頴考叔、武姜を帰す。 

(春秋左氏伝)

 鄭の荘公には段とゆう弟がおり、京とゆう町を支配していた。段はやがて増長し、遂にクーデターを起こした。
武姜はこの二人の母である。
彼女はこの時、段に加担し、鄭の首都を内部から攪乱する手はずになっていた。しかし、このクーデターは失敗し、段は結局亡命した。
後、このクーデターに武姜が関与していたことが判った。怒り狂った荘公は武姜、つまり自分の母親を軟禁し、あまつさえ誓いまで建てた。
「黄泉(あの世)へ行くまで二度と貴女へお会いしません。」
 やがて、彼はこれを後悔した。
 その噂を聞いた頴考叔は、荘公へ貢ぎ物を献上した。荘公は、貢ぎ物の返礼として頴考叔へご馳走を振る舞ったが、この時、頴考叔は肉の羮にだけ箸をつけなかった。荘公がその訳を尋ねたところ、頴考叔は言った。
「私には母がおり、いつでも同じものを分け合って食べております。しかし、我が母は今まで君から賜下された羮を食べたことがなかったのです。そこで、母への土産に包んで貰おうと思い、箸をつけなかったのでございます。」
「そうか、お前は母へ孝行をつくせるのだな。羨ましいことだ。」
「おそれながら、それはどうゆうことでございましょうか?」
 そこで、荘公は一部始終を語り、最後につけ加えた。
「馬鹿な誓いを立てたことだ。後悔している。」
「それならば、思い煩うことはありません。゛黄泉゛というのは、゛あの世゛という意味で使われていますが、もともとは地下にある泉を指して言った言葉です。今から地下へトンネルを掘って行き、水脈へ出会いましたら、そこへ降りてからご母堂の元へ会いに行けば宜しいのです。誓いを破ったことにはなりません。」
 荘公は大いに喜んでその言葉に従い、荘公と武姜氏は仲の良い親子へ戻れた。

 後の君子は言った。
「頴考叔こそ真の孝行者だ。自分の母への想いを荘公にまで押し広めた。詩経に゛孝子の想い乏しからざれば、その余沢は周りに及ぶ゛というが、まさしくこの事だ。」

(博議)

 天に逆らった物は、結局は元に戻るものだ。
「天」とは何か?理由は判らないが、自然にそうなってしまうもの。それが「天」である。
具体的に言うならば、羽は浮かぶ、石は沈む。矢はまっすぐだし、蓬は曲がっている。土は動かないし、水は動く。これらは全て「天」である。これらは全て昔からそうだったし、いつまでも変わらない。
 それでは、「天」でないものとは何だろうか?
「人の力」である。
これは天を凌げるのだろうか?

 例えば、羽も重石を載せれば沈められるし、石も舟に乗せれば浮かぶ。矢もたわめれば曲がるし、蓬も助ければまっすぐになる。土は耕したら動くし、水も流れる先を塞いだら止まる。しかし、これらは全て、「人の力」が無くなれば元へ戻ってしまうのだ。
 羽も重石が無くなればその「天」に返って浮かび、石も舟から降ろせばその「天」に返って沈む。矢もたわめるのを止めたら「天」に返ってまっすぐなるし、蓬も助けるのを止めれば「天」に返って曲がる。土も耕さなくなれば「天」に返って止まり、水も塞がなければ「天」に返って動く。限りある「人の力」が、窮みなき「天」にどうして勝てるだろうか。

 さて、子供が父や母を愛するとゆうのは天性の物である。天下の大悪人と雖も、その心の中には天性が確かにあるのだ。
 荘公は弟へ対して激怒し、その憤怒は母親にまで及んだ。挙げ句の果て、彼は自分の天性を握りつぶして母親を幽閉してしまった。この時、彼は自分の行いに疑問がなかったのだろう。「黄泉の盟」を建てたとき、その思いは身を終えるまで変わらないものと思っていたに違いない。しかし、それから幾ばくもしないうちに忽ち後悔してしまった。この後悔の念はどこから来たのだろうか?
 答は明白だ。
 荘公は自分の「天理」を自ら拒絶したのである。決して、「天理」が荘公に愛想を尽かした訳ではない。
一朝の忿が赫然勃然と起こった時、あたかも天性の愛は跡形もなく失ったように思えた。しかし、母を慕う彼の天性の思いは、心の中で少しも減ってはいなかったのだ。ただ、血気に覆われて、その思いを見失ったに過ぎない。
 「血気の忿」とゆうのは強烈な思いではある。しかし、所詮は感情、朝に満ちても夕べには枯れ果てる。
だが、天理はそうではない。常に心の内にあり、無くなることがない。
忿心が衰えると親を慕う心は油然として自ら還り、これを抑えることができない。頴考叔は、天性へ還ろうとする心の端を掴んで助長させたに過ぎない。荘公の心の中にある母を慕う思いが、彼のおかげで増えたわけではない。

 さて、荘公と会食した頴考叔は、言葉ではなく態度で彼を悟らせた。いや、もっと正確に言うなら、態度ではなく母を慕う自分の想いで荘公を悟らせたのである。
 自分の母親を慕う想いは荘公も頴考叔も変わらない。同一の思いは同一の天。羮を啜って肉を脇へ除け、母への土産にしたいとゆうのは全て天理の発現である。
頴考叔は自分の天を示し、荘公も自分の心にある天性でこれを受け止めた。だからこそ会席も終わらぬほどの短い間に、滔天の悪を覆世の善へと変えてしまった。上辺だけの言葉や態度に過ぎなければ、どうして此処までのことができるだろうか。

 ただ、惜しい事がある。
頴考叔は、天性を触発させることを知っていたが、天性の使い方を知らなかった。だから、後一歩物足りない。
荘公が「黄泉の誓い」を語った時、できるならば、頴考叔にはこう答えて欲しかった。
「酔っぱらったときに喋ったことは、酔いから醒めたら実践しないものです。狂った時に行ったことは、その病が癒えたら二度とやりません。『既に醒めてしまっている』と言いながら酔った時の約束を実践しようとするのでは、酔いがすっかり醒めたとは言えません。癒えた後に同じ行いをしようとしたら、その狂はまだ癒えていないのです。
 王様の『黄泉の誓』も、それを後悔する前には正しいと思われたのでしょう。しかし、既に後悔してしまった以上、それが過ちであったことをご存知の筈。その過ちを知った上で、なお、改めるのを憚るようでは、本当に悔いているとは言えません。
 王様は、今でも母君を幽閉したままにしたいのですか?」
 もしも荘公がこの言葉を聞いたならば、その私情邪念は春日の雪のように跡形もなく消え去ってしまったことだろう。だが、頴考叔は上辺を繕う小細工しか教えなかった。その教えに従って、荘公は地下の水脈までトンネルを掘った。
何の為に?
自分の過ちを飾るためである。誤った誓いを建てたことを、それと認めずに済ます為である。
せっかく荘公の天理が開けたというのに、頴考叔は荘公の「面子」とゆう欲望に妥協して、たちまちこれを塞いでしまった。これを嘆かずに居られようか。
 それに、この小細工は荘公の天理を塞いだだけではない。頴考叔の胸の中にある天理も、この時いったいどこへ行っていたのだろうか?だから、荘公の天理を開いたのは頴考叔だが、これを塞いだのも又頴考叔なのだ。

 この事件で、もしも荘公が孔子や孟子に会っていたらどうなっただろうか?この先生達ならば、荘公の「一念の悔」に乗じて彼の天理を開き、更にその効用を大きくして、六通四闢させただろう。
母を思う孝心を推し広げて民への慈愛へ進めたかも知れない。母へ対する孝心を推し広めて、主君への敬虔に進めたかも知れない。
そうすれば荘公は、良くすれば尭・舜、悪くとも曾参(孔子の高弟、孔子の思想の正当な後継者と言われている。)に比べられるような人間になっていたはずである。どうして「鄭の荘公」程度の人間で終わっていただろうか。
 だが、実際に荘公が会ったのは孔子でも孟子でもなく、頴考叔に過ぎなかった。惜しいかな。

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