第三十二回  呉世蕃、衡陽にて位を継ぎ、

         夏国相、黔省まで兵を退く。

 

 さて、趙良棟軍は突撃した。不朽の大功を建てられると気負い込んだ兵卒達の勢いは凄ましく、後陣に居た少数の周兵達はたちまちにして潰走し、蓮児は敗北を知った。
 周の前軍は、さっさと先を急ぐ。それを見て、趙良棟はハッとした。
”ここに呉三桂が居るのなら、どうして周兵はそれを見捨てて先を急ぐのか?それに、この後陣は、兵卒が少なすぎる。”
 だが、清の兵卒は既に戦闘を始めており、急に体勢を立て直すことは出来ない。清兵は、周の後軍を包囲した。
 前軍が去ったのを見て、蓮児は従兵へ言った。
ここで死んでも無益です。降伏なさい。」
 その一言に救われた想いで、兵卒達は次々と降伏した。
 もはや、日も暮れた。蓮児は自刎しかけて、フと思った。
”死ぬのは容易い。でも、殿が居ないと知ったら、趙良棟は必ず前軍を追撃する。もっと時を稼がねば。”
 そう思っている間に、後陣を占領した清兵達が陣営へ入り込み、蓮児を捕らえた。だが、呉三桂の姿が見えないので、兵卒は趙良棟へ報告した。
「呉三桂は居りません。捕らえましたのは、婦女が一人だけです。」
 引き出してみると、妙なる佳人。華をも欺く麗しさ。趙良棟は一目で魂を奪われかけたが、心を奮わせて言った。
「お前は何者だ?何故、呉三桂の本陣に居る?」
「周帝陛下は、前軍に居り、先へ行かれました。妾は単なる侍女に過ぎません。」
「その侍女が、どうして残っている?なぜ一緒に行かなかった?」
「さあ?陛下の深謀は図り知れませぬ。案外、将軍を誘い込む罠かも知れませんわよ。」
 趙良棟は半信半疑だった。それに、目の前の女性は美しすぎた。ともすれば、己の物にしたいとゆう想いに駆られそうになりながら、しかし、部下の手前それを押さえ、努めて平静を装うと彼女を后帳へ押し込ませた。
 蓮児は逃げることもできなかった。心中からは無限の悲戚がこみ挙がる。死ぬこともできず、生を盗むのも忍びない。ただ、誰もいないところへ駆け込んで、思う様涙を流した。
 翌日、趙良棟が、一人で蓮児の部屋へやって来た。その時、蓮児はうたた寝をしていたが、趙良棟は、机の上に数首の詩が記されているのに気がつき、手に取ってみた。

 弱柳、今日飄たり。名花、去年と異なる。
 君王を見るを得ず。 妾の命、薄きこと煙の如し。
 国事、今、何を苦しむ?妾の心、自ずからただれる。
 君王を見るを得ず。 妾の命、薄きこと花の如し。
 故国、首を回し難し。深宮へ帰ること能わず。
 君王を見るを得ず。 妾の命、薄きこと冰の如し。

 これを読んで、趙良棟は胸を痛ませた。
”蓮児は、か弱い女に過ぎない。それなのに、ここまで一途に思い詰めるとは。ああ、このような女性が他にいようか。だが、考えてみれば、呉三桂のもとには、忠臣義士がきら星のように揃っている。これは彼の人徳か?もしもそうなら、私は、何と恐ろしい相手と戦っていることか!”
 彼はそのまま、足を忍ばせて部屋を出た。
 翌日、趙良棟は、再び蓮児の部屋へ赴いた。今回は起きていた蓮児は、趙良棟を見て大いに慌て、身を固くして部屋の隅へにじり寄った。その有様を見て、趙良棟は言った。
「怯えなくても良い。おかしな事はしないから、そこへ座りなさい。」
 否の言葉に安堵して、蓮児が居住まいを正すと、趙良棟も座り込んだ。
「昨日、御身の作を読ませてもらった。」
 趙良棟は言った。
「御身の心は判った。だがな、呉三桂は大業を成し遂げられる人間ではない。御身の願いは叶えられなかったが、しかし、我が身を徒に傷つけることはあるまい?」
 その心を悟って、蓮児は言った。
「忠臣が、挙亡によって心を変えたりしないように、烈女も盛衰によって節を変えたり致しません。妾は周皇帝のご寵愛を蒙り、後宮の寵を一身に集めました。今、零落したとはいえ、どうして周皇に背けましょうか?」
「先日も御身に尋ねたではないか。呉三桂は先へ行った。御身を残したままで。何故だ?」
「それは周皇の深いお考えあってのこと。妾の知るところではございません。」
「なあ、御身には溢れるばかりの才覚がある。しかも節義正しい。俺は愛おしくてならぬのだ。御身は俺に従ってはくれぬか?」
「お戯れを。妾はそれ程の女ではございません。それに、妾は既に周皇のご寵愛を受けました。それでいて、もしも将軍の女になってしまうならば、何とも無節操な話ではありませんか。そんな尻軽女、将軍には相応しくございませんでしょ?もしも妾に気を配っていただけるのでしたら、どうか四川へ帰して下さいまし。そうすれば、将軍の御恩、妾は一生忘れません。」
「呉三桂など、老いぼれだぞ!もう、先も短い。そしたら、その後、御身はどうするつもりか!」
 とうとう、趙良棟は怒鳴り声を挙げたが、蓮児は静かに頭を下げた。
「黄泉路の果てまで、お供しとうございます。」
 その姿に、趙良棟は彼女の堅い操を見て取り、深く嘆息して退出した。
 以来、蓮児は志を定めた。もう、死あるのみ。誰もこれを阻めない。だから、飲食を出されても、唇さえ湿らさなかった。ただ、食べたくないと言うばかり。数日すると、飢餓が極まって病となった。
 報告を受けた趙良棟は、心に忍びず、釈放してやろうかとも思ったが、しかしやっぱり放ちがたい。そこで、使者を派遣して蓮児を説得させた。
「どうか、そんなに自分を傷つけないで下さい。将軍は釈放しようと言われているのですよ。もうじき成都へ帰れますのに、そんなに弱り切っておりましたら旅もできないではありませんか。どうかご自愛して飲食し、体力をお付けになって下さい。」
 だが、蓮児は言った。
「妾の体こそ此処にありますが、心は既に成都に居ります。もしも将軍が憐憫を加えられますのなら、今すぐにでも釈放して下さいまし。そうすれば、旅路旅路で飲食して体力を付けましょうほどに。」
 使者の報告を受け、その志の強さを改めて思い知った趙良棟は、すぐにでも釈放してやろうと思った。
 だが、左右の臣の中には、讒言する者も居た。
「凡人は生を貪るもの。ましてや婦女ですぞ!目の前で絶食しているのは、ただ将軍の憐憫に訴えているだけです!久しく囚えておれば、必ず馬鹿らしくなってきます。かつての洪承畴が良い例ではありませんか。今、絶食にほだされて釈放するのは、彼女の計略にはまるようなものです。」
 趙良棟は納得し、しばらく蓮児を放置することにした。ただ、飲食物は毎日届けた。
”蓮児も、飢えに我慢できなくなったら、きっと食べるだろう。”
 だが、蓮児の志は変わらなかった。息がか細くなりながらも、床に身を伏せるだけ。顔色は蒼白となり、腰回りは痩せこけ、体は綿のように柔らかくなったが、それでも死ねなかった。そこで、首をくくろうと思ったが、その時には、それだけの気力も残っていなかった。
 もはやこうなると、飲食どころではない。勧めた食糧にまるで手が着けられなかったと知り、趙良棟は深く後悔し、彼女の命を惜しんだ。そこで、人参を煎じて勧めさせた。だが、この時蓮児は意識こそはっきりしていたものの、薬湯を飲み下すことさえできず、その夜半、息を引き取った。享年二十四。
 蓮児の死を知り、趙良棟は大いに悲しんだ。
「蓮児を愛していたのは、彼女の美ぼう故ではない!その才覚を愛していたのだ!今、彼女は節義を尽くして死んだ。何と惜しむべき事だ!」
 そして、手厚く葬るよう左右の臣下へ命じた。
 蓮児の死に顔は生きているようで、趙良棟も諸将も、皆、これに頭を下げた。
 後、趙良棟が四川へ入った時、彼は蓮児の棺をそこへ改葬し、貞姫墓と名付けた。
 さて、周軍が退却してしまった時、趙良棟はそれを図海へ報告し、後の指示を仰いでいた。すると、図海からは撤退するよう命令が下った。
”まず、王屏藩を撃破するのが先決。その後に、四川を攻撃する、”と。
 そこで、趙良棟はひとまず陜西へ戻った。

 話は変わって、談延祥。彼は王会、洪福と合流して荊州を攻撃した。
 当時、清軍は大軍を長沙へ動員しており、荊州の守備は手薄だった。 襄陽を占領した時に略奪した清軍の旗指物があったので、談延祥は清軍に偽装して進軍した。一方、王会と洪福には荊州の東北両門を攻撃させた。
 対して、清将は、まさか敵が襲撃するとは思わなかった。城中には兵卒も少なかったので、討って出ようとはせず、ただ城門を閉ざして守りを固めるばかりだった。
 そこへ、清の救援部隊を装った談延祥が、夜半、荊州城へ近づいた。城内の清兵は、真偽が判らなかったが、彼等の持っている旗指物は、確かに清軍のそれである。そこで、援軍と思いこんで門を開け、城内へ導き入れた。談延祥は入城すると、たちまち荊州城を占領してしまった。
 談延祥は、王会と洪福に荊州の鎮守を命じ、自身は呉三桂の遺詔を持って、長沙へ向かった。

 談延祥が単軍でやって来たと聞いた馬宝は、何か訳ありと思い、急いで招き入れた。すると、談延祥は呉三桂の遺詔を見せた。各員の慟哭がひとしきり終わると、胡国柱は言った。
「先帝の遺詔で指名された世継ぎは、庶出の上、幼少である。先の太子が都で殺されたとはいえ、皇太孫はまだ健在。序列から言っても、彼を立てるべきではないか。昔、明の太祖が天下を平定した時、皇太子は死んでいたが、幼少の孫を立てた。これが建文帝である。これを見ても、嫡庶の序列を乱してはならぬことが判る。ましてや太孫は既に成人。もしも庶子を立てたりすれば、お家騒動の始まりとなるぞ。外患が片づかないうちに内憂を起こすなど、絶対に避けなければならない。」
 すると、馬宝は言った。
「確かにその通り。しかし、先帝の遺詔があるのです。誰が逆らえましょうか。」
 そこで、夏国相は談延祥へ尋ねた。
「先帝がこの遺詔を書いた時、将軍は傍らに居たのかね?又、その時の陛下の病状はどうだった?」
「小将は、その時諸将と共に陛下を見舞っておりましたが、確かに陛下ご自身でしたためられました。ただ、病状はかなり重く、書き上げられますとすぐに横になられましたが。それでも末将へは、まず荊州を奪い、長沙への通路を確保するよう命じられました。
 しかし、陛下が在りし日には、太子が殺されたことに胸を痛め、太孫の為に国事を努めて父の仇を討ってやると申されておりましたのに、この遺詔は、太孫のことに言及しておりません。どうして忘れられたのでしょうか?きっと錯乱なさっていたのです!
 錯乱した時の命令には従ってはなりません。それに、年長の君を立てることこそ国の福です。私の想いも胡ふ馬と同じ。詔を改めて太孫を立ててこそ、国の幸い。これは適宜な処置です。決して遺詔に背くわけではありません。」
 そう言われると、馬宝は反論できなかった。胡ふ馬は尚も持論を強硬に推し、諸将もみんな承諾した。
 そこで、夏国相は呉三桂の孫を立てると宣言した。ただ、呉三桂の喪は秘し、新帝が即位してから公表することとした。又、談延祥には、そのまま雲南へ駆けさせ、太孫の呉世蕃を衡陽にて即位させるよう命じた。
 命を受けた談延祥は、真州へ駆けつけた。真州では、この訃報に上下は皆、色を無くした。
 留守の郭荘図は、大学士の林天拳と協議し、呉世蕃を衡州へ送り届けるよう、談延祥へ命じた。
 夏国相、馬宝、胡国柱の三人は、内外に別れ、椅角の備えで長沙を守っていた。清軍は各路から密集してきたが、周軍の守備は厳重で、大小数十の戦いを経ながらも清軍は、思うような成果が挙がらなかった。そうして守りながら、夏国相は呉世蕃の即位を待った。

 その日、呉世蕃が衡州へ到着すると、まず第一に夏国相へ報告した。報告を受けると、夏国相は胡国柱、馬宝と談合した。
「今、皇太孫が到着した。我等は衡州にて新帝を迎えなければならない。だが、長沙は要地。ここの守備も手を抜けない。万一ここが陥れば、衡州も危ない。諸君はどう思われる?」
 すると、胡国柱が言った。
「有能な人間を一人留めて、長沙の守備を固め、残りは衡州へ赴きましょう。」
「この状況で、敵の攻撃を凌げるのは、馬将軍しかおるまい。この重任は、馬将軍に。」
 聞いて、馬宝は言った。
「国家の大事です。どうして辞退できましょうか。ただ、今の局面は難しい。敵軍が雲集しておりますので、防戦一方でも二十日が限度でしょうか。それまでに戻ってきて下さい。」
「なに、往復には数日しかかからん。十余日もあれば、式典には充分。二十日以内には帰ってこれる。」
 こうして、夏国相と胡国柱は衡州へ向かった。
 さて、衡州には、まず呉世蕃が到着した。そこへ、夏国相と胡国柱が十余人の護衛と共に衡州へやって来て、林天拳と共に、新王擁立を話し合った。結果、林天拳が賛美となり、夏国相が護衛となり、黄道吉日を選んで呉三桂の旧日の行宮にて即位することとなった。そこで、一万人の人夫をかき集め、行宮を盛大に飾り付けた。
 やがて、あちこちから将兵が集まってきた。そして予定の日、夏国相は呉世蕃を扶けて即位させた。
 胡国柱が、以下の各官を率い祝賀を述べると、万歳の声が巻き挙がった。ここで、明年を期して洪化元年と改元することが決定し、大勢の官人へ賜下品が送られ、国内に大赦が降った。
 次いで、喜びの詔が発され、新君の登位が告げられ、併せて哀しみの詔が発され、先帝の喪を告げた。そして、以後百日間は、国内にて太鼓等を鳴らさぬよう禁令が出た。もちろん、長沙は臨戦態勢であるから例外である。この軍については、守備も攻撃も、夏国相と胡国柱、馬宝の判断に委ねられた。
 夏国相は恩を感謝した後、長沙の状況を告げ、新君がいつまでも衡州へ留まるのは宜しくないと告げた。そうして、新帝陛下を真州へ送り届けるよう談延祥へ命じ、それが終わればすぐに四川へ入り、四川の防備へ従事するよう命じた。各人は、その提言に納得した。そこで、談延祥 は、林天拳と共に、新帝を連れて真州へ向かった。又、夏国相と胡国柱は、哀、喜二つの詔を持って、長沙へ帰った。

 二人が長沙へ帰ってきたのは、出発してから十六日目。夏国相は、さっそく馬宝と協議した。
「新君の即位は、滞り無く終わった。ただ、先帝の崩御で、兵卒の士気の阻喪が心配だ。湖南には清軍が結集している事とて、長くは持つまい。それに、守りばかりで攻撃しないと、徒に軍力を消耗するばかりだ。今はここを棄て、川・真を根城にした方が良かろう。志気が恢復してから再起を図るのが上策だ。」
 馬宝は言った。
「徒にここを守っても無益だとゆうことは、もとより判っております。ただ、雲南に引きこもると、却って孤立するのではないかと恐れるのです!」
 胡国柱は言った。
「今、兵糧は底を尽きかけております。もしも長沙を棄てれば、もう進撃は難しいでしょう。しかし、退却して黔・真を守る以外、採る道はない。」
「悲観するな。四川は天府の地。天険とまで称されている。ここで自立することはできる。それに、真中は左に曲がりくねった川を持ち、右には石門がある。どちらも、守るには打ってつけだ。敵が疲弊し、我等の志気が恢復するのを待てば、再起も図れる。
 それに、某に一案がある。当座は財力を整えるのだ。まず鉱石を増産し、百銭の大銭を鋳造する。これで軍需品に充て、併せて民間の活力も図る。そして広く貿易を推し進め、商人を富ませる。そうすれば、財力はすぐにでも満ち足りる。今からでも遅くはない。だが、もしも経済再興が手遅れになれば、もはや打つ手はない!」
 胡国柱も馬宝も頷き、撤退の準備に入った。
 馬宝が言った。
「撤退はよいのですが、荊州にも報告し、王会、洪福の軍を四川へ撤収させなければ。
 私は、寧郷、益陽経由で西進し、貴州へ入ります。両君は長沙からゆっくりと撤退して下さい。我等は疲弊する前に退却するのですから、敵は計略を疑って敢えて追撃は致しますまい。それに、私にも一つの腹案はあります。両君には雲南を確保して頂くのです。その為には、私が貴州を押さえなければなりません。もしも貴州が陥れば、雲南と四川が分断され、清軍は大軍で黔・桂へ出向くでしょう。そうなれば雲南が危ない。これだけは避けなければ!」
 夏国相も胡国柱も頷いた。
 馬宝は、軍を二手に分けて行軍した。上辺は寧郷、益陽を攻撃すると宣伝したが、部下へ対しては言った。
「寧郷、益陽へ到着したら、すぐに軍を撤収して貴州へ向かう。」
 果たして、清軍は荊州との通路を開く為の軍事行動と解釈し、蔡敏栄は救援軍を派遣した。こうして、馬宝が出発した後、夏国相と胡国柱は長沙から撤退したのだった。