敵営を陥して、蓮児粒を断つ。
さて、三人からの意見書は成都へ届いた。
夏相国・馬宝・胡国柱の三人が同意見と知って、呉三桂も無碍に却下できなかった。しかし、湖南計略の為、多くの兵力を費やして今日に至ったことを思えば、これを棄てるのは実に惜しい。それに、もう一つ不安があった。既に岳州、両広と失っている。ここで長沙を放棄すれば、人々はどう思うだろうか?それが戦略と判らず、陥落したと信じ込み、浮き足立つか、悪くすれば恐慌へ至りかねない。人心が去ってしまえば、大局の打開など、不可能である!
そこまで考えると、長沙放棄など、とんでもないことだった。
再び胡国柱等の上奏文へ目を通すと、次の一文が目に止まった。
”もし、湖南を放棄しないと言われるなら、大軍を率いて成都から出撃し、べん・梁へ直行して清軍の背後を衝くしかありません。そうすれば、勢力を挽回できましょう。”
そこで、呉三桂はフと思った。
”そう言えば、挙兵以後、朕は一向に出陣しなかった。成都に腰を据えている間に一年経ち、二年経ち、遂に戦況はここまで追い詰められたか。これは、いよいよ朕が親征しなければなるまい。”
そこで、諸臣を集めて会議を開いた。
この時、李本深は既に重病で、参列できなかった。参列した大臣達の多くは湖南を放棄することに不賛成だったが、それは深い戦略があったのではない。もともと、彼等は軍事に精通して居らず、ただ単に、せっかく奪った湖南がみすみす奪還されることを惜しんだだけに過ぎなかった。
呉三桂は、遂に親征を決意した。朝廷から退くと、彼は即座に後宮へ戻り、このことを蓮児へ告げた。蓮児は、もともと親征を主張していたので、大いに喜んだ。
「胡ふ馬や馬、夏の二君は、きっと、湖南を放棄したかったわけではございませんわ。陛下に親征して欲しかっただけでございます!龍のような陛下の威厳を以て親征なさいましたら、勝てぬ訳がございません。ええ、ええ、湖南を確保するどころか、天下平定だって出来ます。得失の要はこの一挙にこそあります。どうか陛下、急ぎ護出陣を!」
呉三桂も深く頷き、諸軍と共に、蓮児も連れて行くことを約束した。
蓮児は戦場へなど行きたくなかったが、呉三桂は言った。
「前回、お前も従軍するはずだった。朕が発病したので引き返しただけ。お前が邪魔をしたのではない。詰まらぬ事を思い煩うな。」
言われて、蓮児は前回のことを思い出した。
”そうだ。私が従軍しなければ、陛下も出征を中止しかねない。”
そうなると、頷くしかなかった。
蓮児の同意を得て呉三桂は欣喜し、まず、陜西・湖南へ親征を布告した。こうして、両広の敵軍を動揺させる為だ。
成都の守備は、降将の羅森に委ねた。この羅森は、もともと清の四川巡撫だった。今回、宗族の呉永年、呉炳光を助けて、彼が成都を鎮守する事となった。
この時、呉三桂は七十六。冒険できる歳でもない。そこで、今回の親征でも、まず成都の守備が考慮され、後顧の憂いを無くしてから出陣することとなった。又、羅森は、兵糧の確保と運搬も命じられた。
出征軍は十万。先鋒は鄭蛟麟。以下、王会、洪福、林天柱、談延祥など、数十人の大将が員陽目指して出陣した。
王会が、呉三桂へ言った。
「今、湖南の友軍が窮地に陥っていますのに、陛下は湖南へは行かれませんのか?」
「敵が放置できない所を攻めるのが、兵法だ。昔、魏が趙の都を包囲した時、孫子は魏の都を攻撃した。故国の危機に、魏の遠征軍は慌てて退却し、孫子率いる斉軍に敗れたのだ。今、朕はこの故事に則り、蔡敏栄の後背を衝くのだ。」
諸将は納得した。
大軍が成都を出陣すると、清軍は驚愕した。老齢の呉三桂が親征した事に畏れたのだ。
そもそも、呉三桂は成都に入った後、酒女に溺れていた。政治は臣下に任せ、自身は専ら遊び回る。だから、人々の心も次第に醒めていった。
「呉三桂は開創の主君だが、耄碌したか。これでは周の前途も長くない。」と。
それが、俄の出陣である。震駭するのも当然だった。
清の諸将もまた、呉三桂を畏れていた。呉三桂の親征を聞くと、彼等は、親征軍が到着する前に湖南を攻略し、呉三桂のもくろみを断つしかないと考えた。そこで、岳東は菫衛国と合流し、まず蒲郷を占領して、淵陽を牽制した。蔡敏栄は、荊・岳二州の兵を率いて長沙へ向かった。貝子尚善も又、楊捷の水軍と合流し、長江から水路を進んで洞庭を攻撃した。清軍は、三道から進軍したのだ。
この時、周の水軍提督林挙珠が、洞庭湖を守っていた。清軍が来るに及び、彼は、とても抵抗できぬと見て取り、降伏して来た。
尚善は信用出来ず、誅殺しようとしたが、楊捷が止めた。
「降伏した者を誅殺するのは、昔から深く戒められております。岳州が陥落したので、孤立無援で降伏したのです。この投降は誠から出ておりますのに、何で疑われますのか?それに、林挙珠を優遇すると、敵兵は降伏を怖がらなくなります。信任するのが上策です。」
尚善には返す言葉もなかった。そこで、楊捷は林挙珠を水軍提督に抜擢した。
呉三桂と諸将は、十万の大軍を率いて員陽へ急行した。その傍ら、令箭を与えた使者を派遣し、漢中の軍馬を総召集し、扶風、武功一帯を荒らし回るよう命じた。これは王屏藩の声援の為である。
又、王会、洪福へ各々五千騎を与えると、間道を通って襄陽へ先回りするよう命じた。これは、敵の兵力を分散させる為である。大軍が河南へ到着するのを待って、襄陽から移動して樊城にて合流し、北伐を図る予定だった。
こうして各自の持ち場が決まり、三軍は出動した。
呉三桂の親征は、清軍へ知れ渡った。順承郡王は、大軍を率いて開封まで撤退した。図海は、将軍の穆占へ一万の部下を与えて湖北へ派遣し、湖北の兵力を増強した。又、都へ流星馬を飛ばして急を告げた。
こうして、清朝廷へ伝わると、康煕帝は親征を言い出したが、諸臣はこれを力諫した。ちょうどこの時、ダライラマの使者が上京し、ラマの書状を献上した。
”呉三桂が降伏を求めてきたら、これを礼遇し、赦してやるべきです。”
読んで、康煕帝は激怒した。
「呉三桂が降伏などするか!それに、奴一人の為に全国が掻き乱されたのだ。誰が赦してやるものか!大体、お前達は呉三桂を畏れすぎて居るぞ。あいつは三頭六臂の化け物か?この京へ迫れたわけではないし、第一、八十近くの老いぼれではないか!朕は呉三桂など畏れぬぞ!」
康煕帝が怒鳴り散らしているところへ、貝子尚善の使者が、洞庭での勝利と敵将林挙珠の降伏を報告した。そこで、諸臣は一斉に言った。
「人々は、既に呉三桂を見放しております。最早、彼奴には何もできません。何で聖駕を煩わせるほどのことがございましょうか!」
そこで、康煕帝は親征の議を取り下げた。その代わり、順承郡王、図海、岳東及び蔡敏栄のもとへ聖旨を飛ばし、速戦を命じたのである。
話は変わって、王会と洪福。彼等は襄陽攻撃の命を受けた。彼等の出発間際、呉三桂は言った。
「襄陽は、べん、がくの通行の要衝。しかし、蔡敏栄が岳州を攻略した後、全軍を率いて南下した。我等の進攻を聞けば、順承王は必ず開封へ向かう。つまり、襄陽は手薄だ。一鼓にて陥せる!その後、両将軍は、一軍で城を守り、もう一軍は城外へ陣を布き、椅角の構えを築け。そうすれば、敵軍が救援をよこしても、恐れるに足りん。」
王会と洪福は、歓喜して出発し、一路、襄陽へ向かった。
この襄陽を守るの清軍は、総兵の李占標。率いるのは、僅か三千。しかし、南には蔡敏栄がおり、北には順承郡王が居るのを恃んで、万に一つも落城する筈がないと多寡を括り、大した防備もしていなかった。
さて、呉三桂の進軍に備えようとした図海は、樊城一帯の防備を固めるよう、順承郡王へ書状を出した。そこで、順承郡王は五千騎を率いて樊城一帯へ向かった。この時、襄陽の守りについて、順承郡王は蔡敏栄に委ねた。
だが、順承郡王の使者が蔡敏栄のもとへ到着する前に、王会と洪福は既に襄陽へ到着したのである。
斥候がこれを知り、李占標の元へ伝えた。
「周軍の来襲です!」
「馬鹿を言うな!」
李占標は言った。
「王屏藩は図海に、夏国相は安親王岳東に、馬宝は蔡敏栄に牽制されて動けない。呉三桂の大軍は員陽へ向かっている。どこの兵がここへ来るのか?つまらん事を言って、兵卒を浮き足立たせるな!」
だが、その言葉も終わらないうちに、流星馬が駆けつけてきた。
「周軍が、襄陽城へ迫っております!」
李占標は、半信半疑ながら、乗馬して城外へ出てみた。すると、城楼へも登らないうちに、自軍から喧噪の声が挙がった。いつの間にか、周軍が迫っていた。その衆寡も判らない。そこで一気にパニックが起こって、軍兵達が逃げ出したのだ。
この周軍は、襄陽城の守備兵を恐れ、間道を伝って忍び寄り、間近まで来ると一気に駆けつけた。そして、そのまま西南両門から矢や投石で攻撃したのである。城兵は僅か三千。しかも、各門を分散して守っていた。どうして防ぎきれようか?
兵卒は逃げ、敵兵は城内へなだれ込んだ。
”これはとても守りきれん。”
とっさにそう判断すると、李占標は部下へ命じた。
「各自、持ち場を堅守するよう伝えよ!急げ!全員手分けして伝令するのだ!」
「哈っ!」
周りの部下が全員走り去ると、自身は衙中へ逃げ帰った。そして、家族と、信頼できる勇丁二・三十人を率い、城を棄てて逃げ出したのである。
落ち延びる先は樊城。そして、自分の非を覆い隠す為に報告した。
「周の大軍が来襲した。手薄になった守備兵では、とても守りきれなかったのだ。」
この時、襄陽城兵達へ、守将の逃亡が知れ渡った。こうなれば戦意は喪失し、城門を大きく開いて周軍を迎え入れた。王会は洪福の一軍を城外に留めて入城すると、まず城民を安撫し、次いで呉三桂へ戦勝を伝えた。
さて、呉三桂の大軍は、員陽へ到着すると諸将を集めて大宴会を催した。
呉三桂は言った。
「朕は挙兵した時、すぐにでもべん・梁へ攻め込むつもりだった。順承郡王など小僧っ子、我が敵ではない。図海は王屏藩に牽制されて動けまい。もはや、、べん・梁は我が手中にある!ただ、蔡敏栄だけは、実に我が悍敵だ。彼が死なぬ限り、南部は安心できない。よって、しばらくここに待機したい。襄陽から戦勝の報告が入れば、勝ちに乗る襄陽攻略軍と合流し、武昌を陥れて蔡敏栄を牽制しよう。そうすれば、馬宝の諸将も勢力を盛り返す。そうやってから北上すれば、もはや後顧に憂いもない。」
諸将は挙って万歳を唱えた。
そうやって、いざ飲もうとした時、伝令兵が飛んできた。
「湖南から飛報が届きました!」
「湖南から?!」
呉三桂は思わず顔色を変えた。すると、諸将は言った。
「陛下!何を慌てられますか?胡ふ馬からの戦勝報告かも知れぬではありませんか。」
「う、うむ。それもそうだ。」
そこで、呉三桂は伝令兵を呼び寄せて書状を読んだ。
”長沙にて兵糧が底を尽きかけております。雲南からは輜重が届きません。何とぞご援助を。”
読み終えて、呉三桂は言った。
「湖南の兵糧は、雲南でまかなっていた。四川の輜重は陜西へ転送している。今、四川から転送させても、間に合わぬかもしれん!」
すると、別の伝令兵が飛び込んできた。
「蔡敏栄、荊・漢の大軍を率いて長沙へ逼迫しております。岳東は江西から湘へ入り、渕陽を責め立てております。長沙の危機です!」
聞いて、呉三桂が嗟嘆したところ、更に別の伝令兵が駆け込んできた。
「貝子尚善、楊捷によって、洞庭陥落。我が水軍提督林挙珠は降伏いたしました!」
呉三桂は一声叫ぶと、鮮血を吐いた。そのまま昏倒しそうになったので、側近が慌てて抱きかかえて介抱。
やがて、徐々に意識を取り戻すと、呉三桂は言った。
「土地を失えば、人心も離れる。我が事は終わったか!朕はどうすればよいのだ?」
「しっかりなさいませ。」
側近達は口々に言った。
「昔、陛下は雲南一省にて決起なさったのではありませんか。それが、一度声を振るうや、各省が競って帰順しました。今、湖南が危ないとはいえ、まだ失ったわけではありません。それに、仮に湖南を失ったとしても、まだ雲南・貴州・四川と陜西の半分が残っております。その勢力は、まだまだ決起当時の何倍もあるではありませんか!わが大軍と比べれば、林挙珠の降伏など、倉庫から粟を一掴みなくしたようなもの。大局に影響はございません。陛下の御心を煩わす程のことではございませんぞ。」
「いや、あれとこれとは事情が違う。決起当初は人心が帰附し、その勢いに流れて行った。だが、今は連年の戦争で士気は阻喪しておるではないか!勢いが枯れ兵糧が尽きかけていることは、朕も知っている。だから、あの頃は一城を得ても大した成果と言えなかったが、今は一地を失っても痛手が大きいのだ。林挙珠は重要な人間ではない。だが、あいつは朕に帰順して長い!朕はあれを子弟とも思い、水軍の全権を委ねたのだ。それが今、一日にして朕を裏切りおった。ここからも、人心の変化が見えるではないか!朕がどうして慌てずにいられようか?」
すると、大将の鄭蛟麟が言った。
「昔日の王輔臣は、林挙珠の十倍もの威勢がありました。その彼が陜西にて敵に降伏しましたが、その後、王屏藩は図海を破りました。ですから陛下、何とぞお心安らかに。我等が死力を尽くしましたら、林挙珠一人の降伏くらい、何の痛手にもなりません。」
「王輔臣の降伏は、力つきるまで戦って後のこと。だから、敵も畏怖したのだ。林挙珠は国を裏切りおった。朕は林挙珠など惜しまん。人の心を惜しむのだ!」
言い終えると、呉三桂は嘆息して止まなかった。そして再び喀血した。もう、左右の臣は何も言わない。病身に触れるのを恐れたのだ。
やがて、臣下達が退出を進めようとした矢先、別の使者が飛び込んできた。
「襄陽城を占領いたしました!」
「なに!」
呉三桂は躍り上がって喜んだが、その途端、再度喀血した。顔面は最早蒼白。今にも倒れそうにフラついたので、身近の臣下が慌てて抱き抱え、椅子に座らせた。
部将の林天柱が言った。
「陛下。湖南の警報に、憂慮し過ぎでございます。湖南など、しょせん東の隅。撤退しても再び盛り返すことが出来ます。長沙には我が大軍が結集しております。ここは敗れると決まったわけではありません。そして、我が軍は襄陽を攻略いたしました。湖南を失いはしましたが、これで我が軍は北征することができます。さあ、陛下、進軍の御発令を。順承王なぞ小僧っ子です。陛下の敵ではありません。べん・梁を攻略し、北京へ迫れば、破竹の勢いで進軍できます。成敗の機はこの一挙こそ!さあ、陛下、御発令を!」
それを聞いて呉三桂は力強く答えようと思ったが、いかんせん、頭が眩み喉は涸れ、一言も喋ることが出来なかった。これを見て鄭蛟麟は、呉三桂を扶けて退出させるよう左右の臣へ命じた。こうして、諸将がしっくり来ないまま、宴会はお開きとなった。
解散した諸将は、各々互いに語り合った。その中で、彼等の思いは、次第にまとまっていった。
「襄陽は陥したのだ。我軍の威容は鳴り響いた。ここは、陛下の病状を隠し、当初の計画通り、数道に分かれて進軍するべきだ。」
更に話が進み、多くの将は、総大将に鄭蛟麟を推した。
だが、鄭蛟麟は言った。
「今回は陛下自らの御親征。尋常の戦とは訳が違う。別人が代行すると言っても、陛下の兵符や印信など、誰が使えようか?某にはそんなことはできない。とにかく、今宵一夜ここに留まり、陛下の御様態を見てから、再び談議しようではないか。」
その返事を聞いて、談延祥は言った。
「このような突発事故。大周の不幸だ。」
各人各々、首を振って溜息をついた。
さて、員陽での仮の行宮としていた清国鎮へ退出した呉三桂は、天国と地獄を往復し、精神が困憊しきっていた。疲れ切ってはいたが、軍事のことが頭を占めて、安眠することもできない。傍らには蓮児が一人侍っていた。
「陛下?」
フと気がつくと、呉三桂は混迷状態に陥っていた。うつろな目つきが焦慮している。蓮児は慌てて医者を呼んだ。薬を飲ませても変わらない。蓮児が愕然としていると、突然、呉三桂は起きあがった。
「朕は今年でいくつになる?」
「陛下、お気を鎮めてお休み下さい。そうすれば、自然、ご病気は平癒いたします。もう、何も言われなさいますな。」
「もう十年早く決起するべきだった。朕はこの年が恨めしい。」
言い終わると、目を閉じて、眠り込んだ。
一つには、老齢。二つには、この数年の酒色に溺れた生活。これによって体力が衰弱しきっていた所へ、二度も喀血したのだ。これでどうして体が耐えられようか?
二刻の後、呉三桂は再び首を振って嘆息した。口からは喀血が溢れ出て、枕を染めた。
「先生、お薬を。今一度お薬を。」
蓮児からせがまれて、医者はもう一度薬を飲ませたが、何の効果もなかった。
医者は力無く首を振った。
「この病は、まず妄執を無くすのが先決。陛下の国事は重すぎます。お心を楽に持ちませんと。」
言ったっきり、呉三桂から目をそらして、医者は退出した。
蓮児は呉三桂の側を離れなかった。
”陛下は、目をつぶって居られるけれども、お心はシャンとしておられる。”
蓮児には、それが判った。そこで、ハッと一計閃いた。彼女が席を立って、暫くの後戻ってくると、やがて、次々と人が来た。そして、そのたびに、蓮児は呉三桂へ耳打ちしたのだ。
「陛下、馬宝将軍が蔡敏栄を大破したそうです。」
「夏国相が岳東を撃破しましたわよ。」
だが、蓮児がいつでも自分の心をくみ取っていることを、呉三桂は知っていた。それに、その報告も、現実離れに大きすぎた。だから、呉三桂は、それが自分を慰めようとしている蓮児の嘘だと見抜いてしまった。しばらくは切なさに胸を痛めつつ、その耳打ちを聞いていたが、やがて、ハッとした。
”もしや、こんな芝居を打たねばならぬ程、湖南に危急が迫っているのか!”
疑心はたちまち暗鬼を生じた。物を言うことさえ出来なかったが、心は更に思い煩い、とうとう、まんじりともせずに一夜を明かしてしまった。
こうして夜が明けてしまうと、呉三桂の病状は更に悪化していたのである。
朝を迎えても、呉三桂は起きあがれなかった。呉三桂は、全てを悟って蓮児へ言った。
「お前とも、永の別れだ!ああ、御身はどうなるのか?」
聞いて、蓮児は涙をこらえられなかった。
哀々と泣哭した後、彼女は静かに言った。
「陛下、どうかお体をお大事に。御国の為に大事な体。卑しい妾のことなどお気に掛けられなさいますな。」
「ああ!お前の見識は朕より上だ。朕は死ぬのが遅すぎた!」
蓮児はとうとう慟哭した。
ややあって、彼女は言った。
「陛下、ただただ後のことだけお考えを。国家に霊があるのなら、必ず御平癒いたします。万一の時は、妾は必ず金棺とともに帰国し、陵へ入られる時には、妾の魂も地下まで連れていって下さいませ。妾は陛下の御厚恩を身に受けました。これでも報いきれません。それに、妾一人の為に、陛下の大事を誤らせてしまったのです。どうしてオメオメ生きて行けましょうか?」
言い終えると、再び慟哭した。
「いや、これは朕が自ら誤ったのだ。お前のせいではない。」
呉三桂が言葉を続けようとした時、侍女が部屋の外から言った。
「諸将が安否をお見舞いに来られました。」
蓮児は慌てて涙を拭うと、呉三桂の傍らに端座した。呉三桂が諸将を招くと、彼等はドカドカと入り込んだ。鄭蛟麟、談延祥、呉国賓、呉用華、何大忠等、皆、呉三桂の前に立ち並んだ。彼等の姿を見て、呉三桂は思わず涙ぐんでしまった。
鄭蛟麟が言った。
「陛下、玉体は如何ですか?陛下は我等の希望。どうか早くご回復なさって、中原を席巻して下さいませ。」
呉三桂は、無理にでも立ち上がって諸将と共に語りたかったが、弱り切った四肢は、どうしても言うことを聞かない。遂に、動くことさえ出来なかった。
鄭蛟麟は言った。
「陛下、ご無理をなさらなくとも、もし聖諭がございましたら、臣等が承ります。」
呉三桂は嗚咽を漏らした。
「残念だが、これ以上、お前達を出軍させられぬかもしれん。」
「何でそのような事を?陛下は天命を受けられたお方。じき御平癒いたします。」
「朕の意識は朦朧としており、体は動かない。喉には塊が蟠り、目眩は頻繁に起こる。朕はもう七十にもなるのに、この重態だ。どうして助かろうか?生きるも死ぬも天命だが、ただ、我が国の基盤はまだ固まって居らぬのに、この不幸に遭った。朕はもとより国を誤らせたが、諸卿等の前途まで巻き添えにしたのかと気にかかる。」
すると、諸将は一斉に言った。
「何と仰られますか!国のご厚恩を受けた臣等、命を落とすとも本望でございます!ただ、陛下、どうかご自愛なさり、人々の希望を消さないで下され。」
「朕はもう動けん!朕の数十年は過ちの積み重ねだった。そして又、ここに至った。
今回の親征は、中原を掃討し、卿等と共に太平の宴を楽しむ筈だったものを。それさえも途上で終わってしまった。こうなった以上、やむを得ぬ。たった一言、託すだけだ。」
鄭蛟麟が言った。
「陛下のお言葉、伏してお伺い致します。」
「うむ。朕は昔、遼東に居た時、長男を儲けたが、不幸にも、都にて敵の手に掛かった。次男はまだ幼い。この多難な時期に幼少の君。諸卿の力を恃まなければ、維持することは出来ない。」
「はっ。肝脳を地に撒き散らそうとも、決して陛下に背きません。」
「そうか。胡国柱、郭壮図は朕の至戚。必ずや本朝へ忠誠を尽くしてくれよう。夏国相は、積年、朕の知恵袋だった。馬宝は李定国麾下の勇将だったが、朕は彼を腹心として遇してきた。この四人は文武の達人。軍略を知り、その心は忠誠。挙義復国を、もとよりその志としている。必ずや朕の心を受け継ぎ、朕の息子を輔けて大事を図ってくれるに違いない。今、南北に分かれて会うこともできないが、朕は彼等へ書状を書こう。諸卿はこれを彼等へ送り、朕の想いを伝えてくれ。」
諸将は涙ぐんで頭を下げた。
「仰せの通りに致します。」
呉三桂は頷くと、続けた。
「雲南は痩せた土地だが、通商の要衝で鉱産物も多い。その資源は計り知れないので、朕はここを根拠地とした。四川は天府の国。地形は険阻で土地は肥沃。戸口は千余万。民は多く国は富み、士は豊富で馬も力強い。大業の基盤とするべき土地。軽々しく棄ててはならない。湖広は四達の土地。戦取するには良いが、守るには不利。今、長沙に危機が迫っている。とても支え切れまい。だが、雲南は実に険しく、黔・桂にも憂いはない。
荊州は湖南から四川へ入る要地だ。ここは奪わねばならん。もしもここを得れば、四川の門戸を固められるし、湖南への牽制にもなる。陜西の王屏藩なら図海を足止めしてくれよう。
まず、漢中、荊州を制圧して、黔・桂の門戸を固め、川・真を堅持し、その後に大軍を挙げて北進すれば、天下は我等のものだ。」
鄭蛟麟が言った。
「陛下は万里を見通しておられます。とても我等の及ぶところではございません。臣等はこれを夏、馬、胡、郭の諸公へ告げ、きっと陛下の志を成就して見せましょう。」
呉三桂は大きく溜息をついた。
「朕は愚かにも、数十年を無駄に暮らし、その過ちは、遂にここに至ってしまった。我が志を後人へ託さねばならぬとは!」
嘆息の後には、また、涙。諸将が交々慰めた。
呉三桂は、墨と筆を持ってこさせた。そして、左右に扶け起すよう命じ、一通の遺書をしたためた。夏、馬、胡、郭の四名へ宛てたものだ。書き終わると、精神を使い果たし、再び倒れ伏した。そして、諸将へは退出を命じた。
鄭蛟麟等が退出すると、蓮児は再び枕元へ出てきた。呉三桂は涙を流しながら蓮児を見つめる。何か、訴えたい想いがあるようだ。だが、それは言葉になるものではない。蓮児も、首を項垂れ、声を出さずに泣いた。
しばらくして、呉三桂は言った。
「朕が死んだら、卿はなにを縁に生きて行く?」
「陛下、どうか妾のことは気になさらずに。妾は、陛下の御為だけに生きているのです。それに、さきほどの諸将への聖諭を聞けば、将来に憂いがあるとは思えません。ただ、大軍がここにおりますが、これをどうなさるおつもりですか?妾の愚見ですが、陛下の病状を隠して、諸将へ出軍を命じられるべきかと。」
「いや、恃みの能将は湖南にいる。次に恃める男は陜西だ。ここには全軍を纏められる能将が居らぬ。強いて出撃し、却って反撃されては、我が精鋭が覆るかもしれん。ここでそのような齟齬を来しては、全国が震駭してしまう。これは絶対に避けなければならぬ。」
ここに至って、呉三桂は大事を一つ思いだし、談延祥と鄭蛟麟を呼び出した。そして、彼等へ向かって呉三桂は言った。
「もし、朕が死んだら、喪を発するな。談将軍は襄陽を占領した王会、洪福の軍と合流し、荊州を制圧して四川の門戸を固めよ。朕の死を敵に悟られなければ、荊州は手に唾して奪れる。鄭将軍は諸将を率い、大軍を無事に退却させよ。」
鄭、談両将軍は、拱手して拝命した。
呉三桂は続けた。
「諸卿等がそれだけ遵守してくれれば、あとは何も言うことはない。」
言い終えるや、息を引き取った。享年六十九才。
人々は言った。
「呉三桂は、君父の仇を放置して顧みず、圓圓への執心に駆られて敵を国内へ導き入れた。その上、ビルマにて明の末裔を根こそぎ滅ぼした。造反した後も、酒色のみを専らとし、いつになっても戦わない。憂憤の余り死んだとて、自業自得と言うものだ。」
呉三桂が死んだ後、諸将は喪を秘して発しなかった。蓮児はただ泣き暮らしただけ。
鄭蛟麟は、呉三桂の遺言を遵守し、襄陽の軍を撤回すると、談延祥へ荊州攻略を命じ、王会・洪福と合流させた。そして、荊州占領を待って、遺詔を長沙へ渡す予定だった。
その一方では、金の棺桶を入手して、呉三桂の屍を入れ、十万の大軍と共に成都へ戻った。呉応棋と呉国賓に一万の軍を与えると、先鋒として、呉三桂の棺を護らせた。鄭蛟麟自身は、諸将と共に大軍を率いてその後に続いた。
さて、こちらは清の図海。
王屏藩に敗れた後、彼は兵卒をかき集めてなんとか軍の威容を保ったが、まだ元気恢復とまでは行かない。そこで、要害を守り、王屏藩との決戦を避けていた。
やがて、呉三桂の親征軍が動き出すと、彼は恐れた。
「順承王では、呉三桂の敵ではない。もし河南が陥落したら、陜西も確保できん。」
そこで、趙良棟へ五万の兵を与えて漢中から南下させ、呉三桂の背後を衝くよう命じた。
この時、趙良棟は、数々の殊勲によって提督へ推薦され、靖逆将軍の称号を受けていた。図海は彼を非常に高く評価しており、それ故、この重任を与えたのである。
趙良棟は言った。
「大将軍の命令。何で背きましょうか。ただ、呉三桂軍は十万。二十万とも宣伝されております。この兵力で敵いましょうか?何か策があったら御教授願います。」
「敵がどうしても見捨てられない所を攻撃する。それが兵法だ。今、呉三桂の根城は四川。もし、この軍で四川を攻撃すれば、呉三桂は必ず軍を撤収して、四川救援の為西進するに違いない。これこそ、孫びんの、『魏を討って趙を救う計略』だ。その時は、呉三桂軍は退却するのだから、兵卒の士気は阻喪する!呉三桂が退却するのを待って、これを襲撃するのだ。」
教授を受けて、趙良棟は退出すると、隊伍を整えて出陣した。咸陽・挙平に沿って南下し、大軍が紫陽へ到着した時、彼は斥候を放って敵の動向を探った。
この時、鄭蛟麟の軍はまだ後方にあり、陸続として四川へ向かって進軍していた。彼等は、行く手に趙良棟の軍があることを知らず、ただ、軍を促して前進していた。趙良棟も又、呉三桂の死去を知らず、ただ、軍を進めていた。
と、そこへ斥候が帰ってきて報告した。
「周の大軍は十万以上。四川へ向かって進軍中。」
それを聞いて、趙良棟は首を捻った。
「河南まで進軍しながら、一戦もせずに退却?疑軍を以て我等を誘っているのだ!」
そこで、出で立ちを改め、数人の従者を率いて、自ら偵察へ出た。その彼の視界の中を、そうとは知らずに周軍が進む。
「見よ。あの軍勢を。覇気がない。これは誠の退却だ。何故の退却かは判らぬが、やり過ごして背後を襲撃すれば、殲滅できるぞ!」
そこで、静かに軍へ戻ると、人馬を整えて戦機を待ち受けた。
さて、鄭蛟麟の軍が半数ほど通過した時、彼等は漸く敵軍に気がついた。
鄭蛟麟は言った。
「あんな所にいるのは、清軍に違いない。だが、もうすぐ四川へ入る。大事ない。ただ前進せよ。」
すると、蓮児が言った。
「我が兵は戦を倦み、闘志がありません。もし伏兵が設けられていましたら、大きな痛手を蒙ります。将軍は国の司令となっておりますので、どうか先をお急ぎ下さい。妾は少数にて、多くの旌旗を立て、陛下の本陣を装って敵の注意を引きつけましょう。もしも陛下が後方にいると思ったならば、敵は先陣をやり過ごして後陣へ襲いかかるに違いありません。そうすれば、この大軍を危険無く本国へ送り返せます。どうか将軍、この策をご採用下さい。」
鄭蛟麟は従わなかったが、蓮児が再三要請したので、拒むに拒めず、遂に彼女を後陣へ残し、軍の大半を率いて退却した。そして蓮児は、呉三桂の車に乗り、後ろから従ったのである。
やがて、日が暮れた頃、突然軍鼓が鳴り響き、無数の人馬が出現した。これこそ、趙良棟率いる清軍である。これを見て、周軍の兵卒達は大いに慌てた。その有様を見下ろした趙良棟は、黄金の車を見つけた。
「見よ!呉三桂は後陣に居る。あれを捕らえれば、大事は定まるぞ!」
たちまち、精鋭を率いて突撃した。