軍から郭荘図を援軍として貰い受けた。そこで、大将の呉国賓に万人を与え、郭荘図と共に楓木嶺へ派遣し、自身は二万人を率いて展龍関へ向かった。
 対して、清軍は岳東の代わりに貝子頼塔を派遣した。将軍の穆占は、まだ長沙が陥落する前に、蔡敏栄の援軍にと図海が派遣した将軍である。彼等は、清軍が手を焼いていた時は互いに状況を観望していた。だが、形勢が良くなると、自然と手柄を争うようになった。彼等に前後して、簡親王ラフ、将軍キジコ、貝子尚善も各々大軍を率いて湖南の境内に駐屯した。彼等の総勢は十万を下らない。
 当時、清朝廷は、一斉に長沙を攻撃するよう命令していた。
 頼塔、尚善、ラフ、穆占、キジコは、皆、一代の貴人である。蔡敏栄は、彼等とはとても功績を争えなかった。それに王公も、この貴人達に手柄を建てさせたがったので、蔡敏栄は武昌の陳撫に回り、荊州に沿って四川を窺った。頼塔は隊を分けて真州へ進み、穆占とキジコは貴州目指して進んだ。ラフは長沙に駐屯して、後援となると共に湖南の制圧に力を注いだ。そして、尚善は湘、韓を鎮圧して回った。
 これらの軍中で、頼塔のみが、賊軍をなめてかかっていた。グズグズしていたら、他人に手柄を取られてしまうとばかり、勇んで桂州攻略へ向かったのだった。
 各々の持ち場が決まると、穆占はキジコと協議した。
「湖南から貴州へ入るには、二つの道がある。一つは、辰州の展龍関。そしてもう一つは、敵将の呉、郭が守る楓木嶺。そこで、吾と将軍で、各々一つを攻撃し、二カ所共に陥してから貴州へ攻め込もうではないか。キジコ将軍は、どちらの攻撃をお望みかな?」
「御国の為の出撃です。どちらが良いもありません。将軍は楓木嶺を攻撃なさって下さい。吾は展龍関を攻撃しましょう。そして、どちらかが先に陥したら、もう片方を加勢するとゆうことで。」
 そこで、穆占は展龍関へ、キジコは楓木嶺へ向かった。
 胡国柱が守る展龍関は、正しく天然の要害。道の両側は高くて険しい山が壁のようにそそり立ち、いくつかの小道以外に抜け道はなかった。貴州へ続く中央の広い道は、展龍関によって阻まれている。
 胡国柱は、手勢の半数を関の中へ入れ、残る半数は関の後ろへ置いて後援とした。又、いくつかの隊を分けて、小道も警備させた。
 ここに、白延華とゆう部将が居た。彼は、孫可望麾下の部将だった白文選の息子である。孫可望が卒すると、彼は呉三桂へ帰順し、今では胡国柱の軍中にいた。
 ところで、呉三桂の軍中では、元の孫可望の部将が、けっこう抜擢されていた。しかし、白延華は若い頃から戦上手で知られていたのに、今では胡国柱の部下に過ぎず、彼に膝を屈しなければならない。だから、彼は不満が鬱積していた。
 ある日、胡国柱は白延華へ兵を与えて展龍関の巡回をさせた。命令を受けた白延華は、まず、自分の陣営へ戻って酒を飲んだ。ところが、彼が酒を飲んでいる時に出火した。兵卒の失火である。なんとかこれを消し止めた時には、多くの兵糧が焼失してしまった。胡国柱は激怒し、白延華を責め、彼の官位を剥奪した。
 この白延華には、李英とゆう腹心が居た。官位を剥奪されてから、白延華は心中ますます憤り、李英に言った。
「我々は元々惰弱ではない。ただ、誤って大周へ投降したから、力を発揮できないのだ。なんと、絶好の機会を逃したものではないか!長沙に居た時に清へ投降していれば、こんな羽目には陥らなかったものを!」
 と、そんな話をしているところへ、来客があった。護糧哨弁の将栄である。二人は慌てて目で合図し、口をつぐんだ。ところが、その有様を見て、将栄はピンと来た。
”何か企んでいたな。”
 そこで、将栄は水を向けた。
「昨夜の出火は、原因不明なのです。もしや、敵の間者の仕業かもしれない。それならば、我等が懲罰を受けるなど、筋違いな話ですぞ。」
 すると、白延華は言った。
「いや、あいつはそんなに甘くないさ。それは君一人の意見なのだろう?」
「私はこんな職は受けたくなかった。いっそのこと逃げ出そうかと思っています。」
「何でそこまで?」
「敗北前の軍では、齟齬が多いと聞きます。今回、我等に罰されるべき失態がありましたかね?人間は、どこででも生きて行ける。何も呉周にこだわる必要はありません。」
「一理あるな。何か良策があったら聞かせてくれないか?実は、吾も又同じ思いなのだ。」
 そこで、将栄は率直に言った。
「我等揃って、清へ投降してみれば?」
「それは良いが、ツテがない。結局実践できぬだろう。」
「いや、心を尽くして機会を窺えば、やがて、機会は向こうの方から転がり込んで来る。そうゆうものです。」
 白延華は納得し、三人で誓いを交わして盟約を結んだ。そして、それを誰にも知らせず、密かに機会を窺ったのである。
 一方、穆占将軍は展龍関へ総攻撃を開始した。胡国柱は全力で防戦する。数日の攻撃で何の成果も上がらなかったので、穆占は軍を分散して間道を探させ、展龍関の背後に出ようとした。だが、胡国柱の備えも固く、清軍は大勢の斥候が捕らえられてしまった。
 穆占は焦り、再び総攻撃を命じた。今回は十分な火器を準備して、胡軍を攻撃する。しかし、胡国柱は水をふんだんに備えていたので、火矢も全く効果がなかった。関の上からは、矢や石が次々と落とされ、清軍は甚大な被害を被った。こうして、穆占は為す術もなく再び撤退した。
「この展龍関を、まともに攻略できると思うのか。」
 胡国柱は意気揚々。ただ一つの心配は、内通者。そこで、腹心に関内を巡察させた。
 被害ばかりで成果が挙がらない穆占は更に焦燥し、遂に、決死隊を募った。
「展龍関を陥せば恩賞は重いぞ。戦死者には、遺族に百金を賜下しよう。」
 応募した兵卒から千人を選抜した。彼等に頑丈な武具を与えると、各人へ土嚢を背負わせ、関へ向かって進ませた。又、南懐仁が造った西洋大砲も前軍へ押し出し、これで関を砲撃した。
 清軍が、鼓躁して進む。その兵卒が土嚢を背負っているのを見て、胡国柱は敵の計略を読んだ。そこで、前軍を関から出撃させ、迎撃した。周軍の槍攻撃で、清の決死隊は甚大な被害を受けた。それでも関の前まで進んだ兵卒も居たが、ここで火器の攻撃を受け、悉く焼き殺されてしまった。
 すると突然、清軍から砲声が挙がり、展龍関の門が吹き飛ばされた。これに気勢を挙げ、穆占軍は展龍門へ殺到した。だがその時、周軍の大砲が火を噴いた!
 轟声は天をも崩し、爆裂して地を砕く。関口に群がっていた清兵を外す筈がない。一発毎に、多数の清兵が粉々に吹き飛ばされた。それだけでも数え切れぬ程の死者を出したのに、周軍は更に槍を投げ、火を擲ち、上から下へ向かってさんざんに攻撃した。
 清軍はどうすることもできず、遂に撤退した。この突撃で、彼等は徒に死傷者を出しただけだった。そしてその数は五・六千を数えた。穆占将軍は、歯がみしながら十余里程退却したのである。
 度重なる敗戦に、穆占は煩悶した。だが、何らの良策も浮かばない。すると、前営分統の祁保が面会を求めてきた。
「何かあったのか?」
「はっ。」
 祁保は言った。
「実は周軍には白延華とゆう部将がおります。奴は元々孫可望麾下の能将。それが今や、かつての同輩である胡国柱の部下となり、不満が鬱積しているそうです。それで、かねてより我が軍に投降したがっていたのですが、先日、失火の責任をとらされて、遂にぶち切れたようです。部下の将栄、李英と共に内応すると申し込んできました。」
「ふむ。」
 穆占は思案気に言った。
「趙良棟は、孫年の内応を当て込んで大敗した。だから、そうゆうことは慎重にやらねば裏をかかれる。さて、今は両軍あい臨んでおる。これ以上ない程警戒は厳重であるし、胡国柱も部下の造反には目を光らせているだろう。それなのに、どうしてそのような連絡が取れた?これがまず疑わしい。」
「実は、先程話した李英とゆうのは、もともと安王の麾下にいた者。その頃は私と同輩で、我等は昵懇の仲でした。安王が江西にて高大節に敗れた時、周軍に降伏し、今では胡国柱の麾下にいるのです。
 さて、前回周軍は始めて出撃して我等と戦いましたが、その際、彼は戦うと見せかけて我が陣へ駆け込み、実状を具に語ってくれたのです。吾はもとより、この話を信じております。将軍、どうか将軍もお疑い下さいますな。」
「何度も煮え湯を飲まされながら、為す術もなかったところだ。そんな縁があるのなら、それも又妙策。ただ、胡国柱に裏をかかれるのではないかと、それが不安なのだ。」
「いえ、李英は単身で我が陣中におります。これが計略なら、どうして逃げ出さずに居るでしょうか?」
 そう聞いて、穆占はしばらくうち案じ、ややあってから言った。
「もしも帰順が本心なら、願ったりだ。我も一案を思いついたぞ。展龍関は正面からでは難攻不落だ。その李英が帰順したのなら、そいつを郷導として間道を通って関の背後へ出、興廃からこれを攻撃するのだ。」
「それは好都合です!今、胡国柱は正面の防戦に追われ、間道の警備は白延華へ任せているのです。」
 穆占は大喜びで準備にかかった。
 祁保は営へ帰ると、李英へ経緯を語り、白延華への伝言を頼んだ。すると、李英は言った。
「我は既に逃げ出したのだぞ。今、周軍へ帰れば、内通したのがバレバレじゃないか!別の人間を遣いに出せよ。」
「馬鹿言うな。敵も警戒してるのに、どうやって敵陣へ忍び込ませられるのだ?伝言ができないのでは、この計略も実践できないぞ。」
「いや、そうではない。我が陣に帰ったら、殺されることよりも、この内応がばれてしまうことの方が心配なのだ。そうなれば、計略を逆手に取られかねない。別の人間を派遣しろと言ったのはその為だ。我の言う道を辿れば、白延華の陣へ出られる。」
 祁保は納得し、腹心を選び、周兵の扮装をさせた。彼が李英から教わった道を辿れば、果たして白延華の陣へ着いた。白延華は来意を知ると、隠密に談議を凝らした。やがて、彼は清の陣へ帰り、こうして白延華の内応は成立した。
 そんなこんなで数日経つと、胡国柱は不審に思った。
「ここ数日、敵は目立った動きをしていない。これはきっと、間道からこの関をすり抜け、背後から攻めようとしているのだろう。警戒を厳重にするよう、白延華を戒めなければ。」
 そんなある日、胡国柱が兵糧を点検していると、伝令兵が飛んできた。
「敵襲です!関の背後から大軍が襲撃してきました!」
「なに!」
 胡国柱は大いに慌てた。
「我等に気づかずに背後へ回ったのか?白延華は何をしていた!状況を糺せ!」
 伝令兵が白延華のもとへ飛んでいったが、その白延華の姿がどこにも見えなかった。
 胡国柱は仕方なく、全力を挙げて防戦に励んだ。 だが、既に大軍が背後から攻撃してくる。しかも、それに呼応して関外からも敵が猛攻をかけてきた。腹背に敵を受けた胡国柱はとても支えきれず、関を棄てて逃げ出すしかなかった。
 穆占は、手負いの獅子の恐ろしさを知っていた。そこで、完全に包囲せずに一方だけは道を開き、胡国柱軍を逃がしてやったのである。
 胡国柱は、展龍関の戦闘で何度も敵を撃退したのに気を良くし、そろそろ進軍の準備をしよう、と、馬宝へ報を飛ばした矢先だった。図らずも白延華の裏切りにあって潰走し、貴州へ逃げ帰ったのだった。
 さて、展龍関を占領した穆占は、白延華の功績を高く評価し、副将に抜擢するよう奏上した。そして、白延華を得たことで、胡国柱軍中の虚実を知り尽くすことができたのである。
 戦後処理が終わった後、穆占は、全軍をしばらく展龍関にて休息させた。その傍ら、楓木嶺の消息も探ったのである。

 楓木嶺は、険しい山々が重なっている難所である。
 キジコ将軍は、大軍を率いると宝慶から下った。行く手にそびえる山又山。平坦な道などちっとも無い。これでは、伏兵がどこにいるのか見当も付かず、探索するさえ困難である。キジコは困惑して諸将に言った。
「このような地形だと判っていたら、こっちへは進軍しなかったものを。」
「しかし、敵兵は既にここいらに駐屯しております。もしもうち捨てておけば、やがて鋭気を養って、再び長沙を襲撃するでしょう。」
「それなら、長沙を堅守すればよかったではないか。敵の再出を防ぎつつ、広西と貴州を奪う。そうすれば、奴等がここを守っていても、何の役にも立たなくなるぞ。」
「しかし、既に大軍で此処まで来たのですぞ。これからどうなさるおつもりですか?」
「そりゃ、苦労して此処まで来たのだ。何もせずに帰るわけにはいかん。それに、穆将軍との約束もあるしな。ここから貴州へ入ろうとすれば、もう、ここを越えるしかない。我が軍が引き返したら、穆将軍にまで齟齬が出てくる。展龍関とは離れすぎていて連絡を取るのも容易ではない。こうなれば、進取あるのみだ!」
 そこで、彼等はとりあえず陣を築き、斥候を出した。斥候達は前後して帰ってきて、異口同音に答えた。
「どの道も山や林の中で迷路のようになっており、進路が判りません。」
 だが、敵の布陣は判った。多くの小隊に分かれ要所要所を守り、伏兵は随所に設けてある。各小隊は連絡を密に取り、警戒はどこも厳重である。
 キジコは判ったような顔をして聞きながら、その実、どうして良いか全く見当も付かなかった。ただ、闇雲に進軍しては、伏兵から打撃を受けてしまう。そこで、いつの間にか軍は三つに分かれた。一軍は進軍し、二軍は伏兵に備え、三軍は急に応じられるように。軍は、緩慢に進んで行った。
 第一軍は、十余里程先行していた。すると、突然、大軍が現れた。旌旗をひらめかせて、左右に分かれている。キジコ軍は、敵の旌旗へ向かって大砲を撃ったが、敵は全く動かなかった。続いて第二撃。それでも全く応答がない。そこで始めて、旌旗だけで敵兵は居ないことに気がついた。
 案山子のように旌旗だけが林立していることを訝しく思っていると、突然、左右から弾子が雨のように降ってきて、アッと言う間に大打撃を受けてしまった。
「伏兵だ!」
 しかし、どこに伏兵が居るのかも判らず、その攻撃を防ぐ術もなかった。
”これ以上進んでも無益だ。”
 キジコは咄嗟に判断すると、撤兵を命じた。散々たる敗北である。
「これは、どうにもならんぞ。ただ、なんとかして楓木嶺の背後に出る道さえ判れば、為す術もあるのだが。」
 そこで、キジコは地図を広げた。
 地図に描かれた楓木嶺地方は、左右全てが山脈の連続だった。そして、呉国賓と郭荘図が、既に要所要所を占領している。進軍できる間道など、どこにもなかった。だが、綿密に地図を辿っているうちに、フ、と気がついた。
「城歩、霊川、桂林。この通路なら進めそうだ。もしも桂林が援軍を出してくれたとしたら、霊川、城歩経由で楓木嶺の背後を衝ける。そうなれば、敵勢を総崩れにできるぞ。それに、敵軍は北路へ全力を集中している。広西からの通路には留意して居るまい。これは巧くゆきそうだ。」
 そこで、早速桂林へ伝令を飛ばした。援軍は、火を消し止めるように迅速でなければならない。伝令兵は、必死で馬を飛ばして桂林へ急いだ。
 桂林を守るのは、頼塔貝子の一軍である。キジコからの伝令で、彼が楓木嶺を攻めあぐんでいることを知り、すぐに援軍を決意した。しかし、撫臣自らが桂林を離れるのは宜しくない。そこで、早速諸将を集めて軍議を開いた。
「誰か城歩へ赴く者は居ないか?」
 だが、誰も皆楓木嶺の険しさを知っており、顔を見合わせるだけでなかなか名乗りを挙げなかった。すると、桂林知府の傅宏烈が、憤然として言った。
「それがし、不才とはいえ、この任務に当たりとうござる。五千の精鋭を貸して下されば、必ずや呉国賓と郭壮図を捕らえて見せましょう!」
 頼塔は大いに喜び、即座に承諾した。そして、本部から三千の精鋭を選りすぐり、別に二千の勇士を募集して彼に与えた。その他、輜重隊まで入れて、一万の軍勢が編成された。
「公は五千と言ったが、今、一万の軍を編成して公に威を添えよう。必ずや凱旋して広西の威勢を挙げてくれ。」
 傅宏烈は言った。
「今は国家の大事。卑職は御国の為に分毫の力を尽くそうと、久しく腕をさすっており申した。今まで、諸公が手柄を建てるのを聞きながら、卑職独り、何で安閑とできましょうぞ。今、大将軍から大任を蒙り申したが、これこそ我が念願。もしも失敗しましたら、たとえ罰を下されなくとも、大将軍に遭わせる顔があり申さん!」
「うむ、心強い。」
 頼塔は頷いた。
「公のような忠勇の壮士を今まで重用しなかったのは実に惜しむべき事だ。今、手向けの杯を以て、壮公の出陣を祝おうではないか。」
 頼塔が酒を振る舞うと、傅宏烈は一杯を飲んだだけで、後は辞退した。
「今は酒宴を開くときではあり申さん。キジコ将軍は武崗にて進退窮まり、救援を待ち望んでおり申す。卑職は即座に出陣いたす!後日、叛乱を平定した後、大将軍と共にゆっくりと太平の宴を飲み申そう。」
 頼塔は又も、大いに喜んだ。
 こうして、傅宏烈率いる一万の軍勢が桂林を出陣し、城歩目指して進軍したのである。