呉三桂演議
 第一回 菫其昌 呉三桂を認めて抜擢し、
  袁崇煥 計略にて毛文龍を斬る
 
 私はかねがね思っていた。「中国の学者は君主の地位を神聖視するあまり、民の権利を軽んじている。」と。そんな感性で、悪を非難し国や民を安んじることなど、どうしてできるだろうか?「天に従い人に応じ、逆を除いて順を守る」と、お題目はたいそう立派だが、その実、ただ皇帝一人を守っているにすぎない。
 だいたい、あの皇帝という連中はけしからんじゃないか。一人だけえらぶって美味飽食し、国民を貧乏のどん底へたたき込んでも知らん顔をしている。たった一人の名誉の為に僅かばかりの土地を奪おうとしたら、さあ大変。たちまち無数の兵士が血塗れになってしまうのだ。民衆の幸せの為に本気になって努力した皇帝など、どれ程いただろうか?二十一史に目を通しても、これは本質的には単なる権力者同士の争いごとの羅列に過ぎないのに、全てが民衆の血液で描かれている。こう考えるなら、主君というのは立派な連中ではない。単なる盗賊の親玉だ。
 勝てば官軍負ければ賊軍。威勢が挙れば王と称し、王と名乗れば帝位を望む。国が大きくなる程に皇帝の権威も大きくなるので、遂には外人達まで羨ましがって、中国の帝位を巡る戦いにしゃしゃり出てきた。五胡が晋を分割し、安録山が唐に仇なし、金や元が宋を奪い、こうして大きな惨劇が生まれるに至ったのだ。
 こう言うと、反論する人間もいる。
「人々は言うではないか。『平穏無事がなによりだ。』と。家族という身近な存在に対してでさえこうなのに、ましてや国家などいう得体の知れないものの為になら、なおさら杜撰になってしまうに違いない。つまらない男が栄華を貪って国家を忘れ、一時の安楽の為に外国の百万の兵卒と千を越える勇将を国内へ引き入れれば、どうして国が引き裂かれずにすむだろうか? 庶民は安楽のみを求め、官吏は富貴を貪り、皆が愛国心をなくしてしまえば、亡国の惨劇へと行き着いてしまうに決まっているぞ!」
 成程。そう言われればやはり学者の言うことにも一分の理はある。
 元来、主君に忠義を尽くすのと、国家に忠義を尽くすのとは別物ではある。しかし、主君に忠義を尽くすことを考える人間なら、恩を仇で返して富貴を貪り、挙げ句の果てには外国の兵を導き入れて国を引き裂くような真似は、よもや行うまい。
 このように考えてみると、一人の人間を思い起こした。呉三桂である。 

 呉三桂。字は長白。先祖は馬の行商を行っていた。
 彼の父は、呉襄。呉襄は生まれつき勇猛で、鎮東将軍の李成梁に抜擢されて隊長となり、千人程の部下を持った。経略大臣の楊稿が二十万の兵を率いて満州族討伐に赴いた時、彼も従軍した。この戦いで、明軍は大敗して壊滅的な打撃を受けたが、呉襄は敗残の兵をとりまとめ、満州の戦馬三百匹を略奪した。それ故、この時の論功行賞で諸将は皆罰せられたが、彼一人功績を認められて副将へ昇格した。
 当時は明の末期で、朝臣達は安閑と暮らし天下太平とうそぶいていた。武将達は辺境の危機を声高に叫んではいたが、文官達は、彼らが功名を建てるために大袈裟に騒いでいるに過ぎないとして、気にもとめなかった。呉襄が赴任していた遼東でも文官が幅を利かせていたが、彼は、自分の官位が卑しいのを気に病み、ただ小心翼々と過ごした。そんな環境にあって、呉三桂は成長し、いつしか二十歳を超えていた。
 ある時、呉襄は息子に言った。
「私は幼い時に学問を修めず、ただ勇気のみを専らとしていた。幸いに李成梁将軍の引き立てもあって出世もしたが、将軍が逝去なさった後はこの有様よ。朝廷で更に名を挙げようとしても、この官職ではとうてい無理なことだ。お前は私と同じ憂き目にあってはならん。武将など志さず、文官となって出世する為に、せいぜい学問に励んでくれんか。」
  しかし、呉三桂は笑い飛ばした。
「父上、それは違いますぞ!今、国家多難の時なのに文官達はそれに気づかず、ただ朝廷で虚言を並べているだけ。もしも戦争が起こった時、彼らが立派な文章を書いただけで、賊達は恐れ入ってくれますか?結局、奴等のやっていることを例えるならば、幕の上に巣を張った燕達が、立派な巣作りをして安心しているようなもの。国が滅んだら、高い地位も意味がないでしょうに。ですから、父上は今まで通りここで英気を養ってください。私たち親子が活躍する日が、いずれ必ずやってきます。」
 それを聞いて呉襄は大いに喜んだ。息子の言っていることが理にかなっている上に、その志が大きかったからだ。以後、呉三桂は弓馬の鍛錬に努力し、戦術のみを志した。

 やがて、皇帝の代が変わり、崇禎帝の御代となった。
 崇禎帝は国家が累卵の危うきにあることを認識し、武芸の奨励を決意した。その一環として、呉襄を京営の提督に任命し、又、大宗伯の菫其昌を典録武科に任命して武挙(武人の登庸試験)を行うと詔を下したので、全国の武将達がにわかに色めき立った。この時、呉三桂は弓馬の術に熟練し武芸十八般の全てに精通していたので、勇むことはひとしおだった。 
「いまこそ我が腕の見せ所!もしも今、天下に大乱が起こったら、それこそ手柄を立てて見せよう。そうすれば、一つには国家の威光を全国に知らしめることができるし、私にとっても、誰からも後指を刺されることなく父の後を継ぐことができるぞ。」
 さて、菫其昌は、もともと国情を理解しており、武人の抜擢こそ御国の大事と心得ていたので、試験に先立ち呉襄に言った。
「あなたは将軍として永年勤めてこられたが、これから国家を託すべき優秀な人材を知りませんか?心当たりがあるのなら教えてください。これは国家の大事です。憚るものはありませんぞ」
「閣下がそこまで言われるのなら、敢えて答えますが、我が子の呉三桂。武勇において彼の右に出るものはおりません。」
「ほう。」
 菫其昌はしばし間を置いてから言った。
「あなたのご子息が本当に英雄ならば、それこそ国家の幸い。よいですか?これは国家の幸いです。あなたの幸運ではありませんぞ。」
「いかにも。」
 呉襄は、自信を持ってそう答えた。
 やがて、試験の日がやってきた。数千を越える腕自慢が応募したが、主席合格の座を射止めたのは、果たして呉三桂だった。
 だが、この試験に応募した者は皆、菫其昌と呉襄が友人であることを知っていたので、この武挙が呉襄の為のデキレースだと噂した。その話が広まると、この事件を揶揄した詩まで作られたが、その詩は都中で謡われるようになってしまった。
 このような事態になってしまったので、呉襄は息子を戒めた。
「お前もいろいろと噂を聞いてはいるだろう。確かに、菫宗伯から武人の推挙を頼まれた。だがな、宗伯は真摯な想いだったのだ。その想いに応えるために、私は敢えて身内を避けずに勇猛な武人を推挙したに過ぎない。そして、お前は主席合格した。父としてこれ程嬉しいことはないぞ。だが、世間はそうは見ていない。お前の武芸は天下一品なのにこのような誹りを受けておる。お前はこの誹りに奮起しろ。しかし、その想いは、抜擢してくれた国家の恩に報い、我が家門を挙げることへと使うのだ。自分個人の恥を雪ごうなどと詰まらない想いに変えてはならんぞ。」
 呉三桂は笑って応えた。
「心配なさいますな。今、国家は多難の時節です。真偽はすぐに判ります。『袋の中に錐を入れたら、穂先は袋を突き破る。』と言うではありませんか。優れた能力は、隠していても顕れます。小人どものヨタ話など、取るに足りません。」
 呉襄はその返答に大いに喜んだ。
 さて、呉三桂は儀礼に則って、自分を選んでくれた菫宗伯と師弟の契りを交わした。菫宗伯はすぐに皇帝へ推挙した。彼の父が提督京営として寵用され始めたこともあり、呉三桂は都督府指揮使に任命された。 

 この頃、東北部の女真族(後の清)が台頭していた。
 もともと、経略大臣の楊稿が二十万の大軍で討伐に向かい敗北してから国防の風雲はますます急を告げていた筈だったが、崇禎崇によってようやくその危機が直視された。当時、孫承宗が楊稿の後任として蘇遼経略を拝命していたが、東北部の国防を重視した崇禎崇は、辺境の軍備を更に充実させる為、毛文龍を平遼総兵官に任命し、国境へと派遣することを決定した。
 この毛文龍は、菫宗伯の姻戚に当たっていた。そこで、この詔が下ると、菫宗伯は毛文龍のもとへ出向いていった。
 菫宗伯は言った。
「今 、国家多難の時。殊に辺境の危機は日々に増大しています。にもかかわらず、朝臣達は宦官に媚び諂って自分の地位を固めることのみに汲々とし、互いに徒党を組んで陛下を欺いては太平を謳歌しているのが実状です。嘆かわしいではありませんか。敵がいつ国境を侵すかもしれんという時期に、怠惰に日々を送るとは! ですから、今、将軍の承った職務は、極めて重大ですよ。宜しく国威を高揚させ、我が国を安泰にさせてください。
 時に、将軍の麾下に、誰か勇猛の将はおられるのですか?」
「勇将?まさしく!それが重要です。大敵に対するに当たって、勇将こそが得難き者か。
 私が任地へ着いたら、そこで善政を布き耕地を拓いて住民や兵士の心を掴むと共に兵糧も確保し、守備を厳重に固めて敵の侵略を挫いて見せましょう。・・・とはいえ、大敗の後のこととて、兵卒の心は萎縮しているかも知れません。そうなれば大いに不利。猛将に心当たりでもおれば、誰ぞ推薦していただけませぬか?」
「人を推す、というのは難しいことですね。人材とて、常に溢れているわけでもない。しかし、呉三桂。彼だけは見所があります。その気性は非凡で、勇猛さでは傑出している。出発前に、彼を麾下へ加えるよう請願すればよろしいでしょう。彼は、私の期待を決して裏切らないと信じています。」
「呉三桂?おお、聞いておりますぞ!確か提督京営呉襄の息子で、都督府指揮使の呉三桂ですな。判りました。我が麾下への参入が許されるなら、必ずや重く用いましょう。」
 毛文龍は、さっそく呉襄のもとへ赴き、子息を麾下へ加えたいと語った。呉襄は、もともと息子が国家の為に働くことを夢見ていたので、大喜びで呉三桂へ書状を送った。
 この頃、呉三桂は無責任な噂にいい加減嫌気がさし、なんとか手柄を建てて世間の鼻をあかせてやろうと思っていた。又、父親が高官に抜擢された恩義からも、御国の為に手柄を建てなければならないと思ってもいたので、父の書状を読むと欣喜雀躍して毛文龍のもとへ馳せ参じた。
 毛文龍は、すぐに彼を謁見した。こうして呉三桂は毛文龍と対面したが、この時、彼は不覚にも全身汗でびっしょりとなってしまった。
 毛文龍は笑って言った。
「わしは御身を誠実に扱うつもりだ。御身はなんでそんなに緊張しておる?」
「私は今まで大勢の人間に会ってきましたが、都の高官などという連中は歯牙にもかけたことがありません。しかし、都督には威厳があり、精光が四方を払っておられる。まさしく、神人とは都督を指して言う言葉でしょうか。覚えず恐惶してしまった次第です。」
「それなら、御身の志気の顕れだな。『私以外に恐れる者がいない』と言うのなら、定めし大功を建ててくれるに違いない。御身にとっては飛躍の機だ。めでたいではないか!」
 毛文龍は、呉三桂を促して下座へ就かせた。
゛こいつは、『天下に、ただ俺一人を畏れる』と言った。それならば、必ず物の役に立つ。わしの命令には背くまい。゛
 毛文龍がそう思っていると、呉三桂は言った。
「都督は出征の詔を受けた時、私のごとき不肖者を麾下に入れる為、我が父の元まで出向かれたと聞きました。感激、これに過ぎる物はありません。ただ、駑馬庸才の身の上で都督のお役に立てるかどうか、そればかりが気がかりです。」
「なに、過ぎた謙遜など無用だ。私は御身の高名をかねがね聞き及んでおった。ただ、うっかり失念しておってな。先だって菫宗伯と話した折り、宗伯が御身を推薦なさったのだ。それもあって、御身の父君の元へ出向いて頼み込んだ次第よ。それはさておき、これからは私を親戚同様に思うが良い。軍務は一切御身とともに決裁し、決して信頼を裏切ったりはしないぞ。そこで、まず第一は人材だ。御身の知るところで、見所のある男がおらぬか?心当たりがあるのなら、忌憚なく教えてくれ。」
 この時になって、呉三桂は初めて菫其昌の力添えを知ったのである。そこで、同じく有能な人間を引き立てなければならないと思い、考えを巡らせた。
「そうですね・・・。まずは我が同門の曹変蛟。胆略があり、騎射に長けています。ただ惜しむらくは時節に恵まれず、今は遼東へ流浪しているとか。都督、どうか彼を召し抱えてください。後は、私と武挙の同期だった白遇道。私が自信を持って推薦できますのはこの両名のみ。他は妄りに推挙いたしません。」
 毛文龍は大いに喜び、曹変蛟を招くよう呉三桂に命じ、傍ら、白遇道を呼び寄せた。そして人馬を整えると皇帝に出征の挨拶をして、日を選んで出発した。
 数日後、曹変蛤と白遇道が到着した。この時、毛文龍の麾下に既に三人の猛将がいた。孔有徳、耿仲明、尚之信である。皆、膂力人に優れていた。ここに又、三人の猛将を得、これで六人となった訳である。毛文龍は、その中から呉三桂、孔有徳、耿仲明、尚之信を選んで四驍将と名付けた。そして遼西の地形をよく調べた後、諸将を集めて談議した。
「遼西は、左右を満州族の領土に挟まれているが、これは言ってみるならば、奴らの交通の要路でもあるのだ。私はここに堅固な要塞を築き、厳重に守りを固めるつもりだ。敵が十万の精兵を擁しようとも、空を飛ぶことなどできん。古人も言うではないか。『守備を固めてこそ、戦うこともできる』と。昔、楊鎬は二十万の大軍を擁しながらも、軽挙妄動して大敗してしまった。実に惜しむべき事だ。
 さて、私が遼西の地形を調べたところ、守るには皮島が最適のようだ。前方には大河を擁して敵の侵入を防ぎ、後方には険しい山がそそり立ち、敵の急襲を阻む。ここを堅固にしたならば、敵の侵入は防げる。もし、国家が私に五年の歳月をくれるなら、その間に精鋭を養い、必ず敵を粉砕してくれよう。」
 各武将はそれを聞くと手を打って喜んだ。
「まさしく、元帥の言われる通りです。」
 かくして、毛文龍は、孔・耿・尚・呉・白の五将軍に兵を預け、大挙して皮島の要塞を築いた。毛文龍自身、先頭に立って兵卒を鼓舞し骨身を惜しまなかったので、半年と経たずして要塞は完成した。
 皮島の要塞が完成すると、毛文龍はその偉容を朝廷へ報告した。東は旅順に連なり、西は楡関に接し、東西続くこと数十里。この報告を受け、朝廷では大臣達が大喜びで皇帝を寿いだ。ただ、大宗伯の菫其昌だけは、皇帝へ言った。
「毛文龍が皮島の要塞を完成したとのこと。これによって、辺患は断ったと言えましょう。ただ、私は毛文龍の姻戚として彼の為人をよく知っておりますので、敢えて言わずにはいられません。
 彼は、武勇には余りあり。まこと、一代の悍将と言えます。彼を辺境へ配置すれば、敵の侵入は起こりません。しかし、性格的には粗暴なところがあるのです。彼は、不当な束縛には、多分、屈しますまい。それがどのような讒言を生むことになりましょうか?
 今、国家の安危は、彼の双肩にかかっております。かの地の守護は彼にこそ任せるべき物。彼を左遷させてはいけません。つまり、他の高官達から睨まれるような態度を彼にとらせてはならぬのです。ですから陛下、どうか詔を下し、彼を励ますと同時に、真の名将として国家の柱石となりますよう戒めてください。さすれば社禝の幸いこれに過ぎることはございますまい。」
 そう言われて、崇禎帝は思った。
゛『衆口は金をとろかす』とゆう言葉もあるが、讒言が並び起こったら、自分とて判断を誤ることもあるだろう。確かに、讒言を起こすような言動をとらせないに越したことはない。何事も、用心こそが肝心なのだ。゛
 思案はすぐに固まり、崇禎帝は快く承諾した。その詔が降りると、毛文龍は朝恩の忝なさに感激し、更に職務に励んだ。こうして、数年経たないうちに、敵は国境を侵せなくなった。僅かでも不穏な行動があれば、すぐに毛軍によって蹴散らされてしまうのだ。そして、更に毛軍は満州への攻撃を開始した。ここに及んで、満州族は、明へ講和を申し込んだ。 

 この時、明の朝廷は平和に溺れていた。喉元を過ぎた熱さが忘れられてしまうように、満州族の脅威がなくなると危機感は急速に薄れ、従前のように賄賂が横行し始めていたのである。そこに講和の申し込みである。ある者は深謀遠慮もなしに諸手を挙げて賛成し、ある者は金に転んで手を尽くし、講和派は、たちまち朝廷内で大半を占めてしまった。こうして、講和は成立し、一時の平和が訪れたかに見えた。
 しかし、毛文龍は剽悍な武将だった。数年間の辛苦の果てに掴んだ戦機をむざむざ逃すような真似はできない。講和締結の後も、時期を見ては敵国内へ攻め込んだ。これに対して満州族も備えは怠らなかったが、数年間練りに練った精鋭兵の前に、彼らの軍は蹴散らされ、その財産は略奪された。毛文龍が赴任する前のこの地方とは、明と満州で攻守所を変えてしまったのである。
 だが、既に講和は成立していた。もともと、中国は周囲の国家全てを属国扱いしていたが、講和成立後は満州族も定めに従って貢ぎ物を皇帝へ献上していたのである。
 そこで、とうとう彼の行動が問題になった。既に貢ぎ物を献上して恭順の意を表している以上、彼らも又明の臣民同様である。それならば、毛軍の軍事行動は、単なる強盗行為になってしまうではないか。一歩譲って満州を敵国と見たとしても、彼の行動は国交上波風を立てているだけである。
「毛文龍は戦闘を楽しんでいるだけだ。いたずらに敵を刺激し、戦争の種を自らまき散らしている!」
 当時、皇帝は即位してまだ間がなかった。その皇帝へ臣下達は次々と吹き込んだ。
「辺境は目が届かない場所です。そこに大軍を擁した将軍がおり、好き勝手に行動している。この状態が長く続けば、私兵化する危険性がございます。しかも、『毛文龍は極めて好戦的であり、戦争を楽しんでいるにすぎない。』との風聞もございます。何とも危険な話ではありませんか。」
「馬鹿なことを申すな。そしてよく思い起こして見よ。かつて楊鎬が二十万の大軍で惨敗して以来、敵がどれ程略奪を繰り返して来たか。それが、毛文龍を抜擢してからというもの、烽火の憂いは完全になくなった。彼こそ我が国の柱石である。彼を左遷するなど、朕にはできん。」
 だが、彼のこの行動は行き過ぎである。奸臣や愚臣のみならず、忠臣義臣に至るまで、彼の専断を憂え始めた。こうして、毛文龍への非難は、連日崇禎帝の耳に入るようになってしまった。ここに及んで、崇禎帝は、蘇遼総督経略の王之臣へ、毛文龍の調査を命じた。
 皇帝の命令が下ると、王之臣は皮島へ向かった。だが、これが良くなかった。もともと毛文龍は、虎の威を借りる相手に対して卑屈なまでにへりくだるような人間ではなかったのだが、その態度が、王之臣の目には単なる無礼者としか映らなかった。
゛こいつめ、功を恃んで増長したか。それとも、俺を無能者と馬鹿にしているのか!゛
 王之臣は毛文龍への恨み骨髄へ滲み、崇禎帝への報告書では、その態度を増長傲慢の顕れとして口を極めて罵った。
 と、その時、幕府の王之臣の側近の水佳允が彼に言った。
「毛元帥は確かに有罪ではありましょう。しかし、今日の状況を測るに、彼がいなければ我が国は滅びます。閣下、どうかもう少し穏便に。」
 しかし、王之臣は自説に固執して譲らなかった。
 彼の報告書が都へ着くと、朝臣達の論争が再び沸騰した。傲慢・増長そして専横の誹りには尾鰭が付き、遂には造反の恐れまでほのめかされてしまった。
 ここに及んで、崇禎帝もとうとう毛文龍の暴走を認識した。しかし、辺境の守備は国家の大事であるだけに、左遷するのも不安である。それに、王之臣と毛文龍が仲違いしているだけのような気もしたのだ。
゛そう、王之臣も信じられぬ。ここは信頼の置ける男を彼に変えよう。そしてもう一度調査を・・・。いやいや、そんなまどろこしい事をしなくても、その男にそのまま毛文龍を監視させて暴走を抑制すればよい。これこそ一挙両得の妙案だ。だが、それならば新たな蘇遼総督には、有能で信頼の置ける男を選ばねばならん。これは人選が難しいぞ。゛
 この大任を誰に任せられるだろうか?とつ、こおつ考えるうち、忽然と一人の人間を思い出した。
「そうだ、袁崇煥がいた!」
 袁崇煥は、先代皇帝の御代に蘇遼総督だった。その頃、魏忠賢という宦官が皇帝の寵愛をかさにきて専横の限りを尽くしていたが、彼はその魏忠賢から難癖をつけられ、罷免させられたのである。
 崇禎帝は、魏忠賢を処刑したかったのだが、その罪状や党類を明白にさせる為に、まだ泳がせていた。だから、帝の意向は一部の者しか知らず、魏忠賢の地位は傍目には盤石で、それ故、彼によって陥れられた清廉潔白の官吏達は、未だ復職されてはいなかった。
 思い起こせば、袁崇煥が兵部尚書(軍務大臣)だった頃、その有能ぶりは皆から称えられていた。しかも、彼は文官出身で、武官の毛文龍と好対照である。もしもこの二人が協力しあったなら、辺境の守備はますます万全となるだろう。考えれば考える程、この人事は的を得ているように思えた。そこで崇禎帝は、袁崇煥を蘇遼督師に任命し毛文龍と協力して事に当たるよう諭旨を下した。
 袁崇煥は朝旨を受けはしたものの、前回の失敗に懲りていた。文官の指図に対して、武官はなかなか従わず、多大な労苦を余儀なくされたのだ。ましてや、朝臣から詰まらない讒言を受けて業務半ばで左遷されたのでは、実績を挙げようとて所詮無理ではないか。実績を挙げるためには長期的な展望で事に当たらなければならないのだから。そこで、彼は崇禎帝に謁見して言った。
「私はもともと理論家ですので、武官からは実戦を知らないと侮られ、部下を意のままに動かす為に大変苦労いたしました。その上愚昧な質で巧く立ち回ることができず、貴人達から疎まれる事など茶飯事でございます。これではせっかくの官職も、結局は中途半端に終わらせることになり、何の功績も挙がりますまい。どうか別の賢人を抜擢なさいますよう、お願い申し上げます。」
゛成る程。゛
 崇禎帝は心で頷いた。
゛これは自分の腕を十分に振るう為の援護を求めておるのだな。゛
 そこで、崇禎帝は袁崇煥へ、手ずから剣を与えた。
「朕は辺事の一切を卿へ委ね、どのような讒言にも、一切心を動かさぬ。又、もしも武官が卿に背くようならば、この剣を以て誅するが良い。それは朕の意志である。卿は理論家である。過ちは犯すまい。」
 毛文龍が袁崇煥の下風に立てば、必ずや二人で力を合わせて盤石の基盤を作ってくれるだろう。崇禎帝は、この時それを想っていたのである。袁崇煥を使って毛文龍を誅殺しよう等とは、考えてもいなかった。しかし袁崇煥は、皇帝の言葉を額面通りに受け取ってしまったのだ。彼は、心で頷いた。
゛陛下はそこまで毛文龍に困り果てて居られるのか。゛
 さて、袁崇煥の赴任が決まると、盛大な壮行会が催された。この時、文武の大臣達は、こぞって毛文龍を誹ったが、ただ、菫其昌だけが言った。
「このような事を言うと、私も国賊扱いされるでしょうが、それでも督師の為に言わずにはおれません。もしも督師が一人で敵を制圧できるのでしたら、想うとおりになさればよろしいでしょう。私とて、毛文龍に咎があることは判ります。しかし、御国の為に、寛大な処置が必要となることも、時にはあるのです。それに、督師がいかに有能とはいえ、都には権臣・貴臣が大勢います。督師に援けがなかったならば、その地位がいつまで保てるでしょうか?もしも二人の鬼才を同時に失えば、この国は必ず滅びます。」
 菫其昌は、それだけ言うと、声を限りに泣き叫んで退出した。その真摯な態度に袁崇煥は気をのまれたが、大臣達は誰も恐れ入らなかった。
「忠臣面してはいるが、あいつは毛文龍の姻戚ではないか。義弟を助けようとて、巧く演技をやりおるわ。」
゛あっ!゛
 袁崇煥はたちまち悟った。
゛そうだった。毛文龍は、菫宗伯の姻族ではないか!地方にて大軍を擁するのみならず、朝廷にまで味方がいる・・・。これは早めに手を打たなければ、蔓延らせては施策もなくなるぞ!゛
 こうして袁崇煥は、任地に赴きもしないうちに、毛文龍を誅殺しようと胆を決めてしまった。そして、蘇遼へ到着すると、部下を総動員して毛文龍の悪行を探らせたのである。
 元来、毛文龍は勇猛果敢な人間だったが、贅沢で傲慢な人間だった。そして部下に対しては厳しかったので、大勢の兵卒が彼のことを憎んでいた。そこで、毛文龍の属員達は得たりとばかりに主人の事をこきおろしたのだ。
 この時、属官の徐允英が袁崇煥へ進言した。
「文龍には誅殺すべき悪行がありますが、今はその時期ではありません。」
 だが、袁崇煥は応えなかった。徐允英は、退出してから同僚に言った。
「毛帥は必ず殺される!私が進言した時、袁閣下は不満気だった。毛文龍がいなくても、敵を制圧することができるとお考えなのだ。」
「そこまで判ったのなら、どうして諫めなかった?」
「仕方がないさ。袁閣下は理論家だ。造反の風聞のある者を、どうして生かせておくものかね?だから、『毛帥は必ず殺される。』と言ったのだ。」
 まさしく、現地での報告を聞き終えた袁崇煥は、毛文龍を殺すべきだと決断していた。
「閲兵を名目に皮島へ出向き、油断しているところを斬る!朝廷の為に禍根を断つのだ。」