楚、弦と黄を滅ぼす
 
(春秋左氏伝) 

 僖公の五年、楚の闘穀老蒐が、弦を滅ぼした。弦子は黄へ逃げた。
 このころ、江・黄・道・柏は斉に親しくしていた上、彼等は皆、弦の姻戚だった。弦子は、こうゆうことをあてにして楚へ対して良く仕えず、又、何の備えもしていなかった。だから滅亡したのである。
 十二年、楚が黄を滅ぼした。諸侯が斉へ親しんでいたので、黄は楚へ対して貢ぎ物を出さなくなった。それで討伐されたのである。 

  

  

(東莱博議) 

 他人をアテにして努力を忘れる事こそ、最も大きな禍である。そして、他人から頼られたのに、何の力にもなれなかったというのが、最も大きな恥辱である。
 ところで、他人をアテにして禍を受ける者が居たら、そんな男は当然非難される。だが、そんな能力もないのに他人を護ってやると名乗りを挙げ、結果として彼を禍に陥れたとしたら、そんな人間こそ、最も非難されるべきではないか。
 斉の桓公が、夷狄を攘って、中国の権威を高揚させた。この頃、南方に弦や黄とゆう小国があったが、これらは中国の義を慕って斉の麾下へ入った。そして、斉の後ろ盾をアテにして防備を忘れ、結局は楚に滅ぼされてしまった。
 この時、左丘明は、他人をアテにして防備を忘れたことで、黄や弦を非難した。だが、そもそもこの二ヶ国が防備を忘れた原因は、中国を信じて頼みとしたことではないか。彼はその事を忘れている。
 黄や弦は、中国を信じるとゆう過ちを犯して、遂には滅亡とゆう最悪の禍を蒙ったのである。それなのに、他人を誤らせて死地へ追いやった中国人が自分を咎めず、あまつさえ、後世、彼等を平気で謗っている。なんと愧なくして恥を知らぬこと、何と甚だしいことか! 

 ここで、たとえ話をしてみよう。
 ある人が舟に乗っていた。彼は船頭を信じて酒を飲み、酔い伏してしまった。ところが、船頭が誤って船を転覆させた為、彼は溺死してしまった。
 この時、この男には、もちろん過失がある。しかし、それは岸で見ていた人間だからこそ、その過失を指弾できるのである。しかし、当の船頭がその過失を指弾するとしたら、それは絶対におかしい。その男は、船頭のせいで禍を受けたというのに、どうしてそれを罰することができようか!
 ここで、この男を溺れさせたのは、船頭である。水ではない。同様に、黄と弦を滅ぼしたのは、斉である。楚ではない。 

 この二ヶ国が滅んだのは、まだ、それほど深く恨むことではない。そんな事よりも、私は深く恨むことがあるのだ。
 この頃、中国の権威は失墜していた。蛮夷は恣に横行したのに、これを防ぐことができなかった。このような時に、斉の桓公ひとり、憤然として衰を扶け滅を振おうとした。そして、それを見た黄や弦が、一念発起して夷から抜けだし、斉へ従ったのである。
 このような事態だから、四方の諸侯達はこの二ヶ国へ注目し、この禍福を見て自分の将来を決めようと考えていたに違いない。つまり、この時こそ、中国と蛮夷との勝負の時だったのだ。
 中国に従った黄や弦が、社稷が安泰になって民が豊かに暮らせたとしたら、皆は喜び勇んで戎を棄てて華へ就いた事だろう。楚が蛮夷の間で力を振るったとしても、誰がこれと手を組んで悪事を行ったりするものか。
 だが、現実には斉の桓公はこの二ヶ国の滅亡を座視しただけで、救うことができなかった。これでは、中国へ服従しても何のメリットもない。それどころか、蛮夷に逆らう者へは、たちどころに鉄槌が下されるのだ。
 重病で頭が錯乱した人間でもない限り、福を棄てて禍を求めたりする筈がない。これは、天下の人々を蛮夷へ駆り立てるようなものではないか。
 もしも斉の桓公が義を唱えた時、中国の義を慕って服属する蛮夷の国が一つもなかったのならば、まだ害は浅かった。
 何故か?
 そのような場合、彼等は中国の義を慕った時の利益を知らないけれども、中国に従った時の弊害も又、知られずに済んだからだ。
 だが、不幸にして黄や弦は中国を恃み、禍を得てしまった。全身に入墨をした人間達は、必ずこの事件を指さして言うだろう。
「当初、俺達が中国を慕ったのは、刺繍や璧の華やかさ、干戈羽旄の美しさ、宮廷儀式の厳粛さ、音楽の見事な調和などを見て、『ああ、これなら我が国を託して後憂がなくなるだろう。』と思ったからだ。
 ところがどうだ?中国などちっとも恃むに足らないではないか。あの華やかな文化は全部上辺だけ。どうして彼等の誘いに乗って、わざわざ禍の中へ飛び込んでいったりするものか。」 

 ああ、二ヶ国が滅んだのは、まだ、それほど深く恨むことではない。その事件によって、蛮夷の国々から中国を慕う想いを根絶させてしまった。これこそ、深く恨むことである。
 ああ、中国とゆうのは君子のようなもの。蛮夷というのは小人のようなもの。蛮夷が中国を冒すのは、小人が君子を害するようなものだ。
 君子を任じている者が、小人を招いて誘った。
「汝の術は甚だ危く、我が道は安泰だ。汝はどうして生き方を改めようとしないのか。」
 この風説を聞いてわざわざその君子を訪ねてくる者が居たが、君子は彼等へ何も与えなかった。小人が身につけていた姑息な処世術は奪い去ったけれども、君子の身を安泰にする道をつまびらかにしなかった。
 そうゆう訳で、この小人達は仁に入る前に愚に陥り、義に入る前に迂に陥った。彼等は、ちょっとばかりの善行を恃んで何の用心もせず、軽々しく世の中の忌避を犯して禍を蒙ってしまった。
 すると、小人達のもとの仲間は、口々に彼等を責めることだろう。
「お前達は、我の言うことを聞かず、便利な術を棄てて緩濡な迂計に就いた。今、その禍福はどうなった?
 先日、お前達が我々を小人扱いして彼等へ就いた時、我等は思ったものだ。
『あいつらは明朝には君子の門に昇り、夕べには君子の利益を収めることだろうな。』と。
 ところが、この有様ではないか。これならば、我等がいつも行っていた術の方がよっぽど安泰ではないか。あんな連中の口車など、恃むに足りないぞ。」と。
 一犬が形に吠えれば百犬がその声に吠え、こうして仁義の道が荒んで行くのである。これは全て君子を標榜している偽君子の罪である。 

 君子を標榜している者は、全く、恃むに足りない。だが、彼等が頼むに足りないからと言って、どうしてこの道が恃みにならないと疑うことができようか。
 全滅の憂き目に会う将軍が相継いでいるが、それでも兵法書の効能を疑う者は居ないではないか。患者を治せずに殺してしまう医者は大勢居るが、医学書が嘘っぱちだと疑っている人間は居ない。
 その人を罰するからと言って、彼が学んだことまで併せて罰することなど、世の中の道理ではない。万古の六経が、腐れ儒者曲学阿世の為に破棄されるなど、とんでもない事である。