楽毅論

 

 王になることができたので王となったのが、三王である。そして、王にはなれないと諦めて覇者になったのが、五覇である。

 思いやりや優しさ。これが「仁」である。正しさを求め、悪を憎む。これが「義」である。自分の行いを正し、「仁」と「義」を体得したら当然民から慕われる。その結果、彼は大勢の民から心服されて、押し頂かれて主君となるだろう。これが「王」であり、そのような生き方を「王道を歩む」という。

「王になろうと思って努力して人徳を磨けば、例え王となれなくても覇者にはなれる。」と、ある人が言った。
嗚呼!なんと的外れな言葉だろうか。
もしも斉の桓公や晋の文公が殷の湯王や周の武王の真似をしたら、王になれるどころか、きっと国を滅ぼしてしまったに違いない。
 王道というのは、中途半端に行ってはいけない。王道は、しっかりと体得してその理念で行動すれば王となれるが、中途半端に行ったならば、国を滅ぼしてしまう物なのだ。

 昔、徐の偃王や宋の襄公は仁義を行ったが、その結果、身を亡ぼし国を滅ぼしてしまった。これは何故だろうか?
それは、彼等の野望が大きすぎ、彼等が実践したようなチョットばかりの仁義ではトテモ足りなかったからだ。

 そもそも天下の道を得て、しかも天下を取る心がなくてこそ、王となれるのだ。
他人から心服されたくてその場限りの慈愛や節義を見せたとて、誰が心服するだろうか。そのような真似をすれば、却ってその甘さにつけ込まれるのが落ちである。

 范蠡や張良は湯王や武王の補佐役にはなれまい。しかしながら、剛毅果断で卓然として惑わなかった。ナルホド大きな成果を上げられた訳だ。
 姑蘇に追いつめられた呉王夫差が越王勾践に命乞いをした時、勾践はこれを哀れみ、又、昔助けられたことを思い出して許してやろうとしたが、范蠡一人これに反対し、軍鼓を鳴らして進撃した為、とうとう夫差は自殺してしまった。項羽と劉邦が停戦し項羽が軍を引き上げた時、同様に引き返そうとした劉邦へ向かって張良は言った。「これは、天が項羽を滅ぼすのです。この機会を逃してはなりません。」と。
この二人はチッポケな仁義よりも己の大望を取ったのである。

 嗚呼!楽毅は戦国時代の英雄でありながら、大道を知らなかった。彼の人生を見ると、悲惨な末路も当然である。世間の人々は、「燕の恵王が無能だから反間工作にウマウマ乗せられ、騎却などという無能な将軍を起用した為に燕が破れた」と言って、楽毅の為に憤慨している。しかし、この将軍交代が失敗に終わったのは、あくまで不運であり、決して采配ミスではない。もしもこの時昭王が健在で反間工作が実行できなかったとしても、楽毅は必ず破れたに違いないのだ。
 何故だろうか?それは、燕が斉を併合することが、秦・楚・三晋全ての国にとって不利だったからだ。
 今、たった二つの城に逃げ込んだ敵を百万の大軍で攻撃し、数年かかって勝負がつかなかったとしよう。そうすれば、軍隊が外国での持久戦に疲労してしまうのだから、諸外国にしてみれば、攻撃する絶好の機会である。諸侯が本国へ攻め込み、斉は外から反撃する。こうなれば、太公望や穰苴といった名将でもどうして勝てようか。
 しかしながら、楽毅は百万の軍隊でたった二つの城を包囲し、数年間陥さなかった。これは彼の知略や兵力が不足していたからではない。斉の国民から心服されようと思い、猛攻撃をしなかったのだ。
 もともと、斉の国民は暴虐な国王の苛政に苦しんでいた。ここで楽毅が攻撃に手心を加え、占領地の治安維持に力を注ぎ、民衆への賦税を安くして、徴兵された斉の兵隊を解放して故郷へ帰してやり、老若男女皆が心安らかに生きてゆける社会を作ったならば、斉の兵卒は必ずや戦意を喪失してしまうだろう。そうなれば、田単一人やっきになったとて、どうすることができようか。
 こうなった場合、楽毅の軍団は解放軍である。彼は大勢の民から敬愛され、その功績は後世まで輝かしく残り、稀代の英雄と賞賛されるだろう。力尽くで斉を滅ぼし、一時の名声は博しても、「結局は強盗の親玉に過ぎない」と一部の人間からは醒めた目で見られ、後世の評判も称蔑相半ばすることと比べるなら、まさしく十全と言える。
 彼が擁していたのは百万の大軍ある。それでいて持久戦に持ち込んで即戦しなかった。これは彼が「君子」としての名声に色目を使った結果なのだ。
 勿論、民を慰撫するのは結構なことだし、占領した後の統治を考えるならば、斉の国民のことを思いやり、彼等が自ら喜んで燕の国民となるように気を配る方がいいのに決まっている。しかし、そのようなことに時間を費やせば、全国を絡めた戦局はどう動いただろうか。
 当時は弱肉強食がまかり通った戦国の世の中だった。燕にせよ斉にせよ、強力な軍隊で他国を侵略するのは当然の行為だった。彼がもしも力ずくで斉を強奪し植民地としても、だれがそれを非難しただろうか。

 嗚呼!王となりたければ、王道を歩け。そうでなければ自分の生き方を確固として押し通せ。力と名声の両方を求めて二つながら無くしてしまえば、後々の笑い物にしかならないのだ。

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