水滸伝

 言わずと知れた中国伝奇の大傑作。腐敗した役人に反発した豪傑達が、梁山泊に集結し、最後には国の為に外敵や謀反人をやっつけるとゆうストーリー。数々の演義物と違って、王朝交代劇ではありません。
 個人的な好みから言うと、正義感の豪傑達が、社会の腐敗について行けずにはみ出して行く過程、つまり各豪傑の銘々伝が非常に痛快。「三国志」始めとする演義物よりも水滸伝系列が私の趣味です。
 最近、光栄から「新・水滸伝」が出版されました。(原題「水滸新伝」)原作の「水滸伝」よりも面白い。一読をお奨めします。これは最近の作品だけあって、豪傑達の反乱を、収奪国家へ対する農民義起とゆう立場で描いてあります。作者は勿論、中華人民共和国の国民ですから、共産主義に洗脳されている。でも、あとがきを読むと、その洗脳に対して幾分疑問を感じ始めてからもう一度手直しして出版したそうです。まだ読みかけですが、帝政国家否定や農民賛歌は、丁度良い所で納まり、作品に深みを与えているようです。
P> ただ、数々の「水滸伝」の中で、一番のお奨めは、横山光輝著「水滸伝」全八巻(潮出版)。漫画版ですが、とにかく、かっこいい。二・三の道化役以外、豪傑達の無様な姿は大胆にカットして、かっこよさだけで凝り固めています。大体、文庫本十五冊を漫画2000頁にしたのでは、単なる縮約版にしか成らないはずですが、カットの仕方では全く別の作品に仕上がってしまうものだと痛感しました。そうですね、この漫画と原作を読み比べてみれば、その良さが判るでしょう。「縮約」とゆう作業も、「捨拾選択」にテーマを持てば、立派な「改訂」になるのです。

三国志演義

 今更解説の必要はありません。

西遊記

「孫悟空」と馬鹿にする事なかれ。平凡社や岩波から完全翻訳が出ていますが、三蔵法師が旅立つまではやたらと面白い。太宗皇帝が龍の祟りを受ける件など、(まあ、パターン通りの展開と言ったらそれまでですが、)なかなか読み応えがあります。しかし、何と言っても痛快なのは、孫悟空が天界で暴れ回る導入部分です。こうゆう荒唐無稽こそ中国伝奇の真髄ですねぇ。 それに比べると、天竺に旅立ってからは面白味に欠けます。毎回毎回パターンが同じ。戦い方に工夫が有れば飽きないのですが、何かと言うとお釈迦様に助けて貰って、情けないことおびただしい。機転を利かせて敵をやっつけたのは「金閣銀閣」くらいですね。
 最近、京劇の孫悟空を見ました。ぶっ飛んだ!何と、孫悟空が天帝の派遣した軍隊をやっつけてしまうのです。あの二郎真君まで孫悟空に負けてしまう。フツーこうゆう話では(勿論原作の西遊記でも)暴れ者が最後には正義の味方に敗れ、改心して善人になる、とゆうパターンなのですが、あの京劇では「謀反人」の孫悟空が、天帝(=皇帝)をやっつけてしまった。そして、「勝った勝った、ザマーミロ、バンザーイ」で終わってしまう。「国家」=「正義」ではなかったのだ。ひょっとしてあの作品は、共産主義の検閲が入って、「封建的国家を打倒する」主旨で改竄されたのだろうか?しかし、皇帝=盗賊の親玉とゆう考え方も、歴史の裏側では根強かったのかも知れない。「徴税」とゆう錦の御旗で、白昼堂々略奪を行う官吏達は、庶民から見たら山賊よりも始末に負えない存在だった?そう考えると、あの改竄は、国家の規制と庶民の望みがマッチした、希有の例だったような気もします。

 以上三品、続編があります。「水滸後伝」「後三国演志」「後・西遊記」三作とも読み応え抜群。縮約版が秀英書房から出版されてましたが、今も出ているのだろうか?「水滸後伝」だけは、平凡社の東洋文庫から完訳版で出ています。ちなみにこれは、滝沢馬琴の「椿説弓張月」(岩波、日本古典文学大系)の原作としても知られています。滝沢馬琴は、勿論日本人ですが、その作品は中国伝奇の正統派と言って良いでしょう。

平妖伝

 腐敗した社会へ対して、妖術使い達が反乱を起こした!水滸伝と三国志と西遊記の良いところだけを集めたような作品。しかも、物語は勧善懲悪に従って破綻なく進んでおり、「正義は勝つ。皇帝は政治を引き締め、みんな幸せになりました。目出度し目出度し」で終わるハッピーエンドです。少し短め(とは言っても文庫本五冊分はありますが)の為著名度は低いのですが、「中国伝奇の白眉」と賞賛されています。平凡社、刊

児女英雄伝

清の乾隆帝の時代を舞台に、絶世の美女が暴れまくる。十三妹の物語。前半はアクションですが、後半はちっょと大人しい。それにしても、「十三妹」ってもともとこーゆう話だったんだ。平凡社、刊

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